語り部は王の腕の中

深森ゆうか

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序幕

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 首都に入ると舗装が格段に良くなった。
  走る馬車の揺れが減り、石畳の道を走る車輪の回る音がぐっと静かになる。

  エステルは近付く再会に口をキュッと閉ざし、身を固くした。
  ――そうしないとまた、どうにもならないことを呟いてしまいそうだったからだ。
 (何故、私を王妃にと選んだの……? アレシュ……王)
  強く握り締める自分の手が冷たく白い。このまま全身が冷たくなってしまえば逃げられるだろうか? と、また、どうしようもないことを考えてしまう。
  健康的な肌を持つエステルだが、再会する時が刻一刻と近付くにつれて、病人のように青ざめていった。
  明るめのオレンジ色に彩った小さめの唇は噛み締めて色を失い、淡褐色の瞳はただ憂いに揺れて、綺麗に結い上げられた栗毛の髪も色褪せて見える。
  エステルの緊張を感じ取ったのか、共に乗車していた侍女頭が小窓を開けた。
  侍女頭は王城で働けば、恐らく同じように侍女として働くであろう下級貴族のエステルに対し、最初から好意的な態度であった。
  彼女は、王城から王自らの頼みでエステルを迎えに来た者である。
  侍女頭は外から入ってくる、清涼な空気の向こう側にある景色をエステルに見せるために小窓を開けたのだ。
 「エステル様、ご覧ください。あれがヴィアベルク王家の主城・リベラ城でございます」
  侍女頭に促され、小窓の丁度真正面に見える城を覗く。
  幅のある河川にかかる、石橋の先にある白亜の城は夏の陽射しに照らされ輝き、荘厳さを増してエステルを迎え入れようとしている。
  その威厳さに飲み込まれそうな感覚に陥り、エステルには視線を落とした。
  川の小波から受ける日の照り返しさえも、エステルには眩しすぎる。逃げるように顔を引っ込めた。
  城と一緒に垣間見た街並みも、国の容色である蒼を使った屋根と煉瓦造りの住居が軒を連ねて並び、整然としていた。
  田舎暮らしのエステルはこれが旅行だったら、年甲斐もなくはしゃぎ堪能できたのに、とも思った。
  馬車が右に曲がり、城へと続く石橋を渡る。
 (アレシュ王……何故……?)
  エステルはここまで来るまでの間に何十回、いや、何百回とも繰り返してきた疑問をまた繰り返す。

  ――私を王妃に望まれたの……?

  ヴィアベルク最大の河川・ヴェルディ川。
  その川を挟んだ向こう岸は、旧ヴィアベルク領である。幾度も起きた戦で、ヴィアベルク家は勢力を拡大し他国を吸収していった。
  新ヴィアベルク領と繋ぐ礎の橋は、今や観光の一つである。
  いつもは、風光明媚な景色を眺めている観光客が橋の上を楽しげに歩いているが、今日はその光景はない。
  仰々しい警備員が等間隔に並び、エステルが乗る馬車を出迎える。
  そして――橋の向こう側。旧ヴィアベルクにそびえるリベラ城まで続いていた。
  ゆっくりと馬車が止まり、御者が降りる。外で乗車している自分を降りるための準備をしているのが分かり、先程とは比較にならない動悸にエステルは目眩を起こしそうだった。
 (震えが止まらない……! 誰か助けて!)
  逃げ出したい、ここから全てを捨てて!
  血の気が引いていくのが自分でもわかる。心の中で助けを呼ぶそんなエステルに、同乗していた侍女頭が声をかけた。
 「エステル様、怖いことなどありません。エステル様のことは、アレシュ王が全てを捧げてお守り下さいましょう」
 (そんなこと、何故わかるの……?)
  そんなエステルの非難が交じる視線にも、侍女頭は臆することなく彼女に手を差し伸べた。
 「どうか、王を信じて下さい」
  励ますような侍女頭の笑みにエステルは勇気づけられ、ようやく手を差し出した。
  侍女頭から衛兵の誘導に代わり、エステルは開かれたリベラ城の玄関前に降り立った。
  幅広の階段の中央には、赤い絨毯が敷かれエステルを招く。
  エステルはままよ、と口を引き締めて顎をあげた。

 「……!」
  階段を上りきった先に、一人の青年がこちらを見下ろしている。
  王家しか身に付けてはいけない濃赤色の軍の正装には、様々な紀章が留められている。
  そして白に金糸の 肩章エポーレット
 「エステル……!」
  自分の名を呼ぶ青年は、すっかりと声変わりを済ませ、魅惑的な低い声で名を呼ぶ。
 「久しぶりだね、エステル!」
  待ちきれずに駆けぎみで階段を降りてきた青年の姿が、間近になる。
  プラチナブロンドの髪を整え、覚めるような美青年は――神に祝福を受け続けたと相応しい成長ぶりだ。
 「アレシュ……王」
  エステルが、八年の時の長さを痛いほど味わった瞬間だった。



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