世紀末新鋭霊滅隊 ― 巨大女郎蜘蛛アリアドネ掃討戦 ―

SilentNoise

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プロローグ

点滅する巨大繭

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 見られている――のではない。測られている。
 フウカはそう直感した。
 視線は温度でも圧力でもない、もっと薄い刃のような「評価」だ。強度、可動域、反射の速さ、臓腑の温度。網の上から、無数の計測子が彼女らの輪郭を触れては離れ、触れては離れる。

 天井の繊維束が波打ち、粉のような燐光が舞い落ちる。
 クシェルはスコープを半歩だけ外し、裸眼で闇に焦点を合わせた。心拍数を四拍で均す。胃の痛みは左手の甲に押し出し、指先の震えに置き換える。
(姿はまだ見せない。糸の指数関数的増殖――中心は奥だ)

「近づくぞ」
 フウカは顎で合図し、礼拝堂だった床の割れ目へ滑り込む。石畳の下は空洞化し、地下納骨堂へ通じている。酸糸に焼けた柱の香りが鼻を刺す。
「クシェル、上の糸、三時方向。揺れが逆。あれ罠だ」
「視認した。……切る」

 偏向投射が無音で走り、天蓋の一点を貫く。粘着糸がほどけると同時に、床が「嚙み締め」を解いたように沈んだ。直後、横穴から幼体が群れ出す。殻の薄い頭が射線を横切り、酸の蒸気が白く立つ。
 フウカがブーツリグで滑り込み、礼拝席の折れ板を盾にして《霊葬》の祈文を走らせた。
「――其は遺(のこ)り火、其は灯台、其は名折れた剣にあらず――」
 弾腔に文字が結ばれ、静かに点火。三体、四体。幼体は音も出さず崩れ、蒸気に歪んで床へ吸い込まれる。

 耳の内側で、声が笑った。
 ――上出来。もっと奥へ。来い。
 クシェルは舌の根で苦笑を噛む。
(誘導だ。だが行く他はない)

     *

 納骨堂の壁は、骨と糸で改装されていた。人が積み重なっていた棚は、今は繭の格納庫だ。淡い脈動に合わせ、封蝋のような黒い節が膨らんでは萎む。
 中心に、縦穴。巣核へ通じる。
 フウカは穴縁へ膝をつけ、覗き込まずに周圏視で深度を量る。
「落ちたら戻れないな。ロープ、じゃ無理だね。糸で溶ける」
「下降は段階的に。私が先に索路を作る」
(手は震えるな。足もだ。震えるのは胃の専売特許だ)

 クシェルが薄片のような標識板を投げ入れる。板は空中で角度を変え、祈文磁場に引かれて空間に「踏み場」を作る。目に見えない梯子――儀式工学が編み出した仮初の階段だ。
 フウカが軽く笑う。「便利だね、アンタの頭脳は。内臓は虚弱だけど」
「事実だ」
「よし、じゃあ――落ちるよ」

 二人は交互に“階段”を踏み、縦穴へ降りた。
 壁の内側で、何かが並走する。
 白く、長い。関節の数が足りない腕。指が八本、爪が針。
 フウカは視線だけで追い、撃たない。まだ撃つべき相手ではない。視られているだけだ。
 やがて底に着く。そこは――聖糸の聖堂とでも呼ぶべき空洞だった。

 中央に、心臓。都市ひとつ分の糸が一本に束ねられ、卵形の核に繋がっている。表面は紅の絹のように滑らかで、内側の影が逆さに泳ぐ。
 その前で、空気がゆっくりと裂けた。
 薄い布を剥ぐように、姿があらわになる。
 巨大女郎蜘蛛アリアドネ。
 花魁の衣は血の濃さで縫われ、髪飾りは白骨と琥珀の繭。白粉の肌は冷たく、双眸は燐の灯りを宿す。八本の脚は艶やかに節を光らせ、一本一本が、生物であることをやめた建築物のように硬い。指先――否、肢先が軽く触れただけで、空気が縮む。

「ようこそ」
 声は出ていない。それにも関わらず言葉は成立する。口元がわずかに弧を描く。
「勇敢な子。小さな牙。それから――震える目」

 フウカが鼻で笑う。
「あたいらは歯医者じゃない。蜘蛛の口の中、覗きに来たわけでもねぇ。用件は一つ――」
 《霊葬》の安全を外し、肩を固める。
「――お前の巣核、切って焼いて、持って帰る」

 クシェルは遅れて上体を半歩ずらし、アリアドネの正面から半身だけずらした位置を取る。偏向投射の「曲線」を長く使える角度だ。
(距離、六十八。風、無。重力、わずかに上向き――糸の張力が乱す。初弾は誘導、二弾目が要。胃は黙れ)

