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第6話 野宿と言うなの贅沢

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「仕事、終了」
 
 今日もまた、面倒な問題が起きた。遠くの町からやって来た旅人が、封土の領民に面倒くさい事を、「これからの国について」とか、「国のこういう部分が問題だ」とか、難しい事を話したせいで、それに「うんうん」とうなずく者と、「何を言っているんだ?」と怒った者とが、その若い血潮に従って、殴りあいをはじめてしまったからである。これには、領主の俺も参ってしまった。他の領民達、特に若い女性達も、それが一種のお祭り騒ぎ、「自分達へ格好付けだ」と気づいていたので、遠目から「それ」を眺めてはいても、誰一人として「それ」を止めようとはしなかった。

 私達は、そんな事には関わらない。力に自分の価値を見いだしている男達とは違って、彼女達の態度はどこまでも冷ややかだった。それこそ、その光景を見ていた俺が思わず震えてしまうくらいに。彼女達は、その男達よりもずっと大人だったのである。「お上の文句を言う暇があるんだったら、私達に少しでも良い服を着せて欲しいわ」と言う感じに。彼女達は呆れ顔で、男達の前から一人、また一人と、消えていった。
 
 俺はただ、その光景に呆然としつづけた。自分も気をつけなければ、封土の女性達にそう見られてしまう。「自分の自尊心は決して高い方ではない」と思うが、異性のそういう評価、相手の本質を見ぬくような態度には、やはり怖いモノを感じてしまった。彼女達は男の本質を見ていないようで、その実はしっかりと見ているのである。今の冷ややかな態度や、どこか見下すような視線からは、その感覚がしっかりと感じられた。

 俺はその感覚に震えながらも、それに気づかないふりをして、目の前の騒動に「何をやっているんだ!」と割りこんだ。それが良い具合に働き、最初は不満げだった彼等も、旅人が相手に謝った事で、相手も「こちらこそ、怒鳴って悪かった」と謝った。彼等は今さらに恥ずかしくなったらしく、俺が彼等の肩を叩いた後も、しばらくは互いの顔を見つづけたが、それを見ていた女性達が「クスクス」と笑いだした事で、その場からすぐに走りだしてしまった。
 
 俺は、その光景に溜め息をついた。そんなつもりはなくても、それが自然と出てしまったからだ。周りの女性達も、楽しげな顔で「クスクス」と笑っている。俺達は道の真ん中にしばらく立ちつづけたが、俺がその場から歩きだした事で、周りの女性達も一人、また一人と歩きだした。女性達は、領主の俺に手を振った。どうやら、俺に「お疲れさま」と言いたかったらしい。俺の所に走りよってきた少女も、そう言うお年頃なのか、俺の手を嬉しそうに握って、俺に「がんばったね!」と言ってきた。「たいへんだったでしょう?」
 
 少女は、俺の目をじっと見た。

「おバカなおにいさんたちをなかなおりさせたから」

 舌足らずな声には、似合わない一言。これをもし、さっきのおにいさん達が聞いたら? たぶん落ちこむに違いない。こんな子どもにまで言われたのでは、大人の面子も丸つぶれだろう。「子どもの言葉」って言うのは、時にどんな名剣よりも強くなるのだ。だからこそ、気をつけなければならない。子ども達は大人達が思うよりもずっと聡明で、物事の本質を見ているのだからである。

 俺はその怖さに震えながらも、表面上ではいつも自分を装いつづけた。

「ああうん、まあ。でもこれが、俺の仕事だからね? 見のがすわけにはいかない。お前も、あんな大人にはなるなよ?」

「うん! あんなおとなには、ぜったいにならない!」

 少女は「ニコッ」と笑って、俺の前から走りだした。それが実に可愛らしかったが、自由な時間が減るのも嫌だったので、少女の姿が見えなくなった後にはもう、自分の館に向かってまた歩きだしていた。俺は自分の館に帰ると、その廊下を迷わずに進んで、自分の部屋に向かった。部屋の中にはもちろん、様々な物が置かれているが……。今日は、それを見わたさなくて済む。例の天体観測が楽しかったせいか、今日のやりたい事をすでに決めているからだ。

「今日は、封土の中で野宿を楽しむ!」

 そう、森の中に小さなテントを張って。その中にごろりと寝ころがるんだ。自分の封土にいながら、どこか他の土地にいるような気分でね。今日は封土の空も晴れているから、夜にはまた美しい星々が観られる。自分が自然と一体化したような、そんな気分をまた味わえる。焚き火の明りにも癒されて。だから、本当に楽しみなのだ。野宿に必要な道具を揃えて、館の玄関から出ていった時も、家の召使いには「くれぐれも無茶はしないように。『危ない』と思ったら、すぐに逃げかえって下さい」と言われたが、ここの事はすでに知りつくしているので、その言葉にも「はいはい、分かっています」としか応えなかった。

 俺は野宿の道具を背負いつつ、通りの農奴達に手を振って、封土の森に向かった。森の中は、静かだった。木々の間からは日差しが差しこみ、その樹皮にも美しい光が当たっていたが、俺の選んだ場所は周りよりも少し暗くて、俺が焚き火の火を点けたところでようやく明るくなった。その明かりが本当に心地よかった。木々の間や頭上の空を飛びかっている小鳥達も、俺の事を迎えてくれているのか、楽しげにさえずっていて、地面の上をはっている蜥蜴は少し不満げな様子だったが、それ以外はおおむね良く、森の中を漂っている空気もまた新鮮な感じだった。この空気は、館の中では決して味わえない。「館の中が嫌」と言うわけではなかったが、あそこは人が自然から切りとった空間であり、俺の部屋もまたそこから生まれた副産物に過ぎなかった。それらはあくまで、人間の造った人工物。自然の物とは、まったく違う物である。

