箱庭物語

晴羽照尊

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『シャンバラ・ダルマ』編 本章

40th Memory Vol.31(地下世界/シャンバラ/??/????)

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 元の世界に戻ると――いや、元の、というより、地下世界なのだが――どうやら移動はしていなく、変わらず山の頂に立っていて、若者は眠っていた。優雅に、腕を枕に仰向けて、足を組んで。

「ん……。やあ、戻ったかい?」

「……危機感のねえやろうだな」

「問題ない、周囲は見張っている」

 起き上がり、若者は何処かを示した。見てみると、確かに、若者の式神が若者と同じ姿で、若者と同じふうに気障な立居姿で、見張りをしていた。

「きみのおかげでほどよく休息がとれた。……それで、『彩枝垂あやしだれ』は?」

「ああ、持ってきたよ」

 言って、男はやや躊躇したが、それを若者に渡した。

「たしかに。……ところでハク。他になにか質問は?」

「は? なんだよ、質問って」

「いやね、そのままの意味だよ。いまのうちになにか、ぼくに聞いておくことは、他にもうないのか。という意味だ」

 その言葉に、男は考えた。聞いておくこと。若者に会うことなど、そうそうないと思っていたが、それでも、会うならノルウェーのことは聞いておきたいと考えていた。だが、それはさきほど確認済みだ。他に? この世界についてか? だったら聞きたいことは山ほどある。それに若者が答えを持っているかは別として、聞くだけ聞いておきたいこと。

 だが、そんなことをいま問答しても意味がないだろう。少なくとも時間がかかる。そんなことは道すがら、思い付いたら雑談代わりに聞けばいいだけだ。

「ねえよ。べつに」

 男はだから、そう判断した。

「そうか……」

 若者は言葉尻をすぼませて、言った。

 そして、不可思議な空白。沈黙のうちに見つめ合う、成人男性二人。

 やがて、若者から笑みを零し、「それじゃあ」と言葉も漏らし……若者は、一瞬、姿を掠れさせた。

 その手にはもう、『彩枝垂れ』は握られていない。

        *

太虚転記たいきょてんき』は、執筆年代不明の、おそらく中国で生まれた『異本』である。陰陽道について、その術について、各種詳細に綴られた学術書。

 とりわけ『式神の使役』についてはくわしく、その作成方法、使用方法、各種式神の特性など、それぞれについて詳細に綴られている。

『異本』の性能としても使われるの式神。騰蛇とうだ朱雀すざく六合りくごう勾陳こうちん青龍せいりゅう貴人きじん天后てんこう大陰だいおん玄武げんぶ大裳だいも白虎びゃっこ天空てんくう。十二天将とも呼ばれるこれら十二体に天照あまてらす月読つくよみを含めた合計十四体。それぞれの特性について、紙面を割き、具体的に述べられていた。

 全体としては詳細を省くが、この十四体、すべてが使用者と同等の力を持つことができ、またそれぞれの特性に応じて、特殊な使い方もできる。

 そのうち、使用者とのは、天照と月読のみだ。

        *

 ほとんど変わらない若者の姿に、それでも如実に消えた『彩枝垂れ』に、男はすぐ、理解した。

「どういうつもりだ?」

 天照か月読。そのどちらかの式神と位置を交換した。つまり、いま目の前にいる若者は、

「ぼくにはぼくの思惑がある。安心しなよ。もし『シャンバラ・ダルマ』を手に入れたら、元の世界に還すくらいの協力はしよう」

 飄々と語る若者――の式神――に苛立ち、その胸元を掴んで、男は顔を寄せる。

「んなことはどうでもいい。『彩枝垂れ』を掠め取りやがって、俺を騙したのか?」

「掠め取るだの、騙すだの人聞きが悪い。約束は守る。ちゃんと返すよ」

 男が熱くなるにつれ、むしろ冷静になっていく若者を前に、徐々に男も気を静めていった。そうだ。こいつはこういうやつだ。それを思い出す。

 とはいえ、ガキのころの『お遊び』とは違う。これは、現在の男の最大の目的でもある『異本』蒐集を邪魔する行為に近しい。元の世界に還す。『彩枝垂れ』を返す。その言葉すらもはや、信用に値しなくなってしまった。

 だが、これ以上険悪になり、なおさら関係性を悪化させては、それこそそれを理由に約束を反故にされかねない。本体の居場所をくらまされた以上、式神を問い詰めてようと、『彩枝垂れ』も、若者も戻ってこないだろう。

 ほぼ止める手立てはなかったとはいえ、若者を逃がした時点で、男の負けなのだ。

「もういい。……俺は一人で行く」

「ああ。もとより、そのつもりだ」

 男が背を向けると、若者はやはり軽い口調で言い、また寝転んだ。

「中継地点にを配置し、世界を見渡している。ぼくを見かけたら声をかければいい。すべてのぼくは情報を共有しているからね。もし、『シャンバラ』を見つけたら、その位置まで案内しよう」

