箱庭物語

晴羽照尊

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『シャンバラ・ダルマ』編 本章

40th Memory Vol.33(地下世界/シャンバラ/??/????)

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 女にも見える外見の青年と、笑みの絶えない優男に見下ろされ、それでも、その学者は泡の地面に尻餅をつき、苦笑いで彼らを見上げた。

 青年は、陰陽師のような古めかしい姿で。優男の方は黒の詰襟――学ランや軍服のようなデザインで。つまり、どちらも一般的ではない格好だった。だから――

「うっわ、すごい格好……」

 学者は二人の剣幕におののきつつも、そんな悠長なことを

「「ああん!?」」

 だから当然、そうなる。

「どなたか知りませんけれど、いっぺん死にますか?」

「おや、意見が合いませんね。私は最初から、殺す気でしたよ」

 青年と優男は、さきほどまでの戦闘を忘れたかのようにシンクロして、学者に詰め寄った。

(なんでですか!?)

 恐怖で言葉がでなかった。いや、そもそも彼は元来、言葉にすべきことを言葉にできない質なのだが……。

「あなたと意見を合わせるつもりは毛頭ありませんけれどね。こいつを突き殺したら、次はあなたです」

「なるほど、確かにその通り。彼を燃やしたら、次はあなたですね」

「串刺し!? 火炙り!? 僕はいったい、何世紀前に迷い込んでしまったんだ!?」

 またも思考を漏らす。それに今度は無言で、二人は視線を向けた。

「「……ともあれ、目障りですね」」

 見事にシンクロした。口調も似ているが、この二人、意外と息が合うのかもしれない。

「「殺してから、考えましょう」」

 ――――――――

 女は、地下世界探索などそっちのけで、おきなと膝を突き合わせていた。周囲に、現在脅威となるウタカタはいない。他の参加者も、見当たらない、安全地帯だ。

「そう責めるもんじゃないさ。俺は本心で感謝してる。そしてあいつも、きっとお前さんを、恨んでなんかいないよ」

 女の懺悔に、翁は朗らかに言った。当初会ったときに見た瞳の光は、ややかすれている。物腰も重くなった気がした。年相応に。

わらわにも理由がある。間違っていたとは思わんし、少なくとも、後悔はない」

 だが。と、反語。

「それでも、目を逸らしていた罪に、こういうとき、向き合わねばならぬ。阿千あちのことだけではない。人の生き死にに関与したことは少ないが、それでも、多くの者の人生を変えてまで、『異本』を蒐集してきたのじゃ」

 その数々を、女は覚えていた。多額の金銭的損害を与えたし、身体的に傷害を加えたことも多い。泣きじゃくる子どもから大切な本を取り上げ、懇願する者から無慈悲に奪い取り、呆けた老人を騙して掠め取り、部族の崇拝する信仰対象を力ずくで掻っ攫った。

 幾度と犯罪まがいの行為で勝ち取り、ときにはそのもの、犯罪行為に手を染めた。その行いは、法律のいかんを問わず、褒められたことではないはずだ。それでも、女自身、納得はしていた。

 だが、完全に忘れられるほど、女は悪に徹しきれずにいた。元来の性格なのか、『パパ』の教育のおかげなのか、それは解らないが。しかし、『パパ』を含めた幾人かの家族が、彼女の理性をわずかでも、悪から掬い上げてきたことは事実だろう。

「妾は、。多くの者の思いを、奪ってきたのじゃから。せめて正しく、清廉に、潔白に、。……慣れては――忘れてはならぬのじゃ」

 その手に握る、赤い装丁の本を見つめる。力を込めて、握り締める。唇を噛み、血を流す。そうして流れたのは、血だけではなかった。

「まあ、そう気負うな、若人よ。……といっても、俺も若者に語れるほど、ちゃんと歳を重ねたわけじゃないが」

 歯切れ悪く、翁は言った。

「この無機質な世界は、研究には向かないが、思考を重ねるにはいい環境だ」

 遠い目をして、彼は、続けた。

        *

 翁は不意に語った。いや、不意ではないのだろう。しかし、さも当然のように。互いに知っている純然たる事実を述べるように。

「気持ちの整理がつかないなら、ここで考えればいいさ。この緩やかな世界で。かくいう俺も、もうも、ここでこうしている」

 それは、重大な事実だった。ここで女が、その部分にもっと違和感を持っていれば、この先の展開は、もう少し違っていただろう。

「いや、妾は、むしろ急いで、戻らねばならぬ」

 しかし、女は、自分自身の感覚を優先した。翁の言葉を、一言漏らさず聞き分け、理解していたとは思う。だから『数ヶ月』というワードにも、思うところ、気になるところはあったはずだ。

 だが、それは一時保留して、別の話を持ち出してしまった。

「『異本』の中でも、格別な19冊。『啓筆けいひつ』。その一冊、序列十八位。『シャンバラ・ダルマ』を、早く持ち帰らねば」

 女は説明と、改めて自分に言い聞かせるために、そう、具体的に言った。

「ああ、そうか……」

 それに対して、翁は、どこか遠い目で呟く。その反応がもう少し遅れていただけでも、やはり、結末は違っていたかもしれない。
 女は翁に、『数ヶ月』についての問いを、投げかけるチャンスを持っていたかもしれない。