「その意味じゃ」

 ここには、自然の物しか置かれていない。だんだんと沈みゆく太陽はもちろん、その弱まっていく木漏れ日や葉の葉脈なども、人間の手から離れた完全な自然物だ。俺の点けた焚き火でさえ、道具は森の中で前に拾った火打ち石しか使ってない。それ以外の物はすべて、そこら辺に落ちている物である。俺が今座っている岩も、森の中に置いてある自然物だった。

 俺は岩の上に座って、焚き火の火をしばらく眺めていた。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。館の中とは違って、ここには人間がいないからだ。「人間がいない」と言う事は、自分の食事はもちろん、その世話も自分自身で行わなければならない。「それが面倒」と言えば面倒だが、「野宿」とはそう言うモノである、人間の不自由を楽しむ娯楽。野宿と言う名の贅沢なのだ。それに便利を求める事は、野宿の本質を損なってしまう。だから面倒でも、自分の事は自分でやり、その食事も同じように作った。

 俺は、今夜の夕食をほおばった。今夜の夕食は、美味かった。館の料理人達は一流で、その料理もまた一流だが、これはそれ以上の出来だった。鉄板の上で焼かれる肉が香ばしい。その周りに置かれた野菜も香ばしい。それらが自分の口に含まれて、その味が広がっていく感覚も素晴らしかった。肉の一部にかたい部分があったのは、少し嫌だったけれど。それ以外は、本当に満たされてしまった。「食後の楽しみ」として持ってきた果物も、その幸せに優しい味を添えてくれた。

「ああ、本当に楽しいな」

 自分の心が透きとおるようで、何もかもが気持ちいい。遠くの方から聞こえてくる音、これは聞いたとおりのせせらぎだろうか? 大河のような迫力は感じられないものの、自然の声を囁いているような、そんな音色がゆっくりと聞こえてきた。それの近くからは、鳥の声が聞こえてくる。闇夜の始まりを伝えるような声が、木々の樹皮を伝って、俺の耳に響いてくるのだ。それこそ、梟の声を思わせるように。あらゆる音に先んじて、その声をしっかりと響かせているのである。この声は、いつ聴いてもいい。自分の頭上に広がっている空も。頭上の空は闇に覆われて、その色をすっかり変えていた。

 俺は、その色をぼうっと眺めはじめた。その色を見ていると、何かを思いだしてくる。記憶の奥底に眠っていた何かが、夜空の湧き水に混ざって、目の前にありありと浮かんでくるのだ。まるでそう、自分の過去を思いだすかのように。小さい頃の記憶が、ふいに蘇ってきたのである。俺の心を揺さぶるような感じで、それは文字通りの悲しみだった。

 俺は、その感覚に思わず泣いてしまった。

「う、くっ、はっ」

 その嗚咽も、俺の心を揺さぶってくる。焚き火の火をぼやかせて、夜空の星々をにじませて、俺の心を締めつけてくる。「お前はきっと、今でも寂しいのだ」と、そう訴ってくるのだ。それが、たまらなく切ない。自分の頭がどうにかなりそうな程、あらゆる瞬間が切なくなってしまった。これは、感じたとおりの地獄である。自分は、その地獄を味わいたくなかったのに。

「くそっ」

 俺は足下の石を蹴って、両目の涙を拭った。そうなければ、今の気持ちに押しつぶされてしまう。せっかくの空気が壊されて、嫌な事ばかりを思いだしてしまうからである。それでは、この野宿を楽しめない。この野宿は、自分が楽しむためにやっているのである。

「だからこそ」

 こんなふうに泣いている場合ではない。目の前の自然に意識を移して、それを楽しめなければならない。そうでなければ、ここにきた意味がなくなってしまう。俺がここにきた意味は、それとはまったく別の意味なのだから。自分の感傷に浸っている場合ではない。この大自然を、野宿と言う贅沢を楽しむためにも。

「この気持ちを切りかえなきゃならないね?」

 俺は何度か息を吸って、今日の趣味をまた楽しみはじめた。今日の趣味は……数分程経った頃だろうか? 最初の興奮をすっかり思いだしていた。あの何ともいえない興奮を、夜の空気を通して、すっかり思いだしていたのである。俺の両目を伝っていた涙も、視界のにじみが消えた頃にはもう、すっかり乾いていた。

「やっぱりしてよかった」

 俺は「ニコッ」と笑って、今日の野宿を楽しみつづけた。だが、その野宿もずっとつづくわけではない。野宿の余韻が消えれば、また次の朝がやってくる。雄鶏の声と並んで、俺に夜明けを知らせてくるのだ。この決まりからは、どうやっても逃げられない。「もう少し眠りたい」と思いつつ、いろいろと抗ってみても、テントの中で眠りから覚めれば、現実の世界に引きもどされてしまう。今日の朝食を食べる時も、朝食の料理を作るまではよかったが、それを食べてしまったもう、何とも言えない寂しさが襲ってきてしまった。

 俺は、その感覚に溜め息をついた。

「やれやれ」

 今日も、一日がはじまってしまった。領主の仕事が待っている、憂鬱な一日が。その後に待っている、楽しい自由な時間が。朝の光に「おはようございます」と混じって、俺の目の前にやってきてしまったのである。
 俺は、その光をしばらく眺めつづけた。

「さて、楽しい野宿も終わったし。今日は、何をしようかな?」
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