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しおりを挟むそれから、フラン令嬢との再会は意外にも早く訪れた。
城では一週間かけて、第一王子である兄上――ユーリス殿下の生誕祭が行われることになったのだ。
王城の大広間は、まさに豪華絢爛(ごうかけんらん)という言葉が相応しかった。
天井からは幾千ものクリスタルが輝くシャンデリアが吊るされ、装飾品一つ一つ丁寧に磨かれ、埃ひとつない状態だ。大理石の床は、磨き上げられた鏡のように、着飾った貴族たちの姿を映し出していた。
私の国は、決して豊かな国ではない。
地方に行けば、明日の食事にも困る民がいることを私は知っている。
だが、この一週間だけは城の備蓄庫が開放され、湯水のように税金が使われ、貴族や集まった民たちに料理や酒が振る舞われるのだ。
全ては、父上が溺愛する「次期国王・ユーリス」の権威を示すためだけに。
(……馬鹿げている)
私は吐き気をこらえながら、雛壇(ひなだん)のようになっている上座に座っていた。
この席配置も、父上の権威主義の現れだ。一段高い場所に、父上である国王、王妃、主役の兄上、そして私が横一列に並んで座る。
そしてその眼下には、広場のようなダンスフロアを挟んで、立食形式の貴族たちがひしめき合っている。まるで神が下界を見下ろすような構図だ。
一週間のスケジュールは過密だ。
初日の今日は「晩餐会」。
二日目は庭園での茶会、三日目は王族による「狩猟大会」。四日から六日は芸術鑑賞や舞踏会が続き、最終日にフィナーレを迎える。
私は初日の今日と、王族の義務である三日目の狩り、そして最終日以外は部屋に引きこもるつもりだった。
こんな針のむしろに、一週間も耐えられる自信がない。
もちろん、私がどこにいようと――。
「殿下、お水はいかがですか?」
私の椅子のすぐ背後には、影のようにクラウスが控えている。
彼は「教育係」として、晩餐会でも、私の世話をする権利を得ているのだ。
目の前に、メインディッシュの肉料理が運ばれてきた。
分厚い赤身肉のローストだ。濃厚なソースの香りが鼻をくすぐる。
食欲はなかったが、手をつけないわけにはいかない。私はナイフを入れ、小さく切った肉を口に運んだ。
「……柔らかいな」
驚いた。口の中で解けるような柔らかさと、上品な脂の甘み。
普段の王家の食事よりも、明らかに質が良い。
「今年の料理は、随分と豪華だな。どこの産地のものだ?」
会話をつなぐために何気なく尋ねると、背後のクラウスが涼しい顔で答えた。
「お気に召して光栄です。それは我がベルンシュタイン領の特産牛ですよ」
「……え?」
「今回の生誕祭のために、我が領地の備蓄と特産品を、すべて献上させていただきました。ユーリス殿下のために」
私はフォークを取り落としそうになった。
領地の特産品を、すべて?
それはつまり、公爵家の利益を丸ごと王家に差し出したということだ。
「……大丈夫なのか? そんなことをすれば、領地の経営が……」
「構いませんよ。全ては王家への忠誠の証ですから」
クラウスは微塵も惜しくなさそうに微笑んだ。
そして中央に座っていた父王が、機嫌良さそうに自らのグラスを掲げ、さらに別のグラスをクラウスへと自ら手渡した。
王から臣下へ、直接酒が振る舞われるなど、異例の厚遇だ。 クラウスはそれを恭(うやうや)しく、両手で受け取った。
「皆、聞くがよい! 此度の宴がこれほど盛大なものになったのは、ここにいるクラウス・フォン・ベルンシュタイン公爵の尽力によるものだ!」
王の声が広間に響き渡る。
貴族たちが一斉にクラウスを見上げ、拍手を送る。
「彼は若くして公爵位を継ぎ、領地を豊かにし、その全てをこうして王家に還元してくれた! 実に忠義に厚い、臣下の鑑(かがみ)である!」
王は満足げに私の肩をバシりと叩いた。
「おいエルリード。お前もクラウスを見習え。お前よりも、よほど彼の方が王族の役に立っておるわ」
「……はい、父上」
私は俯くしかなかった。
(どうなっているんだ……?)
私の記憶にある1度目の世界では、ベルンシュタイン家は父上によって潰されたはずだ。
父上は前公爵を殺し、家を取り潰した。だからクラウスは父上を憎み、革命を起こして首を刎ねたのだ。
父上に近づくためなら、憎い男の息子である私さえも利用し、踏み台にするような……冷徹で、恐ろしい男だったのに。
それなのに、なぜ?
