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『シャンバラ・ダルマ』編 終章
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瞬間で景色は切り替わる。そこは、落ち着いた雰囲気の木造建築。ログハウス……とでも言うべきものだろうか? その、一室。リビングのような屋内。家具や調度品も多くが木製。唯一と言っていい金属家具は暖炉くらいで、それも含めて気が休まるような内装だった。
が、気を休ませている場合ではない。その状況は非常にまずかった。ともすれば、地下世界で体験したあらゆる事態よりも、深刻な。
「……おいたん、だれー?」
こっそりと逃げ出そうとは試みた。しかし、男も女も、あっさりと見つかる。どうやら他には誰もいない。地下世界にて出会った者たちはもとより、若者すら。
他にいるのは、この、あどけない表情で男を見上げる、小さな小さな女の子。少女や幼女などよりずっと幼い。会話すらままならないほどの、無垢な女の子だった。
しかし、どことなく少女に似ていなくもない。透き通るような白い肌に、柔らかそうな銀髪。
「え、ええっと……お兄さんたちは、君のママの知り合いで、もう帰るから! すぐ出てくから!」
努めてにこやかな表情で、男は言った。「だから、騒がないで」という言葉は飲み込んで。
すると女の子は一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐににぱーっと笑い、嬉しそうに部屋の奥へ駆けて行った。
「まぁー! おとぉらちー!」
(ちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょい!!)
女の子の行動に、男は――女も、声にならない声を上げる。
どうしてこうなった? なぜ、若者はこの場所に俺たちを? もはやいじめ以外のなにものでもない。いや、その通り、いじめだ。
そう、男は考えた。次の、瞬間までは。
「あら、数日早かったわね、ハク。おかえりなさい」
その女の子が十五歳は成熟したような、いつかの少女が、五年は大人びたような、白い肌に銀の髪をたくわえた少女が、エプロン姿で顔を出した。
*
大人びた姿恰好だったから、男は面食らう。しかし、少女に限れば、その外見など些末な問題だ。彼女は自由自在に、成長できるのだから。
「の、ノラ? じゃあ、ここはいったいどこなんだ?」
改めて見渡す。落ち着いた暖色の部屋。どうやらまだ昼時だ。窓から射す光は穏やかにも明るく、薄いカーテンを揺らしながら注いでいる。ゆえに、天井にかかる裸電球は灯されていない。そんな光源の中に浮かび上がる木造の部屋は、大自然の中のような爽やかな匂いがした。
目立った家具はない。鉄製の暖炉を除けば、見る限りすべてが木製だ。タンスや机、椅子。強いて言うなら、やや本棚が多いくらいか。気を付けなければ気が付かない程度だが、リビングのような空間にもかかわらず本棚が三つも置かれているのは、よく考えれば異質だろう。
「おうちよ。……可愛いわたしが、一から全部、説明してもいいけれど。そろそろ集まるころだから」
やや男に近付いた背丈で胸を張り、少女は言う。腰に当てた両手にはそれぞれ、菜箸とおたまが握られていた。
だが、その細い腕はいつかの少女とは違う。黒く滲んだ左腕。それを露出したままの姿。端的に言って、いつものオペラグローブを外していた。
「集まる? 誰がだ?」
そのことには触れないままに、男は問う。だが、その瞬間に、男の背後にある木製の扉が、けたたましく蹴り開けられた。
*
