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第7話 人生を彫る

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「仕事、終了」
 
 楽しい時間はあっと言う間に過ぎるが、つまらない時間はなかなか過ぎてくれないものだ。今日だって、大変な仕事が山ほどあったし。自分の身分に不満を抱いているわけではないが、この封土にやってくる旅人や、自分の商品を売っている商人達を見ると、やはりどこかでうらやましい、「彼等のようになりたい」と思っていた。彼等のようになれば、封土の仕事に縛られなくて済む。下らない面子や、つまらない仕来りにも従わなくて済む。自分の自由がない存在にはなりたくはないが、それでも「やっぱりいいな」と思っていた。

 彼等には、彼等の自由があるからである。俺にも俺なりの自由があるが、その自由はどうしても不自由な物だったからね。すべての自由が許されているわけではない。時と場合によっては、その不自由が生まれる時もある。今日も召使いの一人が、俺に「そろそろ、好い人をお探しになられてはどうですか?」と言ってきた。「この家には最早、貴方一人しかおられないのですから。家の血筋が途絶えては、大変だ」と、そんな風に言ってきたのである。
 
 召使いは目の前の俺に頭を下げて、その前からすぐに歩きだしてしまった。


 
 俺は、その言葉に押しだまってしまった。その言葉が決して間違っていなかったからである。自分の好きなように生きている毎日だが、俺も貴族の一人である以上、いつかは「それ」を考えなければならない。「自分の将来をどうするか?」を、真面目に考えなければならないのだ。この封土を預かる貴族として……でも、それでも、今は俺の時間を生きたかった。自分の好きな時間を生きたかった。「趣味」と言う生きがいに打ちこんで、自分の人生を満たしたかったのである。自分がいつ死んでも良いように。

「だから」

 今はまだ、そう言う人は要らないのだ。男女の愛とか、結婚とか、そう言うのはまだ要らないのである。自分の時間が減ってしまうからね? そいつの時間を奪ったり、縛ったりするのも嫌だから、今の生活で丁度良いのだ。召使いの連中、特に俺の世話係の男は、そう言うのにうるさいけれど。彼は(俺の両親からいろんな事を頼まれているのか)俺の知らないところで様々な策を巡らせているらしく、今日のようなお節介も焼いたり、また違う日は「趣味もほどほどになさってくださいね?」と言って、俺の事をいさめたりする。本当に参った事だ。彼の厚意は嬉しいものの、本音ではあまり嬉しくない。俺の事は、俺が決める。自分の結婚相手も、そして、それを決める時期も。そう言うのが許されない立場であるのは分かっているが、「それでも自由でありたい」と思っているのが本音だった。

 俺はそんな事を考えながらも、真面目な顔で館の工房に向かった。館の工房は……「工房」と言っても簡単な物だが、今の場所からかなり離れた所にある。工房の中には様々な道具が、創作作業に必要な物が置かれているが、今日の趣味に使う道具はそれ程多くないので、それをすぐに揃えられた。木彫りに使う道具。石材を使った彫刻も嫌いではないが、かなりの体力がいるし、それに時間も掛かるので、まったくではないものの、それよりはあまり掛からないであろう木彫りを選んだのだ。木彫りの題材はもう、頭の中で決まっている。

 最近の主流は「神」、「女神」と言った神、「皇帝」、「王」、「妃」、「王子」、「王女」と言った皇族や王族、「将軍」、「騎士」、「傭兵」と言った英雄、その他に「魔法使い」や「竜」と言った物が多いが、それらに被るのは少しつまらないので、「ここは俺だけの独創品でいこう」と決めた。自分の部屋で読書に勤しむ少年、「それを造ろう」と思ったのである。本の部分が少し細かい作業だが、像の全体をだいたい彫った時には、ある種の手応えのようなモノを感じてしまった。これは、上手い具合にいくかもしれない。確たる証拠は何もなかったが、材料の表面が少しずつ削られ、それに伴って細かい部分ができあがってくると、何ともいえない満足感、それも自己満足を覚えてしまった。

 周りの人間がどんなに否んでも、自分だけはこの作品を否まない。この作品は、自分の魂を彫った物だからだ。自分の魂を否める事は、自分自身もまた否める事である。自分は今の生活に不満こそ抱いているものの、それに刃向かうつもりはまるでなく、ある意味では「それも仕方ない」と受けいれているので、己の権威を高めよとする貴族達や、下克上をもくろむ冒険者のような気持ちはまったく抱いていなかった。

 自分は、己が身の丈にあった生活を送れればいい。この生活が「そうなのか?」と聞かれたら困るが、俺自身としては少なくともそう思っている。自分の限界を超えて、その地位を上げる必要はない。また、他人への復讐心から……いわゆる「ざまぁ」と言うヤツだが、必要以上の報復に燃える必要もない。世の中の連中はなぜか、この「ざまぁ」が好きらしいが。復讐の相手に「ざまぁ」をしても、相手の地位が落ちるだけで、自分の地位があがるわけではないのだ。その尊厳も、蘇るわけではない。すべてが虚無、ただの虚しさを覚えるだけなのだ。誰も幸せになれない復讐なら、最初からそんなのやらない方がいい。

