箱庭物語

晴羽照尊

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エディンバラ編 序章

受け継がれていたもの

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 久しぶりの帰省――というほどでもない。少女は、若者たちの帰還が2026年十一月の終わりから十二月の初めころと言っていたが――そしてそれを疑っていたわけではないが、もしかするとなんらかの事故により、早めに還ってきてやしないかと、盆と正月には顔を出していた。もちろん完全な空振りであったのだが。

 それでも、帰るたびに懐かしい気持ちになるほどには期間が空いていた。今回もその例に漏れず、である。だから、紳士は屋敷の玄関前に立ち、郷愁にそれを見上げた。

「やあ、遅かったね、ヤフユ」

 その背に、不意に声がかかった。

「……ジン」

 ピクリと肩を震わせてから、振り返る。そこには当然のように、若者が立っていた。いつも通りの気障さで。

「この六年で、だいぶ成長したじゃないか。ぼくより背が高いな……」

 やや不満そうに、若者が言う。言うほど差のない背丈を、見上げるような視線で。

「ジン」

「大人になったような顔つきだ。ノラ……ではないね。レイに会ったんだろう?」

「レイ……?」

「なんだ。名も聞けなかったのか。まあ、きみは女性に対する耐性が低いものな」

「なんなんだ、あの人は?」

「それが聞きたいことだというなら、知る限りのことを教えてもいいけれど、そうじゃないだろう? ……まあ、入りなよ。疲れた。座って話そう」

 言って、若者は率先して屋敷に入る。いつもこうだ。年上だから、親代わりだから、そんなものは言い訳で、なぜだか若者にはペースを奪われる。そう、諦観して、紳士はその背を追った。

        *

 いつもの若者の書斎。そこに腰かけ、やはり若者は気障に足を組み、紳士に向き合った。

「では、用件を聞こう。おそらくお断りすることになる、用件をね」

 紅茶を飲んでいるかのような優雅さだ。もちろんそんなものは現在、現物そのものも、用意する者も、屋敷内に存在しないけれど。

「……『ムオネルナ異本』」

 若者相手に紆余曲折は悪手だ。ゆえに単刀直入に、紳士は切り出す。
 その単語に若者は、もしもティーカップを持っていたとしたら、カタリ、と音を鳴らすほどには、反応した。

「いま、その一冊はわたしたちが管理している。……そして、そのもともに、住んでいる」

「念のため確認するけれど、言葉を間違えるなよ、ヤフユ。適応者? 適性者ではなく?」

 そのよく似た言葉は、『異本』を扱う者たちにとって雲泥の差がある。その『異本』を十全に扱える者、『適性者』。そしてそれを超えて、『異本』を十二分に行使できる者、『適応者』。言うまでもなく、そこに優劣をつけるなら、圧倒的に『適応者』が上だ。
 そして、『異本』に対して存在する人数も、圧倒的に差がある。それの差異に関しても、言うまでもないだろう。

「ノラが判断した。それが嘘でない限り、間違いないはずだ」

 紳士が言うと、若者は押し黙った。
 ややあって。

「この六年のことをぼくは詳しく知らない。だが、ノラがその判断に関して嘘を言う理由は薄いだろう。……それで?」

 その事実自体は大問題だ。関わらなければいい。そんな次元の問題ではない。そもそもこの現実に存在している限り、関わらないという物理的な距離は、その『異本』に関して存在しない。

 どこの誰にとってもまず間違いなく、防御不可能。そして仮にその効能を自身に対して行使されたなら、死よりも怖ろしい結末に消え去るしかない。

 しかし、だからといって対処法もほぼ、存在しない。そんな人知の及ばない『異本』や適応者が存在したとして、自分になにができる? それは若者にとっても当然の疑問だった。

「ジンに、その子の教育を頼みたい。あの子が『異本』の力を暴発させないように。正しく使え――使えなくなるように」

 紳士は一瞬言い淀んで、言い直した。あの力は、人間が使えるべきものではない。だから、うまく使う――のではなく、使えなくなるように、と。

「その子……教育……」

 若者は単語を拾い、思惑する。少なくとも頭ごなしに即却下、というわけではないようだ。

「解った……断る」

 最初の言葉に、紳士は違和感を覚えながらも歓喜した。が、続く言葉に安堵しながらうなだれる。

 そうだ。それでこそ若者らしい。しかし、今回はだからといって、引き下がれない。

「そう言うだろうとは思っていた。……いちおう、理由を聞いても?」

「簡単だ。ぼくは子どもが嫌いなんだ」

「適応者が子どもだと、わたしは言っていない」

「だが、子どもだろう?」

「ああ、子どもだ」

 嘘をついても仕方がない。だから紳士は真実を即答する。

「それと、もうひとつ」

 最後の手段を口にしようと紳士が思い始めたころ、若者が指を立てて、そう言った。

「きみのせいで、レイが会ってくれなかった」

 拗ねた子どものような口調で、若者は、紳士を見る目を少し、細めた。

        *

「どういう意味だ?」

 紳士は言う。言葉通りだ。言っている意味が解らない。だから問い質す。

「言葉通りだよ。シャンバラから還った後、ぼくは一目散に彼女のもとへ向かった。白亜の扉。きみも見たんだろう? それを押し開け、そこに彼女がいなかったんだ。そのときの絶望を、できればうまく共有したいけれど、いまのきみではまだ、無理だろうね」

「……なにを言っている?」

 はたして目の前の若者は、自分の知っている稲雷いならいじんだろうか? 紳士は本気で目を――耳を疑う。確かにどこか読み切れないところはあった。だが、それでも若者は、いつもすべてを俯瞰し達観し、なにものにも縛られない孤高の強さを持っているように、紳士には感じられていた。