 アリアドネは、笑った。
「切る? 焼く? 持ち帰る?」
 言葉を真似るように、繭核の表面がぴくりと震えた。
 次の瞬間、声が溢れた。男の、女の、老いた、幼い。泣き声、懇願、祈り、笑い、狂い。
 フウカの鼓膜が内側から押され、膝に力が逃げる。
 繭に囚われた者たちの声。
「やめろ」クシェルが低く言う。「聞くな。外側だけを通せ」
「分かってるっての」フウカは歯をむき、頬の筋肉を引き上げて笑顔を形作る。「こういうのはな――笑って踏み荒らすのが一番だ」

 アリアドネの一本の脚が、空を撫でた。
 糸が降る。目に見える速度で。透明の雨のように。
 床に触れた場所から、石が泡立ち、黒い穴が穿たれる。酸の雨だ。
「跳ぶ!」
 フウカはブーツリグを全開にし、右斜め前へ弾けた。同時に《霊葬》から盾祈を短く展開、酸糸の角度を一瞬だけ鈍らせる。クシェルは別方向へ転じ、偏向投射を低角で二連射。一本目で軌道を曲げ、二本目を女王の視線の死角へ押し込む。
 弾は確かに刺さった。刺さったが――深くは入らない。糸が、弾丸の祈文を包み、食べた。

 フウカが舌打ちする。「バケモンが、祈りを喰うってのかよ……!」
「祈文の格子を変える」クシェルは即答し、装填律を一段落とす。「切断じゃない、反転だ。詠唱を途中で折り返す――」
「折ったら祈りが食うって長官が言ってたろ!」
「折り返すのは私たちの言葉じゃない。奴の言葉だ」

 アリアドネが一歩、床を叩いた。鼓動が空間をめくり、周囲の繭から手が伸びる。救いを求める形を正確に模した掌だ。指は八本、爪は針。
 フウカは唇を歪め、短く息を吸った。
「うるせぇ。手ェ引っ込めな」
 祝詞弾・逆祷式。
 詠唱は前半で意味を結び、後半で意味を削る。結ばれた瞬間を刈り取る鎌。
 発射。
 繭から伸びた腕が、腕の“意味”ごと欠けた。肉も骨もなく、ただ「掴む」という機能だけが空白になり、掌は蜘蛛の脚の形に崩れた。

 女王の眼が、わずかに細くなる。
 その「感情の段差」を見逃さず、クシェルは三弾目を核の縁へ滑らせる。曲線は祈文で、祈文は言葉で、言葉は刃だ。
(届く――)
 届く、が、間に合わない。

 核の反対側が、開いた。
 「口」でも「門」でもない。糸の理が解け、外が接続される。冷たい暗闇が吹き込み、納骨堂の温度が一拍で落ちた。
 そこから、顔が覗く。
 人の。女の。フウカの――顔。
 フウカは瞬きすら忘れる。
 アリアドネの笑みが深くなる。
「“顔を返す”遊びを知っている? あなたの顔は、もう私の繭にある」

 フウカは頬を自分の親指で押し、痛覚を確認した。実在。血が流れ、筋が動く。
「……へえ。じゃ、二つあるってことだ」
 笑い、踏み込む。
 男気は恐怖の形を変える。
 《霊葬》が吠え、祈文の背骨が火花を散らす。
「だったら片方ぶっ壊して、もう片方で笑ってやるよ!」

 クシェルが重ねる。「右、空き。三歩で核縁――落ちるな」
「落ちねぇよ!」
 二人は別の円を描き、女王と核を挟む二つの刃になった。糸の雨は角度を変え、床は穴を吐き、繭は泣き、声は笑う。
 ダグラス=ジョイルマンの通信が割り込んだ。
「聞こえるか。巣核に標識を。撤退路は――」
 音が途切れる。糸が電波を咀嚼したのだ。
 フウカは短く舌打ちし、肩越しに叫ぶ。
「クシェル! 標識は任せた。あたい、前をこじ開ける!」
「了解」
(怖い。だが――進め)

 アリアドネが扇を開いた。
 扇の骨は、人の肋骨。
 扇面は、祈りの墨。
 ひと振りで、記憶の順序が逆になる。フウカの足取りが一瞬、過去に滑る。
 転ぶ――寸前で、彼女は自分の脛にナイフを突き立て、現在に錨を打った。血が熱い。
「いてぇ! でも現在はここ!」
 クシェルは息を止め、四弾目を放つ。反転祈が扇の墨を裂き、女王の肩口に白い欠損が咲く。
 アリアドネは初めて、視線を細く曲げた。
「可愛い。では――遊びは、ここまで」

 核が鳴る。
 市一つ分の糸の張力が、一点へ集約した音。
 床が、壁が、空気が、糸の意志に従属する。
 フウカは深く息を吸い、笑って、吠えた。
「来な!」
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