アムネーシス 離れられない番

山吹レイ

文字の大きさ
11 / 13

みつる月

しおりを挟む
 学校帰りなんとなく顔を見たくなって、生吹の診療所に向かった。
 平仁と会えない日々が続くと、なぜか生吹に会いたくなる。というより、俺には平仁の情報はひとつも入ってこないので、生吹ならば何か知っているのではないか、と探りを入れたいところではあった。
 何かあったら智也に言えと言われているが、別に俺の身に危険なことがあるわけもなく、奴は口が堅すぎて訊いても何一つ話してくれないだろう。
 診療所のドアを開けると、今日は誰もいないのか人の声はしない。気配も感じなかったので生吹もいないのかと思って衝立の向こうに回れば、奴は簡易ベッドで横になって呑気に寝ていた。
 患者がいない時はこんなに自由気ままにしているのかと思えば、羨ましさを感じつつ呆れるしかない。
 来てしまった手前、このまま帰るのも癪なので、椅子に座って机の上の書類を眺める。オメガに対する論文のようなものや、書きかけの研究データのようなものまであって、不用意に触らないようにしながら、書かれた『発情期のフェロモンについて』という文章に目を留めた。
 生吹は元医者だ。大学病院の勤務医だったと聞いたことがある。オメガという第二の性の中で医者という職業を選択したことに驚きを感じずにはいられない。並大抵の努力がなければなしえなかっただろう。それを手放してしまった後悔はないのかと不思議に思う。安易に手放したくてしたわけではないだろうが、生吹からは未練のようなものは感じられない。
 ただ、こういう記事を読んだり、研究をしたりするぐらいだから、やはりなんらかの思いがあって今でも勉強をしているのだ。いつも飄々としていて掴みどころがない男だが、面倒や努力は惜しまない。
「叶人……?」
 振り向くと、生吹が欠伸をしながら上半身を起こした。目が覚めたらしい。
「いつ来た?」
「つい、さっき。寝てたから起こすのもかわいそうだし、どうしようかと思った」
 ベッドから立ち上がった生吹は、晒していた書類を隠すように片づけた。
 コンビニから買ってきたアイスコーヒーを差し出すと、顔を綻ばせて受け取る。
「ありがと。あー目が覚める」
 一気に飲み干して椅子に座った生吹は、寝癖のついた頭をがしがしと掻いて、ほどきかけている髪を結いなおした。
「今日はどうした?」
「最近会ってなかったから、顔見に来ただけ」
「ふーん。発情期でもなさそうだし、平仁と何かあったわけじゃないんだな?」
 俺の顔色や様子を見て生吹が言った。会うとどうしても体調や平仁の話になる。
「別に……あいつと喧嘩なんかしてない」
 顔を逸らして小声で口早に話すと、生吹は一瞬驚いたように目を瞬かせた。
「何にやにやしてんの。気持ち悪いなあ。あ、いいことあった?」
 笑っていなかったはずだが、生吹の勘の良さに舌打ちしそうになる。
「ない。お前こそ何その顔」
 面白い玩具を見つけた子供のようににやにやしているのは生吹のほうだ。
「いや……平仁と何かあったでしょ? すんごいいやらしい顔してた」
「いやらしい顔って……」
 話すか話さないか躊躇ったが、生吹は俺以上に平仁のことを知っているだろうと判断して口を開いた。
「お前は平仁の組のこととか知ってんだよな?」
「そんなに詳しくはないけどね。俺は一般人だし。噂ぐらいかな……って、叶人は平仁にあんま興味なさそうだったからそういう内情も知らないんだと思ってた。平仁も隠してる感じはしたし」
「うん。知らなくてもよかったと思うんだけど……番になったじゃん。知るべきだと思った。このままじゃいけないって感じてたし」
 素直に吐露すると生吹は「へーそう思ったんだ?」と軽く返す。奴にとって俺と平仁の関係は所詮他人事、どうでもいいと感じているかもしれないが、こう見えて意外にもお節介だということは知っている。
「……平仁が組を抜けるって言ってきてさ」
 もう聞いているのかと思って話を振れば、生吹はびっくりした表情で俺を見た。
「ほんとに? それはすごい。叶人の存在が平仁を変えるかー」
 感慨深げに頷いている生吹はどこか嬉しそうだ。それに、平仁が組を抜ける理由を言い当てるあたり、俺と平仁をよく見ていたのだと思う。俺ですら平仁が組を抜けようとしている理由を知って驚いたのに、生吹は納得している様子だ。
「それで、にやにやしてんだ? まあ、組を抜けるとか簡単じゃないけど……叶人のためを思うなら早いほうがいいだろうね」
「やっぱ、難しかったりする……」
 いきなり生吹が立ち上がる。誰かが引き戸を開けて入ってきた気配に、衝立の上から様子を見た生吹につられて立ち上がった。
 足を引きずった一人の男が慌てた様子で入ってきた。
「あーまずい」
 生吹は呟いて衝立を回って男に駆け寄る。見たことがあると思ったら、以前ここに来た時にすれ違った男だ。
「先生、少し匿ってくれ」
 目つきの悪い柄の悪そうな男は、そう言って生吹の腕を縋るように掴んだ。生吹は俺のほうをちらと見て「叶人は今すぐ帰れ」と促した。ただならぬ雰囲気から帰ったほうがいいとわかっているが、また蚊帳の外に出されているような、かかわるなと言わんばかりの態度に少しむっとする。
 そうしている間にも男は勝手に衝立の中に入っていった。焦ったように生吹が後を追う。
「俺のところに来ても困ります。森田さん」
 その苗字には聞き覚えがあった。智也のアパートにいたときに柄の悪い男たちの口から出たものだ。組の金とか持ち逃げとか物騒なことを言っていたから覚えている。
「もう行く所がねえんだよ」
 うろうろと歩き回る森田に、言い聞かせるように生吹が言った。
「平仁と連絡を取ったほうがいい」
「ダメだ! 殺される!」
 生吹が言い終わる前に森田は声を荒げて震えだした。
 こんな男でも平仁が怖いのかと驚く。それに『殺される』とは随分物騒な言葉だ。
「平仁はそんなことはしない。きちんと話をすれば……」
「あんたは奴の怖さを知らねえから、そんなことが言えるんだよ!」
 生吹が早く出て行けとばかりに、携帯電話を持っていた手で俺の背中を引き戸のほうに押した。
「少なくとも他の人に見つかるよりはいいのかと思いますが?」
「見つかるわけにはいかねえって言ってんだろ!」
「ここにいてもずっと隠れられるわけがないでしょう」
「わかってる!」
 生吹が動こうとしない俺の腕を強引に掴んだ瞬間、静かに引き戸が開いた。
 身を屈めて中に入ってきたのは平仁だった。一瞬だけ視線が交差する。平仁は顔色一つ変えなかったが、なぜこんなところにいる? という文句が聞こえるようだった。
 森田が慌てた様子で椅子をひっくり返して逃げようとするが、寸前のところで平仁の背後から出てきた智也が対峙するかのように前にふさがった。
「ちくしょう!」
 左手に、奥に続くドアがあるだけで、逃げ道はない。じりじりと森田が右に左に移動する。
 その様子を智也が両方の拳を握りしめてボクシングの構えを取り見つめていた。
「来るのが遅いよ」
 生吹は携帯電話の通話を切った。見ると、平仁も携帯電話を持っている。生吹はずっと平仁と通話状態を続けたまま森田と話をしていたのだ。
 智也の背後に立った平仁が一歩前に出た。すると森田は一歩後ろに下がる。足が悪い森田がここから逃げられる可能性は低い。
「東屋さん、俺はやってない」
 震える声で森田は言うが、平仁の声は冷たかった。
「それなら逃げる必要はないだろう」
 いきなり森田は側にあった椅子を掴んで振り回した。どうしたって、この場を逃げ切れるわけがないのに抵抗を続ける森田に、智也は振り回していた椅子を掴んで強く手前に引いた。反動で森田が床に倒れる。勝負はついたも同然だった。
 智也が無理やり森田を立ち上がらせて、引きずるようにドアに向かって歩いていく。
 その後を無言で平仁がついて出て行こうとする。
 こういう場で引きとめてする話もないが、思わず腕を掴みたくなる。すんでのところで耐えたが、後姿をひたすら目で追う。
 元気なようだし、今は姿を見ただけでもいいのだと言い聞かせる。森田の出現によって、何かが変わるのかはまったくわからないが、現状が少しでもいい方に変わってくれたらと願わずにはいられない。
 生吹が屈んで椅子を立てる。
「いやー、びっくりしたね」
 たいして驚いてなさそうに、生吹が言う。
「ここでもあんなことってあるんだな」
「まあね。さすがに暴力沙汰はないけど、扱う患者がそっち系の人ばかりだから」
「ふーん」
 そこにいきなり引き戸が開いて「先生、いるか?」と人が入ってきた。
 何事もなく普通に入ってくる男は、慣れた様子で衝立の中まで入って行く。
「ああ、中村さん。どうしました?」
 今度こそ、生吹は俺の腕を掴みドアを開けて追い出した。
「コーヒーごちそうさま」
 目の前で引き戸が閉まる。
 仕方がないと、俺は歩き出した。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

