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『シャンバラ・ダルマ』編 終章
40th Memory Vol.50(地下世界/シャンバラ/??/????)
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「シキ! 貴様……!」
女が叫ぶ。すぐそばにいたのに、まったく反応できなかった。警戒がややおろそかになっていたとはいえ……いや、女の気が逸れる瞬間を狙ったという要因もあるのだろう。遅ればせながら女は、青年に詰め寄った。
「なにを騒いでいるのです? ホムラ。よもや身共が、仲間だなどと思ってはいないでしょう?」
「ああ、解っておる。だが、この場で愚弟を殺せば、汝も――」
「問題ありませんよ。『太虚転記』の前篇が回収できれば、地球に残してきた式神と位置を入れ替えられる。……それに――」
青年はニタニタと笑い、切り伏せた若者を見た。その、徐々に体を透けさせ、世界に消えていく死体を。
「どうせこれも幻覚だと思いましたからね」
「どうやら勉強してきたらしいね。確かに、天照と月読は使用者だけでなく、他の式神とも位置を入れ替えられる。それが、どれだけの距離を隔てていようが」
もはや幻覚なのか式神なのか、あるいは本人なのか判別のつかない若者がまた、現れて言った。
「しかし、機をうかがっていたみたいだけれど、幻覚だと解っていたなら、どうしてこの状況で、きみはぼくを切ったんだい? これできみは、完全にぼくやホムラを敵に回したことになる」
「……集中しすぎですよ、あなた」
青年は刃を鞘に収めながら、そう言った。若者にはその言葉の真意が解らないようである。黙ったまま首を傾げ、言葉の先をうながす動作をとった。
「『太虚転記』も『彩枝垂れ』も、そう簡単に扱える『異本』ではない。かたや複数の式神を同時に操らねばならず、かたや現実と見紛うほどの再現性を実現しなければ、幻覚など見せられない。これらを同時に扱うには、あなたほどの者であっても、本体は無防備に、集中しなければならないみたいですね?」
その言葉に、若者はようやく、余裕そうな表情を曇らせ、やや目を見開く。そして、その場にいた彼は、次の瞬間、その体を千々の紙片へ変え、消え去って行った。
――――――――
地下世界に散らしたすべての式神を解除して、若者は目を開く。久方ぶりに己自身の目で見る光。薄ぼんやりと乳白色にぼやける、泡の世界。
「この場所への経路も見張っていたはずだが」
彼には戦闘能力がない。ゆえに、気配など感じ取れないが、おそらく十分に近付かれているのだろうことを予想して、そう、声を上げた。
「概念拒絶の壁」
若者の背後でその声と、小さな鈴の音が響く。宝杖、『ブレステルメク』に付けられた、鈴の音が。
「『身共を視認する視覚』を拒絶しながら進んできました。単純な光の拒絶などでは、不自然に真っ暗になってしまいますからね」
鈴の音が揺れる。その音から、彼がどういうふうに杖を持ち替えたか、若者はすぐ、理解する。
その杖の尖った先端を、若者の背後から突き付ける、そんな動作であったと。
「なるほど……そういう使い方もできるとは盲点だった。……ぼくもまだまだだね」
若者は言って、懐に手を差し入れる。
「おっと、おかしな動きはしないでいただきたい。本体だと知っても、身共は容赦しませんよ」
「おかしな動き? これがそう見えたのかい?」
確かにそこにいる若者は本体だ。そのはずなのに。若者はいまだ達観したような余裕さで、軽口を叩く。そして、取り出す。その懐から。
鉄製の装丁。その物々しく、重々しい、一冊の本――『異本』を。
「それは……」
「知っているだろう。『理紫谷』が書いた――生んだ三冊の『異本』。『箱庭』シリーズ、その、初期作品」
若者は言うと、重そうにそれを、泡の地面に置いた。
「『箱庭宝物庫』。『宝創』を収める『異本』」
