箱庭物語

晴羽照尊

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『シャンバラ・ダルマ』編 本章

40th Memory Vol.32(地下世界/シャンバラ/??/????)

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 瞬間、男の警戒など意にも介さず、高速で、ギャルはその懐へ飛び込んだ。その矮躯をより屈め、男の視界より下方へ。身構える腕の中に入り込み、その意識の外側から、見上げる。そして次には思い切り跳ね上がり、男の首元へ、その腕を回した。

「ぶっちゅ~~うぅ!」

 そのまま、男の抵抗が追い付くより速く、まったくの色気もなく唇を重ねた。その外見の小ささも相まって、まるで子どもが親にするように、乱暴に。唾液を撒き散らし、互いの前歯をぶつけつつ。そのまま、ギャルは抱き付きの衝撃とともに、男を押し倒した。

「あっはぁ☆ すんごい久しぶりぃ……ごちそうさまでした♪」

 押し倒してからも男の抵抗を抑えつけ、じっくりと一分弱、堪能してから、ギャルはようやく唇を離し、そう言った。無邪気に、しかし妖艶に、自身の口元に着いた唾液を、指先でなぞりながら。

「はあ……はあ……。げほっ、――お、ううぇ~~!!」

 息を乱し、男は倒れたまま、横を向いた。まだギャルが馬乗りになっているゆえに、首だけを。そうして嗚咽を漏らしてみるが、出てくるのは、どちらのものか解らない唾液だけだった。

「おおぅい……その反応は、ちょっと傷付くぞぉ」

 ギャルにしては珍しく、本気でへこんだように、両手をつきうなだれた。男の胸板に。

「て、てめえは……はあ、……出会い頭に、なにしてくれてんだ……!」

 息を整ええつつ、男は抗議する。なんとか落ち着いてはきた。そこでようやく、口元を拭う。

「こんなの挨拶じゃぁん。スキンシップスキンシップ♪」

「なにがスキンシップだ! 思いっきり舌入れてただろ!」

「きゃっ☆」

「きゃっ、じゃねえ!」

 そこまで話して、ギャルはようやく、男の上からどいた。立ち上がり、自身の両頬を自ら包む。そうして、照れている雰囲気を出そうとしているが、表情はいたずらっぽく歪んでいるから、きっと冗談なのだろう。

 男も立ち上がる。立ち上がり、汚れてもいないコートを払った。どうやらこの世界、塵や埃のようなものも落ちていない。転がり回っても服を汚すことはないだろう。それを確認しても、一連のはずみで脱げていたボルサリーノを、改めて拾い、やはり念のため汚れを払っておく。そうしてから、かぶり直した。

「で、なんでてめえがここにいるかっていう質問には、俺は答えてもらえるんだろうな?」

「ハクに会いにきたに決まってんじゃぁん。わざわざ言わせるなんて、もう、ハクってば」

 また冗談のようなことを言いつつ、ギャルは、その露出の多い小麦色の肌を自ら抱き締めた。くねくねと体をくねらせながら。

「ああ、はいはい。……じゃあ、俺はこれで」

 ギャルのを、男は、適当にあしらい、そそくさと背を向けた。後ろ手になおざりな別れを告げ、歩み始める。

「もちょっとかまってよぅっ!!」

 そんなの態度に、ギャルも感情をあらわに、その背を追った。そしてためらいも、加減もなく蹴り飛ばす。それは、小さなギャルがやったとは思えないほどの容易さで、男を再度、泡の地面に転がした。

        *

 長い挨拶を転がしてから、ようやく二人は並び、普通の人間のように話し始める。

「はあん。『本の虫シミ』も『シャンバラ』をねえ……」

 自分たち以外にもその『異本』を狙っているやつらがいる。その事実を聞いても、男は焦りも驚きもせず、無味乾燥にそう呟いた。

「ん。まあ、そういう動きがあったってだけで、あたしらは観光に来ただけだけどねん☆ だから『異本』蒐集に関して、邪魔をする気はないから安心して。むしろあたしは、ハクの手助けに来たくらいだし☆」

