殺したくせに、離さない ~死に戻った王子は、狂った婚約者に管理される~

逢 舞夏

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エピローグ2

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【エマの運命】

「……っつ、」

 私がベッドの上で小さく呻くと、背中を揉んでいた手がぴたりと止まった。

「お痛みですか? 殿下」
 「いや、大丈夫だ。……昨晩、クラウスもしつこくて。少し腰が重いだけだ」

 私がため息混じりに言うと、侍女のエマは頬を染めて「公爵様からとっても愛されておりますもの、素敵な旦那様です」とクスクス笑った。
 私の左手の薬指には、彼が贈ってくれた銀の指輪が光っている。
 そう。あの儀式の騒動が落ち着いた後、私はクラウスと、結婚したのだ。
 裏で契約などない、王となったユーリス兄上の立ち会いのもと、私たちが私たちの意志で選び取った、正真正銘の婚姻だ。

  彼女の手には、温かいオイルがたっぷりと塗られている。
  腰を滑る指の感触と、部屋に広がる爽やかな香りに、強張っていた筋肉が解れていくようだ。

「……いい匂いだな、エマ」
 「ふふ、でしょう? 『サン・シトロン』という、私の故郷にしかない柑橘系の植物から抽出したんです」

 エマは自慢げに小瓶を見せてくれた。

「リラックス効果が高くて、美肌にもいいんですよ。……まあ、そばかすには効かないみたいですけど」

 そう言って、エマは自分の頬にある愛らしいそばかすを、指先でツンツンと突いておどけて見せた。

「これは私の実家のある領地でのみ採れる名産なんです。母が趣味で薬草を配合している時に、偶然できた産物でして」
 「へぇ、偶然か。すごいな」
 「はい。でも、そこまでの量は制作できていないんです。手間がかかるらしくて」

 エマは手を動かしながら、少し声を落とした。

「……実は殿下。こんな時に不躾(ぶしつけ)なのですが、ご相談がありまして」
「ん? なんだ」
「近々、一度実家に戻らせていただこうかと思っているのです」 
「実家に? 休暇か?」
「いえ……母の体調があまり良くないという手紙が届きまして。このオイルの制作を急ごうと、無理をしてしまったようなのです。ただの疲労なら良いのですが……心配で」

 エマの言葉を聞いた瞬間、私の背筋がヒヤリとした。

(……待てよ)

 1度目の記憶が脳裏をよぎる。
  あの時、エマは私が20歳の頃に「流行り病」で死んだ。
  私はそれを、風の噂で聞いたのだ。 
 つまり、あの時のエマは、私のそば――王都にはいなかったということになる。

(もし、このタイミングで帰省して……そのまま実家の領地で流行り病に巻き込まれて死んだとしたら?)

 あるいは、実家に戻ったことで運命の歯車が噛み合い、死期が早まる可能性だってある。
 今、ここで彼女を帰してはいけない。私の勘がそう告げていた。

「……エマ」
 「はい?」
 「その話だが、帰省は許可できない」 
「えっ……」

 エマの手が止まる。彼女の顔が曇った。
  だが、私は続けて告げた。

「その代わり、母親を王都に呼び寄せなさい」 
「……え?」
 「お前の母上のための家と、そのオイルを研究するための専門の研究室を、私が用意しよう」

 エマがぽかんと口を開け、瞬きを繰り返した。

「え、ええっ!? エルリード殿下、何を仰って……そんな、一介の侍女の親族にそこまでしていただくわけには!」
 「良いんだ。私はその『サン・シトロン』の香りが気に入った。もっと量産してほしいし、王都で流行らせたいとも思う。これは先行投資だ」

 私はベッドから起き上がり、呆然とする彼女に微笑みかけた。

「それに、王都の医師は優秀だ。母上の体調不良もしっかり診てもらえるだろう。……お前がここを離れるより、その方が安心だろう?」

「殿下……」

 エマの瞳が潤み、震え出した。  彼女は慌ててその場に跪き、深く頭を下げた。

「ありがとうございます……! なんと感謝してよいか……!」
 「礼には及ばない。……お前には、ずっと私のそばで長生きしてもらわないと困るからな」

 これは私の本心だ。 
 かつて死ぬはずだった彼女が、笑ってそばにいてくれる。 
 それだけで、私は救われているのだから。

「さあ、話は決まりだ。すぐに手配をしよう」
 「はい……! はいっ!」

 エマは涙を拭いながら、満面の笑みを咲かせた。 
 その笑顔を見て、私は確信した。  彼女の「死の運命」もまた、今ここで回避されたのだと。


 【夜明けを迎える】

 その王国は四方を海に囲まれ、大国は遥か海の向こうにある。 
 魔法という恩恵があり、特筆して秀でたものはないが、建国して四百年。国は静かに歴史を刻んでいた。

 しかし、他国はこの国を「不気味」だと忌み嫌っている。 
 この国の王族には異常なまでの「加護」があるからだ。反王政を掲げたり、王に背くようなことがあれば、その貴族の領地では必ず、謎の疫病や行方不明者の続出といった禍(わざわい)が起きる。王が私利私欲に走り暴政を敷いても、貴族たちの力が弱かったのは、この目に見えない呪縛があったからだ。