その扉の先には、女よりも背の高い、高身長の女性が立っていた。浅黒い肌にラフな服装。長い脚を見せびらかすようなホットパンツに、上半身は、タンクトップにジップを開けっ広げたライダースジャケット。そこから覗く胸部は、ジップを閉じることができないほどに膨らんでいる。細められた瞼の奥には、どこか世界を達観したかのような漆黒の瞳。髪型は赤茶色のセミロング。その前髪は左目を隠すように流されていた。そして、脳天に、ぴょこんと跳ねるアホ毛。
そんな女性が、ライダースのポケットに両手をつっこんだまま、部屋の中央へ歩く。そして、一脚の椅子を足で引き、だるそうに座った。
「ノラ。メシ」
態度の悪い客のように命令し、食卓に両足を乗っける。長い脚は美しい曲線を描いて、まるで芸術のようだが、その足元を覆ったごついブーツがすべてを台無しにしている。あと目つきと態度。あるいはアホ毛が。
「はいはい。いま作ってるから」
少女は言うと嘆息して、キッチンへ戻って行った。なんの説明もないままに。
「お、おい、ノラ」
男は困惑して、少女の後を追う。リビングと一体になったキッチンスペースには、声を上げれば十分に届いただろうが、近くに寄って小声で、聞きたいことがあったのだ。
「おい、誰だ、あいつは」
「あいつ?」
料理を続けながら、少女は応える。やや声も低くなったように聞こえる、その声で。
「あの態度悪ぃヤンキーだよ。おまえ、友達は選んだ方がいいぞ」
「ああ、パラちゃん? いいじゃない、本人がいいと思ってるファッションなんだから」
「そうだよ、そのパラちゃんだよ。……ん? パラちゃん?」
男はリビングの女性を見た。キッチンとリビングを隔てるカウンターの上で、その視線はぶつかる。
「……あ、ハクやん」
それは、流暢な日本語――関西弁だった。
*
頭が混乱している。無理もない。なんだかんだと、あの激動の地下世界から還ってきたばかりなのだ。
「なんや、帰っとるならはよ言わんかい、ワレェ。元気しとったんかいな?」
悪い目つきを崩して笑い、男の首に手を回し、やけに楽しそうにかつての幼女は言った。ぴょこん、ぴょこん、と、アホ毛が楽しそうに揺れる。
「ああ、いや、まあ、はい」
気圧される。疲れているのと、どうにも男の頭はとうに、その許容量を超えているらしかった。
ちなみに女は、もはや疲れて部屋の隅に座り込んでいる。腕を組んでこっくりこっくり、たぶん寝ていた。相変わらずの自由さである。
「ほら、パラちゃん。ハクはこれでも疲れてるんだから。あとお腹殴るのやめたげて。それ、致命傷だから」
少女は木の器に入ったシチューを置きながら言った。そういえばさきほどから男は、腹部を殴られ続けている。忘れていたつもりもないが、なんとか意識の外へ放り出していた痛みが、また――
「はい。治しておいたから。……あなたも座りなさい」
指先でさらりと、男の腹部を撫で、あっけなく少女は言う。すると確かに、痛みは消えていた。服を捲り上げて見ると、傷口すら、もはやない。
「あの二人は時間に律儀だから、もう来るわ」
少女は言う。そして、眠っていた女には毛布をかけに行った。少し見ない間に、やけに大人びている。
男はいまだ化かされているかのように、首を傾げた。
*
どうにもなにか重大なことに気付きそうになっていた男だったが、とにかく少女の言葉に従い、席に着いた。見ると、隣に座る元幼女は、すでに一人だけシチューを食べ始めている。
「おほほほ、ご奇遇ですこと、おほほほほ」
「まったくですわね。おほほほほ。あら、どうぞお先に、お入りになって」
「いえいえ、どうぞ奥様。お先に。おほほほほ」
「いえまったく、奥様こそお先に。おほほほほ」
男が振り返り見るに、ぶっ壊れた扉の先には、二人の女性が立っていた。
年のころ、背丈、体型すらよく似通っている。いや、まったく同じといっても過言ではないだろう。少なくとも視覚的に認識する限り、その表現は的を得ていた。
服装も、フリフリとしたロリータ系ファッションで共通しており、さすがに同じ服ではないのだろうが、ゲームの1P2Pカラーの違いと言うべきお揃いファッションだった。片側は青を基調とし、もう片側は緑っぽい色合いだ。