 ピョン。と跳ねたり、握りこぶしを掲げたり、本当に子どものように、ギャルはジェスチャー多めに語った。その無邪気な姿は、それだけ見ると本当に、本心を語っているように見えなくもない。だが男は知っている。このギャルは、言葉と行動が合致しない。助けに来た、と言って、こちらを攻撃してくるような女なのだ。その言葉と行動の、どちらが本心なのかは別としても。

「カイラギとラオロンが来てたのもそれか。……あいつらもここへ?」

「レンちゃんとフウちゃんは、『鍵本』を持ってないからねぇ。ここには来ていないはず。あの子たちは、『試練』に入る前に、その行為を阻止する役目を与えられてたんだにゃぁ」

「そうか……」

 男は息を一つ吐いた。その二人の戦闘力を知っているからこそ、安堵する。もし戦闘になれば、自分には万が一にも勝ち目はない。まあ、逃げるくらいならやりおおせる自信はあるが。

 そう思い、思い出す。はたして少女たちはうまく逃げ切れただろうか? 少女のチートさや、幼女と幼年の能力を知っていても、あの二人から逃げるとなれば、容易くはないだろう。
 ……とはいえ、いまは信じるしかない。もはやここから、いまさら助けになど行けないのだから。

「んで、なんでてめえは『鍵本』を持ってたんだよ。組織としては持ってなかったんだろ?」

「いんや。組織として持ってたんだよ。一冊ね。だけど、レンちゃんとフウちゃんには持たせなかった。……なんでだと思う?」

 ギャルは問いかける。その答えを楽しむように、上目遣いに男を見定めながら。

「……さあな。あの脳筋どもじゃ『試練』の攻略は難しいと思ったとか?」

「ぶっぶー☆」

 両手で×印を作って、ギャルはむくれるように頬を膨らませ、唾を飛ばした。

 男は黙って、コートの、唾が吹きかけられた部分を拭う。

「正解はぁ。あの強力な戦闘員を、わけも解らない地下世界になんて、送るわけにいかなかったから、だよぉ」

 その答えに、男は納得する。言われてみれば、その判断は正しい。だが、だとすると、『本の虫シミ』は『シャンバラ・ダルマ』に対して、さほど所有欲を持っていない、ということだろうか? と、男は分析した。

「ともあれ、あいつらがいねえならさほどの警戒も必要ねえな。そもそも、どれほどの広さがあるかは解らねえが、一つの世界の中で、そうそう鉢合わせたりもしねえだろうけど」

「そんな中、出会ったあたしたちは、やっぱり運命の赤い糸で繋がってるんだね☆」

「ああ、そうだな」

 男は適当に答えた。だからこそギャルはむくれて、的確なみぞおちを決める。当然、男は順当に、胃液を吐き出した。

        *

「一つだけ、正直に答えろ、アリス」

 男は口元を拭って、立ち上がる。低いギャルの目線を追うように下げ、しっかりと向き合って、言った。

「俺が『シャンバラ』を蒐集に向かったこと。その情報をおまえらにもたらしたのは、誰だ?」

 おかしいとは思っていた。カイラギ・オールドレーン。フウ老龍ラオロン。あの二人がタイミングよく、自分たちの前に姿を現した。その事実。

 以前に『本の虫シミ』とはいさかいを起こしている。そのうえ、自分はあの組織と、少なからず因縁がある。だから、ときおりエンカウントするくらいのことは起こり得るだろう。

 だが、あの出会いはタイミングが良すぎた。だから、情報がどこかから漏れていたのではないかと、そう男は思ったのだ。

「……知らないよぉ。あたし程度には、そんな機密、降りてこなかったにゃぁ」

 男の態度に合わせてか、ギャルもやや神妙に答える。

 ギャルは、言葉と行動が一致しない。だが、嘘はつかない。少なくとも男は、ギャルのことをそれくらいには知っているつもりだ。冗談は言うけれど、嘘はつかない、と。

「ぴかりんはたぶん、知ってるけどねん。基本的には本部マターの案件だからね、今回の派遣は」

「本部ね……」

 思い出す、その組織のことを。始まりは、ただのサークル活動のようなものだった。『異本』に限らず、本を研究する者たちの集まり。それが徐々に、本を神聖化し始め、崇め、奉り。
 そしていつしか、になった。新興宗教団体。『本の虫シミ』は本来的・表面的には、そういう組織だったのだ。