運命じゃない人

万里
BL
旭は、7年間連れ添った相手から突然別れを告げられる。「運命の番に出会ったんだ」と語る彼の言葉は、旭の心を深く傷つけた。積み重ねた日々も未来の約束も、その一言で崩れ去り、番を解消される。残された部屋には彼の痕跡はなく、孤独と喪失感だけが残った。 理解しようと努めるも、涙は止まらず、食事も眠りもままならない。やがて「番に捨てられたΩは死ぬ」という言葉が頭を支配し、旭は絶望の中で自らの手首を切る。意識が遠のき、次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

運命の番は姉の婚約者

riiko
BL
オメガの爽はある日偶然、運命のアルファを見つけてしまった。 しかし彼は姉の婚約者だったことがわかり、運命に自分の存在を知られる前に、運命を諦める決意をする。 結婚式で彼と対面したら、大好きな姉を前にその場で「運命の男」に発情する未来しか見えない。婚約者に「運命の番」がいることを知らずに、ベータの姉にはただ幸せな花嫁になってもらいたい。 運命と出会っても発情しない方法を探る中、ある男に出会い、策略の中に翻弄されていく爽。最後にはいったい…どんな結末が。 姉の幸せを願うがために取る対処法は、様々な人を巻き込みながらも運命と対峙して、無事に幸せを掴むまでのそんなお話です。 性描写が入るシーンは ※マークをタイトルにつけますのでご注意くださいませ。 物語、お楽しみいただけたら幸いです。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

上手に啼いて

紺色橙
BL
■聡は10歳の初めての発情期の際、大輝に噛まれ番となった。それ以来関係を継続しているが、愛ではなく都合と情で続いている現状はそろそろ終わりが見えていた。 ■注意*独自オメガバース設定。■『それは愛か本能か』と同じ世界設定です。関係は一切なし。

処理中です...