青を基調とした女性は、美しい黒髪をすらりと伸ばし、気付かない程度に毛先をくるんと――単なる癖なのかもしれないが――内側に巻いている。和風美人といった顔つきに、赤茶色の瞳。
緑っぽい色合いの女性は、まさしく2Pカラーの様相で、青の方と対比している。黒めの肌に白い髪。こちらは全体としてウェーブがかった長髪で、毛先は毛束ごとにカラフルに染め上げられていた。そしてルビーのような深紅の瞳をその双眸に煌めかせている。
「あら、今日は有閑マダムごっこ?」
タイミングを計ったように二つのシチューを並べながら、少女は言った。
「ノラ!」
「ノラねぇ!」
少女を見ると二人の女性は嬉しそうに、彼女の名を呼ぶ。さきほどまで譲り合っていたのが嘘のように駆け寄り、談笑した。
ややあって。
「あ、おじさまなのです! おかえりなさい」
青の女性が男を見て行儀よく頭を下げた。
「こっちにはねぇねが! ……よく寝てるの!」
緑の女性は女へ駆け寄り、身を屈め彼女をうかがった。
ともあれ、二人とも有閑マダムごっこは解除したらしい。
「ほら、騒いでないで座りなさい、二人とも」
少女が言うと、「「はーい」」と声を揃えて彼女らは、男の向かいに並んで座った。
*
「解った。おまえらはあれだな。ジンのとこにいた双子」
男は回らない頭で推理する。まったくもってこのあいだ見たときより成長している気がしないでもないが、男子三日会わざれば括目して見よ、ともいうし、ガキは成長が速いからな、と納得する。……男子ではなく女子だし、正直納得してないが、ともかく。
「双子じゃなくて本当は三つ子ですけどね」
青の女性が言う。大人びた態度で、礼儀正しく。
緑の女性はやや俯きがちにそわそわしていた。ちらちらと男の顔をうかがいながら。
「そういえば、シュウは来られないみたいよ。相変わらず協調性がないんだから」
キッチンに戻った少女が言った。「そうなの」と、青の女性がキッチンを振り向き、言う。
「それで、あの人は?」
棘のある言い方で、青の女性は続けた。
「さあ。まだ寝てるんじゃない?」
「起きてるよ、うるさいな……」
あくびを漏らしながら、パジャマ姿の女性が眠そうに部屋に降りてきた。表現通り、リビングの脇にある、二階へ続く階段から。
ぼさぼさの黒髪はまさしく寝起きのようで、爆発と表現して差し支えない様相にとっ散らかっていた。肩にもかからないであろう短さがなおのこと、その跳ねを強調する。眠そうな眼は赤茶色。不健康に細い体はやはり不健康に青白く、長年外出していないかのような雰囲気を発していた。
「おはよう、ハルカ。シチューあるけど食べる?」
少女が問う。ハルカ? その名は、確か双子――いや、三つ子の一人ではなかっただろうか? と、男は記憶を手繰るが、やはり頭はまだ回らなかった。
「あとで部屋に持って来てよ。とりあえずお水ちょうだい」
「はいはい」
パジャマ女性のわがままにも少女は軽く答えて、コップに水を注ぎ、差し出す。礼も言わずに受け取ると彼女は、一気に飲み干し、また階段の方へと戻ろうと歩を進めた。
「ちょっとハルカ! おじさまたちが帰ってきてるんだから、挨拶くらいしなさい!」
言うのは青の女性。さきほどまでの柔らかな話し口調とは転じて、強い言い回しで命令した。
ちっ。と舌打ちするとパジャマの女性は「ちぃーっす……」と、頷く程度に頭を下げた。そしてそれだけで、階段を登り始める。
「ハルカ! ……もうっ!」
青の女性は再度声を荒げるが、無反応に階段を登る彼女に、嘆息して諦めた。
「すみません、おじさま。姉が」
改めて頭を下げる。
「いや、いいんだけどよ。……姉が?」
男は眼前の二人を見比べる。青の女性と緑の女性。確かに肌の色さえ違う二人だ。以前見た双子のように鏡写しにそっくりとは言えない。それに、姉? と、階段の上に目をやる。あれとこれが姉妹で、それとこれが……?