語りながら、広げる。そして、広げたページに手を差し入れ、中から、また別の一冊を取り出した。
その様子を、青年はつい、無防備に見てしまっていた。若者の動きが淀みなく、緊張感のかけらもないから。そして、『理紫谷』、『箱庭宝物庫』、それらの名に意識をもっていかれていたから。
「『理紫谷』がこの『異本』を書いたのは偶然だろうけれど、しかし、この一冊の存在は、ぼくにとって僥倖だった」
「なにを……べらべらと無用な語りを……。それよりも――」
「ほら、これだろう?」
若者は、『宝物庫』から取り出した一冊を掲げる。……いや、それは一冊と呼ぶには及ばない。
背表紙の真ん中で、綺麗に縦に破れた、『太虚転記』の前篇だったからだ。
*
無警戒に差し出される目的物を見て、青年は、警戒した。
「もしやそれも『彩枝垂れ』による幻覚ですか?」
「試してみればいいだろう? 朱雀あたりでも使ってみるといい。攻撃性能としては貧弱だが、軽く火を扱える式神だ」
若者は言った。前篇にこそ収まっているはずの、式神の名を。
青年は警戒を解かない。だが、試してみないことには判断がつかないのも事実。ゆっくりと、その『異本』を受け取り、自身の持つ、後篇をも取り出す。まじまじとそれらを見比べ、ゆっくりと精査したのち、ようやく式神を生成した。
その式神は、やはり青年の姿をしているが、その両手を杯のように掲げれば、そこにわずかに、黄金の粒が湧き出した。
「確かに、本物のようですね」
「なるほど。勾陳による鉱物生成か。ぼくの言葉に素直に従わないのは正しい判断だ。好感が持てる。きみなら、本当の兄と慕ってもいいくらいにね」
若者は冗談のようにそう言った。
「身共も、あなたなら弟と思ってもいいくらいですよ。爛れた家族ごっこなど演じなくとも済みそうですし」
こちらは本心のように語った。だが、仮に本心だったとしても、そんなことなどどうでもよさそうに。
「まあ、ともあれ、これを手にした以上、あなたにはもう用はありません。……殺してもいいですが、一度くらい兄弟のように情けをかけてあげますよ」
「それは寛大なことだ」
その言葉と動きは、緩慢に、なんらの特異性もなくごくごく一般的に、行われた。ゼロ距離。肌と肌が触れるその距離まで、近付く。若者の右手と、青年の腹部が。
「宝鍵、『二十二の鍵』。……といっても、いまは三本しかないけれどね」
ガチャリ。と、青年の全身を、金属のかち合うような音が駆け巡った。
「制止の四。……と、ちょっとそれを借りるよ」
若者はあっさりと言い、静止した青年の手から、後篇の方を奪い去る。
「あなた……! 初めからそれが――」
「そう。これが目的だよ。……修復の十七」
後篇を、青年が持つ前篇に近付け、そこに、鍵を差し入れる。そして、閉じるように回転。すると、その半冊ずつの『異本』が、これまで長年離れ離れだったとは思えないようなあっけなさで、一冊に回帰した。
「これでいい。……ああ、十分もすれば動けるようになるから、あとはお好きに。……といっても、そのころにはもう、地球に還っているだろうけれどね」
若者は言うと、これ見よがしに黄土色の『異本』、『シャンバラ・ダルマ』を見せびらかした。そして、「転移の二」と呟き、空間に穴を開ける。それはまるで、有名なSF漫画の有名すぎるアイテムのように。
「それじゃ、また会おう。兄さん」
若者は気軽に、その空間に消えた。『太虚転記』。完全に復活したその『異本』を、青年の手に残したまま。
――――――――
戻ってみると、女がご立腹だった。
「急に現れたり消えたり、いい加減にせいよ、汝」
掴みかかりこそしなかったが、いまにもそうしそうに。そういえば、この場に残してきた式神も解除したのだった。確かに、女たちにとってみれば、若者が現れたり消えたりの繰り返しを目の当たりにしていたことになる。短気な女なら怒っても仕方がないといえよう。
「悪かったよ、ホムラ」
