箱庭物語

晴羽照尊

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チチェン・イッツァ編

40th Memory Vol.16(メキシコ/ユカタン/9/2020)

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 この程度の痛み、なんらの支障もない。だから、女はまず、後方を憂慮した。

「ヤフユ! カナタ! ルシア! 無事か!?」

 少年は言った。後ろで見ている。と。いったいいつから気を抜いていた? 気を抜くことなど許されるというのか? 後ろに大切な家族を守っているのに?
 女は冷や汗を一つ流し、そう思った。

「大丈夫だ。姉さん」

 少年を見ると、女児と童女を庇うように背を向けていた。とりあえずボールはぶつからなかったらしい。あれほどの剛球。生命の危機はなくとも、当たりどころが悪ければ大怪我もしかねなかっただろう。

「あはははは。見事な反応だよ、ホムラ。まさか触れるとは思わなかった」

 好青年はなんでもないように軽く手を叩き、言った。

「……触れられもせんと思っておったなら、弟たちへ場所の移動をさせるべきじゃろ。なれわらわはともかく、弟たちにわずかでも危険な思いをさせたこと、後悔させてやる」

 キッ。と、女は好青年を睨んだ。

「誤解だよ、ホムラ。ボクはちゃんと、後ろの彼らに当たらないように投球している。でなければ、わざわざ手を伸ばさなくとも、ちゃんとキミに当たる位置へ投球したさ」

 言われてみれば、あの投球は、女が反応しなかった場合、その体に触れることなどないような軌道で走っていた。そして、好青年と女の位置を繋いだ延長線上には、見事に少年たちがいる。確かに好青年の言う通り、彼は自身の剛球がもたらす破壊を女以外へ向ける気は毛頭、なかったらしい。

 だが、だとすると、問題はあの、的を外した剛球だ。あの一球。女がとっさに、普通に反則ファウルとなる。そういう軌道だった。もとより受けるつもりで女が構え、そのうえ想定以上の剛球に反射的に手を出してしまったことが災いした。冷静であれば、あの一球、無難にスルーすればそれだけで、敵の自爆だったのだ。

 女は、唇を噛む。ゲームとして正しい行動をとれなかったこと、少年たちに怖い思いをさせたこと、そして、あの剛速球に対応できなかったこと。そのすべてに、自己嫌悪して。

「さて、また仕切り直しか。どうする? またボクからボールを放るかい? なんならそのまま、キミがボールを持った状態からリスタートでもいいけれど」

 笑顔で好青年は言った。その雑念などないような清々しい笑顔が、こうなってくると煽りのようにすら見えてくる。

「……このままでよい。……構えろ」

 女はボールを拾い上げ、自陣の中へ戻った。少年たちにはもう少し離れているように言い含めて。

 現状、互いの反則ファウルで、1対1。次は女の二度目の投球だ。

        *

 いったん忘れよう。得点も同等。ゲームとしても振り出しだ。

 そうして冷静になると、ちゃんと理解できる。
 やはり好青年は、わざと負ける気はなくとも、勝つ気もない。本気で勝ちたいなら、女の後ろへの被害など無視して、まっすぐ女を狙い打てばいいだけだからだ。仮にその点、女以外を傷付けまいとするフェアプレーの精神があったとしたなら、投球前に――というより、ゲーム開始前に、少年たちを安全な位置に誘導すればいいだけだったのだ。わざわざなにも言わず、あえて投球の軌道を逸らす必要はまったくない。

 だったら、戦い方も変わる。

 一球目の女の投球。あれをわざわざ、後頭部で受けたのも、このゲームが、好青年にとっては『遊び』だからだ。だから、あんな無理な受け方をした。失敗して、反則ファウルになってもいいと、そう思ったから。

 だから、好青年はまた、無理をしても『可能性のある受け方』を、基本的には選択するはずだ。よほどおかしな投球をしない限り、あえて回避に専念し、反則ファウルを取ろうなどという、つまらない行動は控えるだろう。

