箱庭物語

晴羽照尊

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奈良編

40th Memory Vol.22(日本/奈良/9/2020)

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「……あらら」

 驚愕も諦観もなく、射手は呆れたように肩を落とした。

「なぁんだよ。やつらかよ」

 それでも余裕そうに、身軽に飛ぶ。飛び、後退する。木々の合間を抜け、後ろへ、左へ、後ろへ、右へ。とにかく距離を空けて、もとより目星をつけておいた、別の狙撃地点へ。

 ああ、位置はわれてんな。と、把握する。

 目を凝らしてみるに、冷静に、分析されている。……これは、面倒そうな相手だ。すでに脱しているとはいえ、初撃の発砲場所は、かなりの精度で特定されただろう。声まではさすがに聞き取れないが、所作で解る。

 ……だとしたら、この位置も危ういか。面倒臭い。

 射手が敵を狙う位置くらい、相手は予想するだろう。かったるい、が、それが教科書通りであるほど、読みやすい。

 考えながら、考えずに移動する。定石とは違う位置に。射手が標的を狙うものとは、わずかに外れた――外した位置に。

「相手はメイドか……あの判断力、洞察力……普通じゃあないね」

 使用人として、その性能。十中八九、だ。で、あれば、手を抜くにはいささか、不適切であろうか。

 口元をほころばせて、射手は、そこにない照準器を覗くように、首を傾げた。

 弾薬は、あと4発。

        *

 状況を把握し、若者は女児に任せ、メイドは即断即決、駆けだした。超遠距離の飛び道具に関しては、とにかく急いで距離を詰めるしかない。この段階が、もっとも危険だ。敵の位置はだいたい掴んでいる。とはいえ現状、視認できるわけでもない。そもそも視認できたとて、銃弾を躱す、あるいは弾けるかは解らない。いや、そもそも銃弾を弾くなど、フィクションの中の技術だ。人間の能力を超えている。

 まあもちろん、人間を超えた能力の裏に、人間を超えたアイテムの存在があれば、話は違ってくる。たとえば『異本』のような。

 だが、メイドの持つ『異本』、『ジャムラ呪術書』において、そんな形で人間を超えられる性能はない。できることは、腐敗を進行させることと、特定範囲内の物質を外部から認識できなくする、くらいのことだ。

 この後者の能力、認識操作は強力だが、適応者であるメイドをもってしても、『自身が認識できなくなっていく』という感覚に、長時間耐えられるようなギミックは発揮できなかった。ゆえに、自らを完全に消失させ、狙われないようにする、という策は使えない。せいぜい瞬間的な消失を断続的に繰り返し、傍目には高速に動いていると錯覚させるくらいであろう。しかもこの高速移動は、遠くから観察するほど効果が薄くなる。超長距離の射手を相手にしては、ほぼ無意味だろう。そもそもこの戦術は、メイド側からも相手を視認し、その呼吸や視線などを感じ取って使用することで、より高い効果を得ることができる。敵を視認できない現状では、やはりほとんど効果は薄い。

 だが、ほんのわずかでも敵の目を狂わすくらいはできる。長距離狙撃ほど精神を研ぎ澄まし、極度の集中力が求められる攻撃手段を狂わせるには、効果は微弱でも十二分。

 だからメイドは、一発の銃砲音も聞くことなく、箸墓古墳の墳丘、その森の中まで辿り着けた。

 ここまでくれば、木々の枝葉が敵の目を遮ってくれる。開けた場所にいるより、よほど狙いにくいはずだ。

 だが逆に、別の用心も必要になる。もはやここは敵のテリトリーだ。狙撃以外にも、なんらかのトラップを仕掛けているくらいはあり得る。それが直接生死に関わるほどのものとまでは思わないが、気を取られた隙に引金を、引かれかねない。……いや、そもそも、敵の攻撃手段が狙撃だけとも限らないのだ。そう思い至ってしまうと、木々のざわめきも、鳥の鳴き声も、わずかに上昇した太陽の位置でさえ、気を張らずにはいられない。

 確かに狙撃は神経を遣う。だが、それに狙われ続ける環境も、ともすれば射手以上に、精神を研ぎ澄まし続けなければならない。

        *

 隙がねえな。射手は思った。

 もとより森までは誘い込むつもりだった。どうやらあの女児が若者標的を守るらしい。あの守りをすり抜けて仕留めるには、いささか時間が必要だ。敵の気が、緩み始めるまでの、時間が。

 だが、それでも、わずかずつでも後退しないのは、、この日このとき、この場所に用事があるからなのだろう。『異本』を扱う相手だ。いくら完璧な狙撃をしたとて、躱され、防がれる可能性は十分ある。だからこそ、この日だ。敵が一発目を防いでも、逃亡という選択肢を選びにくい環境。そこを狙った。

