箱庭物語

晴羽照尊

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奈良編

40th Memory Vol.23(日本/奈良/9/2020)

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 おそらく、この周辺だ。
 というあたりに到達し、メイドは、周囲をうかがう。

 射手が、狙撃をした座標。女児の硬質化した皮膚へめり込んだ銃創。その威力、方向、角度。あるいは周囲の地理的条件。それらを勘案するに、このあたりだ。

「とすれば、……あそこですね」

 特段に背の高い、太い木。その一つの枝が、やはり太く頑丈で、ある程度の風にも耐え、振動をも無視できるだろう、と思われた。距離や角度とも合致する。メイドは警戒しながら、その位置を覗き見れる、別の木へ登った。そのものその位置へ登れば、格好の的だ。ゆえにやや離れた位置から検分する。

 視覚より先に香る、わずかな硝煙の匂い。現場に痕跡は見て取れない。普通なら。しかし、よくよく観察すると見つかる。潰れた一枚の葉。折れた小枝。やはり、ここに間違いない。

 だとすれば、次はどこへ向かった? おそらく、この場所と、若者をも両方、狙える位置。自分を狙うにも、若者を狙うにも、照準を大きく逸らしたくはないはず。ならば、可能性が高いのは、若者の位置と自分の位置を直線で結んだ延長線上。その近辺。少なくとも、自分と若者の間に挟まれた場所には位置取りにくい。

 そう考える。だとしたら、あの木、あたりでしょうか? 目星を付ける。間に阻む木々に遮られて、全貌は見えないが、十分に安定した大木と見て取れる。

 目を、凝らす。しかし、どこにも人影は見て取れない。もちろん射手は、服装なども周囲に擬態し、カモフラージュしているだろう。そう簡単に見つかるはずもない。

 また、わずかに日が昇る。時間が流れる。

「急ぎませんと、『鍵本かぎぼん』の発動時間に間に合いませんね」

 まだ検証が足りていない。だが、メイドは一歩を踏み出した。

 目星をつけた位置から、狙われにくいルートを選び、木々の間を飛び渡る。

        *

 どこか迷いと焦燥の残る一歩だった。時間の問題だろうか? どういう理由で今日この日、この時間、この場所にいるのかは聞いていない。だが、時間に追われているのだろうということは、メイドの所作で読み取れた。

 だから、それが命取りだ。焦れて急いて、冷静さを欠くようでは。

「ほい、さいなら」

 口の中だけに留め置くような、本当にかすかな声で、射手は呟く。呟き、引金を、引く。

 瞬間だが、完全な隙ができた。迷いと焦り、あるいは射手の位置を掴んだという、慢心と安堵から、本人すら気付かない程度の隙が。

 そこに、撃ち込む。木々の合間を飛んだところだ。その、着地点。もはや空中だ、方向転換もできない。コンマ数秒の後、この銃弾が到達するのと同時に、メイドは自ら、その位置に飛び移る。

 さて、次は――次こそは若者標的だ。

 そう思い、射手は、体を浮かしかけた。

 弾薬は、あと三発。

        *

「賭けには、勝たせていただきました」

 腕に力を籠め、警棒を握り締める。地球上で四番目、人工物としては地球一の硬度を持つボラゾン製の警棒。ゆえに、破損の心配はない。だがその分、受けた衝撃はすべて、それを握るメイドの右手にダイレクトに伝わった。

 超長距離を飛来してなお、人命を奪えるに十分な威力を残す、その銃弾。それをたかだか数十メートルの近距離で受ければ、それだけ威力も残っている。それをすべて、右手で受けた。

 数百メートルの狙撃を、寸分たがわず行う腕前。ならば、近付けば近付くほど、その精度はさらに増し、まず、間違いなく致命傷となる部位を正確に射抜くはずだ。メイドは、そう、射手をした。

 だから、あとは待ち構えるだけでいい。狙われるのは、頭部か心臓。だが、メイドの位置を、さらなる高みから狙い撃つには、手ごろな枝が見当たらなかった。ならば、どちらかというと狙われるのは心臓だろう。

