箱庭物語

晴羽照尊

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奈良編

40th Memory Vol.21(日本/奈良/9/2020)

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 弾薬を、込める。

 弾倉は五発。少々心もとないが、むしろ、この弾数で仕事を完遂するのだ、と、気が引き締まる。もちろん予備はある。8.58×71mm .338 Lapua Mag弾をベースに、すべてこの銃に合わせて制作した、ハンドロードだ。

 相棒は、レミントンM24。だが、付属のものをも含めて、照準器は取り外されている。それでもせいぜい、手にしてから加工したのはそれくらいだ。できる限り出荷時の状態で扱い続ける。同じ型番の銃といえど、それぞれ個体差はあるが、どちらにしてもだ。永久的に使えるものでない以上、持ち替えることは当然、起こり得る。それでもできるだけ、同じパフォーマンスを発揮できるよう、彼は同じ銃を工場出荷時の状態で使いたがった。ああ、しかし、エキストラクターだけは信用に足らず、交換している。まあ、それくらいだ。

 比較的巨大な木の、巨大な枝。風は強くないが、それでも揺れはする。風も揺れも考慮はするが、それでも、できるだけ影響は少ない方がいい。

 伏射の構えだ。その大きな枝にうつぶせ、身を預け。肘をつき、やや下方を狙う。ほどよく、銃身を預けるのに手ごろに枝がうねっている。だが、そこに固定したりはしない。植物の呼吸。脈動。それらにすら、弾道は狂わされる。当然、射手自身の呼吸にもだ。呼吸を、静かに、止める。

 肉眼で、狙いを定める。その気だるげな双眸を、普段よりわずかに見開き。たかだか500メートルそこそこ、外すわけがない。だからこそ高揚する。決して外せない距離。事前の入念な準備。そして、これこそを生業なりわいとする、いまの身分。こうして、自分を追い込んで、追いつめて、崖の縁に立ち、水を背にして、……引金に指をかける。この瞬間が、たまらなく高揚する。

 闇夜に霜の降るごとく……引金を、引いた。

        *

 鈍い金属音とともに、女児は吹き飛んだ。それは、不思議な挙動だった。

 若者とメイドの会話をつまらなそうに聞いていた女児が、ふいに腰を上げ、若者を庇うように走り寄ったのだ。女児が若者のそばに到達し、両腕を広げたころ、タイミングよくその音は鳴り、走ってきた道を戻るように吹き飛んだ。

 女児は、頭から地面へ叩きつけられた。しかし、すぐに立ち上がる。メイドはそんな女児を慮る前にまず、臨戦に構えた。若者は特別な変貌もなく、ただ攻撃を仕掛けられたであろう方角を見るのみだ。

「ハルカ様!」

「狙撃なのだわ! メイちゃん!」

 必要最低限の配慮と情報共有。それだけを済ませ、メイドはどこからか伸縮性の警棒を取り出し、女児は駆け出した。女児の体は、すでに硬質化した皮膚に覆われて、まるで樹木のようだ。特に、右手に集中した変化。いびつにグロテスクに、渦を巻いて鋭く尖る、槍のような右腕。しかし、女児の『異本』は、どちらかというと防御に特化した性能を有している。

「ハルカ様! お戻りください!」

「メイちゃん! でも――!」

わたくしが、参ります」

 気を抜かず、視線を逸らさず、メイドは言った。その声色は、珍しく緊張の色を醸し出している。それを紛らわせるように、大きく息を吐いた。

「申し訳ございません。大変心苦しいのですが、……もう一発だけ、受けていただけますか?」

 メイドは警戒を解かない。それゆえに、普段の彼女らしいうやうやしい態度は取れなかった。それでも、最上級にかしこまったような声で、そう女児に言った。

        *

 女児――ハルカの扱う『異本』、『一角獣ユニコーンの被験者』は、皮膚を強化する。それは、一部の動物が、その角や爪を形成するように、武器として鋭く尖らせることもでき、全体的な硬質化を施し、防御に当てることもできる。だが、もう一点。五感の一つ、としても用いることができる。

 触覚。触れ、感じる能力。肌触り、その滑らかさ、弾力、温度、振動。それらを、常人とは比較にならないほどに鋭敏に感じることができる。それが女児の『異本』による強化の効能だ。

 だから、およそ人間離れしたメイドの感覚よりも、よほど敏感に、それをいち早く、感じ取った。空気の、急激な揺れ。いや、大気を突き刺し、突き抜ける、異様な衝撃。

 研ぎ澄ませば、メイドにも微弱には感じ取れるだろう。だが、限界まで集中し、警戒しなければ難しい。そんな状況で、現場検証までは並行して行えない。だから、もう一発だ。もう一度、女児に受けてもらう。心苦しいが、それくらいの時間は必要だ。

 ここを全員で、生き残るには。

「弾丸が、めり込んでいますね」

 女児の腕に深く刺さり、取り除くことすら困難なほどに深くめり込んだ弾丸を見、メイドは言う。

「ハルカ様が受けた位置、姿勢から考えて、射手の位置はほぼ、特定できます。とはいえ、を外した現況、すでに移動していると判断した方がよろしいでしょうが」

 メイドはそのであったろう若者を見て、言う。件の若者はなんでもなさそうに飄々と、近くの柵にまた腰かけていた。

 メイドはため息をつき、続ける。

「近くに潜伏できる場所など、ほとんどありません。まず間違いなく、箸墓はしはか古墳、あの墳丘の森から狙撃したのでしょう。距離は500メートルから、せいぜいが800メートル。……しかし、その距離から撃ったにしては、ハルカ様の強化した皮膚に、これだけ深くめり込んでいるのです、もっと離れても威力は十分でしょう」

「なるほど。では逃げよう。命あってのものだねだ」

「ジン様はすっこんでいてください」

 あわよくば帰路に就こうと企む若者の言葉は、なおざりに却下された。

「動く的に当てるのは容易ではないでしょうが、おそらく、この相手であれば、逃げ切れないでしょう。……もし、ハルカ様がとっさに庇っていなければ、この弾道は一直線に、ジン様の心臓を撃ち抜いていたはずです」

 再度、メイドは息を吐く。瞬間、目を閉じて、考え込む。これほど精緻な狙撃をする相手への対処を。

「不幸中の幸いは、敵は、あの墳丘から出られない、ということですね。というより、出てきたなら、すぐに発見できるでしょう。敵もそんな愚行は犯さないはず。……なれば、あとは――」

 状況検分を終え、メイドは意を決して、立ち上がる。

「私が死ぬ前に、敵を見つけ、先手を取れるか、……ですね」

 ともあれ、やることは決まった。幸い、二発目が女児を吹き飛ばす前に、決心することができた。守るべきご主人様方に無用な傷を付ける前に、行動を起こせる。……だが、それはそれで、不幸でもあるのかもしれない。

 敵はつまり、無駄撃ちをする気がない、プロだということだ。寸分違わぬ狙い。射手の腕もさることながら、銃も当然、ボルトアクション方式なのだろう。ならば、連射には向かない。だから、一発目で女児を吹き飛ばし、体勢を立て直す前に二発目で本命を撃つ。そんな芸当は、物理的に困難と判断してくれている。

 すなわち、女児が若者を守る限り、そうそう手は出せない。あとはメイドと射手の、一対一だ。


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