箱庭物語

晴羽照尊

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エディンバラ編 序章

物語の足跡

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 2026年、十二月。
 イギリス、スコットランド、エディンバラ。

 街そのものが世界遺産に登録されるほどの都市。スコットランドの首都でもある、イギリス全土でも指折りの観光地である。世界的にも有名なファンタジー小説ゆかりの地でもあり、また、こちらも有名すぎるミステリ作家の出身地でもあった。街そのものがファンタジーの様相を醸し出し、あるいはどこか不思議に満ち溢れているような――そんな、訪れる者を異世界に誘うような趣のある街である。

 歴史的な建造物も数多く、また、街の名前を冠したエディンバラ大学も、世界的に最高峰にあたる学問機関だ。

 そんな、歴史も文化も、街並みの美しさも世界有数の、まさしく、誰もが納得する世界遺産の街――それが、エディンバラである。

「さて、じゃあ、知恵を出してくれ。ノラ」

 そんな見るところの多すぎる観光地に訪れるなり、男と少女は一目散、ホテルへと向かった。そうして開口一番、男は他力本願を体現するように、そう、口にした。ローマの老人に譲り受けた、EBNA施設内の図面を広げて。

「……可愛いわたしが一人で乗り込んで、適当に壊滅させるわ」

「却下だ」

 少女の提案を、男はしかし、即答で却下した。シャンバラで執事と戦った。その経験上、いくら少女でも、あんな化物じみた連中が複数人いるであろう施設へ、一人で乗り込んでただで済むはずがない。そう判断したから。
 それに――。

「この、責任者であるらしい、スマイルとかいうやつをぶん殴らねえと、俺の気が済まねえ」

 図面の最奥を指さし、男は言った。たいていの時間を、その者はそこで過ごしているらしい。そう聞いていた。もちろん、老人が独自に調べた調査結果だ。いま見ている図面を含めて、すべてが正しいとは限らない。それでも。

「じゃあ、そいつは奥底から引っ張って、あなたの前に引き出してあげるから。ハクはここで待ってなさい」

「……足手まとい、か?」

「そうね。端的に言って」

 少女の方も男と同じだ。相方を慮っている。だからその提案は互いに、平行線をたどった。

「大丈夫だ。自分の身くらい自分で守れる。なにも片っ端からぶちのめそうってわけじゃねえんだ。身の隠し方くらい心得てる」

「隠れ切れると思ってるの? あるいは、逃げ切れると? 仮に、メイちゃんの強さを基準にして、それと同等くらいが平均値だとしたら、その最底辺でもハクに勝ち目はないわ。もちろん、いまの仮定は、正々堂々真っ向から戦ったら、としているけれど」

 その先は、少女にとって言うまでもないことだった。なぜなら、男にとって言われるまでもないこと、だったから。

「まあ、正々堂々真っ向から戦う気はさらさらないが……しかし、その前提で勝ち目がないならどちらにしても、勝率は絶望的。ああ、解っちゃいたさ」

「……あなたは自分のことくらい見捨ててもいい、とか言うのでしょうけれど。それを可愛いわたしが許容できると思っているわけじゃないでしょう? いいえ、わたしは許容できるかもしれない。でも、その犠牲が、その結果救われるはずのメイちゃんに知れたら、きっと、傷付けるわ」

「そんなもの――」

「あそこに居続けるよりはマシ? そういう問題?」

 正論に、男は黙る。
 だって、自分たちは大小で判断していない。自分たちの家族が、傷付くこと。それ自体を救いたいのだから。

「だからといって、おまえひとりに背負わせるわけにゃいかねえだろ。……おまえが言ったんだぜ。助けてくれって」

「それは、メイちゃんの心の問題を、よ。可愛いわたしは、そりゃ、仲良くしてたつもりだけど、いくつか決定的に反抗したことがあるからね。きっと、わたしの言葉じゃ届かない。……十数年の教育を崩して、その、心の奥底までは」

「それで、その言葉を俺がかけるのなら、現地まで俺が同行しなきゃなんねえだろうが。あいつが、あいつの意思でここにいるなら、あいつの敵を全滅させても動かねえぞ、あいつは」

 頑固だからな。男は言った。だが、言って後悔する。その『頑固』と評する彼女の個性は、もしかしたら教育によって育まれたものかもしれないから。

「それでも、ふんじばってでも連れてくるわよ。とりあえず言葉を交わせればなんとかなる……つもりでいるんだから」

「じゃあおまえは、施設をぶっ壊すだけぶっ壊して、スマイルとかいう野郎と、メイを抱えて戻ってくるってのか? おまえの腕力は無制限に強化できるから、無理じゃねえだろうが、……すげえシュールな絵面だな」

「絵面はいいでしょ、どんなでも」

 と、少女は言うが、そむけた顔に少しの朱が刺した。想像してみて、自分で可笑しかったのかもしれない。

「少なくともわたしはそうするつもりだったのよ。というより、そもそもEBNAがこれほど閉鎖的だとは思っていなかったわ。多少のお金や時間はかかれど、面会くらいできると思ってた」

 それについては、無理だろうと、老人に言われていた。どうやらEBNAでは現在――というより数か月前から無期限に、戒厳令が出ているらしい。まあ、それがなくとも閉鎖的なのは変わらないらしいけれど。