 では、心臓を狙うのは、どの角度からか? これについても、ある程度予測できる。まず、右側からだと、心臓までに肉体の障壁が多すぎる、論外だ。左側からなら狙えなくもないが、それでも、左腕が邪魔になる、可能性は低いだろう。だとしたら、大雑把に、前方か後方。

 そこまで考えれば、あとは、運と勘。そして現状読み取れるだけの推論だ。

 この射手は、自分の腕に自信を持っている。無駄撃ちはしない。牽制も、誘導も、可能な限りしない。一発一発に魂を込めている、とまで言ってもいいかもしれない。それは裏返し、自分の狙撃への絶対の自信がうかがえる。

 それだけ射手なら、こちらの動きも深く予測するだろう。自身がここに到達し、その現場検証から、次の射手の移動先をも予測する――ということすら、予測している可能性がある。

 そしてこれは、メイドの主観が大きく反映された推測だが。この射手は、相手を罠に嵌め、頭脳戦に勝ち、完膚なきまでに打ちのめしたい、という欲求が強いように思う。長く多くの人間を見、そのすべての者へ、最高の奉仕をと気遣ってきたメイドだからこそ、理屈ではなく、感覚で射手を、そういう人間だとした。

 だとしたら、可能性が高いのは、背後。メイドの背中側から、心臓を狙う狙撃。タイミングは、メイドが気を抜いた瞬間。そのわずかな隙だ。

 時間と位置座標が解れば、あとは銃弾が見えなかろうが、目を瞑っていようが関係ない。ただその場所へ、警棒を構えるのみだ。

「とは、いえ……!」

 飛び移った、木の枝に足が着く瞬間だった。身構えていたから、衝撃に驚愕することはなかった。それでも、まだ足に踏ん張りがきかない。体勢は崩れる。

 衝撃の初めから、もはや右腕に感覚などない。ただ無理矢理、力を込める。覚束ない足取りを、『異本』を持つ左手で木の幹を掴み、耐える。

 背後を睨み、弾道を、辿る。その先に、射手が、いる。

 風によるさざめきよりも強く、枝葉が揺れた。また、移動されたのだろう。だが、木々の揺れ、微弱な音から、大体の移動先は解る。そのうえ、あえて狙撃における最適性の位置取りをしなかったことから、射手の性格や癖も、わずかにイメージできる。

 その検証結果に、メイドは苦く、笑った。

 なんとか受けた銃弾を弾き切り、空を仰ぐ。

        *

 やれやれ、面倒だ。

 あのメイド、俺の思考を読みやがった。見えるはずもなく、ましてや、俺の位置すら掴み切れずに、躱すでもなく、銃弾を受けきった。大方、銃弾の軌道から俺の位置を詳しく割り出すためなのだろうが、それにしても、肝が据わってやがる。

 射手は思った。思って、笑う。

 久方ぶりに、楽しい。殺人欲求とは違う、自己肯定のために、殺したい。あの才能と能力をかいくぐって、俺がそのすべてを上回り、勝利したい。

 だから、そのためには、出し惜しみは、なしだ。

 射手はそう、決意した。握把あくはから手を離し、半回転。銃身や被筒ひとう部分を握り、振りかぶる。

「よー。お元気?」

 木々の合間を飛び移り、瞬時にメイドへ近付く。セーフティはかけた。木の枝に引っかけただけで簡単に引かれる引金だが、これで問題ない。銃弾を弾きはしたが、まだ姿勢は崩れている。そのうえ、右手は当分、まともに使えないだろう。

 そんなメイドに一気に、飛びかかり、反転させたレミントンの銃床を、叩き込む。

「くっ……!!」

 ほとんど防御などできていない。わずかに身を逸らし、衝撃を受け流した程度だ。だが、そのはずみで、メイドは木の枝から踏み外す。さほど高くはないが、数メートルの高さを地面まで、まっさかさまに落ちて行った。

