箱庭物語

晴羽照尊

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ワンガヌイ編

7th Treasure Vol.4(ニュージーランド/ワンガヌイ/8/2020)

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 宝刀、『血吸囃子ちすいばやし』。あるいは、『焃淼語かくびょうがたり』。

 江戸時代中期。無名の剣士であり刀匠、三代目箸蔵はしくら霜銘そうめい、晩年の作品。彼は常に剣士として、自身が振るう刀しか打たなかった。それゆえにか、業物として現存するものは非常に少ない。いや、そもそも現存していたとしても、それが霜銘の作だと判ずるのは難しく、また、仮に霜銘の作だとしても、その事実が刀の価値を高めることはない。三代目箸蔵霜銘は、前述の通り無名の剣士であり、刀匠なのだから。

 さて、そんな三代目箸蔵霜銘の作、『血吸囃子』は、その生臭い名とは裏腹に、『相手と語り合いたい』という思いから生まれた作品だ。言葉もなく、ただ切り合い、殺し合う合戦の中で、『どうして自分は相手を殺さなければならなかったのか』、『どうして相手は死ななければならなかったのか』と思いを馳せ、辿り着いた結実。

『血吸囃子』は、刀身に特殊な溝を掘られ作られている。その溝は、刀の刃の面、半身を、極薄の膜で覆うように掘られている。よく見なければ解らない――いや、よく見たところで解らないかもしれない。その薄い膜は、鉄を掘ったにもかかわらず、先が透けて見えるほどの極薄だ。

 ただ切り合うだけの関係性の中、結局、言葉など――感情など伝わるはずもない。だから、。せめてそうやって、。生きて、共に在ること。それこそが、霜銘が『血吸囃子』で目指した『会話』だった。

 後の世。三代目箸蔵霜銘の死後。その名は六代目まで続き、そして途絶えた。

 その六代目箸蔵霜銘の仕事場から持ち出された『血吸囃子』は、いろんな裏者の手を転々とした。そして江戸も終盤。戊辰戦争。とりわけ、北越戦争と呼ばれる局面。会津藩に仕える剣士、赤ヶ谷あかがや銀九郎ぎんぐろうの手に渡る。

 銀九郎は天涯孤独の身だった。親兄弟とも幼いころに死別し、友と呼べる者も一人としていなかった。そのうえ、銀九郎は精神的な疾患により、幼少期から話すことができなかった。そんな銀九郎が幕府の一員として召し抱えられていたのは、ひとえにその剣の腕にあったといえよう。普段は喋ることができないことも相まって、影の薄い生活を送っていたが、戦場に出ると一変、鬼神のごとき働きで敵からは恐れられた。

 そんな彼が『血吸囃子』――後に彼自身が『焃淼語』と、新たな名をつける刀を手にしたのは偶然だった。だが、歴史はそれを『運命』に変える。

 この戦争の最中、最前線で刀を振るっていた銀九郎は、違和感に気付く。もうずいぶん、。刀なんてものは、どれだけ頑丈に作ろうとも消耗品だ。まともに人間を一人二人切り殺した時点で、もうすでに、刃毀れし、刀身は曲がり、最悪、折れたりもする。だが、どうだ、この刀は。混戦の最中、銀九郎は顔を近付け、刀身を見た。

 刃毀れどころか、研ぎたてのように美しい。いや、それだけならまだいい。解らないこともない。しかし、払っても拭ってもいないというのに、血すら付着していない。いや、この表現は適切ではないだろう。正確には、が付着していない。切られた肉片の一部、人間の脂、あるいは土埃。そういうものはわずかに見て取れる。だがどう見ても、血液だけは付いていない。まるで、刀が血を吸ったみたいに、まったく、一滴も。

 それに気付いたとき、銀九郎は、なにか得も言われぬ感情に身震いした。

 それは、高揚に近い。酒に酔って得た、一時的で虚無的な全能感。

 気付けば銀九郎は、あたりかまわず、目に付く者すべてを切り伏せていた。敵も、味方も構わず。皮肉なことに、その虐殺で銀九郎は『焃淼語』の本質を知った。それは本来、決して無差別殺人を引き起こす妖刀などではない。だが自分はその力に酔ってしまった。

