箱庭物語

晴羽照尊

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チチェン・イッツァ編

40th Memory Vol.15(メキシコ/ユカタン/9/2020)

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 威風堂々と先んじた女に、少年は驚愕した。

「姉さん! 相手の力量も、戦略も解らないいま、一番身体能力が高い姉さんは、できるだけ後から挑戦すべきだ!」

 少年はもっともらしいことを言った。いや、そもそもその言自体は、実にもっともである。

「いらん世話じゃ、ヤフユ。そもそもわらわは、もとより一人で来るつもりじゃった。なれらの手は煩わせん」

 今回は、旅行にでも連れ出してやろうと思って連れてきただけじゃ。ぼそりと、女は付け加えて言った。

「そりゃ、頭脳労働ならまだしも、こういう体を使うゲームで、わたしたちが役に立つとは思っていないが……それでも、敵の力量を、わずかでも引き出すくらいならできる。……少しは頼ってくれ」

 少年はわずかに語尾を落として言った。同じように、顔も俯けて。

「誤解するな、ヤフユ。汝らのことはちゃんと頼っとる」

 やや慌てたように、女は言葉を繕う。少年の両肩に手を置き、やや屈んで、視線を合わせた。

「じゃが、まあ、たまにはお姉ちゃんの格好いいところでも見ておれ。妾もたまには、弟たちに尊敬の目で見られたいのじゃ」

 顔を上げた少年に、満面の笑みを見せる。一片の曇りもない、自信に満ちた目。そうだ、これが、これこそが、自分には足りない年長者としての余裕。そう、少年は受け取った。

 この先、姉や、あるいは若者たちはいなくなる。もちろん、そう長い期間ではないだろう。しかし、数日、もしくはひと月くらいならば、時間がかかることもあるかもしれない。その間、自分は最年長者としてみなをまとめなければならない。
 いちおうメイドはいるが、彼女は使用人としての態度を崩さないし、最終的な決断を要する場面では自分が決定を下さなければならないだろう。そもそも、メイドがいつまでも自分たちの世話を焼いてくれるとも限らないのだ。

 少年は、そう思った。思うと、その重圧に、気がおかしくなりそうだった。

「解ったよ、姉さん」

 だからその、なにも気負ってすらいない凛々しい顔……それを見られただけで、とっくに、尊敬できた。

「わたしたちが後ろで見ている。……期待しているから」

 その目と言葉は、女を自然と、高揚させた。自信や慢心は圧縮され、硬く、強く、研ぎ澄まされていく。

        *

 第一ゲーム。挑戦者は女、ホムラ。

「やあ、準備はできたかい?」

 好青年は輝く笑顔で言った。汗なのかもしれないが、髪を払ったときに綺麗な光が飛び散ったようにさえ見える。むやみやたらに爽やかさを撒き散らす、主人公のような好青年である。

「待たせた。始めようか、チャクとやら」

 女は逆に、悪役のように犬歯をむき出し、凄絶に笑った。その抜群のスタイルをひけらかすように、両腕を上げ、片手で反対の肘を掴む。そのまま軽く、ストレッチした。

「初手は投げ手スローワー受け手レシーバー、どちらにする?」

 好青年がボールを掴み、女へ向けて、問うた。どうやら先手後手の選択権を譲るつもりらしい。

投げ手スローワー

 端的に女は言う。

 好青年は、ニッ、と笑顔でだけ応え、ボールを柔らかく放った。

「キミがキャッチしたら、ゲーム開始だ」

 その言葉は、これまでと違い、低く太く、力が籠っていた。

 ボールなどは目で追わず、女はそんな、好青年を見つめる。好青年は、自陣の円の中心、そのやや後方で、大きく足を広げ、上半身を低く屈めた。相撲の立合いのような姿勢だ。

 なるほど。汝はそうするのか。女は分析する。

 このゲーム、ポイントを稼ぐのは基本的に、受け手レシーバーのときだ。投げ手スローワーのときはうまくいこうとも1ポイントしか得られない。それに対し、受け手レシーバーのときは最大で3ポイントを得ることができる。ゆえに、受け手レシーバーのときこそがもっとも、戦略上重要なタイミングなのだ。

 その受け手レシーバーにおいて、好青年は上体を落とした。もっと具体的に言うなら、のだ。もっとも高得点を狙える、頭部での受け。それを狙う構え。

 だが、その攻撃的な構えは、反面、動きにくくもある。上体を下げ、重心を落としているのだ。当然、足には多大な負荷がかかり、俊敏性に欠ける。つまり、定石通りなら、投げ手スローワー側は、鈍足の受け手レシーバーに反応されるより速く、敵陣へボールを叩きつければよい。

 ……と、あやつも思っておろうな。

 女は分析した。放られたボールを受け取ろうと持ち上げていた手を、静かに、降ろす。
 そして、好青年の真似をするように、上体を前に倒す。……いや、本当の目的は、下半身を持ち上げることだ。その長い右足を後ろへ持ち上げる。高く高くかざし、落ちるボールへ、狙いを定める。