男はやはり、回らない頭で思考して、やがて疲れて諦めた。
ちらちら男を見ていた緑の女性と、目が合う。だが、すぐにそれは逸らされた。
「そっか。ハクと会うのは初めてね、ルシア」
少女が言った。最後のシチューを机に並べて。
*
「シロ。パパとクロを呼んできて。ごはんよ、って」
「あーい」
少女の言葉に、背を向けたまま女の子が答える。女の子はずっと床に座り込み、前のめりになにかをしていた。そしてそれは、返事をしてからも変わらない。
「……シロー。早くしないと、パパのごはんがないないになっちゃうわよー」
「あいっ!」
少女が再度言うと、女の子は顔を上げ立ち上がり、隣の部屋に駆けて行った。
「なあ、パパってなんだ?」
男は問う。ここに来たときから気になっていたこととも併合して、そのワードには気になる要素がありすぎた。
「パパはパパでしょ。あの子の父親」
少女はあっけらかんとそう言う。男の前に、ようやっとシチューを差し出しながら。
「父親って……じゃあ、母親は?」
なにかとんでもないことを確認するように、男は慎重に、そう問う。
「まあ、それもおいおい話すから。とにかくいまは、あなたはなにも考えなくていいわ」
少女は言う。安心させるような慈愛のこもった笑顔で。
それは、やはり男の記憶と合致しない、大人びたそれだった。
「……じゃあ、これだけは先に教えてくれ。……もしかして、俺たちがシャンバラに行ってから、だいぶ経ってんのか?」
ようやっと、その可能性に行き当たった。いや、最初からそんな気はしていた。だが、それを現実的に受け入れることが、疲れた男にはできなかったのである。
「そう、ジンは言わなかったのね。まったく、仕方ないんだから、あの子は」
達観した感想とともに嘆息する少女。そして、告げる。
「あなたたちがシャンバラ――あの、ブラックホールにほど近い星に到着してから、地球では六年ほどの月日が経過しているわ」
2026年、十一月。
ニュージーランド、ワンガヌイ。
少女は男に背を向け、窓の外を眺めながら、そう、現在男たちがいる、座標の四次元を示した。
が、気を休ませている場合ではない。その状況は非常にまずかった。ともすれば、地下世界で体験したあらゆる事態よりも、深刻な。
「……おいたん、だれー?」
こっそりと逃げ出そうとは試みた。しかし、男も女も、あっさりと見つかる。どうやら他には誰もいない。地下世界にて出会った者たちはもとより、若者すら。
他にいるのは、この、あどけない表情で男を見上げる、小さな小さな女の子。少女や幼女などよりずっと幼い。会話すらままならないほどの、無垢な女の子だった。
しかし、どことなく少女に似ていなくもない。透き通るような白い肌に、柔らかそうな銀髪。
「え、ええっと……お兄さんたちは、君のママの知り合いで、もう帰るから! すぐ出てくから!」
努めてにこやかな表情で、男は言った。「だから、騒がないで」という言葉は飲み込んで。
すると女の子は一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐににぱーっと笑い、嬉しそうに部屋の奥へ駆けて行った。
「まぁー! おとぉらちー!」
(ちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょい!!)