 この事件で銀九郎は藩を追われ、二十二日の逃亡生活の末、捕らえられ、処刑された。その最後の時間を、銀九郎は刀と語り合い過ごした。なにも言えぬ男と、なにも言わぬ刀。だがそこには、確かに血が通っていた。
『焃淼語』。その本当の姿を理解した銀九郎は、刀にその名を与えた。そして、その鞘に、辞世の句を刻む。

 それから現代。二十世紀に発見されるまで、その刀が最後に吸った血は、銀九郎のものだった。彼の処刑が執り行われた、そのときに使われたのが、最後だった。

        *

『行き先のない橋』。

 ワンガヌイ国立公園にかかる、名前通り、行き先のない橋。橋のどちら側にも道路がなく、建造物もない。もともとはこの地を開拓しようとした地元住人が掛けた橋ではあるのだが、土壌の悪さなどから開拓は断念、結果、橋だけが残ってしまったという面白い逸話のある名所だ。

 その橋の上に胡坐をかいて座る青年が一人。黄金の杖を腰に差し、漆塗りの扇で口元を隠す。深緑色の癖毛はワカメのようで、その毛先に半ば隠れる顔つきは中性的だ。そして、その青年は、黒い袴に、白い、袖口の広い上着を着ていて、その姿はまるで、平安時代ののようでもある。

「……ホムラはともかく、『血吸囃子』までも逃すとは」

 忸怩たる思いであったが、それでも青年は、ニタニタと気味悪く笑った。自分は最善を尽くしたのだ。その結果が、うまくついてこなかったのなら、それはまだ、世界に可能性があるということ。自分はまだ、努力を続けられるということ。