 かといって、あれほどの身体能力だ。初球と同じ作戦で、まっすぐ狙っても、今度こそ後頭部でうまく受けられかねない。初回と同じように、上体を深く倒した構えを見て、女は考えた。

 足遣いが下手くそ。好青年はそう言った。もちろんその言葉自体がブラフという可能性もあるが、どちらにしても、狙いは真正面から外さなければならない。選択肢はもとより少なかった。

 狙いは、足元。今回はセオリー通り、上から下へ、投げ落とす。好青年の苦手という足に当たるならそれもよし、うまくずれて、地面へ叩きつけられても、敵の反則ファウルでよし。

 狙いを定めて、女は、振りかぶる。

        *

 跳躍した。その身体能力をいかんなく発揮し、高く、高く、女は跳ぶ。

「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 咆哮する。空中という、踏ん張れない環境でも、腕には思い切り、力を込める。

 投げた! 高々と跳んだ空中から、好青年の足元へ。振り落とす。槌を振るうかのように、叩きつける。

 どうじゃ!? ボールが手を離れてから、地に足が着くまでの刹那、女は好青年の挙動に目を見張る。投球は完璧だ。あらんかぎりの力を、正確に振るうことができた。これに、どう対応する?

 好青年は、上体を倒したまま、顔を上げる。本気の目だ。爽やかな笑みを消して、迫るボールを睨みつける。

 どうする? 足で受けるか? 少なくともあの剛速球だ、頭部を向けて受ける時間はないだろう。手で受けるにも容易ではないはず。

 女は思考を止めないまま、着地した。そのころ、ボールは好青年に到達する。

 好青年の受けは、初手と似通った初動だった。まず、頭部をさらなる深みへ落とす。だが、いくらなんでも、そのまま頭部で受けるには間に合わない。どうするつもりかと訝しんでいると、手を、地面に着いた。ボールが向かう、足元の、地面に。

 そして、その片手で身軽に全身を逆立たせる。その地面に着いた手に、ボールはぶつかり、跳ねた。受けたのだ。それを見て、女は気を持ち直す。あの姿勢からリフティングをこなすとなれば、そう簡単ではない。時間はかかるだろうが、初動を受けきったなら、そのままポイントを得、流れるまま反撃がくる可能性も十分ある。

 そう女は判断した。だが、それは少しばかり遅かった。

 好青年は手にぶつけ、跳ねさせたボールを、器用にも逆の手で弾き、地面へ向けて跳ね返す。次に、それを自身の後頭部へぶつけ、天高く跳ね上げた。

 リフティング。という言い方をするから、理解が遅れた。そうだ。ルール上、体のどこかでボールを弾けば、それでいいのだ。つまり、好青年はもはや、リフティングまで終えた、ということとなる。

 よっ。と、軽い声を吐いて、逆立ち状態から飛び上るように半回転、しっかりと地に足を踏ん張る姿勢に戻り、そのまま、彼自身、天高く跳躍した。

「いくよ、ホムラ」

 にいっ。と、いつもと違って、好戦的な無邪気さで、好青年は笑った。空中で、ボールをキャッチする。そして、振りかぶるように、ボールを自身の半身に隠した。

「できれば遠慮したいが……」

 女の方は余裕などない。苦虫を噛み潰したような笑いを浮かべ、呟いた。

 だが、覚悟は決めた。うまく受けの姿勢を取れていないが、腹は据わった。やるしかない。
 あの剛速球がくると解っていれば、対処のしようもある。

「来い! チャク!」

 その声に呼応するように、空で静止した好青年は、咆哮を上げ、体全体を捻り降ろすように、大きく回転させ、ボールを投げ落とした。

 この段階で、好青年に1ポイントの加算。現在は、女1ポイント。好青年2ポイントである。

        *

 迫る剛速球に、思考する時間などなかった。女はただ、見えるボールへ手を伸ばし、受けようと――

「あっ……」

 瞬間、背筋が凍った。

 空気抵抗の問題だろうか? まっすぐ進んできたボールが、女の腕に当たる直前、急にブレ、その手に触れることなく通り過ぎた。いや、さすがにそんなに大きなブレが、急に現れるなどありえない。そもそもの女の伸ばした手が、ボールを受けるにはややずれていた。そういう要因も含めての空振りなのだろう。