なぜ今のクラウスは、父の仇であるはずの国王に、媚びへつらっている?
今のあいつはどうだ。
へらへらと笑い、媚びを売り、まるで飼い慣らされた犬じゃないか。
領地の利益を差し出し、尻尾を振って、仲良く酒を酌み交わしている。
復讐心という芯を抜かれた彼は、ただの「王家の犬」に成り下がってしまったというのか。
「……ふん」
私が疑念に沈んでいると、背後でクラウスが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
彼が睨んでいるのは、眼下の貴族たちだ。
視線の先を追うと、そこには着飾った令嬢たちの集団がいた。
その中心にいるのは、栗色の髪の美女――フラン伯爵令嬢だ。
彼女たちは扇子で口元を隠しながら、熱っぽい視線をこちらに送っていた。
(……相変わらず、クラウスは人気だな)
美貌の若き公爵だ。令嬢たちが夢中になるのも無理はない。
1度目の世界でも、先日の庭園でも、彼女はクラウスを熱心に見つめていた。
だが、よく見ると何かがおかしい。彼女たちの視線は、クラウスだけでなく――その前に座る私にも向けられているような気がするのだ。
「……不愉快ですね」
クラウスがポツリと呟いた。
その声は、冷たかった。
「殿下。あのような視線に晒されるのは、さぞ苦痛でしょう」
「え? いや、私は別に……」
「場所を変えましょう。……ちょうど、余興の時間のようです」
広場の中央が空けられ、音楽が変わった。
勇壮なドラムの音が響く。
クラウスは私の腕を掴むと、強引に席から立たせた。
「クラウス? どこへ行くんだ」
「剣の舞(ソード・ダンス)ですよ、殿下」
彼は私の腰にある儀礼用の剣を指先で弾いた。
「教育係として、殿下の剣技がどれほどか……皆様の前で『ご指導』して差し上げます」
「え!? 待て、私はそんなつもりじゃ……!」
私の抗議など聞こえないふりで、彼は私を広場の中央へと引きずり出した。
衆人環視の中、スポットライトのような魔石の光が私たちを照らす。
ざわめきが広がる。
第二王子と、その教育係である公爵の演武。
それは最高の余興であり、そして彼にとっては――私を独占するための、口実だった。
硬質な金属音が、大広間の高い天井に吸い込まれていく。
「ッ……!」
剣の舞の振り付けは頭に入っている。私の剣が、クラウスの剣に弾かれた。
重い。一撃一撃が、岩でもぶつけられたかのような重さだ。
私は痺れる手で剣を握り直し、バックステップで距離を取った。
「逃げるのですか? 殿下」
クラウスは優雅に微笑んでいる。
まるで舞踏会のワルツでも踊るような足取りで、私の退路を塞ぐように間合いを詰めてくる。
「くっ……手加減しろと言っているだろう!」
「いえ。皆様が見ておられますから。……ほら、あのように」
剣を交差させたまま、鍔迫(つばぜ)り合いの形になる。
至近距離。クラウスの顔が目の前にある。
彼は視線だけで、観衆の方を指し示した。
そこには、フラン伯爵令嬢をはじめとする令嬢たちが、最前列に陣取っていた。
彼女たちの視線は、異常なほど熱を帯びていた。
頬を紅潮させ、扇子で口元を隠し、食い入るように私たちを見つめている。
(……なんだ、あの目は)
以前の彼女は、確かにおっとりとした性格だったはずだ。
だが今の彼女の瞳は、ギラギラと輝いている。
隣にいる令嬢と何やら早口で囁き合い、時折「尊い……」「体格差が……」などと謎の言葉を漏らしながら、荒い息を吐いている。
ヒュッ。
彼の剣が、鋭い軌道を描いて私の右肩を狙う。
速い。思考する時間などない。
切っ先が迫るその一瞬、極限の集中の中で――私の視界が、不意に思い出に染まる。
***
――カィン、と軽い音が響く。
そこは、埃っぽい空き教室。
騎士教導院の使われていない、狭くて薄暗い部屋。
放課後、私たちは、他の者からの視線が逃れられるこの、隠れ家のような場所で、よく剣の真似事をしていた。
「あ、ごめんクラウス! またやっちゃった」
私は剣を引っ込めながら苦笑いした。