「あの少女の言葉は正しい。確かに身共みどもには、まだ努力が足りていない」

 まあそれはともかく。

 青年には考えることが二つあった。一つは『血吸囃子』の本当の力のこと。そしてもう一つは、あの少女の力のこと。

 だがしかし、まずは落ち着こう。こう騒がしいと、おちおち考え事もできやしない。

「さて、お話なら伺いましょう。お待たせしました」

 青年は立ち上がる。

 そして一瞥、二瞥。双方向の橋の先を見る。

 筋骨隆々な、部族の戦士。上半身は裸に近く、数々の伝統的な装飾。そして、体中を覆う、痛々しいタトゥー。

「ここは我々の土地。そしてあの方々は、我々の家族だ」

 一人の戦士が前に進み出て、言う。

「家族ですか……そうやって枷を増やして、身動きをとれなくする。愚かしいことこの上ない」

「黙れ」

 戦士はさらに一歩を進み出て、青年を威嚇する。

「どのように思われようと、これが延々と受け継がれてきた、我々の歴史――誇りだ」

「それはそれは御大層なことで……」

 青年はさもつまらなそうに、適当な相槌をうった。

「それで、身共にどうしろと?」

「簡単だ。疾くこの地を去れ」

「難しい相談ですね」

 まだ、女も刀も諦めたわけではない。青年は思い、杖を腰元から抜いた。

「勘違いするな。これは相談ではなく、警告だ。そして――」

 ふと、木々がざわめく。鳥や昆虫たちも蠢き、流れる川が、荒れ始めた。

「『Te waiワイ ma』の意思だ」

 風。暴風。嵐。竜巻。雷雨。洪水。津波。地震。……あらゆる天災とも違う。もっと軽やかで、しかし、底知れぬ、圧。

 青年は、体中の毛が逆立ち、全身から汗が噴き出るのを感じた。

「これは、また、……とても身共には、手に負えない」

 言って、青年は諸手を降ろした。すると、その体は雲散霧消と、千々に解れて、風に乗り散って行った。

        *

 戦いが終わり、少女は少女の姿で、手負いの兄弟のもとへ急いだ。

「ごめんなさい! ヤフユ。お姉ちゃん」

 あれだけの戦闘に息一つ乱さなかった少女が、髪を振り乱し、息も絶え絶えに走り寄ってくる。

「なにを謝る? 妹よ」

 女は言う。その顔はまだ苦痛に歪んではいるが、その言葉自体は本心だ。

「そうだよ、シロ。むしろ助かった。ありがとう」

 言って、少年は笑う。その顔には疲れが見えたが、安堵の方が大きいのだろう。そのまま永遠にでも眠ってしまいそうな安らかな顔つきだ。

「すぐに二人を治すべきだったの。でも、あの人を追い払うのに、時間がかかっちゃって」

「ノラ」

 取り乱す少女をなだめるように、女が少女の肩を掴んだ。

わらわたちは大丈夫じゃ。『箱庭百貨店』にもいくつか、治癒系の『異本』が収まっておる。応急処置じゃがな」

 言って示す方を見るに、確かに血はもう出ていない様子だった。だが、それでも――

「ヤフユの腕と、お姉ちゃんのお腹。死なないにしたって大怪我過ぎるわ。……待ってて、『シェヘラザードの歌』でなら、きっと――」

 少女は早口でそうまくしたて、少年の、余った左手を掴む。

「シロ!」

 反射的に強い語気で、少年は少女の腕を振り払う。その後、我に返り、「シロ」と、優しく言い直した。

「この腕は、いいんだ。自分への戒めも込めて、このままで」

 少年は余った左手で右の肩を掴み、噛み締めるように言った。

「妾もじゃ。ノラの扱う『シェヘラザードの歌』とやらが、どれほどの治癒効果を及ぼすかは知らんが。妾にとってもこの傷は名誉の負傷じゃ。むしろ誇りにすら感じとる」

 片手を挙げ女が言った。あっけらかんと。

「少なくともヤフユと違って妾のは、日常生活に支障がないからの。言った通り、応急処置はしたし、死にはせんからの」

「大丈夫だよ、シロ。おかげさまで、痛みももうない」

「そういう問題じゃ、ないでしょう」

 いじけるように少女は言った。好意でやった行為が無碍にされたかのように。

「わがままを言っている自覚はある。でも、これはわたし個人の問題だ。……聞き分けてくれ」

 今度は少年の方から少女の腕をとる。小さな子どもをなだめるように。まっすぐに視線を合わせて。

「ヤフユ……」

 少女は長く、瞬きを落とした。目を閉じるほどに長く。

「ごめん。聞き分けられない」

 言って、少女は念じた。『シェヘラザードの歌』。その『異本』自体は、あいにく宿に預けてある。だが、少女はそれを何百、何千と繰り返し、短期間に読みふけったことがある。だから、それは『シェヘラザードの遺言』と同様、すでに、少女の頭に収まっていた。

 少女の体全体が、淡く発光する。

        *

 翌日。

 午前中にまた、いろいろと連れまわされたのち、ワンガヌイ空港にて、女とは別れた。腰が折れるほどの熱烈なハグと、「じゃあ、また近いうちにの」という言葉を残して、女は颯爽と去って行った。

「嵐のような人だったね」

 少年は言う。帰り際に追加で買ってもらったコートを掴む。その、右肩辺りを、手繰り寄せるように。

 結論を言うと、その腕は治らなかった。少女は間違いなく『異本』を発動できた。それでも治らない。

 確かに、傷の修復と、腕の再生では規模が違うだろう。治らないのも規模が大きすぎたからと思うことはできる。だが、少女には治せる予感があった。それなのに治せない……もしかしたら『シェヘラザードの歌』には、まだ、その本領を発揮するための、なにかしらの条件があるのかもしれない。そう、少女は思うようになった。

「じゃあ、わたしたちも行こうか、シロ」

「ヤフユ、あれ」

 踵を返しかけた少年のコートを、少女は掴んで止めた。女が去って行った方と、同じ方を指さす。

「あれは……」

 少年も一目で理解する。視力に自信がある若い二人でも、凝らしたところで人を判別できないほどの遠く。それでもその伝統的な民族衣装は見間違えるはずもない。上半身は裸に近く、その鍛え上げられた肉体を見せつけている。そして痛々しいまでのタトゥーが顔や体に刻まれている。そんな人間は、誰であるかを判別できなかったとしても、どの民族であるかは確信できる。

「見送りに来た」

 マオリ族の男は言う。あの日、少年少女を案内してくれた男だ。

「ご丁寧にありがとうございます」

 少年は頭を下げた。まだ慣れていないのだろう、コートがずり落ちないように、左手で右肩辺りを抑えながら。
 少年が顔を上げると、ひと時の沈黙が流れた。男もなにも言うでもなく、まっすぐ少年を見つめている。