 だが、偶然はまだ、続いた。

 なんと、腕の横を通り過ぎたボールは、剛球に耐えようと踏ん張っていた女の太ももに当たり、跳ね、一度は通り過ぎた腕の裏側に当たり、さらに再度、太ももの同じ部分を打った。その段になって、女は上体を後ろへ逸らした。数えるほどの余裕などなかったが、偶然にも、それは受けから、続くリフティングの2回を、不格好にこなしていたのだ。女は反射的に体を逸らし、再度空へ跳ねる、ボールを躱す。

「おお……!」

 その結果に驚愕したのは、好青年の方が先だった。女は、上体を逸らしたために空へ向けられていた視線で、その呆けた好青年の顔を見ることができた。
 その視界に、影が過ぎる。ボールが一瞬、視界を阻み、天へ登る。

 それで我に返り、女はまたも、跳んだ。ほとんど連続のジャンプだ。さほど高くは跳べない。だが、ここで再度、瞬時に敵方へ反撃の投球を行えれば、勝ちの目は十分すぎるほどある。……いや、そもそも、確か自分は、足で受けたのではなかったか? と、ようやく理解が追い付いてくる。だとしたら、こちらはプラス2ポイントで、リードしている。女はようやく余裕をわずかに抱えて、ボールを見据えた。

 ここでまず、キャッチに成功すれば、累計、女3ポイント、好青年2ポイントで、女のリードだ。

        *

 そのキャッチは、やや不格好だが成功した。跳躍を無理にした影響だろう。体勢がかなり崩れていたのだ。だが、前述の通り、キャッチ自体は成功だ。

 だから、そこで一度、落ち着いておけばよかったのだ。だが、女は徐々に目先の勝利に目が眩み始めた。

 ここで即座に反撃すれば、敵の反則ファウルを誘うことも容易だろう。好青年はまだ、空中で、着地にすら至っていない。もちろん女より先に着地はするだろうが、そのまま、即座に、女の投球に対応するのは難しいはず。それでうまく反則ファウルを奪えれば、ポイント差は2ポイント。最後の好青年の投球が反則ファウルになろうともゲーム自体には勝利できる。

 つまり、実質最後の投球を待つまでもなく、女の勝利が確定する。逆に、ここで女が体勢を立て直していては、その分、相手にも受けの準備の時間を与えることとなる。

 だから、冷静に考えて、ここは無理矢理にでも投球すべきだ。女はそこまで考えることができた。……できてしまった。

「終いじゃ! チャク!」

 もはや着地が不格好でも構わない。とにかく勝つことが肝要だ。空中で崩れまくった体勢を、さらに崩して、とにかく力任せに、狙いだけは外さないように、敵陣の中央へ、最後の一球を、放つ!

「興醒めだよ、ホムラ」

 声が聞こえたときには、もう、遅かった。ボールは女の手を離れ、狙い通りに、敵陣の中央へ向かっていた。

 好青年の着地は、女の予想より、よほど早かった。そして、好青年は女よりずっと冷静に、反撃への心構えを終えていた。

 好青年は両腕を揃えて前に構え、難なくそれを、受けた。バレーのレシーブのように、ふわりと勢いを殺し、空へ跳ね上げる。ほっほっ、と、頭部で連続2回、リフティングし、ゆったりと両手で、ボールをキャッチした。

 その後、じっくりと構える。左手にボールを乗せ、前に構え、右手は後方へ振りかぶり、力を溜める。

「お終いだね、ホムラ。あはははは」

 まるでなんでもない遊びの終わりのように、快活に笑った。

 右手を、振るう。

 この段階で、好青年の最後の一球を残し。ポイントは。女3ポイント。好青年3ポイント。同点だ。


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