「ゆくぞ、一球目じゃ――!!」

 地面に一度、落ち、跳ねる。そのボールを、思いっきり、蹴り飛ばした。

        *

 俊敏性に欠ける。それは、ボールを受けに行くことにも対してだが、もう一点、にも影響する。

 まっすぐ、地面と平行に突き進む。形をいびつに歪め続け、それでもまっすぐに、ボールは好青年へ向かっていく。

 投げ手スローワーは、敵陣の地面へボールを叩きつけなければならない。もし陣外にボールを落とせば、それも反則ファウルとして敵に1ポイントが入る。だから、基本的にボールは、上から下へ投げ落とさなければならない。地面と平行すら危うく、上へ放るなどもってのほかだ。

 だが、その平行な剛速球も、敵が一度、触れてしまえばもはや、少なくとも反則ファウルとはならない。敵が触れた時点でその後は、敵のリフティングのターンである。そこから地面へボールが落ちるなら、問答無用で敵側の反則ファウルとなり、投げ手スローワー側の1ポイントだ。

「なるほど。そうするんだね」

 しかし、その女の思惑を瞬時に読み切ってなお、好青年は口角を上げた。そしてそれと反比例し、頭部を、さらに下げる。これではもはや土下座のようだ。

「なん……じゃと?」

 よもやこの剛速球すら、最高得点の頭部で受ける気なのか? いや、受けたとて、その後リフティングを成功させるには、ある程度威力を殺しつつ、上へ突き上げなければならない。それをあの姿勢から行うには、後頭部でかち上げるしかないだろう。だとすると、瞬間とはいえボールから目を離すこととなる。そんな状態でうまくタイミングを測れるなど――

「ぼげうっ!」

 悲惨な叫び声が、敵陣に埋まった。

 うん。確かに後頭部にてかち上げた。だが、逆に前頭部は地面に叩きつけられている。

 ぽーん。と、小気味よくボールは音を鳴らし、それは、女の手元に、綺麗に着地した。

        *

「あはははは。失敗失敗。やるじゃないか、ホムラ」

 止まったはずの鼻血を再度、垂れ流し、しかして快活に、好青年は笑った。

「あの。妾キャッチしちゃったけど、これいいの?」

 唖然と女は言う。なんだろう? ギャグパートは終わったはずなのだが、どうにも調子が狂う。

「あはははは。問題ないさ。投げ手スローワー受け手レシーバーがボールに触れるまで、自陣から出てはいけないけれど。逆に自陣内なら敵の妨害は許される。暴力行為はNGだけどね。あはははは」

 つまり、今回は好青年側の反則ファウルとなり、女へ1ポイント、ということらしい。そんなことはともかく、緊張感のない笑いだ。女は思った。

「ともあれ、続行しよう。今度はそちらからボクへボールを放ってくれるかい? ボクがキャッチし次第、ボクの投球だ」

 いや、厳密に言うなら、ホムラみたいに蹴ってもいいわけだから、ボクの体に、再開だ。と、好青年は言った。そして、ゆるんだ顔を整える。ON・OFFの切り替えが速いやつだ。と、女も気を取り直す。

「いちおう言っておくけれど、反則ファウルで仕切り直しでもしない限り、こうして間隙を挟むことはない。キミはボクの投球を受け、リフティングし、キャッチし次第、次の投球を行っていい」

 親切にも教えてくれる。よもや彼は、最初から負ける気――とまでは言わないにしろ、負けてもいいつもりでいるのではないか? 女はそんな気さえしてきた。

「……解った。……ゆくぞ」

 どこか気が抜けた状態で、女はボールを優しく放った。

        *

 女は、そのボールを、下から上に放った。腰のあたりから勢いを乗せ、胸のあたりで手放す。だから、手元を離れたボールが、一瞬、視界を塞いだ。

 視界にいた好青年を、その瞬間は見失ったのだ。そして、次の瞬間。

「ボクは、恥ずかしながら、足遣いが下手くそでね」

 好青年の構えが変わっている。またも両足を大きめに開き、腰を落とす。だが、今回は上体をまっすぐ伸ばしたまま、軽く右回りに捻った姿勢だ。右腕に力を込めるように、左手を伸ばし、狙いを定めるように。

「白状すると、さっきの受けの構えは、足に当たるのを防ぐものなのさ」

 真剣な表情で、笑いもせず。……大きく、息を吐く。凝縮するように、脇を締める。

 まずい! 女は目を見開き、神経を集中させた。受けの構えは考えている。初手を敵の反則ファウルでやり過ごせたのだ。無理に頭部での3ポイントを狙う気はない。だが、せめて下半身で受け、2ポイントを狙う。だから動きやすく、上体は起こしたまま、いまにも駆け出すような姿勢で、体を前後に軽く開く。それだけだ。

 真横には動きづらいが、斜め前くらいなら俊敏に動ける。だから、位置取りは自陣のかなり後ろの方だ。それなのに――

「破ッ!!」

 武道の達人のように、破裂に近い掛け声をあげ、好青年はボールを掌底で、弾いた。

「くうっ――!!」

 速っ――。と、思う間もない。女がいたのは、自陣のかなり後方だ。そう思うと、好青年からかなり限界まで距離は隔てていた。それだけの余裕がありながら、反射的な反応しか取れず、とっさに出たのは当初の予定と違って、手の方だった。

 ジ……。と、中指の爪だけが触れた。遅れて風が通り過ぎ、背後の壁にボールがぶつかる。ぽん、ぽん、……と、情けない音で地面に跳ねるころ、ようやくジワジワとした痛みが、中指に伝った。


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