語り部は王の腕の中

深森ゆうか

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幼き王1

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八年前――

 ブレイハ領・ルフェルト城付近。田園が広がる長閑な一画に流れるチルチ川は、浅く流れも穏やかで、人々の散策コースになっていた。
  上流はルフェルト城に近くなるため、村人達はあまり近付かない。

  ――だからこそ油断したのだろう、お互いに。

 「ご、ごめんなさい!」
  齢が十ほどの幼い少年が顔を真っ赤にして、身体ごとエステルから背ける。
 「い、いえ」
  エステルは駆け足で岸に上がると、ショールを身体に巻きつけた。
  ずぶ濡れのまま服を着るわけにはいかない。この暑い季節、岸に上がってしばらくすれば身体は乾くが、いくら幼い少年だとしても全裸を見られたのは恥ずかしった。
  しかも、しばらく気付かないでいたなんて。
  視線を感じて顔を上げてみれば、呆然とこちらを見入るこの少年がいたのだ。
 「ほ、本当にごめんなさい! この辺りは、村人はあまり来ないと聞いていたものだから……!」
  少年は背を向けながらそう謝罪すると、そのまま駆けていってしまった。
 「……?」
  エステルは首を傾げ、少年が去っていった方向を見つめた。
  見慣れない子だった。新しく越してきた村の住民の子だろうか?
 (でも、それにしても小綺麗な格好をしていたし、発音も訛りがなかった)
  ――それに、
 (とても綺麗な男の子だったわ)
  プラチナブロンドが、夏の陽射しを受けてキラキラして。
  エステルは自分の平凡な栗毛の、癖のある髪を弄りながら溜息をついた。

  エステルは、ブレイハ領の主人とは親戚関係にある。
  ブレイハ領主の父とエステルの父が従兄弟同士で、血は近くはないが。
  そんな遠縁の彼女に領主が「娘の家庭教師に」と望んだのは、ひとえに父の「子女も学を学ぶべき」との教育方針のお陰だ。
  母は「女性は家を守るだけの能力に、裁縫などの嗜みだけで良いのに」と眉を潜めたが、成長した今では良かったとエステルは思う。
  こうして今は家庭教師として、ブレイハ領のルフェルト城に住み込みで働かせてもらえるのだから。
  父は学だけでなく、ピアノや歌に詩、ダンス、行儀作法に至るまで跡継ぎの兄と共に習わせた。貴族とはいえ生活に余裕がなかったのに、父はよくぞ自分まで学ばせてくれたと感謝している。
  現在は「雇う家庭教師によって、良家の娘の運命がかかっている」と言われ、貴族どころか裕福な商家や豪農の家庭まで、血眼になって優秀な家庭教師を探す家庭の多いこと。
  そう考えると、父はきっと先見の明があったのだろう。
  読み書きの出来るお陰で、司書のオレクと縁があり婚約したし。
  一年後の挙式までには家庭教師をしたお金を貯めて、新婚生活を充実させたい――エステルは、そう考えていた。

  それから数日後。
 「エステル、ちょっと良いかな? 相談があるのだが」
  雇い主であるブレイハ領主・フィリプが、休憩時間に娘のアレンカの部屋に顔を出してきた。膝を軽く曲げ、主人に挨拶をすると、手招きで隣の部屋に誘導される。
 「今から話すことは、内密にして欲しいことなのでね」
と、フィリプが一言付け加えて話し出した。
 「実は今、この城にお忍びで、アレシュ王が静養に来ていらっしゃる」
 「まあ……! 南の棟に賓客が、しばらくご滞在されると奥様から伺っておりましたが、王様でしたの」
  エステルは驚きを隠せなかった。
  ブレイハ家は王家に強固な縁が無い。現在も王朝に親族が勤め、活躍しているなどの話はなかった。
  謹直に領を管理し、期限日迄に毎年決まった税を、きっちりと納めるという善良な一領主でしかない。
 「色々と理由はあるが、一番は様々な薬草が自生している、緑豊かな土地であることが決め手になったらしい」
 「薬草……王の体調が優れないという噂は、本当のことなのですか?」
 「身体の方はそれほどでもない。だが、心労が酷いのだ。まだ幼いながらに大人達と混じって国政に励んで、お疲れなのだろう。――それに王が一番堪えたのは、両親であり王と王妃が急死なさったことだろうね」
 「お話を伺った時、なんてお気の毒なことに……と思いました。王様は当時、まだ十一というお歳でしたのに」
  大人びた随分としっかりとした少年王で、昨年事故死した父である先代王のあとを継ぎ、周囲の大人達に臆することなく堂々と意見をすると評判だ。
  しかし、まだ親――特に母親が恋しい年頃だろう。
  先代王も王妃も子の養育を全てを人に任せるのを良しとしていなく、出来るだけ自らの手で彼を育てたと聞いている。
  今までの王家より、ずっと親子としての絆が強かっただろう。
  それが突然の事故で親を亡くし、王位を継いで国のために奮闘していたのだ。
  重圧に精神が押し潰され、病むのも分かる。
 「――ここにいる間だけでも、童心に返ってほしくてね。エステルは色々な物語を沢山知っていると、アレンカが嬉しそうに君からの話を聞かせてくれるんだ」
 「まあ……お勉強やお作法を頑張ったご褒美に、お話をするんです」
  エステルは頬を染め弁解をした。話した中には「恋愛」もある。そんな際どく艶めいた話は語ってはいないが、選んだ恋愛話に自分の恋愛観を見られたようで恥ずかしい。
 「はは、そんな恥ずかしがることなどないよ。君の語る物語の一部を、アレシュ王にも聞かせて欲しいだけなのだから」
  エステルは首を傾げ、ちょっと考えてからフィリプに応えた。
 「私の知っている範囲の物語でよければ……」


