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プロローグ.どちら様ですか?
しおりを挟む――――三年前、サイアス王国 森林奥深く
緑生い茂る広大な森の中、騎士服を着た五人の青年が馬から降りた。
「神託があったのはこの辺りか」
太陽の光を浴びると白くさえ見える輝く黄金の髪をした背の高い青年が、凛とした声でその場にいる仲間へ告げた。
互いの目線を交わすと、頷き合う。
「では、分かれて探そう、我々の聖女を。見つけたら合図を」
青年の言葉に、彼らはそれぞれ四方に散った。黄金の髪に、タイガーアイの瞳を持つ端正な顔の青年も同じく、仲間とは違う方向へ歩き出した。
森の中で馬など使って探しては、見落とすかもしれないし、聖女を怖がらせるかもしれない。万が一があってはならないと、徒歩で探す。
穏やかな木漏れ日が森の獣道を照らし、落ちた枝葉を踏みしめると小動物が慌てて逃げる気配を感じる。この世界の壮大な美しい自然に、青年……フィグルド・ティガー・ヴァリアントは目を細めた。
この世界を守るためとはいえ、何も知らぬ少女を、自分達の都合で召喚した。それが果たして正しいことだったのかどうか。
最後まで答えが出せぬまま、フィグルドはこの任を引き受けた。
パキリ、と小枝の折れる微かな音と人の気配に、ぴくりと耳が反応する。フィグルドの耳は人より高い聴力を持ち、聞き分けることができる。音と気配の方向へ慎重に歩を進めると、小道を外れた道なき道の先に、何かがいる予感がした。
気配のする方へしばらく進むと、突然開けた空間へと出る。ちょうどそこは木々が円をつくるように自然と自生し、その中心に頭上から光が降り注ぐように計算された、祭壇を思わせる神聖な景色が広がっていた。
その光の空間の中心に、小柄な少女が一人佇んでいた。風になびく、神秘的で艶やかな涅色の長い髪。自分達の世界では見ることがない不思議な服装は、女性であるにも関わらずすらりと伸びた脚を惜しげもなくさらしており、自然と調和する白い肌に近寄りがたさを感じる。
フィグルドの気配に、背を向けていた少女がゆっくりと振り返る。その黒曜石のような大きな瞳が自分を認めて、驚きに見開かれた。
―――――なんて……美しい……
フィグルドは己の責務を忘れて、思わず少女に見惚れる。言葉が出てこず、黙って見つめ合ったままの二人。まるで時が止まったかのように感じていたフィグルドの頭上に、ぱさりと何かが落ちてきた。
痛くはない。軽いものであることに気づく。
風に運ばれてきた少し大きめの葉っぱか何かだろうか?煩わしい……
フィグルドは意識がまだ少女へと縫い留められていたため、ほとんど無意識に頭上へ手を伸ばし落ちてきたものを掴んだ。
「あ……、あー……!」
すると、目の前の少女が慌てたように自分に向かって手を伸ばしている。声もまるで小鳥がさえずるように軽やかで耳に心地よいが、突然自分が姿を現したことでもしかしたら怖がらせたかもしれない、とやっと気づく。
フィグルドが手に掴んだそれを下ろし、安心させなければと口を開きかけた瞬間。
運命の悪戯か、はたまた神の気まぐれか。二人の間を突風が通り過ぎた。
少女の、下半身を包むあまりにも短いスカートがぶわりと捲れた。
「―――――――……!!」
一瞬で過ぎ去った強風に思い切り舞い上がったスカートの中身が、フィグルドの脳を焼いた。慌てたようにスカートを押さえつけて、少女は顔を真っ赤にすると少し目尻に涙を浮かべた恥じらいの表情で、もう片方の手をフィグルドに伸ばす。
「か、返してください……!私のパンツ――――…!」
少女の悲痛な叫びに、フィグルドは網膜に刻まれた金縛りから解かれるように我に返り、自分の手が握りしめているものを見つめた。
そこには、黒いうさぎの絵が描かれた、小さな布が握られていた。
――――現在、サイアス王国 カテラの街
拝啓、聖騎士様
もうすぐ貴方を忘れるから離縁しましょう
その一文で終わる手記を握りしめて、リナリアは途方に暮れていた。
何故なら、彼女はどうして自分がここにいるか思い出せなかったからだ。
自分の名前はわかる。自分が何者なのかもわかる。
だがどうしても、何故この街の道の真ん中で、自分は一冊の手記を胸に抱き佇んでいるのかが記憶になかった。
ここは多くの人で賑わうカテラの街。信仰と魔法の世界フォルティアーナで一番大きな王国サイアスの国境付近にあるからか、様々な人種が入り交じり、貿易も盛んに行われている開けた街。大通りには出店が立ち並び、珍しい果物や香辛料が売り買いされている。
