寤寐思服(gobi-shihuku) 会いたくて会いたくて

伊織 蒼司

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馬に蹴られて死んじまえ

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柔と酒を酌み交わした次の朝、花色がどこかソワソワとして落ち着きがなかった。
よろず屋の昼の混雑では注文を間違えて作ったり、数を間違えたりといつもの精細さが欠け、心ここにあらずという表現がぴったり当てはまった。料理長の萱草(カンゾウ)に何度も怒鳴られ、挙句の果てには洗場専門に回された。昼の営業時間が終わると、「何があったか知らないが、気持ちを切り替えて来い」と励まされる始末であった。

夜の営業も仕事がある花色が、服こそは着替えたが、料理に髪の毛が入らぬように前髪を上げ、伸びた髪を団子状に結い上げたままの状態で意を決したようによろず屋を出た。
昨晩挿げてもらった手ぬぐいの切れ端は解いて丁寧にたたんで財布に入れていた。
十四年前と同じように…。

(鼻緒のお礼、鼻緒のお礼。そのために柔さんに会いに行く)
呪文のように繰り返しながら花色が巴屋を目指した。

巴屋の暖簾をくぐると、女主人が夕方の開店準備をしていた。
「あら、花色様。どうされました?
今日はやけに可愛らしいいでたちで」
そんな形容にも慣れた風の花色が、軽く交わして本題を告げた。
「昨日こちらの柔さんに送っていただきましてね。
近くを通りかかったもので、昨晩のお礼を言おうかと」
「まあ、そんなの気にしなくても良いんですよ」
女将が手をひらつかせながら、愛想笑いをした。
「それが、切れそうだった鼻緒もすげ替えてもらいまして。
一言お礼を言わないと気が済まなくて」
花色が女将に断られぬように再び願い出た。
「おやまあ、そうでしたか。
柔さんならまだ部屋にいると思いますよ。
店の開店時間までは自由にさせてるんで。
ほら、そこの垣根の裏側に見える離れが柔さんたちの住まいですよ。
このまま通って下さいな」
屈託無く教えてくれた女主人に礼を言うと、教えられた離れに花色が足を向けた。
勝手口を開けようと手を伸ばした花色に気づいた一人の女が、不意に垣根越しに声をかけてきた。
 
「あんた、誰だい?」
「えっ、は、花色と、申します。柔さんが、こちらにいると隣の女将に聞きまして」
突然の問いかけに、しどろもどろになりながら花色が女に答えた。

「柔に、何の用だい?」
柔の名を聞いた途端、あからさまに女が棘のある言い方をし、怪訝そうにな表情を隠そうともせずに花色を訝しんだ。

「ええと、貴女は…」
敵意を向けられたと感じた花色だが、奮い立たせるように女に問うた。

「あたしはね、柔と夫婦になる【オコン】ってもんだ。
亭主の変わりにあたしが用件を聞くよ」
『夫婦』その言葉に花色の顔に影が差した。

「誰が夫婦だ、嘘つくんじゃねえよ、くそ女」
左腕を袖の内に隠し、右手で頭を掻きながら、何も知らない柔がふらりと奥から姿を現した。

「もしかしたら、これからそうなるかも知れないじゃないか」
花色への態度からは考えられない様な猫なで声で、オコンが柔に話しかけた。
「ならねえよ。何度言えば気が済むんだ、くそ女」
柔が女に気兼ねすること無く辛辣に言い放った。
「もういい加減諦めなよ。そんな昔の初恋なんて。
どうせその女だって柔のことなんか忘れて所帯を持ってるさ。
『初恋はね、実らない』って言うんだよ。
柔も剛ちゃんもなんでそんな初恋にしがみ付くのさ」
オコンが諦めないとばかりに食い下がった。
「忘れられねえもんは、しょうがねえだろ。
手前こそいい加減諦めろ、くそ女。
勝手にあれこれ決めんな、くそ女が」
柔も負けじと言い返すが、オコンが引くことをせず、花色を無視したように柔と会話を続ける。
「さっきからくそ女くそ女って言うけどさ、柔。
あたしはこの女郎屋の一番人気『羞月閉花』(しゅうげつへいか=美人)とまで言われてるこのオコン様だよ」
「んああ?そうなのか?
お前がこの店の一番だろうが、他の奴らが綺麗と言おうが俺には関係ねえな。
俺の一番はあいつしかいねえんだ。
何度も言わせるな。
頭、湧いたこと言ってんじゃねえぞ、くそ女が」

二人の会話を聞いていた花色から、次第に表情が消えていった。

(そうだよね。いるよね、好きな人くらい。
俺の事なんてとっくの昔に忘れてる。
いや、始めから覚えられてもいなかったんだ。
そっか、俺だけが惨めにしがみ付いて、一人相撲を取っていたのか)

二人の会話が、遠まわしにそう告げている様に感じた花色の顔から血の気が引いていき、立っているのもやっとな程、花色が打ちのめされていた。
そんな花色に気づかずに、なおも痴話げんかのような会話を続ける二人に背を向けて、花色が静かに巴屋を後にした。