 それが、第二子が生まれて母親に構ってもらえない長男のようなことを口走っている。そんな姿、仮に彼の本当の姿だとしても、見たくなかった。紳士はそう、落胆した。

「そこにいたのは彼女ではなく、ただの下僕の一人だった。端的に言って、むさいおっさんだよ。吐くかと思ったね、ぼくは。……ああ、ハクではないよ?」

 はっはっは。と、若者は珍しく笑った。くだらない冗談を言って、それに対して、自ら。

「それで、やけににこやかに彼が言うところによると、『女神さまはあなたの働きにいたく感動している。が、本日はお疲れのご様子で、会えないそうだ』と。そして続けること、こうだ。『どうやらあなたの子が一人、近々会いに来るそうだが、心当たりは?』だと。誰のことかは皆目見当もつかなかったけれど、さっききみの顔を見て理解したよ。ああ、きみだったのか、とね」

 言葉も出ない。紳士がそう唖然としていると、若者はまた、続けた。

「いちおう言っておくが、べつにぼくはきみを恨んだりはしていない。ただ、あのときのきみの面会は、ぼくの代わりだった。もしもきみがいなければ、あのときぼくは、彼女に会えた。だからきみの頼みは聞きたくない。ノラかカナタ……あるいはハルカあたりに出直させることだね。……といっても、一つ目の理由が解消されたわけではないけれども」

 話は以上だ。と言わんばかりに若者は椅子を回転させて、紳士に背を向けた。

 話は異常だ。紳士は思った。いまだにその話が、若者の本心なのか判別できない。が、少なくとも自らの身を省みることはできた。

 レイ……といったか? あの人は危険だ。直接対面した紳士だが、ここでようやく、それを理解した。

「……ジン。この六年の話をしよう」

 それは胸にしまったまま、紳士は言葉を選ぶ。だが、それだけでは若者は微塵も反応しない。だから――。

        *

「『天振てんしん』」

 もしかしたらこれにも反応しないかもしれない。もしそうなら、仕方ない。彼の言う通り少女や、麗人に任せるしかないだろう。ひき――自宅警備員の娘には無理にしても。

 キィ……。だが、反応はあった。回転椅子を軋ませる程度だが、それでも。

「この六年間の、『天振』の詳細な観測結果だが、あなたには必要なはずだ。わたしの読みでは、ジン。あなたが興味をそそられるデータが、三つは含まれている」

「ヤフユ」

 若者が言う。やや語気を強めて。

「それは、交渉材料にならない。それを観測し、ぼくに提示することは、もとよりきみの役割だ。それは物心ついたころ、きみが自らぼくに持ちかけてきた、ここに住むための条件、だろう?」

「だが、残念ながら、わたしはもう五年ほど前から、ここに住んでいない」

 紳士は食い下がる。このあたりの理攻めでは彼に及ばない、そう理解していても。

「違う。あの契約は、無期限にここに住める権利と引き換えに、無期限にその情報をぼくに渡す、そういうものだった。もちろんきみを永劫、その役目に縛り付ける気はないが、その契約を解除するなら、その旨、ちゃんとぼくに申請して、ぼくが受理してからだ」

「契約? あれはそんなたいそうなものではなかった。少なくともそれを示す文書は存在しない。ただの口約束――」

「だとしても、きみはそれを覚えているはずだな? きみは自分に不利益になるからといって虚言を吐く人間ではないと、ぼくは信じているのだが、見込み違いだろうか?」

「そうだね」

 紳士は折れる。だが、引き下がらない。

「が、あくまで口約束である以上、それは契約とは違う。……そうだな、せいぜいが、家族間の取り決めだ。水曜は長男が風呂掃除をする。父親はごみの日には必ず、ごみを纏め出しに行く。その程度の」

「なら、その取り決めに従い、きみは情報を開示すべきだ。それを交換条件に使われるなど、それこそ家族に軋轢が生まれることだろうね」

 若者は。だから、紳士は勝ちを確信する。

「……確かに。……でも、ジン。わたしももう、二十一歳だ」

「ふむ?」

 そこでようやく、若者は振り向いた。成長した息子と、目を合わせる。

。父さん。あなたの言うことを聞くのは、もううんざりだ」

 若者の気を逆撫でるように、気障に肩をすくめて、紳士は言った。神経が逆立つ。体が痺れるような感覚を、紳士は感じた。

 しかしそれは、父親と呼ぶべき人物の破顔により、解消される。気障を通り越して安堵して、さらに肩を落とし、息を吐いた。

「……やや、遅すぎるが。仕方がない。……いいだろう」

 若者は立ち上がり、息子と肩を並べるまで前進した。互いに逆の方向を向いたまま並んで、立ち止まる。

 紳士はなんだか、自分の方が背が低いような錯覚に襲われた。それも、よほどの大差を隔てて。

        *

「それで――あまり聞きたくはないが、聞いておこう。ぼくはいったい、どんな子どもの相手をさせられるのかな?」

「シロ。……シロ・ヴィートエントゥーセン。六歳の女の子だ」

「六歳……きみとノラの子……ではないね」

「拾ったんだ。あなたと同じだよ」

「一緒にするな。ぼくは、きみたちが有用だから拾っただけだ」

「だから、同じだよ」

「……間違えた。ぼくは子どもが大好きでね。きみたちがあまりに可愛いから拾ったのだった」

「じゃあ、同じだな」

「……口がうまくなったじゃないか。……可愛げのないガキだ」

「親の教育が悪かったものでね」

 若者は観念したように苦笑した。


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