 こういう活躍の方がぼくらしいし、ぼくの力を最大限利用していると思うけれどね? 若者は言って、もう立ち上がる気も、言葉を紡ぐ気もないふうに、目を閉じた。

 ――――――――

 薄紅色の泡が幾重に合体してできた、複合生命体を振り切り、女は泡の地面に転がった。

「な、なんじゃ……あれは?」

 この世界に降りてすぐ、あんなものに襲われるとは思わなかった。まだ『試練』の疲れも、完全には取れていないというのに。

「さあな。……俺にもよくは解らんが、ここはあいつらの世界だ。俺はウタカタと呼んでいる」

「ウタカタ?」

 慣れたふうに、息も乱さぬ沈着で語るおきなに、女はおうむ返しで尋ねた。

「あの薄紅色の、泡の生命体だ。……さっきおまえさんが寝転んでいたあたり。あそこはあのデカブツの縄張りだよ」

 を見て、翁は言う。

「そういうことは早く言え。……と、言いたいところじゃが、なれは最初にちゃんと、言っておったな」

 ここに長居はしない方がいい。翁が最初に女にかけた言葉を思い出し、苦笑する。

「泡の生命体か……切れるのか、あれは」

 問いではない、考察。あのウタカタなるものには触れてすらいないが、地面の泡を触る限り、この世界の泡はそう簡単に突き破れる柔さではない感触がする。

「無理に止めはしないが、推奨はなおしないな。あれは基本的に、温厚な生物だ」

「そうか。なら、可能な限り躱して進むか」

 女は立ち上がる。息も整ってきた。基本的に温厚。とはいえ、縄張りを侵しては攻撃されることもある。ならば、ここは安全な世界だという認識は、もう捨てておいた方がいい。いや、もとよりそんなことは最初から、思っていなかったが。

「……おまえさん。どこから来た?」

 やや躊躇うように、翁は言った。
 その意味を数秒、女は考える。考えて、彼が欲しているであろう答えを、女は選んだ。

「2020年からじゃ。汝が姿を消してから、四世紀――400年以上先の未来じゃよ」

 この世界は、。だからこんなことが起きている。女はそう、判断した。
 確かに、記録によると、ミジャリン・スノウ医師の遺体は発見されていない。彼はある日、唐突に行方をくらまし、そのまま行方不明になっていたのだ。荒唐無稽であるが、そのくらました行方が、地下世界だというなら、その後、発見されなかったことにも合点がいく。

「そうか……もう、そちらはそんなに、経ってしまったのか」

 翁は遠くを見つめて言った。懐かしんでいるのか、途方に暮れているのか、どこか悲しそうな瞳で。

「……いや、だとしたら、おまえさん。……阿千あちとはいつ、会ったんだ?」

 思い出し、現実と照合し、驚いたような、怒りを抱いたような、そんな形相で、翁は女を見た。

        *

 だから、女は苦虫を噛み締める。もはや避けては通れないだろう。自分には話す理由があったし、翁には聞く権利がある。

「阿千は……去年――2019年まで

 目を合わすことができない。女は罪悪感から、俯いたままに、『異本』を持ち上げ、言った。その、本人に言わせればただの年を経た一冊のノート。『ミジャリン医師の手記』を。

「そうか……そんなものが、か」

「上がって……?」

「……そういう、人や物が、後天的に特異な力に目覚めることを、俺の時代では『上がる』と表現した。そして、上がったものを『昇華したものハイメイク』だとか言ったものだ」

「そうか……」

 話が逸れたところで、女は一度、言葉を噤む。だが、続けないわけにもいかないだろう。

わらわの世界では『異本』と呼ぶ。基本的に本の形をした、ハイメイクじゃな。そして汝が書いた、このなんの変哲もないノートが、人に不死の属性を与える異能を授かったのじゃ」

 思い出す。死をはるかに超越した痛みに耐えながらも、永遠に待ち続けることを選択した彼女を。その手から、強制的に奪ってきた一冊のノートを。そのときの彼女の表情。その、安らかなようで、無限の憎悪を孕んだようでもあった、死に顔を。

「なるほどな……」

 翁はそれだけで理解したのだろう。

 女は、あえて話していない。『ミジャリン医師の手記』が、使用者を不死にする代わり、極限の痛みをもたらすことを。

 それでも、と言うべきか、それでこそ、と言うべきか。翁は肩の荷を降ろしたように、大きく脱力して――

「ありがとう。あいつを……殺してくれて」

 と、小さく、言った。

 ――――――――

 同刻。別の一場面。

「おやおや。思っていたのとは別の方に、先に出くわすとは」

 綺麗に切り揃えられた、金髪のおかっぱ頭。それを揺らし、一人の優男が、楽しそうに言った。

「……身共みどもは知りませんね。あなたのことなど」

 陰陽師のような独特の衣装の青年だった。彼は持っていた杖を腰に差し、扇を優雅に広げた。それでつつましやかに口元を隠し、応える。

「でしょうね。しかし、私はあなたを知っています。……アリスから聞いた。と言えば解りますね?」

「なんだ、『本の虫シミ』の者ですか。だったら――」

 青年は即座に扇を仕舞い、改めて杖を抜いた。それを、泡の地面に突き立て、相手を睨む。

「殺してもいい。と、いうことですね」

 ――――――――

 さらに同刻。場面は戻り、男の道程。

 若者の式神からはだいぶ離れ、再度、別の山を目指す道すがら。

「あっはぁ~☆ やぁあっと見つけたぁ。……久しぶりだねん☆ ハク」

 金髪巻き毛に濃いメイク。黒く焼いた肌を艶めかしく露出し、横ピースで腰ごと九十度、体を傾けて、そのギャルは男へ話しかけた。

「てめえ、なんでここにいる? ……アリス」

 過去、かつてないほどに臨戦に構えて、男は言った。

 懐に手を忍ばせる。あらゆるアイテムを、すぐに取り出せるように。


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