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天井裏の男【セツ】
しおりを挟むみ空が正気に戻ってから10日。
「やっぱり、またある」
くすりと笑い、床の間の布団の近くに置いてある花活けにそれを挿した。
「誰だろう…」
み空がぼんやりと花活けに目をやった。
花活けには、あか、しろ、きいろ、ももいろ、むらさき、だいだい色、色とりどりの野の花が生けられていた。
紅の前で大泣きした次の日の朝、み空の枕元には一輪の野の花が置いてあった。
(リス…とか、ねずみが落としていったのかな?)
自分の寝ている間に獣が紛れ込み、落としていったのだと初めみ空は思った。
しかし今日で十本になる花に、もはや偶然ではなくそれが誰によるものなのか、み空も気になって仕方がないとばかりに一日に何度も花活けを見ていた。
「み空、入るぞ」
紅は忙しい身の上にもかかわらず、一日に一度はみ空の元を訪ねてくれていた。
「どうだ、その後調子は?」
「もうだいぶ良くなりました。
少しずつですが庭を散歩することも出来るようになってきました」
十日前は立ち上がることもままならず、厠へ行くのも誰かの手を借りなければならなかったみ空だが、今では誰の手も借りなくても良くなっていた。
「後は体力の回復だな。
ああ、顔色も良いようだな。…だが少し眠れておらぬな。
目の下にクマできておるぞ。
何か困ったことでもあるのか?」
紅はみ空の頭に手を置き、み空の目をじっと見つめた。これは紅がみ空にいつもすることだった。
一拍置いた後。
「困ったことではないのですが…」
み空が言葉を濁しながら、床の間の花活けをちらりと見た。
「と言うことは今朝、十本目が届いたのか」
み空の頭に手を置いたままだった紅が、なにやら考えるようにその手で自らのあごを触った。そして意を決したように天井裏に向かって口を開いた。
「どこぞの悪趣味な奴が、うちのみ空をいたく気に入ってるらしいな。
み空が気にしすぎて寝不足になっている。
このまま体調が悪化したらどうしてくれようか。
男ならきちんと見舞ってやるのが筋と思うがな」
「紅さ、ま?」
「どうせ、そこにおるのであろう」
口の端を吊り上げながら、皮肉たっぷりに天井裏に告げると、そのまま紅はフンッと鼻で笑った。
初めて見る紅の不遜な態度に、み空が呆気にとられた。
しばしの沈黙の後。
『カタッ』
耳を澄ませなければ聞き逃すほどのわずかな音の後、天井裏から一人の男が下りてきた。
屈んだまま顔を伏せている。
「えっ、なに、だれ、ニンジャ?」
み空は驚きのあまり口をぽっかりと開け、目を見開いたまま固まった。
「やはりな。悪趣味な奴だ」
皮肉たっぷりの口調で、紅は舌打ちまでした。
「み空、案ずることはない。
この者はあの時お前を助けてくれた者だ」
紅は、み空が怯えないように手を握り、男に見せ付けるように肩を抱き寄せた。
「そして、今のお前の疑問を解決してくれる者だ」
そのまま男に向き直った。
「既にわかってはおるだろうが、俺はここ、よろず屋の店主をしている萬屋 紅と申す。先だっ てはうちのみ空を助けてくれたこと、感謝する。
俺は、お主の素性は大体察しがついておるが無理を承知であえて頼む。
どうかみ空にお主の素顔をさらし、み空の話し相手になってはくれぬか。
このとおりだ」
紅は胡坐をかいたまま男に対し真正面に向き合うと、両のこぶしを畳につけて深々と頭を下げた。
天井裏から下りてきた男は静かに面を上げた。
静寂を破ったのは、み空だった。
目だけを出した男と目が合ったみ空が、「ああっ」と叫んだからだった。
『シュル、シュル』
衣擦れの音と共に男の素顔が露になる。
「かたじけない」
紅は再度、頭を下げた。
男と目が合ってから、み空は時が止まったかのように微動だにしなかった。
男もそれば同じようで、二人で見詰め合ったまま固まっていた。
『ドクン』
(心臓の音だ)
意外にもみ空が冷静に男を観察した。
男の少し垂れ目の瞳が、精悍さよりも無邪気でやんちゃな雰囲気を醸し出し、実際に覆面なしだとずいぶんと若いようにも見うけられる。
『ドクン』
(また響いた)
瞬きすらもわすれ、み空が男と見つめ合っていた。
二人の作る静寂を破ったのは、紅だった。
「初めに言っておくが、み空は嫁には出さんからな」
紅は男に向けてニカッと歯をむき出して皮肉たっぷりに笑い、そのまま部屋を出て行った。
紅が出て行くやいなや「ちぇっ。俺の前で見せ付けやがって」と、ふて腐れながら男が膝を崩した。
「ああ、そうだ」
閉まったはずの襖が開き、紅は『思い出した』と言わんばかりの顔をした。
「今後、寝てるみ空に勝手に接吻するのは禁止だ。どうせ接吻するなら、本人の了解を取ってからしろ」
ギロリ、と紅が睨むと男が勢い良く正座に座りなおし、背筋をピンと正した。
紅が出て行った後も、正座のまま紅の気配を探っていた男が、ようやく邪魔者がいなくなったとばかりに再度膝を崩して大きなため息を吐いた。
「ったく、すべてお見通しって訳ね。
何なんだよ、あいつ」
男がブツブツと呟いた。
紅がいるときといないときの、あまりの男の変わりようにみ空が思わず笑った。
「良かった。やっと笑った」
男は垂れ気味の目じりをもっと下げ、嬉しそうに笑った。
「俺の名前はセツ。セツって呼んでくれ。俺もみ空って呼んで良いか?」
この日、初めて里以外の友達ができたみ空であった。
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