箱庭物語

晴羽照尊

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エディンバラ編 序章

いつかのふたりのように

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 稲荷日いなりび春火はるかの扱う『異本』、『一角獣ユニコーンの被験者』は知っている。刺客はその発動を悠長に見据え、心の中で再確認した。

 身体強化系。とりわけ、皮膚の強化。それも、彼女の癖なのか、右側に寄って強力に形状変化する。その、右腕を丸々、一本のいびつな槍に変えるような変貌にも、やはり変わらず刺客は沈着を保ったままだ。

 というのも、その性能はEBNAにて研究し尽くされていたからだ。彼女の『異本』だけでない。EBNAの敵となり得る――なり得べからざる者であろうと、発見された使い手の存在する『異本』は、すべて。
 だから――彼女のものに関しては、あくまで五年以上前のデータとはいえ――見た目とは反して、どちらかといえば防御型の、その『異本』。そのウリである硬度を完全に数値化して、しっかと刺客は把握していた。だからだ。

 特に、その防御力はおそるるに足りない。刺客は驕りでもない単純な事実として、冷静にそう判断したのだ。

「……ふうん」

 言葉は落ち着いている。だが、その表情は眠そうに怠惰であれど、驚きを隠しきれていない。

 怒りのままに突き刺した、右腕の槍。それが、刺客の体にぶつかるや否や、鈍い音をあげながら崩壊していったのだ。もちろん、刺客の体を微塵も傷付けないまま――どころか、一歩すらも後退させられないままに。

「硬いね。……防御系の極玉きょくぎょくか」

 自宅警備員は呟く。崩壊した自身の右腕を修復しながら。

「ええ、まあ。たいしたものではありませんが、防御力にはいささか自信がございます」

 あえてうやうやしく一礼し、刺客は言った。

鉄鱗巻貝人間ワースケーリーフット。現在発見されている生物の中で唯一、鉄を身に纏った生物――スケーリーフットの極玉を授かっております」

「あっそう」

 興味もなさそうに彼女は、再生成された右腕の槍をぶんぶん振り回し、勢いをつけた。

        *

 回せば回すほどに威力を増す、その準備態勢を、しかし刺客は、悠長に眺めていた。執事らしく後ろで手を組み、姿勢正しく、直立して。

「レベル10……」

 その勢いを滑らかに伝達。しっかと威力へ上乗せし、自宅警備員は右腕の槍を、思い切りに刺客の顔面へ突き立てた――!!

「……もしかして、それが限界ですか?」

 人体急所。その一点。顔面――それも、いかようにも鍛えようがない眼球への攻撃。それにも、微動だに防御の姿勢をとらず、余裕に受け切って、言う。さすがに一歩、後退はしたが、結局のところダメージらしいダメージはない。軽く片目を閉じ、硬質化した瞼の一枚で防ぎ切られた。

 いや、まったくのノーダメージでもないようだ。目尻。その瞼のひとかけらが崩れ落ちる。瞬間遅れて、刺客は崩れた瞼をいたわるが、それでもわずかな驚愕しか見て取れない。

「……本当に、思ったより硬いね。足腰も強靭。さすがはEBNAのバトラーだ」

 壊すつもりだったのに。彼女は小さく呟いた。

 表情はぼさぼさの髪に隠れている。だが、その声音は本当に驚いているふうであった。あるいは呆れているのか。いや、その呆れに似た声は、怠惰に生活してきた彼女の特性なのかもしれない。

 もう一度、壊れた右腕を修復する。あくびを漏らしながら。だが、そのあくびは途中で遮られた。

「そろそろ、こちらの番ですね」

 言うが早いか、これまでの悠長さとはうって変わって瞬間で、刺客はゼロ距離まで自宅警備員との距離を詰める。そして、握り固めた右拳で、単調な打撃を仕掛けた。

「――――!!」

 声すら出ない。出す前に、鈍い破裂音とともに、自宅警備員の体が後方へ吹き飛ぶ。彼女の体は食卓を見事に破壊し、その後方、キッチンスペースの多数の食器や調理器具を散乱させる。そして、さらに後方の木製の壁まで破壊して、彼女の体を屋外にまで吹き飛ばした。

 あらゆる障害物を薙ぎ払い、その距離、実に十メートル以上。そして、皮膚強化にて硬質化された鎧のような被膜にも全身へひびを入れ、破壊せしめている。完全に、力量差は明白だ。

「おや。だいぶ手加減はしたつもりでしたが」

 まんざらでもない表情で、刺客は言い放った。
 そして、残された男の子を、睨み下ろす。

        *

 目が、泳いでいた。

 どこか達観した男の子が、ここにきてわずかに、うろたえている。その様子を見て、刺客は執事である立場を差し引いても、歪む口元を隠しきれなかった。

 勝った。当然の結果ではあるが、生意気な態度と口をきく輩を屈服させるのは清々しい。それは、EBNAでの教育を経ても潜在的に喪失し得ない、彼の本性とも言えた。

「さて、白雷クロ。とっとと――」

 言いかけて、直観的に距離をとった。全身から汗が噴き出す。そんな――発汗ですら完全にコントロールできる教育を終えたはずのEBNAのバトラーが、動物的本能で恐怖した、のだ。