空き教室は倉庫として使われていて乱雑にものが置いてあり、狭すぎて、大きく踏み込むと剣先が壁に当たってしまうのだ。
だから私は無意識に、攻撃を受ける瞬間に肘を畳み、半歩下がって窮屈な姿勢を取る癖がついてしまっていた。
「タイミング合わなくなるよな、これじゃ」
「ふふ、君は本当に狭いところが苦手だな」
まだあどけなさの残るクラウスが、汗を拭いながら優しく笑う。
「変な癖だ。直さないとな」
「そのままでいいよ」
「え?」
「君がそうやって下がるなら、俺がその分、深く踏み込めばいいだけから」
彼は私の剣をトン、と叩いた。
「君の癖も、呼吸も、全部俺が合わせる。……だから、君は好きに動いていい」
その言葉が嬉しくて、私は剣を収めながら、心からの信頼を込めて笑いかけた。
「やっぱり、私に合わせられるのはお前だけだな」
私の言葉に、クラウスは眩しいものでも見るように目を細め、ふわりと笑った。
「その通りだ。……エルの全てを受け止められるのは、世界で俺一人だけだよ」
***
――その、甘い記憶が脳裏を掠めた、瞬間だった。
私の体が、勝手に動いた。
剣を振り切る直前、私は無意識に「肘を小さく畳み、半歩下がる」という奇妙な動きをとっていた。
広いはずの大広間で。壁などない場所で。
あの狭い倉庫の記憶に従って。
(……あっ)
思考の空白。
しまった、と思った時には遅かった。
こんな変則的な動きをしたら、タイミングがずれて彼の剣が直撃する――!
「――ッ!!」
私は衝撃に備えて身を強張らせた。
だが。
カィン……。
衝撃は来なかった。
代わりに聞こえたのは、優しく剣が重なる、澄んだ音色だった。
私の目の前で、クラウスの剣がピタリと止まっていた。
いや、違う!
彼は、私の「急に肘を畳む」という突拍子もない動きを、まるで「最初から知っていた」かのように予測し、自ら深く踏み込み、完璧な角度で合わせてきたのだ。
あの日と、同じように。
『世界で俺一人だけだよ』と笑った、あの日と同じように。
「……な」
時が止まったようだった。
私は目を見開き、至近距離で彼の顔を凝視した。
「なんで……?」
震える声が漏れた。
「なんで、今の動きに合わせられる……?」
あり得ない。
この癖を知っているのは、1度目の人生で、あの狭い部屋で共に汗を流した「かつてのクラウス」だけのはずだ。
歴史が改変され、私と騎士教導院に通っていないはずの「今のクラウス」が、知っているはずがない。
それなのに、今の呼吸、剣の角度。
それは紛れもなく、あの日々と同じ――。
「……殿下?」
クラウスが怪訝そうに小首を傾げた。
その顔には、一切の動揺がない。まるで息をするように自然な動作だったと言わんばかりだ。
(……偶然か?)
そうだ、偶然に決まっている。
彼は天才だ。私の下手くそな動きに合わせてくれただけだ。
そう自分に言い聞かせても、剣を通して伝わってくる「馴染んだ感覚」に、鳥肌が止まらない。
――グイッ。
呆然とする私を、強い力が現実に引き戻した。
バランスを崩した私の体は、クラウスの胸に抱きとめられる形になった。
傍目には、私がよろけたのを彼が支えたように見えるだろう。
だが実際は、彼の腕が鉄の鎖のように私の腰に回り、逃げられないように拘束していた。
「よそ見をしている余裕がありますか?」
私の耳元で、彼が低く囁く。
その声は、懐かしい友の声ではなく、冷徹な管理者のものだった。
「見ましたか、殿下。あのような浅ましい目つき」
彼は何事もなかったかのように、話題を観衆へと逸らした。
(……そうだ。こいつは、あのクラウスじゃない)
私は必死に、湧き上がる違和感を振り払った。
あれはただの偶然だ。
私を殺した男と、剣の呼吸が合うなんて……そんな悪夢のようなこと、あってたまるか。
「……きゃあああっ!!」
広間から、悲鳴のような黄色い歓声が上がった。
フラン令嬢に至っては、扇子を落としそうなほど身を乗り出し、ハンカチで口元を押さえてプルプルと震えている。
怒っているのか? それとも呆れているのか?