 その落下へ、追い打ちを狙う。

 再度レミントンを半回転。銃本来の使い方へと構え直し、セーフティを外す。自分自身、足場は悪いが、この距離なら問題ない。一呼吸、動いた体を静めるために、大きく吸って、吐いて、……肺を五分に満たしたあたりで、止める。

 引金を――。

        *

 近付いてくる。と思ったころには、遅かった。状況はすでに、身動きが制限されている。

 無理に銃弾を弾くことで、右腕は痺れ、体勢は力を籠められず、踏ん張りがきかない。殴られる、と理解して、そのスピードがたいしたものでもなく、鈍足でも、防御も回避も不可能だった。

 ただ、頭部を殴打され、地面へと落ちる。わずかに身を引き、昏倒は免れたが、木の枝からは落とされた。その、落下の最中、改めて構えられる、銃。今度こそ、絶対に躱しきれない、完全な空中だ。そのうえ、防御しようにも、右腕は動かず、左手に警棒を持ち替えるには時間が足りなかった。

「くうっ……!」

 せめてもの抗いと、感覚のない右腕で、警棒を投擲する。だが、当然と、それは見当違いの方向へ飛んで行った。

 射手の、呼吸が、落ち着く。す……っと、時間が止まるように、狙いが定まる。

 だから、に、力を込めた。もう、できることなどなにもない。あの引金が引かれたなら、まず間違いなく即死は免れ得ない。だから、これは、悪足掻きだ。

 右手だけじゃない、体中から、感覚が消えていく。なにも見えない、なにも聞こえない。感じない。いや、そもそも、感じるとはなんだ? いったいわたくしは、どうやってなにかを感じていた? 人肌の温もり。心地よい旋律。凍てつく寒さ。芳醇な香りと、ひりつく辛さ。

 ――私はいったい、なんなのでしょう?

        *

 指が、止まった。

 空間が覚束ない。目の錯覚? いや、それだけはどうあっても。だとしたら、これが現実か?

 射手は思う。狙いを外して、構えを解く。

「これは、なんらかの『異本』だねー」

 突如として、メイドの姿が、消えた。……いや、居場所は解る。むしろこれまでよりも顕著に、そのいるであろう場所は解る。

 だが、姿が。空間ごと消え失せたように、そこには真新まさらが空いていた。端的に言うなら、白だ。この世界が、漫画やアニメの世界だとして、その絵に、白いインクを垂らしたように、乱暴に消えている。

 だから、射手は発砲を躊躇った。あの白の中に、メイドはいるだろう。いや、少なくとも、自由落下は単調だ。姿が消えようが、その落下速度が、外的要因により狂わされない限り、目を閉じていようが正確に撃ち抜ける。だが、それは射手の流儀ではなかった。

 人間は、見える世界がすべてだ。見える標的を見える形で、確実に撃ち抜かなければ、勝った狩ったときの喜びもあったもんじゃない。

 射手は現実的で、物質的な人間だった。

 それが今回は、メイドの命を救い、射手の勝利を遠ざけた。

        *

 地面に落ち、メイドは世界へ回帰した。自身の持つ『異本』、『ジャムラ呪術書』。そのひとつの性能、『存在の消滅』。それを解除した。息を荒げ、自分自身を思い出す。

「私は……アルゴ・バルトロメイ。ハク様やジン様の、忠実なるしもべ

 思い出す。男のこと、若者のこと。少女のこと、少年のこと、女児のこと、幼年のこと。これまでお世話させていただいた、数々のご主人様方のこと。

 、吐き気がする。こんなことなら、消えてなくなってしまえばよかった。そう思うくらいに。

「メイドさんさー」

 その瞬間を狙われても、やはり、ひとたまりもなかっただろう。そうだ。自分はいま、射手を相手取っていた。そう、高みからの声に、メイドは思い出す。

の出身者だろ。しかも、年齢的に、

 心臓が、跳ねる。

 血が巡り、総毛が逆立つ。

 銃弾を受けたのとは別の形で、全身が痺れる。

 メイドは歪んで、震えた表情で、射手を睨んだ。


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