「ともあれ、俺は行くぞ。仮に置いて行かれようが、あとから一人ででも、乗り込んでやる」

「まあ、そうなるのよね。はあ……」

 少女はきっと、解っていた結末に辿り着いて、嘆息した。

「じゃあ、せめて、応援を呼ぶわ。ほんの数日、時間をちょうだい」

 そう言って、少女は最新型のスマートフォンを取り出した。

「いや、数日も待てねえ。明日……いや、いまからでも乗り込んで――」

「いいかげんにしろ」

「ぎゃうっ!!」

 聞き分けのない男へ、少女のデコピンが炸裂した。誇張でもなく、男は倒れる。

        *

 その数日は、あまり目立たない位置からの下見に当てられた。
 といっても、本当に遠くから見る程度だ。そのうえ、どれだけ離れていようが、長く視線を向けることも躊躇われた。老人の情報によると、スマイルという男は施設に引き籠りながらも、世界中の情報を慎重に得ているらしい。すでに男たちの動向すら筒抜けな可能性もある。それをこれ以上刺激しては、先手を打たれる危険性が増す。それだけは避けたかった。

 だから、それはほぼ、観光である。幸いにも、街全体が観光地といっても過言ではないエディンバラだ、時間を潰すには事欠かなかった。
 が、しかし。エディンバラ見どころのひとつであるエディンバラ城。そこから別の名所、ホリールードハウス宮殿。その二点を繋ぐメインストリート、ロイヤルマイル。この通り全域の。そこにEBNAの施設がある。となれば、そうそうめったに近付くことはできない。

 ゆえに、男と少女はロイヤルマイルから北方、小高い丘となっているカールトンヒルへ向かった。直前までローマにいたこともあり、自分たちの居場所を錯覚する。というのも、この丘の上には数々のローマ風モニュメントが点在しているのだ。
 そして、360度エディンバラを見渡せる絶景のフォトスポットでもある。が、十二月のエディンバラ、その日没の時間は、十六時台と驚くほど早く、その日はとうに日が暮れていた。まあそもそも、丘に登った時点でその日は二十三時近く。どちらにしてもとうに、日は暮れているのだが。

 そこから、エディンバラ城を望む。しかし、目的地である地下施設は当然として、ロイヤルマイルすらそうそう視認できはしない。深夜の街並みという要因もあるが、少々距離を隔てていたのだ。だが、それでいい。ほとんど見えないくらいで。それが敵へ対する警戒だし、もし見えたら、男は怒りで我を忘れそうだったから。

「変なこと考えてない?」

 少女が問う。黒いロングコートを纏い、それでも足りないのか、自ら両肩を抱き締めながら。

「大丈夫だ。俺は冷静だよ」

 体を震わせて、男は言う。黒のスーツにぼろぼろの茶色いコート。それでも、寒そうに。あるいはむしろ、寒くなどなさそうに。

「……こんなところで見てても仕方ないわね。少し近付きましょうか」

「いや、警戒されたくねえしな」

 男は即答する。しかし、その体は一度大きく、身震いした。

「だったらなおさら。エディンバラに観光に来て、ロイヤルマイルに、まったく見向きもしない方が不自然でしょ」

 少女は言って、男の手を取る。そうして触れた互いの手は、互いにとても、冷たく感じられた。

        *

 エディンバラには新市街と旧市街がある。その名称から新旧を汲み取ることはできるであろうが、東京などの景色を知る者からすればどちらも、それなりに古めかしく趣がある。新市街の方ですら建設は18~19世紀ころであるので、まあ、さもありなんといったところである。

 その、新市街の東にあるカールトンヒルから、南下。エディンバラ城等が立ち並ぶ旧市街へ。が、しかし、やはりメインストリートであるロイヤルマイルを歩くことは躊躇われ、男と少女は、そこから垂直に行ったり来たり、当てもなくさまよった。

 ただ歩いているだけでも、その街並みに、ファンタジー世界へ迷い込んだような錯覚に陥るエディンバラ。まさしくそのような心持ちで、ただただ歩く。

「それで、応援ってのは呼べたのか?」

 男が不意に言った。

「たぶんね。間に合うかは解らないけれど、ぎりぎりまで待って、あとは間に合ってくれることを願うのみね」

「そんな曖昧な救援なら、そもそも待たなくてもよかったんじゃねえか」

 異を唱えるが、だからといって、やはりすぐ行動、とは無謀を侵さない。男は冷静に、現状を解っている。

 応援が来たところで、男がうまく立ち回ったとて、少女がいくらチートだからって、そう簡単に落とせる施設ではないことを。

「そう言っていたけれど、まあ、たぶん来てくれるわ。そういう子らなのよ。……時間に都合がつくという点では、ハルカが呼べれば頼もしかったんだけどね」

「そういやあいつはどうしたんだ? ……いや、あいつだけじゃねえんだけどな、六年経っているとはいえ、みんな変わっちまって」

「ハルカも、いろいろ思うところがあるみたいなの。でも、誰も変わってなんかいないわ。だから、可愛いわたしは見守ることにしたの」

「母親みてえなこと言うようになったな」

「いちおう、母親だもの」

 そこで、立ち止まる。母親というワードとはまったく関係ない。しかし、家族、という意味では近しいのかもしれない。

 グレーフライアーズ・ボビー。その小さなスカイテリアの銅像の前で。
 スコットランド人なら誰もが知っているといっても過言ではない。スコットランド版の『忠犬ハチ公』、とでもいったところの、過去に実在した犬である。

「俺はよ……犬が嫌いなんだ」

 男は唐突に、そう言った。


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