私の耳元で、クラウスが低く囁く。
その声には、隠しきれない殺気が混じっていた。
「あの女たち、貴方のことを見て欲情していますよ」
「は……? 何を言っているんだ」
「あの粘りつくような視線……貴方の、汗ばんだ肌や、乱れた息遣いを値踏みしているんです。汚らわしい」
クラウスの目には、彼女たちが「エルを狙うハイエナ」に見えているらしい。
とんでもない誤解だ。彼女たちが見ているのは、間違いなく「公爵であるお前」だろうに。
「違う、彼女たちは私じゃなくて、お前を……んぐッ!?」
否定しようとした言葉は、クラウスに封じられた。
さらにクラウスが私の剣を持つ手首をねじり上げ、私の背後に回り込んだ。
いわゆる「バックハグ」のような状態で、彼の体が私の背中に密着する。
「黙っていてください。……これ以上、あの者たちに貴方の隙を見せたくない」
彼は私の手首を掴んだまま、自分の剣を振るい、空を切る音をさせた。
シャッ、と鋭い音が響く。
それは演武というより、観衆への威嚇(いかく)だった。
『俺のものに触れるな』という動き。
――だが。
「……ッ!!」
フラン令嬢たちが、一斉に崩れ落ちた。
ある者は友人の肩を叩き、ある者は天を仰ぎ、フラン令嬢は「ありがとうございます……」と虚空に祈りを捧げている。
(……なんなんだ、一体……)
拍手喝采と、異様な熱気の中で、剣の舞は終わった。
汗だくになって肩で息をする私を、クラウスはこれみよがしに抱き寄せ、ハンカチで私の汗を拭った。
「……部屋に戻りましょう、殿下」
彼は勝ち誇ったような顔で、フラン令嬢たちを一瞥(いちべつ)した。
「これだけ見せつければ、もう誰も貴方に手出しはしないでしょう」
そう言って私を連れ去る彼の背中を、フラン令嬢たちが涙ながらに見送っていたことを、私は知らない。
荒い息を整えながら、私がクラウスに腕を引かれて広場を出ようとした時だった。
「――見事だったよ、二人とも」
よく通る、張りのある声が呼び止めた。
振り返ると、そこに立っていたのは、今日の主役である第一王子・ユーリス兄上だった。
金髪碧眼の美しい容姿。
主役としてスポットライトを浴びるその姿は、神々しいほどに輝いていた。
「お時間をとらせて申し訳ない。素晴らしい剣舞だった。余興にしておくには惜しいほどだ」
兄上は屈託のない笑顔で歩み寄ってきた。
クラウスは即座に私を背後に隠すように一歩前に出ると、流麗な動作で跪いた。
「過分なお言葉、恐悦至極に存じます。ユーリス殿下」
兄上は鷹揚に頷くと、クラウスの肩越しに私へと視線を向けた。
その顔を見て、私は息を呑んだ。
(……兄上?)
兄上の顔色は、以前会った時よりも遥かに良く、頬はバラ色に輝いていた。
肌には艶があり、溢れんばかりの生命力を感じる。
――だが、その一方で。
衣装の上からでも分かるほど、兄上の体は一回り「痩せて」いた。
手首は折れそうなほど細く、顎のラインも以前より鋭角になっている。
そのアンバランスさが、兄上の美貌をどこかこの世のものならざる、妖精のような儚さに昇華させていた。
「エルリード。どうした? ぼんやりして」
兄上が心配そうに顔を覗き込んできた。
「少し、元気がないように見えるぞ。……やはり、久しぶりの公務で疲れたか?」
その目に悪意はない。純粋な家族としての心配だ。
「……いえ。私は、特にいつもと変わりませんよ」
「そうか? 無理はするなよ。お前は昔から、辛いことを隠す癖があるからな」
兄上は優しく微笑むと、自身の胸を軽く叩いて見せた。
「私の体調はすこぶる良いんだ。だから、お前は私の心配などせず、自分のことを大事にしろ……」
「……はい、兄上。兄上の体調が良さそうで、何よりです」
私は唇を噛んで、返事を返した。
兄上は満足そうに頷くと、クラウスに向き直った。
「……公爵。エルを頼んだぞ。少し顔色が優れないようだ。部屋で休ませてやってくれ」
ふと、私はクラウスを見るユーリス兄上の表情に違和感を覚えた。
だが、クラウスは気づかないふりをしているのか、ただ頭を下げるだけだった。
「……失礼します」
私も逃げるように頭を下げ、クラウスと共に部屋へと下がった。
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