◆◆◆
 ルフェルト城南棟――
 エステルはフィリプとその妻ダリナの後から、ある部屋に入る。
  そこは特別な賓客の宿泊するための部屋らしく、贅を尽くしていた。
  エステルも、この部屋に入ったのは初めてで胸中で感嘆する。
  ブレイハ夫妻が続き部屋の扉をノックし、中から専用の使用人が中へ導く。
  エステルも室内に入り、大きな窓から一杯に射し込んでくる日の光に包まれている少年を見つけ、息を飲んだ。
  寝間着にガウンを羽織り窓際の椅子に座っている少年は、太陽の加護を受けているかのごとく、そこに鎮座している。
  まだ幼げな顔立ちながら、王者の風格は充分備わっており、畏怖にこちらから言葉をかけるのを躊躇うほどだ。

  ――何より

 エステルは驚きで声が出せない。
 (あの時の……!)
  暑くて我慢できず行水していた時に、会った少年だったのだ。
 (アレシュ王だったなんて……!)
  思い出しエステルは火照る顔のまま、必死に平静を装い腰を曲げ、最大礼をする。
  間違った礼をしていないか気になるも、既に、はしたない姿を見せていることにまたエステルは動揺する。
 「あっ……」
  アレシュ王が短く声を発したが、直ぐに王らしい言葉を開く。
 「顔を上げよ」
 「……では、失礼して」
  ブレイハ夫妻と共に腰を上げる。
 「ここでは楽にしてほしい。フィリプもダリナも頼むよ、私は居候中の身なのに会うたびに恐縮されると申し訳なく思う」
 「しかし、臣下として礼儀に欠けます」
 「私はお忍びでこちらに滞在をしている。『遠縁の少年が療養にきている』と徹底してほしいと言ったはず」
 「はい」と夫妻が顔を上げたので、エステルも同じように顔を上げた。
  不意にアレシュ王と目が合い、困った風に笑った。
  きっと毎回、このような押し問答をしているのだろう。
  夫妻の気持ちも分かるが、アレシュ王も落ち着けないだろうとエステルは気の毒に思った。
 「その方は? 昨日、話があった語り部の先生ですか?」
  先程より幼くなった語調で、アレシュ王が話しかけてきた。
 「はい、エステル・シャルカ=阿某と申します。こちらでブレイハ領主様のご令嬢・アレンカ様の家庭教師を勤めております」
 「楽しみだ。アレンカ嬢から貴女の話を聞いて、是非一緒に聞きたくて――今からでも構いませんか?」
  アレシュ王の申し出に、エステルは夫妻に顔を向ける。
  フィリプが快く頷いたが、ダリアの方はといえば表情を固くし、眉を潜めていた。
 「……では、アレンカ様もご一緒に、は如何でしょう?」
 「アレンカには、王は遠縁の子と紹介している」
  フィリプの言葉にエステルは、
 「私も、その紹介に合わせますから大丈夫かと」
そう答えた。
 「王よ、宜しいですかな?」
  フィリプがアレシュに是非を尋ねる。アレシュはゆるりと大人びた笑みを返し、了承する。
 「では、直ぐにアレンカを連れて参ります」
  夫妻は腰を曲げ忙しく下がっていった。