女の子の行動に、男は――女も、声にならない声を上げる。
どうしてこうなった? なぜ、若者はこの場所に俺たちを? もはやいじめ以外のなにものでもない。いや、その通り、いじめだ。
そう、男は考えた。次の、瞬間までは。
「あら、数日早かったわね、ハク。おかえりなさい」
その女の子が十五歳は成熟したような、いつかの少女が、五年は大人びたような、白い肌に銀の髪をたくわえた少女が、エプロン姿で顔を出した。
*
大人びた姿恰好だったから、男は面食らう。しかし、少女に限れば、その外見など些末な問題だ。彼女は自由自在に、成長できるのだから。
「の、ノラ? じゃあ、ここはいったいどこなんだ?」
改めて見渡す。落ち着いた暖色の部屋。どうやらまだ昼時だ。窓から射す光は穏やかにも明るく、薄いカーテンを揺らしながら注いでいる。ゆえに、天井にかかる裸電球は灯されていない。そんな光源の中に浮かび上がる木造の部屋は、大自然の中のような爽やかな匂いがした。
目立った家具はない。鉄製の暖炉を除けば、見る限りすべてが木製だ。タンスや机、椅子。強いて言うなら、やや本棚が多いくらいか。気を付けなければ気が付かない程度だが、リビングのような空間にもかかわらず本棚が三つも置かれているのは、よく考えれば異質だろう。
「おうちよ。……可愛いわたしが、一から全部、説明してもいいけれど。そろそろ集まるころだから」
やや男に近付いた背丈で胸を張り、少女は言う。腰に当てた両手にはそれぞれ、菜箸とおたまが握られていた。
だが、その細い腕はいつかの少女とは違う。黒く滲んだ左腕。それを露出したままの姿。端的に言って、いつものオペラグローブを外していた。
「集まる? 誰がだ?」
そのことには触れないままに、男は問う。だが、その瞬間に、男の背後にある木製の扉が、けたたましく蹴り開けられた。
*
その扉の先には、女よりも背の高い、高身長の女性が立っていた。浅黒い肌にラフな服装。長い脚を見せびらかすようなホットパンツに、上半身は、タンクトップにジップを開けっ広げたライダースジャケット。そこから覗く胸部は、ジップを閉じることができないほどに膨らんでいる。細められた瞼の奥には、どこか世界を達観したかのような漆黒の瞳。髪型は赤茶色のセミロング。その前髪は左目を隠すように流されていた。そして、脳天に、ぴょこんと跳ねるアホ毛。
そんな女性が、ライダースのポケットに両手をつっこんだまま、部屋の中央へ歩く。そして、一脚の椅子を足で引き、だるそうに座った。
「ノラ。メシ」
態度の悪い客のように命令し、食卓に両足を乗っける。長い脚は美しい曲線を描いて、まるで芸術のようだが、その足元を覆ったごついブーツがすべてを台無しにしている。あと目つきと態度。あるいはアホ毛が。
「はいはい。いま作ってるから」
少女は言うと嘆息して、キッチンへ戻って行った。なんの説明もないままに。
「お、おい、ノラ」
男は困惑して、少女の後を追う。リビングと一体になったキッチンスペースには、声を上げれば十分に届いただろうが、近くに寄って小声で、聞きたいことがあったのだ。
「おい、誰だ、あいつは」
「あいつ?」
料理を続けながら、少女は応える。やや声も低くなったように聞こえる、その声で。
「あの態度悪ぃヤンキーだよ。おまえ、友達は選んだ方がいいぞ」
「ああ、パラちゃん? いいじゃない、本人がいいと思ってるファッションなんだから」
「そうだよ、そのパラちゃんだよ。……ん? パラちゃん?」
男はリビングの女性を見た。キッチンとリビングを隔てるカウンターの上で、その視線はぶつかる。
「……あ、ハクやん」
それは、流暢な日本語――関西弁だった。
*
頭が混乱している。無理もない。なんだかんだと、あの激動の地下世界から還ってきたばかりなのだ。
「なんや、帰っとるならはよ言わんかい、ワレェ。元気しとったんかいな?」
悪い目つきを崩して笑い、男の首に手を回し、やけに楽しそうにかつての幼女は言った。ぴょこん、ぴょこん、と、アホ毛が楽しそうに揺れる。
「ああ、いや、まあ、はい」
気圧される。疲れているのと、どうにも男の頭はとうに、その許容量を超えているらしかった。