「だからこそ」

 この木彫りを造りたい。木彫りのすべてを造って、部屋の棚に並べたい。部屋の棚にはこれまで造った作品達が置かれているが、それらを一つ一つ見ていくと、まるで自分の人生を振りかえっているようだった。「お前は、こんなふうに生きてきたのだ」と、そう無言で訴えているようだったのである。俺が今造っている木彫りも、本の部分ができあがったところで、創造主の感覚をふと覚えてしまった。この世の万物を生みだし、自然の仕組みを編みだして、それらをぐるりと回す感覚。世界の真ん中で、その全貌を見おろしているような感覚。自分は決して神ではなかったが、木彫りの道具を操る間だけは、それに近い感覚を覚えてしまったのである。この感覚は、実際にそうなってみないと分からない。俺も今までいろいろな物を造ってきたが、それを覚えた瞬間は、そんなに多くはなかった。

 創作は、趣味の一つ。自分の内面を表す技術でしかない。周りの人々には見えない物を造って、そこに形をゆっくりと加えていくのだ。ある時には、のんびりと。またある時には、勢いよく。自分の心に従って、心の形を刻んでいくのである。この木彫りもまた、そう言う類いの物だったが……まあ、そんな感覚などどうでもいい。自分が今、その感覚を楽しんでいるのなら。それ以外の感覚は、まったく要らないのだ。趣味の世界に実用や哲学を求めるのは自由でも、そこにある種の力を加えてはならない。「こうしなければ、ダメだ」と言う命令も、加えてはならない。趣味は、どこまでいっても趣味なのだからね。そこには上もなければ、下もないのだ。

「あるのは、『それを楽しもう』と言う気持ち」

 それだけである。周りの連中から何を言われようとも、大切なのは「それが好きだ」と言う気持ちだ。それがあるだけで、どんな趣味もつづけられる。こんな地味、ではないか? 地味に見えるのは見かけだけで、実際はかなり派手である。専用の道具で木を彫っていく作業は、ある意味でどんな作業よりも華やかに見えた。自然の中に手を加える作業。これを「浪漫」と言わずして、何と言うのだろう? 俺には、分からない。この作業に打ちこんでいる、俺には。俺は額の汗を拭って、目の前の木に魂を吹きこみつづけた。

 その結果が、一つの作品を造りあげた。技術の面ではまだまだ至らない部分は多いが、それでも一つの作品には変わらず、最後の部分を造りおえた時には、最高の気分を味わっていた。それによって味わった疲れなどまったく忘れて、表面の木くずを払い、床のそれを取りおえた時にも。ちりとりの中に木くずが入っていく光景は、自分の労を労うようでもあり、また新しい課題を見せるようでもあった。今回の作品はなかなかにいいかもしれないが、それでも不完全には違いない。全体としては均整が取れているように見えても、じっくりと見てみれば、その所々に粗が見えてくる。俺があれだけ頑張った本の部分は、完成直後は満点のできに見えていたが、こうして細かい所を見てみると、実は結構ゆがんでいたり、文字の部分がずれていたりした。

「こいつは、まだまだ頑張らないとね?」

 一流の彫り師は別に目指していなかったが、造る以上は良い物を造りたい。自分のうなずける、本物の木彫りを造りたい。今回の作品はそれに近い出来だったが、細かいところも含めて考えると、厳しくつけて四十点、甘くつけても六十点の出来だった。

「ううん」

 俺は真剣な顔で、自分の木彫りをしばらく見つづけた。だが、それも数分後には終わってしまった。俺がいつまでも工房から戻ってこないのを気にしたのか、例の召使いが「どうなさったのですか?」と言って。工房の中に入ってきたからである。「こんな時間まで? 夕食の時間は、とっくに過ぎておりますよ?」

 俺はその言葉に驚いたが、窓の外にふと目をやっただけで、それ以上の反応はまったく見せなかった。窓の外は、すでに暗くなっている。

「すまない、この木彫りについ打ちこんでしまって。時間の感覚をすっかり忘れていた」

 召使いは、その言葉に溜め息をついた。その言葉に呆れはててしまったらしい。

「まったく、せっかくのお料理が冷めてしまいましたよ。今夜は、貴方の好物でしたのに。これでは、お料理を温めなおさなければなりません」

「う、うん、すいません」

 敬語がつい出てしまったが、相手はそれを気にしていなかったし、俺の方もまったく気にしていなかった。俺は自分の身分も忘れて、目の前の相手に何度も謝りつづけた。

「ご、ごめんなさい。本当に」

「まったく、貴方の趣味を否めるつもりはございませんが。貴方は、ここの領主です。明日にはまた、その勤めに励んで頂けねばなりません。それに対する貴方の意思がどうであろうと。私が貴方の妻を探している理由は、その意識を変える意味もあるんですよ?」

「ああうん、そうだろうね? そうだろうけど、俺はまだ」

 一人でいたい。相手にそう言うと、相手はまた溜め息をついてしまった。

「青春にはいつか、終わりがくる。その青春が造る剣も。今はまだ、それが野放しになっていますが。然るべき時がきた時は、その鞘にきちんと収まって頂きます」

 それに口答えできなかったのは、その言葉に厚意があったからだろう。言葉の内容は厳しいが、彼は自分の身分を越えて、俺の事を真剣に思ってくれていたのである。だから、その返事も「分かったよ。その時には、ちゃんと従います」と応えてしまった。「この地を治める領主として」

 俺は「ニコッ」と笑って、工房の中から歩きだした。目の前の召使いが、俺に「館の食堂に参りましょう」と促したからである。俺はその言葉に従ったが、一方ではすでに違う事を考えていた。俺が俺らしくいられる事を、そして、その日々ができるだけつづいて欲しい事を。

 俺は召使いの背中を眺めつつ、楽しげな顔で館の天井を見あげた。

「さて。明日は、何をしようかな?」
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