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第四部
Ⅶ
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昼過ぎの会議室。
資料の紙がめくられる音と、プロジェクターの低い駆動音だけが響いていた。
「――それでは、こちらの新しい仕様案については、再度お持ち帰りということで」
桐島課長がまとめに入る。
「ええ、構いません」
天城さんは穏やかに頷いた。
その口調は丁寧で、どこまでも仕事の顔。
だが、微笑の奥に一瞬だけ、獲物を見定めるような光が宿るのが見えた。
「白鷹さん、最近残業が多いそうですね。……一人で仕事を抱え込んでいませんか?」
淡々とした問いかけだが、その声のトーンに、針のような緊張感が混ざる。
思わず胸を押さえる。
昨夜のことが頭をよぎる。
天城さんは何も言っていないのに、明らかに自分を見透かしている。
「――いえ、なんとか回せています」
小さく答える。
「そうですか。真面目ですね。……そういうところ、嫌いじゃないですよ」
その一言で、心臓はまた強く跳ねた。
それは脅しでも甘い誘いでもない。
ただ、**“まだ終わっていない”**と告げる響きだった。
「……なあ、直樹。天城さんと何かあった?」
会議が終わり、デスクに戻ると舟形先輩がたずねる。
「えっ? ……いえ、その……少し怒らせてしまったかもしれません」
さすが、舟形先輩、なんでもお見通しなのか……。
少し驚いた顔して、
「怒らせたって、何したの?」
「……抱きしめられて……拒絶してしまって」
言いながら下を向く。
舟形先輩が絶句してるのがわかる。
しばし沈黙。舟形先輩は無言でコーヒーをかき回しながら、何か考えてる。
♢♢
“白鷹課長は……どんな気持ちでこいつを送り出したんだろう”
と胸の奥がチクリと痛む。
俺は、かつて白鷹課長がここにいた頃、どれほど直樹を大切にしていたかを見てきている。
守りたくても守れない立場で葛藤していた白鷹課長の姿も。
五時を過ぎて、周りはざわついている。
俺はまだ机に残って、冷めかけたコーヒーをゆっくり口に運ぶ。
窓の外では、薄く茜が残る空が、街の輪郭を柔らかく包んでいた。
「……あいつ、よく頑張ってるよな」
小さくつぶやく。
天城の視線、言葉の端々――あの会議の空気は、十分伝わっていた。
“何かあった”とまでは言わなくても、直樹の肩が一瞬こわばるのを、見逃さなかった。
それでも、直樹は笑っていた。
いつものように、少しぎこちないけれど、まっすぐな笑顔で。
(白鷹さん……)
心の中で、俺はそっと呟く。
直樹があの家に帰るとき、迎えてくれる人――その人の表情が、ふと浮かぶ。
どんなに冷静を装っても、彼がどれほど心配しているかが、わかる気がした。
「俺なんかが間に入ることじゃないけどさ……」
コーヒーを一口。苦みが舌に残る。
それでも、あの二人のことを思うと、なぜか胸の奥が少しだけ温かくなる。
「……ちゃんと守られてるな、直樹」
ぽつりと零したその言葉は、誰に聞かせるでもなく、
静かなオフィスの空気に溶けていった。
――そして俺は、カップを片づけながら思う。
明日も、あの子が笑って会社に来られるように。
せめて自分が、見ていよう、と。
♢♢
湯気の立つみそ汁の向こうで、俺は少しほっとしたように笑った。
「今日の会議、無事に終わりました。
天城さん……ちょっと棘がある感じだったけど、特に問題もなく」
穏やかな声。けれど、やっぱり張り詰めている。
迅さんは箸を置き、静かに頷く。
「そうか。……無事でよかったな」
「はい」と答え、また黙々と食べはじめる。
――その「はい」が、どこか震えているのに、迅さんは気づいていた。
俺が知らないとこで、舟形先輩からも聞いていたから。
けれど、今は追及してこない。
迅さんは、ただ、静かに見守る。
「……迅さん」
箸を持ったまま、小さく名前を呼んだ。
「ん?」
「ごめんなさい。心配かけて」
その一言に、迅さんの表情が少し曇る。
でも、思わず、笑って返す。
「何言ってんだ。俺はおまえを信じてるよ」
その言葉に、俺は少し潤む。
泣きそうになるのを、必死で笑顔に変えながら、
「ありがとう……」と呟いた。
――食事を終えて、食器を片づける。
キッチンから聞こえる水の音。
その背中を見つめながら、迅さんはつぶやいている。
「信じてる。でも、守りたい。どっちも本当なんだよ、直樹」
と。
俺は背中に迅さんの思いを感じている。
食器を片づけ終えて、
「……もうちょっと、そばにいてもいいですか?」
と遠慮がちに座る。
迅さんは何も言わず、そっと腕を広げる。
俺は胸の中に潜り込む。
震えてる体で寄り添いながら
迅さんはただ黙って、髪を撫で続けた。
「……おかえり」
「……ただいま、迅さん」
夜が静かに包む。