と、やけに素直に若者が言うので、女も面食らう。その隙に、若者は、その場にいる青年と目配せた。おそらく彼が本体なのだろうが、若者を睨むのみで、特段なにも言わない。制止したのはさきほどの式神――と、その所持品のみであるから、ここにいる彼は動けるし、なんなら攻撃も可能なはずだが。なにかを、もう、諦めているのかもしれない。
若者は、それから、周囲を見渡す。諍いの中心にいた執事。もはやその表情は穏やかに……というより、疲れが出始めているかのような面持ちだ。ギャルや優男も、その場の流れに合わせるように隅に立っているし、学者は男となにかを話していた。翁は、やや距離を隔て、遠くからこちらをうかがっている。
ともあれ、どの顔ももはや、この場での物語を終局させようと待っていた。若者の、次の一言を。
「さて、ではそろそろ、還ろうか」
*
「どうぞ」
執事が持ったままだった『シャンバラ・ダルマ』を若者に返す。「ああ」と小さく言って、若者は受け取った。右手で。左手に持った同じ装丁の、同じような一冊を見せびらかしながら。
そうして両手に同じような本を持ち、同じように掲げた。その直後、左手に持っていたものだけが燃えるように空間に消える。まるで、マジックのように。
そして、消えた左手には次いで、別の一冊が徐々に空間から現れた。……そのように、見えた。白にカラフルな文字で綴られたタイトル、『彩枝垂れ』。
その現象に目を丸くしたのは男で、さきほど自分に返還されたはずの、同じ装丁の本を探す。コートのどこかにしまっていたらしい。が、当然とそれは見つけられなかったようだ。
どこからどこまでが現実で。どこからどこまでが幻覚か。まさしく終始騙され続けていたような、狐に抓まれたような感覚を味わいつつ、もう男は戸惑うしかなかった。
「ほら。今度こそ返すよ」
似たようなセリフを吐く若者。男はもう、言葉も出なかった。
「全員が同じ場所に還るというのもおかしな話だ。友達じゃないんだからね。適当にばらけさせて飛ばすけど、希望があれば聞こう」
若者は全員へ向けて問う。
「あ、あたしらはいいやぁ。自分たちで還れるし☆」
ギャルが言う。その言に、優男は露骨に嫌そうな顔をした。
「……らしいです」
それでもそうするべきだと判断したのか、不承不承と彼はゆっくり、言葉を吐き出す。
「身共も厄介になるつもりはありませんよ。あなたのおかげでね」
棘のある言い方だった。その意味を理解できたのは、この場では若者だけである。
(ちょっと待ってください! そもそも僕はその『異本』を求めてここに来たんです。それがないといろいろ困るんですよ!)
学者が若者に詰め寄るが、その言葉は若者に通用しなかった。なぜなら無言だからである。
「……ミジャリン。汝は、本当によいのか?」
女が翁へ問うた。どうやら若者のいない間に話をしていたのか、「ああ、俺はここに留まるよ」と、翁は感情も薄く、そう言った。女はまだ、それに納得していないのか、不満そうな顔で俯く。説得する言葉を、探すように。
そのやりとりを、じっくり間を溜めて見届けた後、若者は男と目を合わせた。男は呆れた様子で肩をすくめる。それは、学者の無言よりかはよほど饒舌に、好きにしろ、と言っていた。
そして、執事は。
「私は、……グラスゴーの郊外に、小さな別荘があるのですが、そこへ。……できれば、お嬢様も一緒に」
「ああ、いいだろう」
そのざっくりした位置指定にも、若者は予知していたように簡単に了解した。それ以上、詳しくは問わず。
「では、時間だ。……行こうか」
あっさりとした口調で、軽々と。若者はいとも簡単に、『シャンバラ・ダルマ』を発動させた。
懐中時計を取り出し、それをまじまじと、確認しながら。
――――――――
「ようやく、約束が果たされる」
呟く。白亜の扉の先を見据えて。
懐中時計を確認。そして、この星の、この土地の時間に、合わせる。それからゆっくり、深呼吸。目を閉じ、心を落ち着ける。
「待ち焦がれたよ。――レイ」