 見る。吹き飛ばした先を。
 必要以上に乱雑に破壊された壁の先。夕焼けが薄暗く輝きを落とす舞台に、黒い影がそびえている。

 縮尺が、おかしい。
 刺客がいる位置から、は十メートル以上、離れているはずだ。それが、すぐ目の前に立っているかのようなサイズの影となり、蠢いている。

 いや、問題はそれだ。蠢いている? いくら『異本』の効能で姿を変容させているとはいえ、もはやあれでは、異形の怪物だ――!!

「左だ」

 男の子が小さく呟く。
 だから、死ななかった。

「は、あ……!?」

 瞬間、その異形の怪物が、目の前に現れた。そして男の子が言う通りに、意識もせず左へ軽く、身をよじったのだ。だから、ぎりぎりで急所を免れた。

「レベル30」

 声が聞こえた気がして、次の瞬間には、またその異形の怪物と距離が開いていた。いや、開き続けている。その間に理解する。吹き飛ばされた。体は――損壊が激しい。右半身の60パーセント以上が失われている。防御は片時も緩めていない。そのはずだ!

「ぐう……」

 地に背が――右肩周辺は失われてしまったが――着く。空を見上げる。世界が血にまみれたような夕焼けが、妖しく滲んだ空。

 逃げなければ。ただただ刺客は、それだけを考えた。

        *

 肩で息をして、苛立ちを隠さず、自宅警備員は男の子を睨み下ろした。

「クロ。なんで助けた?」

 怒りにも近い。その感情にも、男の子は冷静に、一拍の間を置く。

「ハルねえに殺しなんかさせられないから」

「べつに初めてでもないよ、殺しくらい」

「それ、ゲームの話だよね」

「ふん」

 鼻で息を吐いて、自宅警備員は肩を落とした。ようやっと落ち着いてきたところである。
 異形の姿は鳴りを潜め、いちおうの人間らしい姿へ。それでもまだ、防備は解かないが。

「それに、たかだかレベル30。ハルねえだって相当に手を抜いただろ。……どうする? 追う?」

 男の子の言葉に、自宅警備員は吹き飛ばした先を見据えた。自分がされたときと同じ、建物まで損壊させた攻撃に、少しだけ後悔する。ああ、ノラにまた怒られるや、と。

「いいよ。どうせもう来ないだろ。……まあ、逃げられるかは解らないけれど」

 言って、彼女は『異本』の効果を完全に解いた。そうして、散らかった部屋に腰を降ろす。

「カナタは優しいからね。まあ、再起不能くらいで済むか」

 どうでもよさそうに寝転がる。あくびを漏らしながら彼女は、早くもうとうとと、何事もなかったかのようにだらけだした。

        *

 失われた器官を再構築する。スケーリーフット――和名、ウロコフネタマガイの極玉から引き継いだ能力は、体中の鉄分を自在に操り、自己の肉体として構築することにある。今回のことがなくとも刺客の体はとうに、ほとんどの部位をその能力で作り直したものだったのだ。

「とはいえ、これだけの損壊をたったの一撃で受けたのは、久しぶりですね」

 いつぞや、一度だけあった。そう、あれは、EBNAでの実験でのこと。EBNA始まって以来の最高傑作と名高い、あの者との――。

「ハルカを怒らせたんですね。だめですよ。執事さんなら、常に紳士さを保たないと」

 背後からかけられるその声は、敵と認める相手に投げかけるには、圧倒的に優しかった。だからといって、油断したりはしない。刺客は最大限の注意を払い、振り向いた。……はずだった。

『お嬢。どうしてくれようか、この、狼藉者は』

 それだけの心構えをして見ても、その衝撃は、さきほど見た怪物と同等か、それ以上。

「うん。……殺しちゃだめだよ、ヤキトリ。人間、死んじゃったらなにもかも、おしまいなんだから」

 あどけなくも優しい、声と言葉。いや、優しい声音……だからこそ、怖ろしい。

『お嬢がそう言うなら、そうしよう。……よかったな、感謝するといい』

 その、天使のように神々しく、悪魔のように力強い、炎を纏ったは、無慈悲に、声と、熱を落とした。

 鉄をも溶かす、劫火。太陽を落とすが如き、神聖で、抗いきれない炎熱。

 暮れる夕焼けのような、優しい優しい炎の中。鉄の体を液状にまで変えられ、死にはしなかったものの、刺客は、精神的に壊滅した。


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