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2幕 時の廃れた研究室
2話 部屋のクラック
しおりを挟む「研究組織の設立から100年経つと聞きますが随分と新しい施設なんですね」
車窓から一面ガラス張りの私設研究所が見える。研究分野に隔たりない研修室が設けられる日本国内唯一の施設だろう。かつてこの研究室からカルビン回路を応用した酸素製造機が発明され、各公共施設への設置が進んでいるという記事を読んだことがある。
「改修が終わったのはつい最近でしたよ。コンクリートの劣化が激しくて薄気味悪かったですから、ここに来ることになったのが改装後で良かったです」
松原さんが胸ポケットからタバコを取り出したところで、ハンドル握る夏子さんがその手を叩き喫煙を抑制させる。激情すると思いきや、「すまんな。奈津子」とつぶやき、静かにポケットにタバコをしまい込み、喉をごくりと鳴らした。
春葉区理化学研究所と掘られた石碑のある正門で助手席の松原さんがセキュリティに要件を伝えると、ライフル弾の貫通も防げるだろう重厚感のある壁が収納されていく。さながら、山が道を開ける様だ。
研究所正面で車が止められ、僕と松原さんは先に降りる。片足が地面についたところで奈津子さんがパーキングを解除して発車しようとする。
「あの……奈津子さんはどこへ行かれるのですか」
「ただ車を駐車してくるだけですから安心してください。あんなタバコが切れると駄目になる男と二人きりは大変でしょうし、すぐ追いつきますから日向さんは日向さんの仕事を」
親指を立て、奈津子さんは車を出していった。
細菌に敏感なものを多く取り扱う研究所であるだけに、消毒液の匂いが鼻にキツく触る。個室の一つ一つが気圧調整機能付きのドアでカードキーシステムが取り付けられてある。
廊下をひたすら進むでいたが全面ガラス張りだった壁が終わり、やがて薄暗い光だけが頼りの通路に変わる。好きじゃないな、こういうのは。
空気も冷たいその通路の突き当り、角部屋の前に規制線が貼られ物々しい雰囲気が漂う。
「ご苦労」と松原さんが若手警官に声をかけ規制線をくぐり、研究室に踏み入る。部屋の壁際に大小様々な飼育ケースが並べられており、その一つ一つに犬、猫、兎を始めとした動物や、それまで架空とされてきた珍獣の姿をした生き物までもがいる。
しかし、入り口際の一つだけ天井の鉄格子が壊れた空のゲージがあった。止り木があることから、鳥類。壊れたのはつい最近だろう、全くホコリを被ってない。
部屋全体コンクリートで劣化がひどく、亀裂が部屋を跨っている。部屋の奥、縦横を横切る亀裂の上で床に伏せる蒼白の女性の骸があった。
長い髪が乱れ、首元から伸張する血液で固まっている。殺人に巻き込まれたにしては不自然なほどにどこか穏やかな表情をしている。自殺なのか……いや、首を斬るために使った物が存在しない。
松原さんは手袋をはめ込みながら研究室中央の机に置かれた専門誌を一瞥する。科学に関する論文や記事を毎月掲載する「future」6月号。表紙には青い髪の青年の写真とともに「自己修復する金属発見!?」と大々的に記載されてある。
「こりゃ酷いな、喉が掻っ切られてる。この中に刃物のような鋭い牙もしくは爪を持つ生き物はいるか」
「いや、いねえさ。しかしなんだ、手のひらサイズのペガサスや足が三本ある烏といった薄ら気味悪いものばっかりゃいるようだ」
死体の足元を撮影していた鑑識の二階堂照史が説明する。この前解決へ導いた通り魔殺人の時にもいた中年の大男だ。確かな腕と観察眼から評価は高いが浪花節で厄介事を起こして煙たがられているそうだ。
タバコ好きで自身では剥げた理由が喫煙だと言っていた。松原さんが「俺の髪の癖が強いのはタバコのせいだ」と言っていたのは二階堂さんの口癖が移っていたからのようだ。
「動物保護法を破り挙げ句、刑法に充てがわれるとは不愉快な」
「この研究所全体の業務調査も必要じゃねえのかい」
「もちろんするさ。この始末がついた後でな」
二階堂さんが撮影を終え、背伸びする。首を一回し景気よく首を鳴らす。写真に不備がないか確認しながら、
「それで、君が探偵だったね。この前の通り魔事件のときにいたんだが、分かるかい」
写真に不備がないか確認しながら、声はこちらを向いている。
「ええ、二階堂さん。噂は常々聞いてますから」
「そうかい、そりゃ嬉しいねぇ。まあ、こっちはあんたの観察眼で職を失いそうだよ、ハハハッ」
そのまま声高らかに笑い退室していった。と入れ違いに奈津子さんが来たのだった。
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