小さく呟き、口角を上げる。その先にいる彼女を、思いながら。
女が叫ぶ。すぐそばにいたのに、まったく反応できなかった。警戒がややおろそかになっていたとはいえ……いや、女の気が逸れる瞬間を狙ったという要因もあるのだろう。遅ればせながら女は、青年に詰め寄った。
「なにを騒いでいるのです? ホムラ。よもや身共が、仲間だなどと思ってはいないでしょう?」
「ああ、解っておる。だが、この場で愚弟を殺せば、汝も――」
「問題ありませんよ。『太虚転記』の前篇が回収できれば、地球に残してきた式神と位置を入れ替えられる。……それに――」
青年はニタニタと笑い、切り伏せた若者を見た。その、徐々に体を透けさせ、世界に消えていく死体を。
「どうせこれも幻覚だと思いましたからね」
「どうやら勉強してきたらしいね。確かに、天照と月読は使用者だけでなく、他の式神とも位置を入れ替えられる。それが、どれだけの距離を隔てていようが」
もはや幻覚なのか式神なのか、あるいは本人なのか判別のつかない若者がまた、現れて言った。
「しかし、機をうかがっていたみたいだけれど、幻覚だと解っていたなら、どうしてこの状況で、きみはぼくを切ったんだい? これできみは、完全にぼくやホムラを敵に回したことになる」
「……集中しすぎですよ、あなた」
青年は刃を鞘に収めながら、そう言った。若者にはその言葉の真意が解らないようである。黙ったまま首を傾げ、言葉の先をうながす動作をとった。
「『太虚転記』も『彩枝垂れ』も、そう簡単に扱える『異本』ではない。かたや複数の式神を同時に操らねばならず、かたや現実と見紛うほどの再現性を実現しなければ、幻覚など見せられない。これらを同時に扱うには、あなたほどの者であっても、本体は無防備に、集中しなければならないみたいですね?」
その言葉に、若者はようやく、余裕そうな表情を曇らせ、やや目を見開く。そして、その場にいた彼は、次の瞬間、その体を千々の紙片へ変え、消え去って行った。
――――――――
地下世界に散らしたすべての式神を解除して、若者は目を開く。久方ぶりに己自身の目で見る光。薄ぼんやりと乳白色にぼやける、泡の世界。
「この場所への経路も見張っていたはずだが」
彼には戦闘能力がない。ゆえに、気配など感じ取れないが、おそらく十分に近付かれているのだろうことを予想して、そう、声を上げた。
「概念拒絶の壁」
若者の背後でその声と、小さな鈴の音が響く。宝杖、『ブレステルメク』に付けられた、鈴の音が。
「『身共を視認する視覚』を拒絶しながら進んできました。単純な光の拒絶などでは、不自然に真っ暗になってしまいますからね」
鈴の音が揺れる。その音から、彼がどういうふうに杖を持ち替えたか、若者はすぐ、理解する。
その杖の尖った先端を、若者の背後から突き付ける、そんな動作であったと。
「なるほど……そういう使い方もできるとは盲点だった。……ぼくもまだまだだね」
若者は言って、懐に手を差し入れる。
「おっと、おかしな動きはしないでいただきたい。本体だと知っても、身共は容赦しませんよ」
「おかしな動き? これがそう見えたのかい?」
確かにそこにいる若者は本体だ。そのはずなのに。若者はいまだ達観したような余裕さで、軽口を叩く。そして、取り出す。その懐から。
鉄製の装丁。その物々しく、重々しい、一冊の本――『異本』を。
「それは……」
「知っているだろう。『理紫谷』が書いた――生んだ三冊の『異本』。『箱庭』シリーズ、その、初期作品」
若者は言うと、重そうにそれを、泡の地面に置いた。
「『箱庭宝物庫』。『宝創』を収める『異本』」
語りながら、広げる。そして、広げたページに手を差し入れ、中から、また別の一冊を取り出した。
その様子を、青年はつい、無防備に見てしまっていた。若者の動きが淀みなく、緊張感のかけらもないから。そして、『理紫谷』、『箱庭宝物庫』、それらの名に意識をもっていかれていたから。