「ええと、そろそろ搭乗時間ですので、わたしたちはこれで」

 少年が言う。

「ヤフユ」

 男は言って、顔を近付ける。額を合わせ、鼻もくっつけ、深呼吸。マオリの挨拶であるホンギを行う。

「シロ」

 次いで、少女を手招く。少女はまだその挨拶に慣れなかったが、しないわけにもいかないだろう。その、ちょっと恐ろしくて、ちょっと照れくさい挨拶を。

 そうしてホンギを済ませると、男は姿勢を正し、首元にかかっていたネックレスを掴んだ。祈りのように。

「あなたたちと共に、『Te wai ma』があらんことを」

 そう言って、男は立ち去って行った。

        *

 エコノミーの狭い席にて、少年と少女は肩を寄せ合って座る。離陸もつつがなく完了し、客室乗務員から適当な飲み物を受け取り、落ち着いたころ、少女が口を開いた。

「ね。答えられないなら、それでもいいのだけれど」

 そういう風に切り出す。

「『Te wai ma』って、マオリ族の習慣や文化、歴史そのもの、そのすべてを指す『異本』なんじゃない?」

 少女は少年の方を向き、言った。
 それに対し、少年も少女の方を、まず、向いた。吐息も感じられるほどの近くで、数秒、少年少女は見つめ合う。

「あなたはもう答えを得ているはずだ。シロ」

「あなたの言葉で語ってほしいのよ。ヤフユ」

 まっすぐ瞳を向けて、少女は言う。それはその年相応の純粋さだ。だから違和感を覚える。いまの少女は、きっとすべてを達観できる、洞察眼を備えているはずだから。
 それとも、もしかしたら、そういう瞳こそが少年に課せられた義務を折るのに適していると判断した結果だろうか? だとしたら、それはむしろ悪魔的で、かつ、もっとも効果的な手段だった。

「おおむね察しの通りだよ。マオリ族には伝統的に。ゆえに口承や歌、踊り、あるいは絵画や彫刻などの芸術で、彼らの歴史を繋いできた。だからこそ広範な形を持っているんだ。『異本』と呼ばれるべき情報が、紙面に文字を綴るという手段のあらゆる方法で現れている。それが『Te wai ma』だ」

「野暮なツッコミだけれど」

 少女はやはり、ほとんどを察していたのだろう。少年の言葉にさして驚きもなく、別のことを知りたがった。

「もはや『本』じゃないわよね」

「性能が高い『異本』には割と多くそういうものが存在する。総合性能Bのうち、特に強力な『異本』に――ちなみに『Te wai ma』もそのひとつだけれど――集中して多いね」

「あれ、総合性能って、最高がAなのよね? どうしてBに多いのかしら」

「さて、理由などは考えるだけ無駄だろうと思うけれど。性能なんて、究極的には人間が決めたものでしかないから。とはいえ、だからこそ性能の高いものは『人間にとって』有用であり、かつ、恐ろしいものでもある、とも言えるけれど」

 特に。少年は重心を低くしたような声で言う。

「総合性能Aランクに分類される19冊。『啓筆けいひつ』と呼ばれるそれらは――」

 失われた右腕に、触れるような重みが、いまにも少年の肩を止めた。見ると、怒りさえこみあげてきそうなほどの安らかな顔で、少女が眠っていた。少年に、その重みの減った右肩に、頭部の重みを預けて。

「考えてみれば、『異本』の力で強化していたとはいえ、あれだけの立ち回りをやってのけたんだ。疲れているんだね」

 残った左手で、少女の頬に触れる。その温度は、彼女が生きている証だ。それを感じてから、ゆっくり頭部に手をやる。

「おやすみ。ノラ」

 その名を呼んで、少年も目を閉じた。

        *

「もしもし、妾じゃけど」

 女は気軽さの極みのように簡単に、その相手に電話をかけた。

「うん? 妾を誰だと思っておる。それくらい簡単に調べがつくわ」

 相手方は激高し、諦観し、忙しく文句を垂れた。だが、そんなもことなど、女はどこ吹く風だ。

「それより、なれも日本に来い。久しぶりに、みなで話をしよう」

 言って、あるいは相手の騒がしい言葉を聞いて、女は犬歯を剥いて笑った。

「利益ならある。『啓筆』、序列十八位。『シャンバラ・ダルマ』」

 相手方はその言葉に沈黙で返す。その後、長い熟考を挟み、ようやく答えが出た。

「そうじゃ……ああ、では、近いうちにの」

 女は電話を切る。そして、そのスマートフォン自体が大切な宝物であるかのように、ギュッと胸元で握り込んだ。

 鼻歌と、ヒールを鳴らして、上機嫌で歩く。向かう先は、女が――女たちが幼少を過ごした、あの国だ。


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