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番外編
おまけ④
しおりを挟む燃え上がるよう熱情はなかった。
溺れるような恋ではなかった。
それでも──
それでも、俺と彼女はずっと共に在るのだと思っていた。
「御姉様の御元気がないみたいですの。殿下は何かご存知なくて?」
何か知っているならさっさと吐けとばかり此方を睨むのは、俺の従妹であり彼女の従妹でもある年下の少女。
将来的には他国の王族に嫁ぐ事になるであろう少女。
見聞を広めるという名目で、現在は俺達の通っていた学園でなく他国へと留学している。
少女は彼女にいたくなついていた。
それこそ、本物の姉妹のように。
そして、この国の王太子である俺に対して気安い態度を取れる数少ない人物でもある。
そんな少女がいきなり侍女を連れだって、俺の執務室へと押し掛けてきたのであった。
容易に想像できるこれから始まる厄介な展開に、俺は一人溜め息をついた。
「……心当たりはあると言えばあるが……」
彼女が変わったのは、あの日からだ。
あの入学式の日、あの日を境に彼女は変わった。
彼女の瞳の奥にあった俺への親愛、信頼、そして淡く色付いていた恋心が、消え失せた。
まるで、人が変わったかのような豹変ぷりだ。
「ある男爵令嬢が、彼女に刃を向けた……」
勿論、そんな女に彼女を害させる筈がないし、すぐに女は始末した。
そのような娘を出した男爵家も取り潰しの上、死刑。
男爵は血など繋がっていないと、最後まで自らの処遇を不服としていた。
悲惨と言えば悲惨な光景ではあるが、将来王妃となる彼女がそんな事に怖じ気つくような弱い心の持ち主には思えなかった。
彼女は完璧だ。
現王妃である母からも、太鼓判を押されている。
そんな彼女がそれしきの事で、揺らいだりするのであろうか。
「えぇ、私も聞いておりますとも。……たかだか平民上がりの男爵令嬢が身の程も弁えずに、御姉様に刃を向けた、と。それ事態は本当に腹立たしい事ですが、御姉様がそのような相手を気にかける筈がございません。てすので、絶対に原因は殿下に違いありませんの……はっ! もしや、殿下がその男爵令嬢にお手を出されていたのでは? それなら、御姉様が元気がないのも頷けます。お痛わしいですわ。完璧な御姉様の夫となる人物がこのような浮気男な上、その火遊びの火の粉が降りかかって来るなんて……今回は無事だからよかったものを、もし御姉様が火傷をなされたならどうするつもりでしたの?」
従妹の少女は感情豊かで、彼女は時々困ったように嗜めていた。
そして今止める相手がいないせいか、傍迷惑にも少女は絶好調だ。
全く、勝手な冤罪はやめて貰いたいものだ。
入学式の朝、2人で話していたが特に変わった事はなかった。
彼女もいつも通り柔らかく微笑んでいたのだ。
俺が原因ということはない筈だ。
「俺はその男爵令嬢と一切面識がない。あの日が初めてだ。あいつらも面識がないと言っているし、その線は薄い」
あの女が会ってもいない相手の婚約者に対して、あそこまでの凶行に走った可能性もなくはないが。
俺達だけでなく、彼女もまた男爵令嬢とは一切面識がなかった。
将来王妃となる彼女を狙った他国の刺客かとも考えたが、男爵家や女を調べてもそのような痕跡は一切出てこなかった。
何も繋がるものがないからか、あの女は薄気味が悪い。
「そうですの。まぁ、我が家の諜報部にも調べさせていたので、面識がないのは分かっていましたけれど」
俺がそう説明すると、少女はあっけらかんと知っていると言った。
「分かっているのなら、態々聞くな。……此方も暇ではないのだぞ」
そんな少女の態度に、もう帰ってくれないかと俺は内心苛立ちを覚えた。
「念の為、ですの。我が家の諜報部は優秀であると自負しておりますが……万が一、ということもありますでしょう?」
それに、そもそもそんな事実があったら私がこの程度で済ます筈がありませんでしょう? 、と少女は薄く笑みを浮かべる。
年下だと侮ってはいけない。
将来は国の為にと、育て上げられた少女だ。
全くもって末恐ろしい。
「それにしても、殿下にも心覚えがありませんのね。私も調べさせましたが、これと言った原因は分かりませんでしたの」
「……そうか、お前でも分からないか」
同姓で妹のように可愛いがっている少女なら思い当たる事もあるかと思っていたが、少女は首を横に振った。
「ですが、分からなくとも出来る事はありますの。と、言うわけで殿下。御姉様を連れてデートをなさってください!」
「は,で、デート!? 何故そうなるのだ!!?」
少女の突飛な発言に、ゴホゴホと咳き込んだ。
何故その結論に達したのか、理解できない。
「あら、私の記憶によると殿下は忙しさと婚約者の地位に甘えて、ここ数年デートの1つもしていない筈ですの。それに殿下はプレゼントもろくに贈らないケチな殿方のようですし……こうして考えると、やはり御姉様には相応しいとは思えませんの」
「ぐっ、それは……」
痛いところをつかれた。
流石に誕生日と等の贈り物はしているが、俺はマメな方ではない。
クラスにいる仲が非常にいいカップル同士と比べると、どうしても少ないと言わざる得ない。
「良いですこと、殿下。即刻御休みをお作りになって、御姉様を何処か素敵な場所へとお連れするといいのですわ! 御姉様の為に馬車馬の如く働きますの!!」
では、私は失礼致しますの、と一方的に言って少女は部屋を出て行った。
「……何なんだアイツは…………」
まるで嵐のようだ。
だが、少女の言う事にも一理ある。
俺は彼女の好意に胡座をかいて、自らの好意を示す事は殆どなかった。
「素敵な場所に、プレゼント、か……」
素敵な場所と言われて思い浮かんだのは、幼い頃彼女と行った王家の所有する静養地。
屋敷の近くには、紫に色付いたヒヤシンスが咲き誇っている。
もう何年も行っていないが、彼女はあの花をいたく気に入っていたし、今行けばちょうど美しく咲いている筈だ。
幼い頃彼女が好きだと言ったので、花束にして贈った記憶がある。
確か、侍従や護衛に黙って一人で摘みに行ってので、後でしこたま説教をくらったのだ。
“ありがとうございます、殿下。わたくし、この花が一番すきになりました”
脳裏に浮かぶのは、幼き日の彼女の笑顔。
その無邪気な笑顔が俺は好きだった。
けれど、将来の王妃の威厳出す為か、彼女のあの笑顔を俺はもう何年も見ていない。
「……用意して欲しいものがある」
俺は部屋の端に控えていた侍従に声をかけた。
あの少女の言いなりになったようで癪だが、彼女が喜ぶのならそれに費やす時間は無駄ではない。
行く場所はあの場所でなくてもいい。
彼女が行きたい場所があるのなら、そこに2人で行ければいい。
「彼女は喜んでくれるだろうか……」
彼女の笑みが無性に恋しくなった。
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