「『理紫谷』がこの『異本』を書いたのは偶然だろうけれど、しかし、この一冊の存在は、ぼくにとって僥倖だった」
「なにを……べらべらと無用な語りを……。それよりも――」
「ほら、これだろう?」
若者は、『宝物庫』から取り出した一冊を掲げる。……いや、それは一冊と呼ぶには及ばない。
背表紙の真ん中で、綺麗に縦に破れた、『太虚転記』の前篇だったからだ。
*
無警戒に差し出される目的物を見て、青年は、警戒した。
「もしやそれも『彩枝垂れ』による幻覚ですか?」
「試してみればいいだろう? 朱雀あたりでも使ってみるといい。攻撃性能としては貧弱だが、軽く火を扱える式神だ」
若者は言った。前篇にこそ収まっているはずの、式神の名を。
青年は警戒を解かない。だが、試してみないことには判断がつかないのも事実。ゆっくりと、その『異本』を受け取り、自身の持つ、後篇をも取り出す。まじまじとそれらを見比べ、ゆっくりと精査したのち、ようやく式神を生成した。
その式神は、やはり青年の姿をしているが、その両手を杯のように掲げれば、そこにわずかに、黄金の粒が湧き出した。
「確かに、本物のようですね」
「なるほど。勾陳による鉱物生成か。ぼくの言葉に素直に従わないのは正しい判断だ。好感が持てる。きみなら、本当の兄と慕ってもいいくらいにね」
若者は冗談のようにそう言った。
「身共も、あなたなら弟と思ってもいいくらいですよ。爛れた家族ごっこなど演じなくとも済みそうですし」
こちらは本心のように語った。だが、仮に本心だったとしても、そんなことなどどうでもよさそうに。
「まあ、ともあれ、これを手にした以上、あなたにはもう用はありません。……殺してもいいですが、一度くらい兄弟のように情けをかけてあげますよ」
「それは寛大なことだ」
その言葉と動きは、緩慢に、なんらの特異性もなくごくごく一般的に、行われた。ゼロ距離。肌と肌が触れるその距離まで、近付く。若者の右手と、青年の腹部が。
「宝鍵、『二十二の鍵』。……といっても、いまは三本しかないけれどね」
ガチャリ。と、青年の全身を、金属のかち合うような音が駆け巡った。
「制止の四。……と、ちょっとそれを借りるよ」
若者はあっさりと言い、静止した青年の手から、後篇の方を奪い去る。
「あなた……! 初めからそれが――」
「そう。これが目的だよ。……修復の十七」
後篇を、青年が持つ前篇に近付け、そこに、鍵を差し入れる。そして、閉じるように回転。すると、その半冊ずつの『異本』が、これまで長年離れ離れだったとは思えないようなあっけなさで、一冊に回帰した。
「これでいい。……ああ、十分もすれば動けるようになるから、あとはお好きに。……といっても、そのころにはもう、地球に還っているだろうけれどね」
若者は言うと、これ見よがしに黄土色の『異本』、『シャンバラ・ダルマ』を見せびらかした。そして、「転移の二」と呟き、空間に穴を開ける。それはまるで、有名なSF漫画の有名すぎるアイテムのように。
「それじゃ、また会おう。兄さん」
若者は気軽に、その空間に消えた。『太虚転記』。完全に復活したその『異本』を、青年の手に残したまま。
――――――――
戻ってみると、女がご立腹だった。
「急に現れたり消えたり、いい加減にせいよ、汝」
掴みかかりこそしなかったが、いまにもそうしそうに。そういえば、この場に残してきた式神も解除したのだった。確かに、女たちにとってみれば、若者が現れたり消えたりの繰り返しを目の当たりにしていたことになる。短気な女なら怒っても仕方がないといえよう。
「悪かったよ、ホムラ」
と、やけに素直に若者が言うので、女も面食らう。その隙に、若者は、その場にいる青年と目配せた。おそらく彼が本体なのだろうが、若者を睨むのみで、特段なにも言わない。制止したのはさきほどの式神――と、その所持品のみであるから、ここにいる彼は動けるし、なんなら攻撃も可能なはずだが。なにかを、もう、諦めているのかもしれない。