ちなみに女は、もはや疲れて部屋の隅に座り込んでいる。腕を組んでこっくりこっくり、たぶん寝ていた。相変わらずの自由さである。
「ほら、パラちゃん。ハクはこれでも疲れてるんだから。あとお腹殴るのやめたげて。それ、致命傷だから」
少女は木の器に入ったシチューを置きながら言った。そういえばさきほどから男は、腹部を殴られ続けている。忘れていたつもりもないが、なんとか意識の外へ放り出していた痛みが、また――
「はい。治しておいたから。……あなたも座りなさい」
指先でさらりと、男の腹部を撫で、あっけなく少女は言う。すると確かに、痛みは消えていた。服を捲り上げて見ると、傷口すら、もはやない。
「あの二人は時間に律儀だから、もう来るわ」
少女は言う。そして、眠っていた女には毛布をかけに行った。少し見ない間に、やけに大人びている。
男はいまだ化かされているかのように、首を傾げた。
*
どうにもなにか重大なことに気付きそうになっていた男だったが、とにかく少女の言葉に従い、席に着いた。見ると、隣に座る元幼女は、すでに一人だけシチューを食べ始めている。
「おほほほ、ご奇遇ですこと、おほほほほ」
「まったくですわね。おほほほほ。あら、どうぞお先に、お入りになって」
「いえいえ、どうぞ奥様。お先に。おほほほほ」
「いえまったく、奥様こそお先に。おほほほほ」
男が振り返り見るに、ぶっ壊れた扉の先には、二人の女性が立っていた。
年のころ、背丈、体型すらよく似通っている。いや、まったく同じといっても過言ではないだろう。少なくとも視覚的に認識する限り、その表現は的を得ていた。
服装も、フリフリとしたロリータ系ファッションで共通しており、さすがに同じ服ではないのだろうが、ゲームの1P2Pカラーの違いと言うべきお揃いファッションだった。片側は青を基調とし、もう片側は緑っぽい色合いだ。
青を基調とした女性は、美しい黒髪をすらりと伸ばし、気付かない程度に毛先をくるんと――単なる癖なのかもしれないが――内側に巻いている。和風美人といった顔つきに、赤茶色の瞳。
緑っぽい色合いの女性は、まさしく2Pカラーの様相で、青の方と対比している。黒めの肌に白い髪。こちらは全体としてウェーブがかった長髪で、毛先は毛束ごとにカラフルに染め上げられていた。そしてルビーのような深紅の瞳をその双眸に煌めかせている。
「あら、今日は有閑マダムごっこ?」
タイミングを計ったように二つのシチューを並べながら、少女は言った。
「ノラ!」
「ノラねぇ!」
少女を見ると二人の女性は嬉しそうに、彼女の名を呼ぶ。さきほどまで譲り合っていたのが嘘のように駆け寄り、談笑した。
ややあって。
「あ、おじさまなのです! おかえりなさい」
青の女性が男を見て行儀よく頭を下げた。
「こっちにはねぇねが! ……よく寝てるの!」
緑の女性は女へ駆け寄り、身を屈め彼女をうかがった。
ともあれ、二人とも有閑マダムごっこは解除したらしい。
「ほら、騒いでないで座りなさい、二人とも」
少女が言うと、「「はーい」」と声を揃えて彼女らは、男の向かいに並んで座った。
*
「解った。おまえらはあれだな。ジンのとこにいた双子」
男は回らない頭で推理する。まったくもってこのあいだ見たときより成長している気がしないでもないが、男子三日会わざれば括目して見よ、ともいうし、ガキは成長が速いからな、と納得する。……男子ではなく女子だし、正直納得してないが、ともかく。
「双子じゃなくて本当は三つ子ですけどね」
青の女性が言う。大人びた態度で、礼儀正しく。
緑の女性はやや俯きがちにそわそわしていた。ちらちらと男の顔をうかがいながら。
「そういえば、シュウは来られないみたいよ。相変わらず協調性がないんだから」
キッチンに戻った少女が言った。「そうなの」と、青の女性がキッチンを振り向き、言う。
「それで、あの人は?」
棘のある言い方で、青の女性は続けた。
「さあ。まだ寝てるんじゃない?」
「起きてるよ、うるさいな……」
あくびを漏らしながら、パジャマ姿の女性が眠そうに部屋に降りてきた。表現通り、リビングの脇にある、二階へ続く階段から。