 (良かったわ。夫人の機嫌を損なわないように話を持っていけて)
  ダリナの、しゃんとした背中を見届けながらエステルは安堵した。
  ダリナは、首都からブレイハ家に嫁いできた。下級貴族とはいえ首都で商いをして、そこそこに成功している家の長女。こんな田舎の小さな領主の妻になることに不満があったらしいが、今は二人の子供も産まれ穏やかに暮らしている。
  ――だけど、その見解は、あくまでも他人から受けたものを鵜呑みにしただけだったのだと、夫人と接してエステルは知った。
  叶わなかった願いを、娘・アレンカに託していた。どこに出しても恥ずかしくない、気品と教養に溢れた令嬢に養育し、あわよくば王家か、王家と親しい貴族に嫁入りをさせたいらしい。
  早くからの英才教育に相応しい家庭教師を、首都から探していたのに――夫であるフィリプが、親戚のよしみで相談もなくエステルに依頼してしまった。
  表立ってダリナは逆らうことはしないが、発散しない分、内に溜め込む。それがたまにエステルに、冷たい態度や厳しい言葉を投げ掛ける結果になっていた。
 (……世の中、もっとひどい主人もいると聞くし、私は恵まれた方だわ)
  ――それに、一年後の今頃は家庭教師を辞職して、婚約者であるオレクと夫婦になるのだ。そうしたら、夫人の希望に添った家庭教師を雇えば良い。

 「……先日は申し訳ありません。はしたない姿をお見せしてしまって……」
  今はアレシュ王に先日の詫びをするのが先だ。エステルは羞恥に頬を染めて腰を曲げた。
  そんなエステルの態度に、アレシュは慌てるように首を振り立ち上がる。
 「悪いのは僕の方です……! 思わず魅入ってしまっていて!」
 「えっ?」
  目を瞬かせてアレシュを見てしまったエステルに、彼は彼女以上に頬を染めて、つっかえながらも言葉を紡ぐ。
 「なんて綺麗な人なんだろう……って……貴女を見た時、小川の精だと本気で思ったんです。口を出したら、きっと姿を消してしまうだろうって……それで僕……そのまま……」
  エステルも「まあ」と吐き出して手を頬に当てる。
 (小川の精だなんて……! 綺麗? 私が?)
  思わぬ言葉に、頬だけでなく身体全体が熱くなっている。
  それに、二人っきりになった途端、アレシュの言葉遣いが普通の少年のそれと変わらなくなっていてエステルは少々、気が動転していた。
 「き、綺麗だなんて……もういい歳の女が行水なんてしていて、お恥ずかしい限りですわ。それに王宮には、もっと見目麗しい女性が大勢仕えていますでしょう?」
 「そんなことはない! 王宮の女達は、化粧や下着で誤魔化しているのが多いけど! 貴女はコルセットも何も付けずにいても、括れているところは括れて、とても健康的な肌で……!」
  そこまで言ってアレシュは「しまった」と、でもいう風に慌てて口を手で押さえた。
  その様子がエステルにはとても可愛らしく見えて、口許が緩んでしまう。
 「……ごめんなさい」
  もごもごと押さえた口で、申し訳なさそうに謝罪するアレシュが、エステルには弟のように思えてきた。
 (王に対して、図々しい気持ちかしら?)
  でも、威厳ある態度を止めて今の年相応の姿を見るに、きっと自分には心を許しているのだろうとエステルには感じられた。
  そう思うと、全裸を見られて返って良かったのかも知れない。
 「暑い時期には、行水にくる村人が大勢いのですが……流石に私ほどになると良い家柄の娘さんは控えるものでして……私も親に叱られて止めていたのですが、あの日は暑くて暑くて……」
 「確かに、あの日は急に気温が上がった。実は僕も暑くて……足くらいは水に浸かろうと思って、あそこにいたんだ」
  そうしたら貴女がいて、とまた思い出したのかアレシュが顔を赤くした。
 「申し訳ありません。せっかく楽しもうとしていたところに……」
 「良いんだ……」
  アレシュの口が動いたが、エステルの耳には小さくて聞こえない声だった。
 「あの、お願いが。大変恐縮なのですけど……」
 「何?」
 「私が小川で行水をしていたことは、内緒にしてほしいのです。その……この年で、しかもブレイハ領主のご令嬢の家庭教師をしているものですから、外聞が悪くなるのは……」
  もし、アレシュから夫人、またはアレンカに伝わったら。
  アレンカはお喋りが大好きで、自分が面白いと感じたら素直に口に出してしまう。アレンカからフィリプ、特に夫人に伝えられたら流石に叱られるどころではすまない。
 「分かった。この事は僕と貴女との――エステルとの秘密ということにしよう?」
 「お願いします」

  丁度のタイミングでノックの音がする。
  エステルとアルシュは微笑み合うと、すました顔でブレイハ夫妻とアレンカを迎えた。



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