ハイメイクを、探してきたのか」

 イントネーションの位置が、絶妙だった。それはまるで、その存在を知っているようで。あるいは、その在り処を知っているようだったから。

「……なんじゃと?」

 だから、女はその言葉に食い付いた。それ以前の会話を、忘れるほどに。

「案内してやろう。その、『シャンバラ・ダルマ』とかいうもののもとへ。……といっても、だいぶ前の記憶だから、大まかな位置しか覚えていないが」

 翁は言った。まるでそれは、なんでもないことであると言わんばかりに。

 ――――――――

 を見据え、若者は一息つく。式神は本体と違って虚弱ではない。普通に一般的な、その肉体を持つ成人男性くらいの体力や筋力を持ち合わせているのだ。とはいえ、自身の足で歩いた距離も多い。だから、若者の息は上がっていた。

「さて、なら、あのあたりだと思うけれど」

 そのあたりを見下せる山に立ち、確認する。なんの変哲もない……とは言えないだろう。基本的に泡でしか構成されていない地下世界。ゆえに、その異質さを物語るには、山や谷のような勾配や、ウタカタと呼ばれる生物の生息数を基準とするしかない。

 そして、その場所は、その両面において異質だった。

「全方位急斜面に囲われた、火口のような場所。大量のウタカタの生息地」

 記憶と視覚を照合する。その場所は、確かにそう評するしかない場所だった。

「さて、ウタカタは躱せると思うけれど。……単純にこの急斜面は、ぼくごときには辛いね」

 嘆息する。それでも、進むしかないのだろう。
 もはや……いや、最初から、か。とうに時間に、余裕などないのだから。

「ホムラ。ハク」

 姉弟の名を呟く。

「急がないと、取り返しがつかなくなるよ」

 それは、自分自身にも言い聞かせた言葉。そうして背中を後押しして、若者は、一歩を踏み出した。

 目端に、二つの影を捉えながら。

 ―――――――――

 日傘を差し、優雅に、ふわり、降り立つ。

「……ね。つまらなくもないわ」

 淡白な感想を漏らす。

 その後、その傍らへ、一拍の遅れを伴い、もう一人が舞い降りた。

「お気に召しませんでしたか、お嬢様」

 下降の勢いのまま片膝をつき、首を垂れ、その若き執事はかしずく。その百点満点の姿にも、令嬢は眉間に皺を寄せ、不満げだった。

「気に入らないくらいでちょうどいいわ。これから理想通りに作り替える楽しみができるもの」

 暴力に打って出はしなかったが、傅く従者を置き去りに、令嬢は歩を進めた。執事はやや慌て気味に立ち上がり、令嬢を追う。しかし、その動きに速度が乗ってきたあたりで、令嬢が足を止めるから、またも強引に、執事は足を止め、姿勢正しく直立した。

 どこか高いところを見渡し、令嬢は思惑する。それが定まったのか、彼女は腕を上げ、畳んだ日傘で、一つの山を指した。

「確認してらっしゃい、ナイト。十秒あげるわ」

「はっ、直ちに」

 もちろん十秒で済むはずもない。だが、そんなことなどお構いなしに、執事は唯々諾々、その山へ向かった。

 そんな姿に、令嬢は苛立ちを覚える。もとよりこの令嬢、裕福な家庭に、なんの不自由もなく生まれ育ったというのに、気が短い。いやむしろ、、なのかもしれないが。

 おおよそ十分後、執事は帰ってきた。申し訳なさそうな表情を引き連れ、令嬢のそばへ傅く。

「申し訳ございません、お嬢様。お待たせ致しました」

「そんなことは言われなくても解っているわ。……それで?」

「いかようにも、罰は甘んじて。……しかし、先にご報告させていただきたく」

「あなたのことなんてどうでもいいのよ。その、報告とやらを先にすべきではなくて?」

 不思議なことに、この応酬に、令嬢は苛立ちを覚えなかった。だが、執事はそんな彼女の心中など解るはずもなく、少々震えた声で、報告する。

「はっ。あの先に、お求めの物はございます。黄土色の装丁。伝承通りにございますれば、まず、間違いないかと」

「そう。じゃあ、行きましょうか」

 あまり時間もないことだし。令嬢は小さく付け加えて、先に歩き出す。

 それを追い、執事は、やや躊躇いながら、口を開いた。

「お嬢様。……わたくしへの罰は、いかがなさいますか?」

「あら、罰が欲しいの?」

「はい。是非に」

 その姿に、令嬢は微笑み、次いで思案顔を浮かべた。

「そうね。それじゃ……あたくしを抱いて?」

 そう、どこかいじらしく、色っぽく、伏し目がちに、彼女は言った。

「はっ……いえ、そんな……しかし……」

 執事は答えにどもる。しかし、それでも優秀な男だ。その意味については、すぐに思い直した。

「うふふ……抱き上げて、あの山を登れって意味よ。他に捉えようがあって?」

 執事が気付く直前に、令嬢は言い直した。当然、その勘違いを誘発させたのは意図的だったろうが、その落ち度は執事の方にあると言わんばかりに、いたずらっぽい笑みを浮かべて。

「……かしこまりました。ミルフィリオお嬢様」

 執事は令嬢の名を呼び、腕を広げ傅く。罰というよりは、最大級の褒美を受け取るに等しい。そう思って。

 ――――――――

 そうして、各々の時間は流れる。

 有限にして、大切な時間が。


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