 だが、その呪縛に唯一、綻びが生じていた場所がある。ベルンシュタイン公爵領だ。 
 若くして当主となったクラウスの治世により、その領地は王都を凌ぐほどの活気に満ち溢れていた。

 一人の男が極秘にこの領地を訪れていた。 
 メルフェル・ラドー。かつて「1度目の世界」でクラウスを革命の旗印に担ぎ上げ、共に破滅へと進んだ男だ。だが、この世界での彼は、まだクラウスと接点を持っていない。 
 自分の領地で禍が続く中、なぜここだけが潤っているのか。その鍵を求めて、彼は潜入捜査さながらに街を歩いていた。

 二人が再会したのは、本当に偶然だった。まるで、止まっていた運命の歯車が再び回り出したかのように。

 賑わう街角、人混みの中で男と肩がぶつかった。 
 ラドーは目立たないよう質の悪いマントを纏い、足元も特注品ではない「吊るしの安物」の靴を履き潰している。一方、ぶつかった男もまた、安価で仕立ての悪い服を着ていた。 
 謝りもせず足早に去ろうとする男の背中に、ラドーは既視感を覚え、無作法にその腕を掴んだ。

「……久しぶりの顔だね、メルフェル」

 振り返った男の声に、ラドーは心臓を射抜かれたようにその場で固まった。

「お……お前は、なぜ生きている!? ベルンシュタイン公爵……!」

「もう先代だよ」

 そこには、数年前に病死したはずの男が立っていた。 
 安物の服で身を隠していても、隠しきれない高貴な気品。かつて王城で、憧れを持って遠くから見上げていた五つ上の先輩。初老に差し掛かろうという年齢になってもなお、その佇まいは息を呑むほどに美しいままだった。

「私の優秀な息子がね。私が王家に命を狙われていると忠告してくれたのさ。当初は信じていなかったが……予告通りに病に伏せった時、彼はまだこの世に存在しないはずの特効薬を見つけ、私を救ってくれた」

「そんな……どういうことだ? 未来を予見するなど……」

「私にはわからないよ。だが、私はクラウスを信じている。あの子の瞳には、何百年も生きた老人のような、底知れない絶望と執念が宿っていたからね」

 公爵は、かつてラドーが淡い恋心にも似た敬慕を抱いていた頃と同じ、穏やかな笑みを浮かべた。 

「だから、私と会ったことは秘密にしてくれ。私は今、ここでただの街人として穏やかに暮らしているんだ。この平穏を壊したくはない」

 向けられた優しすぎる微笑みに、ラドーは柄にもなく頬を染め、いたたまれなくなって視線を彷徨わせた。 
 クラウスという男の異常性。王家の呪いを跳ね除ける確かな力が、ここにはある。

(……だが、それだけで済むものか。王家への恨み、晴らさずにおれるか)

 ラドーは、公爵には決して口に出さなかったが、胸の内で冷たく笑った。 
 彼はすでに、王家を内側から崩すための「懐刀」を忍ばせている。王に最も近い場所――近衛兵の中に、自分に絶対の忠誠を誓う優秀な部下を。

 もしクラウスが失敗しても、あの夜、エルの寝室に滑り込むはずだった「あの男」が、いつでも王の喉元を掻き切るだろう。

 王家が犠牲者の魂を食らって維持してきた、偽りの繁栄と恐怖の政治。 
 それがもうすぐ終わりを告げることを二人はまだ知らない。
 ラドーの憎しみさえも飲み込んで、四百年ぶりに「本当の夜明け」が訪れようとしていた。


【灰の上の花たち】

 地下の禁書庫には、静寂が戻っていた。
 床に刻まれていた禍々しい魔法陣も、染み付いていた跡も、すべてクラウスと私の魔法で徹底的に消し去った。
 祭壇はただの石の台となり、ここはもう、かつて国を揺るがす儀式が行われていた場所には見えない。