外では冷たい風が吹いているのに、
リビングの空気だけが、ゆっくりと温かかった。
資料の紙がめくられる音と、プロジェクターの低い駆動音だけが響いていた。
「――それでは、こちらの新しい仕様案については、再度お持ち帰りということで」
桐島課長がまとめに入る。
「ええ、構いません」
天城さんは穏やかに頷いた。
その口調は丁寧で、どこまでも仕事の顔。
だが、微笑の奥に一瞬だけ、獲物を見定めるような光が宿るのが見えた。
「白鷹さん、最近残業が多いそうですね。……一人で仕事を抱え込んでいませんか?」
淡々とした問いかけだが、その声のトーンに、針のような緊張感が混ざる。
思わず胸を押さえる。
昨夜のことが頭をよぎる。
天城さんは何も言っていないのに、明らかに自分を見透かしている。
「――いえ、なんとか回せています」
小さく答える。
「そうですか。真面目ですね。……そういうところ、嫌いじゃないですよ」
その一言で、心臓はまた強く跳ねた。
それは脅しでも甘い誘いでもない。
ただ、**“まだ終わっていない”**と告げる響きだった。
「……なあ、直樹。天城さんと何かあった?」
会議が終わり、デスクに戻ると舟形先輩がたずねる。
「えっ? ……いえ、その……少し怒らせてしまったかもしれません」
さすが、舟形先輩、なんでもお見通しなのか……。
少し驚いた顔して、
「怒らせたって、何したの?」
「……抱きしめられて……拒絶してしまって」
言いながら下を向く。
舟形先輩が絶句してるのがわかる。
しばし沈黙。舟形先輩は無言でコーヒーをかき回しながら、何か考えてる。
♢♢
“白鷹課長は……どんな気持ちでこいつを送り出したんだろう”
と胸の奥がチクリと痛む。
俺は、かつて白鷹課長がここにいた頃、どれほど直樹を大切にしていたかを見てきている。
守りたくても守れない立場で葛藤していた白鷹課長の姿も。
五時を過ぎて、周りはざわついている。
俺はまだ机に残って、冷めかけたコーヒーをゆっくり口に運ぶ。
窓の外では、薄く茜が残る空が、街の輪郭を柔らかく包んでいた。
「……あいつ、よく頑張ってるよな」
小さくつぶやく。
天城の視線、言葉の端々――あの会議の空気は、十分伝わっていた。
“何かあった”とまでは言わなくても、直樹の肩が一瞬こわばるのを、見逃さなかった。
それでも、直樹は笑っていた。
いつものように、少しぎこちないけれど、まっすぐな笑顔で。
(白鷹さん……)
心の中で、俺はそっと呟く。
直樹があの家に帰るとき、迎えてくれる人――その人の表情が、ふと浮かぶ。
どんなに冷静を装っても、彼がどれほど心配しているかが、わかる気がした。
「俺なんかが間に入ることじゃないけどさ……」
コーヒーを一口。苦みが舌に残る。
それでも、あの二人のことを思うと、なぜか胸の奥が少しだけ温かくなる。
「……ちゃんと守られてるな、直樹」
ぽつりと零したその言葉は、誰に聞かせるでもなく、
静かなオフィスの空気に溶けていった。
――そして俺は、カップを片づけながら思う。
明日も、あの子が笑って会社に来られるように。
せめて自分が、見ていよう、と。
♢♢
湯気の立つみそ汁の向こうで、俺は少しほっとしたように笑った。
「今日の会議、無事に終わりました。
天城さん……ちょっと棘がある感じだったけど、特に問題もなく」
穏やかな声。けれど、やっぱり張り詰めている。
迅さんは箸を置き、静かに頷く。
「そうか。……無事でよかったな」
「はい」と答え、また黙々と食べはじめる。
――その「はい」が、どこか震えているのに、迅さんは気づいていた。
俺が知らないとこで、舟形先輩からも聞いていたから。
けれど、今は追及してこない。
迅さんは、ただ、静かに見守る。
「……迅さん」
箸を持ったまま、小さく名前を呼んだ。
「ん?」
「ごめんなさい。心配かけて」
その一言に、迅さんの表情が少し曇る。
でも、思わず、笑って返す。
「何言ってんだ。俺はおまえを信じてるよ」
その言葉に、俺は少し潤む。
泣きそうになるのを、必死で笑顔に変えながら、
「ありがとう……」と呟いた。
――食事を終えて、食器を片づける。
キッチンから聞こえる水の音。
その背中を見つめながら、迅さんはつぶやいている。
「信じてる。でも、守りたい。どっちも本当なんだよ、直樹」
と。
俺は背中に迅さんの思いを感じている。
食器を片づけ終えて、
「……もうちょっと、そばにいてもいいですか?」
と遠慮がちに座る。
迅さんは何も言わず、そっと腕を広げる。
俺は胸の中に潜り込む。
震えてる体で寄り添いながら
迅さんはただ黙って、髪を撫で続けた。
「……おかえり」
「……ただいま、迅さん」
夜が静かに包む。
外では冷たい風が吹いているのに、
リビングの空気だけが、ゆっくりと温かかった。
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