無自覚オメガとオメガ嫌いの上司

蒼井梨音

文字の大きさ
49 / 53
第四部

しおりを挟む
迅さんの腕の中で、俺はしばらく泣き続けた。
涙が止まらず、胸の奥から震えがこみ上げる。
それでも迅さんは何も聞かず、ただ背を撫でていた。

やがて、嗚咽の合間に、小さく口を開いた。
「……天城さんが……」
震える声で名前を出すと、迅さんの手がわずかに止まった。
「……“結婚してるって言っても、番じゃないから”って……。
冗談みたいに言われて……でも、たぶん冗談じゃなくて……」
声がかすれる。
「怖くて……でも、迅さんに言ったら、心配かけると思って……言えなかった……」

迅さんは静かにうなずいた。
「……そっか」
その一言に、責める色はなかった。
ただ、俺の心を受け止めるように。

「……ごめんなさい……っ。
俺、仕事なのに……仕事だったのに、あんな人に抱きしめられて……」
涙に濡れた顔を隠そうとする俺の頬を、迅さんがそっと拭う。
「直樹」
低い声で名前を呼ばれる。
「もう、無理するな。
おまえは優しすぎて、何でも自分のせいにする」
そう言って、改めて抱きしめる。
その腕の力強さに、胸がまた熱くなる。

「……迅さん」
顔を上げると、目が合った。
その瞳に、もう嘘はつけなかった。
「俺を――番にしてください」
途切れ途切れの声で、けれど確かに言葉にした。
「……もう、離れたくない。誰にも、触れられたくない……」

迅さんは短く息を吐き、そして微笑んだ。
「……ああ。わかった」
言葉は少ないのに、その声がやさしくて泣けた。

「でも、もう天城とは二人で会うな。仕事でも、誰かと一緒に行け」
「……はい」
「おまえが何かされたら、俺はきっと冷静ではいられない」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

泣きながらうなずき、また迅さんの胸に顔をうずめる。
その夜は、迅さんとの距離がいっそう深まっていくようだった。


朝の光が、カーテンの隙間から静かに差し込む。
昨夜泣き疲れて眠ってしまった。
目を覚ました瞬間、自分が迅さんの腕の中にいることに気づいた。

大きな手が、まだ背中に添えられたまま。
呼吸のリズムが心地よくて、しばらくそのまま動けなかった。

けれど、もう時間だ。
迅さんが起き出して、俺も続いて起きる。
小さく身を起こし、シャツの襟を整える。
鏡を見ると、少し目が赤い。
それでも、胸の奥には昨日までなかった強さがあった。

「……行ってきます」
会社の前で、迅さんからお弁当の袋を受け取る。
迅さんが、少しだけ眉を寄せる。
「本当に大丈夫か?」
「はい。仕事、だから」
俺は笑ってみせた。
笑いながらも、指先は微かに震えていた。

迅さんが、ゆっくりと歩み寄る。
ネクタイを直してもらいながら、小さく息をつく。
「……あんなことがあったばかりだ。無理はするな」
「うん。でも、逃げたくないから。
迅さんが守ってくれたから、もう大丈夫です」

その言葉に、迅さんはしばし俺を見つめ、静かに頷いた。
「……そうか。じゃあ、行ってこい」
ほんの一瞬だけ、頭を撫でてから、
「気をつけてな」
その声が優しくて、胸が熱くなる。

冷たい風が頬を撫でた。
昨日までの自分とは少し違う気がした。
迅さんの温もりが、まだ背中に残っている。

――大丈夫。
僕にははちゃんと、迅さんがいてくれるんだ。

そう心の中でつぶやきながら、まっすぐ職場へ向かった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

秘密

無理解
BL
好きな人に告白するために一緒に帰る約束をした、ある放課後

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

幸せごはんの作り方

コッシー
BL
他界した姉の娘、雫ちゃんを引き取ることになった天野宗二朗。 しかし三十七年間独り身だった天野は、子供との接し方が分からず、料理も作れず、仕事ばかりの日々で、ずさんな育て方になっていた。 そんな天野を見かねた部下の水島彰がとった行動はーー。 仕事もプライベートも完璧優秀部下×仕事中心寡黙上司が、我が儘を知らない五歳の女の子と一緒に過ごすお話し。

【完結】浮薄な文官は嘘をつく

七咲陸
BL
『薄幸文官志望は嘘をつく』 続編。 イヴ=スタームは王立騎士団の経理部の文官であった。 父に「スターム家再興のため、カシミール=グランティーノに近づき、篭絡し、金を引き出せ」と命令を受ける。 イヴはスターム家特有の治癒の力を使って、頭痛に悩んでいたカシミールに近づくことに成功してしまう。 カシミールに、「どうして俺の治癒をするのか教えてくれ」と言われ、焦ったイヴは『カシミールを好きだから』と嘘をついてしまった。 そう、これは─── 浮薄で、浅はかな文官が、嘘をついたせいで全てを失った物語。 □『薄幸文官志望は嘘をつく』を読まなくても出来る限り大丈夫なようにしています。 □全17話

次元を歪めるほど愛してる

モカ
BL
白い世界で、俺は一人だった。 そこに新しい色を与えてくれたあの人。感謝してるし、大好きだった。俺に優しさをくれた優しい人たち。 それに報いたいと思っていた。けど、俺には何もなかったから… 「さぁ、我が贄よ。選ぶがいい」 でも見つけた。あの人たちに報いる方法を。俺の、存在の意味を。

泡にはならない/泡にはさせない

BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――  明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。 「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」  衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。 「運命論者は、間に合ってますんで。」  返ってきたのは、冷たい拒絶……。  これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。  オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。  彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。 ——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。

勘違いへたれアルファと一途つよかわオメガ──ずっと好きだったのは、自分だけだと思ってた

星群ネオン
BL
幼い頃に結婚の約束をした──成長とともにだんだん疎遠になったアルファとオメガのお話。 美しい池のほとりで出会ったアルファとオメガはその後…。 強くてへたれなアルファと、可愛くて一途なオメガ。 ありがちなオメガバース設定です。Rシーンはありません。 実のところ勘違いなのは二人共とも言えます。 α視点を2話、Ω視点を2話の後、その後を2話の全6話完結。 勘違いへたれアルファ 新井裕吾(あらい・ゆうご) 23歳 一途つよかわオメガ 御門翠(みがと・すい) 23歳 アルファポリス初投稿です。 ※本作は作者の別作品「きらきらオメガは子種が欲しい!~」や「一生分の恋のあと~」と同じ世界、共通の人物が登場します。 それぞれ独立した作品なので、他の作品を未読でも問題なくお読みいただけます。

処理中です...