「……エル、どうした? 手が止まっているぞ」

 背後からクラウスの声がした。
 私は最後の一冊――最も分厚い、建国時代の記録書を手に持ったまま、部屋の隅を見つめていた。

「いや……。いつか遠い未来、ここが再び開かれたとしても、ただの古い部屋として見つかってほしいと思ってな」

 私は指先で、石壁の冷たさをなぞった。

「誰もここで泣いたり、苦しんだりしなかった。……そんな、ただの静かな部屋に」

 そう呟きながら、私は手元の古書に視線を落とした。
  燃やす前に確認したこの本には、意外な真実が記されていた。 
 それは、はるか昔、この国の建国に携わった賢者たちの記録だ。

 ――『時戻し』の術も、その他の禁忌とされる魔法も。
 元々は建国時、飢饉や天災で滅びかけた国を救うため、当時の賢者や民たちが「自らの命を捧げて、国にチャンスをもう一度与える」ための、自己犠牲の魔法だったのだ。

 誰かを犠牲にするのではない。
 愛する国を、家族を守るために、自らが礎となる。
 それは呪いなどではなく、切実な「祈り」だったはずだ。

 それがいつしか、時の権力者たちの「個人の私欲」のために歪められ、他人の命を奪ってでも願いを叶える「呪い」へと成り下がっていた。

(……悲しいな)

 魔法そのものに、罪はなかったのだ。
 使う人間の心が、それを悪魔の契約に変えてしまっただけで。

「……行こう、クラウス。弔(とむら)いの場所はここじゃない」

 私は本を抱え、クラウスと共に暗い地下を後にした。


 ◇


 王城を離れ、馬を駆ること数時間。
 私たちは、王国の片隅にある、誰も立ち寄らないような岬へとやってきた。
 緑の草原に、対照的な二頭の馬が並ぶ。私が乗る白馬は、潮風にたてがみを白く輝かせ、その隣でクラウスの駆る漆黒の馬が、影のように静かに佇んでいる。
 寄り添って鼻を鳴らす白と黒。その姿は、まるで全く違う道を歩んできて、ようやく一つに混ざり合った私たちの魂のようでもあった。

 眼下には荒々しい海が広がり、背後には風に揺れる草原が続いている。
 ここなら、誰にも邪魔されず、煙も風に乗って消えていくだろう。

 パチ、パチパチ……。
 乾いた薪が爆ぜる音が、波音に混じる。もうもうと燃え上がる熱の前で、私はあるものを手に取った。  豪奢な刺繍が施された、真紅のマント。 
 父が愛用していた、王権の象徴だ。

 父は、あの黒い穴に魂ごと飲み込まれ、骨ひとかけらも残さなかった。
 だからせめて、このマントだけは。

「……さようなら、父上」

 私は躊躇なく、マントを火の中へとくべた。
 炎が布に触れ、一気に燃え上がる。 
 金糸がチリチリと焼け焦げ、権威の象徴が灰へと変わっていく。
 涙は出なかった。ただ、胸のつかえが取れていくような、静かな喪失感だけがあった。

 続いて、私は地下から持ち出した古書を、次々と炎の中へ投げ入れた。 
 『時戻し』、『魂の置換』、『永劫の契約』……。歴代の王たちが縋り付いてきた、甘美で残酷な魔法たち。

「……もう、この魔法たちが使われることはない」

 本が黒く炭化し、ページが風に舞い上がっていくのを見つめながら、私は呟いた。

「失敗したらやり直せばいい。誰かを犠牲にすればいい……そんな甘えは、もう終わりだ」

 これからは、一度きりの時間の中で、自分たちの足で国を作っていかなければならない。
 失敗するかもしれない。苦しむかもしれない。
 それでも、誰かの命を奪って得る成功よりも、泥に塗れて掴む明日の方が、今の私には尊く思えた。

「……そうだな」

 隣に立つクラウスが、静かに同意した。
 彼もまた、炎を見つめている。その緑色の瞳に映るのは、千年の後悔か、それとも解放の安らぎか。

 私はそっと、彼の肩に頭を預けた。
 クラウスの体温が、触れた場所から伝わってくる。
 半分になった寿命。けれど、一人で抱えていた永遠の孤独よりも、二人で分け合ったこの有限の温もりの方が、ずっと温かい。

「もう私たちは、このモノたちに救いは求めない」

 私は燃え尽きていく灰を見つめ、彼の手を握りしめた。

「残された時間を、精一杯生きよう。……クラウス」

 クラウスが私の手を握り返す。
 強く、優しく。揺らめく炎は、かつて国を焼いた業火ではない。
 過去のすべてを浄化し、空へと還していく、優しい癒やしの灯火(ともしび)に見えた。

 風が吹き抜け、最後の灰を海へと運んでいく。
 私たちは炎が消えるまで、どちらからともなく寄り添い合い、ただ静かに、同じ景色を見つめていた。


(完)
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