「教祖様は、元気か?」

 だから、男は皮肉を込めて、それを聞いた。

「元気元気ぃ☆ 変わらず道化を演じてるよぉ」

 ギャルも相好を崩し、皮肉に乗っかる。

 なにかを確認するかのように、男とギャルは目配せした。どこかで誰かに聞かれているかのように。二人だけの秘密を共有するように。声もなく、言葉を交わす。

 そして、改めて歩き始めた。そろそろ次の山へ、到着する。

 ――――――――

 火柱が、走る。まるで進むべき道を定められているかのように、まっすぐと、最短距離で、高速に。

 見えない壁に阻まれ、それは発散する。周囲へ飛び散る。だが、その泡の地面には引火しない。

 音が響いた。波状……というより、発生源から前方へ、扇形に広がる。凪が支配するその世界を、扇ぐように。

 それは、まさしく泡のようななにかに触れ、減衰する。目に見えずとも、その威力が落ちたのは明白だ。

 互いに、体力だけが削れていくから。どちらも、燃えもしなければ、血も流さない。そんな応酬が、十回以上続いた。

「困りましたね。炎が通じないなら、私にはあまり、攻撃手段がないのですが」

「言葉と表情が食い違うお方だ。……腹立たしい」

 青年は把握していた。油と炎。どうやら二つの『異本』を用いている。もとより強力な炎も、油でさらに、高範囲、高速度の威力をもたらしている。しかし、それは宝杖、『ブレステルメク』で完全に防ぐことができた。周囲に飛び火し、徐々に逃げ道を奪われたなら辛かったが、運よく、この世界の泡は不燃性であったらしい。

 だが、それだけで完全優位とも言い切れない。少なくとも、攻めきれないのはお互い様だ。宝扇、『鳴弧月めいこづき』での音撃、衝撃波。それを高密度の油で防がれている。

 音波。文字通り『波』であるそれは、高密度、高粘度の物質を通過する際、大きく減衰する。つまり端的に、威力が弱められる。それにより、青年の衝撃波は優男に、わずかのダメージも与えられずにいた――どころか、脅威にすらなりえていない。

 もとより、『鳴弧月』での衝撃波は、さほどのダメージを与えられる代物ではない。しかし、敵の聴覚を一時的に封じ、ある程度の破壊くらいなら行える。相当しっかりとぶつけなければ、ほとんどダメージなどないのだ。青年としては、どちらかというと陽動に使うことがメインとなる攻撃方法であると言える。

 だが、それがまったくの脅威にならないなら、陽動としても使えない。力はあるが、スピードはさほど自信のない青年。陽動をうまく行えないなら、敵との距離を詰めるのは難しかった。

「まったくもって。まったくもって。まったくもって!」

 杖を泡の地面へ何度も突き立て、青年は怒りをあらわにする。

 そんな青年へ、またも炎を走らせる優男。だが、今回は珍しく、波状に、広範囲に、青年の周囲へ、炎を広げた。

白鬼夜行びゃっきやこう 不知火しらぬい之書』は、本来、そのように広範囲へ炎を広げられるものではない。が、『大蝦蟇おおがま之書』により、油をまず、広げることで、炎を油の範囲に押し広げた。

 こうして広がった炎は、宝杖、『ブレステルメク』により阻まれ、相変わらず泡の地面にも燃え広がらないが、一瞬の、目くらましくらいにはなったようだ。

「……どこへ!?」

 苛立ちの感情にも視野は狭まり、青年は、瞬間、優男を見失う。

「こっちですよ」

 その言葉にころには、もう遅い。すでに優男の構える指先には、炎の明かりが灯っていた。

「その防御、どうやら地面と垂直にしか、広がらないようですね」

 を飛び越え、青年の上方から、優男は狙う。

 だが、焦るどころか、ニタニタとほくそ笑んで、青年も構えた。

 炎が、走る、そのとき――

「――ああああぁぁぁぁ――――」(――ああああぁぁぁぁ――――)

 言葉と心をシンクロさせて、何者かがその世界へ、落下してきた。


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