ぼさぼさの黒髪はまさしく寝起きのようで、爆発と表現して差し支えない様相にとっ散らかっていた。肩にもかからないであろう短さがなおのこと、その跳ねを強調する。眠そうな眼は赤茶色。不健康に細い体はやはり不健康に青白く、長年外出していないかのような雰囲気を発していた。
「おはよう、ハルカ。シチューあるけど食べる?」
少女が問う。ハルカ? その名は、確か双子――いや、三つ子の一人ではなかっただろうか? と、男は記憶を手繰るが、やはり頭はまだ回らなかった。
「あとで部屋に持って来てよ。とりあえずお水ちょうだい」
「はいはい」
パジャマ女性のわがままにも少女は軽く答えて、コップに水を注ぎ、差し出す。礼も言わずに受け取ると彼女は、一気に飲み干し、また階段の方へと戻ろうと歩を進めた。
「ちょっとハルカ! おじさまたちが帰ってきてるんだから、挨拶くらいしなさい!」
言うのは青の女性。さきほどまでの柔らかな話し口調とは転じて、強い言い回しで命令した。
ちっ。と舌打ちするとパジャマの女性は「ちぃーっす……」と、頷く程度に頭を下げた。そしてそれだけで、階段を登り始める。
「ハルカ! ……もうっ!」
青の女性は再度声を荒げるが、無反応に階段を登る彼女に、嘆息して諦めた。
「すみません、おじさま。姉が」
改めて頭を下げる。
「いや、いいんだけどよ。……姉が?」
男は眼前の二人を見比べる。青の女性と緑の女性。確かに肌の色さえ違う二人だ。以前見た双子のように鏡写しにそっくりとは言えない。それに、姉? と、階段の上に目をやる。あれとこれが姉妹で、それとこれが……?
男はやはり、回らない頭で思考して、やがて疲れて諦めた。
ちらちら男を見ていた緑の女性と、目が合う。だが、すぐにそれは逸らされた。
「そっか。ハクと会うのは初めてね、ルシア」
少女が言った。最後のシチューを机に並べて。
*
「シロ。パパとクロを呼んできて。ごはんよ、って」
「あーい」
少女の言葉に、背を向けたまま女の子が答える。女の子はずっと床に座り込み、前のめりになにかをしていた。そしてそれは、返事をしてからも変わらない。
「……シロー。早くしないと、パパのごはんがないないになっちゃうわよー」
「あいっ!」
少女が再度言うと、女の子は顔を上げ立ち上がり、隣の部屋に駆けて行った。
「なあ、パパってなんだ?」
男は問う。ここに来たときから気になっていたこととも併合して、そのワードには気になる要素がありすぎた。
「パパはパパでしょ。あの子の父親」
少女はあっけらかんとそう言う。男の前に、ようやっとシチューを差し出しながら。
「父親って……じゃあ、母親は?」
なにかとんでもないことを確認するように、男は慎重に、そう問う。
「まあ、それもおいおい話すから。とにかくいまは、あなたはなにも考えなくていいわ」
少女は言う。安心させるような慈愛のこもった笑顔で。
それは、やはり男の記憶と合致しない、大人びたそれだった。
「……じゃあ、これだけは先に教えてくれ。……もしかして、俺たちがシャンバラに行ってから、だいぶ経ってんのか?」
ようやっと、その可能性に行き当たった。いや、最初からそんな気はしていた。だが、それを現実的に受け入れることが、疲れた男にはできなかったのである。
「そう、ジンは言わなかったのね。まったく、仕方ないんだから、あの子は」
達観した感想とともに嘆息する少女。そして、告げる。
「あなたたちがシャンバラ――あの、ブラックホールにほど近い星に到着してから、地球では六年ほどの月日が経過しているわ」
2026年、十一月。
ニュージーランド、ワンガヌイ。
少女は男に背を向け、窓の外を眺めながら、そう、現在男たちがいる、座標の四次元を示した。
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ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
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