よろず恋花（こいばな）

【紅】の願い

　よろず屋分店開店当日、食事処『かんぞう』は町での評判を聞きつけた客で大盛況を迎えていた。

　萱草が蕎麦やうどんを茹で上げると、すかさず柑子が器に分けて出汁を張り、葱を散らす。お峰が握り飯を握り、隣によろず屋特製味噌で作った味噌汁を置く。
　次々に出来上がった料理を勝三と若葉、鶯が客へと運ぶ。
　時折、手の空いた隙を縫って洗い場のきはだを勝三が手伝ってやった。

　旅の帰りに泊まりたいと、宿のほうも順調に埋まり、豊二が予約台帳と格闘していた。
　本店の壁で『五部屋限定露天風呂付き客室』を、夕食と朝食、持ち帰りの握り飯をつけた額で大々的に宣伝していた事と、『旅の疲れを癒す大浴場』の効果も手伝ってか物珍しさか、ますます部屋は埋まっていった。


　繁盛すると確信した紅が、濡羽と共に峠を下り始めた。
　峠を下りながら紅が濡羽を見つめると、濡羽はうっすらと頬を染めた。

　「十四年か……」紅はしみじみと洩らした。

　来年の春を迎える頃には、新たな里の男児がよろず屋にやってくる。
　紅は、天を仰いだ。
　「里の皆全員が、幸せになってくれるといんだがな。お前に出会えた俺みてえに」
　いつもは無表情の紅が、恐ろしいほど柔らかく微笑んだ。

　「大丈夫。俺が紅に出会ったように、きっと……」
　雲一つ無く澄み渡る青空を、隣を歩く濡羽も同じように見上げた。