鉛のように重く進まない足を引きずるように、やっとの事で店の少し離れたところに辿りついた花色が、二本の切れ端を取り出してそっと両手で包んだ。

「初恋は実らない」
花色が小さく呟いた。
「行かなきゃ良かった」
ついには力なくその場にしゃがみ込んだ。すると強い力で腕を掴まれた花色が顔を上げた。

「なんで泣いてる?」
柔のどこか必死そうな眼差しに、ますます溢れそうになる涙をごまかすように花色が睨みつけた。
「俺のことは放っておいて」
「放っとける訳ねえだろ、お前、俺に会いに来たんじゃねえのかよ。
ところでなんで泣いてんだ?」
「言いたくない」
花色がプイッとそっぽを向いた。
「言いたくなけりゃそれでもいいさ。俺はこのままお前の腕を離さねえだけだ」

花色が涙で滲んだ目で下から柔を睨み続けたが、やがて根負けしたように所々訳を話した。詳細を伏せたまま。
「初恋は実らないって初めて知った」
「初恋?なんだそりゃ。くそ女の話しか?
もっと俺に分かるように話してくんねえか」
柔が怪訝そうに片眉をひそめた。

「俺の初恋は実らないのが分かったから、もういいんだ。
だから放っとけよ、もういい加減離せ」
早く逃げ出したい花色が投げやりに叫んで、柔に掴まれた腕を振り回す。

「なんなんだよ。ますます訳が分からないぜ。
クソッ、何なんだこのイライラは。
お前のその泣き顔を見てると胸がざわつくんだよ。
ったく、なんなんだよ、わかんねーな」
眉間にくっきりと縦ジワを作った柔があからさまに舌打ちをした。その言葉と舌打ちにいたたまれずに、花色がその場から逃げ出そうと力を振り絞るように足掻いた。

「おい、こら。逃げんな」
柔が慌てて花色の腰を抱きとめた。
「離せ、離せってば」
花色が身を捩ってますます暴れた。
「こら、暴れんな。って、お前さっきから何を後生大事に持ってやがんだ?」
手の中の物を見られまいと花色が必死に暴れたが、両手が塞がっていては身を捩るくらいしか抵抗は出来ない。

「触るな、これは俺の大切な物なんだ。
せめてこれだけは、俺から奪わないで」
「だから分かんねえ事ばっか言うんじゃねえよ。よこせ」
とうとう花色の両手の中身が、柔によって暴かれた。

中身を花色の手から奪った柔が目を見開いて、硬直した。
同じ色、同じ模様の二本の切れ端が、柔の指に垂れ下がっていた。

「返して。返して」
花色が泣きながら取り戻そうと手を伸ばすが、元々柔より小柄な花色には到底無理だった。

「なんで…二本。
俺がこの『手ぬぐい』で鼻緒をすげた奴はお前のほかには一人しかねえ。
…まさかお前、十四年前の…」
「返して!俺の…俺の『花色』を返して!」
感極まった様に花色がその場にしゃがみこみ泣き崩れた。
ほんの、ほんの一瞬呆然と立ち尽くした柔が恐ろしく真剣な眼差しで花色の顎を掬い上げ見据えた。
「それでなんでお前の初恋云々になるんだ?」
柔の怖いくらいの眼差しが花色を捉えた。
怖さよりも絶望に囚われた花色が涙を止める事も出来ないまま、諦めたようにぽつりぽつりと鼻を啜りながら話し始めた。

「…十四年前のあの日から、もう一度会いたくて、俺、ずっと会いたくて。
でも、それが柔さんだと昨晩わかって。
居ても立ってもいられなくて会いに行ったのに、柔さんは俺のことなんか忘れてて」
言葉に詰まった花色に柔が言い訳のようにはき捨てた。
「忘れてなんかねえよ。気づかなかったのは仕方ねえだろ。
あん時は直ぐにまた会えると思って名前聞くの忘れちまったし、大人になったらますますわかんねえだろうが。
あれから毎日あの時間にあの場所にいてもお前には会えねえし。
必死に探したのはこっちだぜ、ったく」
どこか花色を責めるような物言いの柔に畳み掛けるように花色が口を開く。
「でも…忘れられない人かいるって、さっき妻の女の人が」
「ったく、あのくそ女のせいで話がややこしくなってしょうがねえ」
何の云われも無く責められている錯覚に陥り苛立ちを表した柔が、ガリガリと頭を掻いた。

「それは、お前だよ。十四年も前から俺が忘れられなかったのはお前のことだ。
あのくそ女が勝手に『女』って勘違いしただけだ。
それにあのくそ女は妻でも何でもねえよ。
チッ ったく…クッソ。
こんなとこで立ち話ってのもな。
俺の部屋に戻るか、走るぞ」
柔に手を引かれながら走る花色だったが、足がもつれて上手く走れず、「遅せえな」と柔に横抱きにされた。

「誰にもその泣き顔見せんじゃねえぞ。俺の懐で隠してろ」
柔が見たこともない笑顔を見せながら疾走する。
花色が、柔の前襟にしがみ付いて泣き顔を必死に隠していた。

柔の住む離れに着くと、近くでオコンが何かを叫んでいた。

「るせえ黙れ、くそ女。
人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んじまえって言葉知らねえのか」
柔が花色を抱きかかえたまま勢い良く怒鳴ると、さすがのオコンも口を噤んだ。

 部屋の戸を足で無作法に開き、部屋の隅に畳んである布団の上に柔が優しく花色を下ろした。

「お前の事が気になってしかたなかった俺の勘に、間違いはなかったな。
さあ、お前の全部、話してくれるよな」
 花色の頬を両手で包み、とびきり柔らかい口調で囁かれた花色が、頬を赤らめてコクリと頷いた。
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