 その点は、まずクリア。そして、やはり思う。隙がねえな。

 標的の方は、いったんいい。守りを固めたまま、そうそう動けやしないだろう。だから、まず振り払うべきは、別働し、自分を排除しようと向かってくるメイドの方。だが、標的を守る女児よりもよっぽど、隙がない。

 身を隠すにはこの森くらいしか選択肢がなかったとはいえ、初撃の軌道から、かなり正確に狙撃地点を割り出している。まずはどうやら、その地点へ向かっているのだろう。もちろんもう射手が、そこにいるわけはないと理解はしているだろうが、なんらかの痕跡でも残っていないかと期待しているのかもしれない。そうでなくとも、それなりの装備を持った人間が、短時間にそう遠くまで移動できるはずもない。最初の狙撃地点を確認することができれば、敵はそこから、そう遠くない場所に潜んでいると解るだろう。

 だから、その場所を目指している。ほぼ一直線に。迷いなく……なのは、いい。しかし、狙われているという恐怖すら感じさせないような冷静さで、高速に移動している。それでいて、隙がない。わずかな物音にも敏感に反応し、それでいて即座に危険度を推し量っている。物音一つに過度に回避や防御を行い、タイムロスする、などとういこともなく。ただの枝葉の摩擦や鳥の羽ばたきくらいなら、もはやわずかの速度減少すら起こらない。せいぜいが瞬間、視線を奪える程度。

 それなのに、凪いだ風に、瞬間、世界が止まったような、静寂の中。射手が引金を引こうと、指先に力を込めた――そのわずかなには、反応した。急に速度を落とし、大きく横に飛び。大木を背にし、警棒を構えたのだ。だが、それも瞬間。また、走り出した。

 メイドが、射手の初撃地点まで到達するのに、あと100メートル。

 射手の方は、一度、緊張を解いた。

 この相手は油断しない。ならば狙うは、メイドがに着いた、そのときだ。

        *

「メイちゃん……大丈夫なのかしら?」

 女児はわずかにも警戒を解かない。それでも、どこか疲れは出てきている。当然だ。を積んだメイドならともかく、『異本』などという人知を超えたアイテムを持つとはいえ、基本は普通に育ってきた女児には、緊張し続けること自体がそもそも苦行だ。

「さてね。大丈夫じゃないかい」

 若者はなおざりに、どちらとも取れる言い方をした。とことん軽い口調で。

「『お父様』、なんとかできないの?」

「世のお父さんに過度な期待をするのはやめてやれ。お父様は神様じゃない。……ぼくは父親でもないけれどね」

 瞬間、女児が若者を振り返ると、彼は柵に腰かけ、うたた寝のように両目を閉じていた。だが、弛緩しているというわけでもない。腕を組み、気障な格好で、やや肩が上がっていた。

「『お父様』。……『お父様』はどうか知らないけど、ハルカは、みんながじゃないといやなのだわ。……この世界には恐怖なんてなくて、生きていけることが当たり前で、そこに不安なんてない。ハルカはこれからも、そうやって笑っていたいの」

 空が眩しかったかのような、間違えてかぶりついたレモンが酸っぱかったかのような、苦しい顔で、女児は笑った。その笑顔を、若者に見せるように。

「その言葉はね、ハルカ」

 若者は少しだけ低くした声で、女児に応える。

「それ自体がだと解っている者の口ぶりだよ。どんな分野でも、理想を叶えることはとてつもない困難だ。……きみには、その茨の道を歩む覚悟があるのかい?」

 変わらず目を閉じたまま、若者は言った。その言葉は、だがしかし、歪んでも偏屈でも、どこか父親のように。

「覚悟とか、そんなものは知らないのだわ。ハルカは、『お父様』に甘えて、ねだって、駄々をこねているだけなのだから」

 女児が言うと、若者はすこし、鼻を鳴らして笑った。

「本当に、友人は選ぶものだね。わがまままで覚えたら、もう親の手は必要ない。きみはひとりででも、成長できる」

 あの子のように。という言葉は、飲み込んだ。それを言ってしまえば、まるで自分が、それを望んでいるかのように聞こえてしまうだろうから。

「まあ、ともあれ。理想論は置いておいて。……この程度を生き抜くくらいなら、あのくらいのメイドでも、……ぼくたちごときにも、容易いことだ」

 若者の表情は変わらない。変わらずのうたた寝のような姿勢。

 だから、女児は、若者のその言葉を、うまく理解できなかった。


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