このフォルティアーナは、つい一年程前まで、滅びの危機に瀕していた。そんな絶望の中にいた人々を救ったのが、異世界より召喚された女神に選ばれし聖女と、この世界で唯一神との交流を許された聖騎士達だった。
聖女達一行が世界を救ってから一年経った今も、人々はその平和を享受しながら復興へ向けて日々逞しく生きている。
リナリアは、手に持った手記をパラリとめくってみる。最後の一文以外は、どうしてか読めない。文字のようなものは書かれているのだが、どうしても理解することができない。まったく知らない文字にも見えるし、以前から知っている文字にも見える不思議な感覚だ。
リナリアは解読するのを諦めて手記を閉じると、自身の記憶を探る。覚えていること……それは、自分が一年前この世界を救った異世界より召喚された聖女であるということ。
本名は兎本 莉奈(うもと りな)。地球という惑星の日本という島国に住む高校三年生だった。ある日突然、高校の制服のままこの世界へ召喚され、聖女としての役割を押し付けられた。家族の元へ戻る方法はないと無情にも言われ、絶望の中始まった世界を浄化して救う旅は二年も続いた。十八歳でここへ落とされ、もう三年が過ぎようとしている。
望んだことではないが、命の危機を感じるような困難を乗り越えて、自分は世界を救った聖女だ。そこまでは、思い出せるのに。
浄化の旅の詳細や、旅が終わった後のことを思い出そうとすると、靄がかかったように曖昧になってしまう。まるで虫食いされた本のように、断片的にしか思い出せない。
「……」
リナリアという名は、聖女の役目を与えられた時に「聖女の真名」として授けられた。
日本に帰れないなら、せめてリナリアは以前と同じく平民としてただ穏やかに暮らしたかった。だけど、世界の危機を目の前にしてそれは単なる我儘でしかない。いや、瘴気に蝕まれる人々を目の当たりにして、目を背けられるほど自分は強い人間じゃなかった。旅をしている間ずっと、自分は聖女だなんだと持ち上げられるような人間じゃない、と心苦しかったのを覚えている。
あぁ……そうか……
不意に、リナリアは理解する。
私、もう聖女をやらなくていいんだ……
世界が救われて、平和が訪れた。やっと、自由だ。
少女一人の肩に乗るには重たい役目から解放されて、リナリアは自分の人生をようやく歩めることに気づいた。じわじわと、嬉しさがこみあげてくる。
「……や……ったー!!」
喜びに、思わず両腕を上げて叫ぶ。通りを行き交う人々の視線が一気に集まり、リナリアは慌てた。
すぐに逃げるように道の端へと移動する。
いくら平和になったとはいえ、ここは異世界。日本とは時代背景や治安が違う。女性の一人歩きが当たり前ではない世界だ。
気を付けなければ、とリナリアは自分の癖のない黒髪を撫でつけた。それから、肩から下げていた少し大きめの鞄に手記をしまう。鞄の中には、新しい街で生活していくためのものが詰まっていた。着替えや薬、衛生用品。当面の資金もしっかりと入れているあたり、用意をした記憶を失う前の自分を褒めたい。
聖女でいた頃は、衣食住は確保されていたけれど、どこか申し訳なさがあった。だから、リナリアはやっと自分らしく自分の力で生きていける、と心を躍らせる。
「ん~、まずは住むところからだよね。住み込みで働けるところが見つかるといいんだけど」
宿屋とかはどうだろう、人で賑わうこの街なら人手不足もありえそうだ、と算段をつけながら歩き出す。
記憶が曖昧なのは少し不安ではあるが、思い出せないものをうじうじしていても仕方ない。もう太陽は頭上まであがっている。早めに動きださなければ、本日の寝床が確保できない可能性もある。そんなことを考えて、リナリアは自分がこの数年で逞しくなったことを実感する。
そう思うと、彼らとの旅は、案外無駄ではなかったのだ。
「よし、セカンドライフ、楽しむぞ~!」
己を鼓舞するように歩きながらそう口にした。その時。
不意に、誰かに肩を掴まれた。
「リナ……!」
呼びかけに、驚いて振り返る。
走って来たのか、肩で息をしながら額に汗を浮かべた端正な顔の男がいた。かなり背が高く、体格もいい。海外モデルのような浮世離れした美しさだ。身なりからして貴族であることが見て取れる。
自分の名を呼ばれたが、リナリアはこの人物に見覚えがない。
「無事でよかった。帰ろう……」
男の唇から漏れた言葉に、リナリアは途端に警戒した表情になり、ぱしり、と肩に置かれた男の手を払うと、距離を取った。
「すみませんが、どちら様ですか?」
放った一言に、男の金褐色であるタイガーアイがゆっくりと見開かれた。
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