若者は、それから、周囲を見渡す。諍いの中心にいた執事。もはやその表情は穏やかに……というより、疲れが出始めているかのような面持ちだ。ギャルや優男も、その場の流れに合わせるように隅に立っているし、学者は男となにかを話していた。翁は、やや距離を隔て、遠くからこちらをうかがっている。
ともあれ、どの顔ももはや、この場での物語を終局させようと待っていた。若者の、次の一言を。
「さて、ではそろそろ、還ろうか」
*
「どうぞ」
執事が持ったままだった『シャンバラ・ダルマ』を若者に返す。「ああ」と小さく言って、若者は受け取った。右手で。左手に持った同じ装丁の、同じような一冊を見せびらかしながら。
そうして両手に同じような本を持ち、同じように掲げた。その直後、左手に持っていたものだけが燃えるように空間に消える。まるで、マジックのように。
そして、消えた左手には次いで、別の一冊が徐々に空間から現れた。……そのように、見えた。白にカラフルな文字で綴られたタイトル、『彩枝垂れ』。
その現象に目を丸くしたのは男で、さきほど自分に返還されたはずの、同じ装丁の本を探す。コートのどこかにしまっていたらしい。が、当然とそれは見つけられなかったようだ。
どこからどこまでが現実で。どこからどこまでが幻覚か。まさしく終始騙され続けていたような、狐に抓まれたような感覚を味わいつつ、もう男は戸惑うしかなかった。
「ほら。今度こそ返すよ」
似たようなセリフを吐く若者。男はもう、言葉も出なかった。
「全員が同じ場所に還るというのもおかしな話だ。友達じゃないんだからね。適当にばらけさせて飛ばすけど、希望があれば聞こう」
若者は全員へ向けて問う。
「あ、あたしらはいいやぁ。自分たちで還れるし☆」
ギャルが言う。その言に、優男は露骨に嫌そうな顔をした。
「……らしいです」
それでもそうするべきだと判断したのか、不承不承と彼はゆっくり、言葉を吐き出す。
「身共も厄介になるつもりはありませんよ。あなたのおかげでね」
棘のある言い方だった。その意味を理解できたのは、この場では若者だけである。
(ちょっと待ってください! そもそも僕はその『異本』を求めてここに来たんです。それがないといろいろ困るんですよ!)
学者が若者に詰め寄るが、その言葉は若者に通用しなかった。なぜなら無言だからである。
「……ミジャリン。汝は、本当によいのか?」
女が翁へ問うた。どうやら若者のいない間に話をしていたのか、「ああ、俺はここに留まるよ」と、翁は感情も薄く、そう言った。女はまだ、それに納得していないのか、不満そうな顔で俯く。説得する言葉を、探すように。
そのやりとりを、じっくり間を溜めて見届けた後、若者は男と目を合わせた。男は呆れた様子で肩をすくめる。それは、学者の無言よりかはよほど饒舌に、好きにしろ、と言っていた。
そして、執事は。
「私は、……グラスゴーの郊外に、小さな別荘があるのですが、そこへ。……できれば、お嬢様も一緒に」
「ああ、いいだろう」
そのざっくりした位置指定にも、若者は予知していたように簡単に了解した。それ以上、詳しくは問わず。
「では、時間だ。……行こうか」
あっさりとした口調で、軽々と。若者はいとも簡単に、『シャンバラ・ダルマ』を発動させた。
懐中時計を取り出し、それをまじまじと、確認しながら。
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「ようやく、約束が果たされる」
呟く。白亜の扉の先を見据えて。
懐中時計を確認。そして、この星の、この土地の時間に、合わせる。それからゆっくり、深呼吸。目を閉じ、心を落ち着ける。
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小さく呟き、口角を上げる。その先にいる彼女を、思いながら。
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