箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
110 / 385
エディンバラ編 序章

光を求める者

しおりを挟む
 同日。
 インド、コルカタ。

 このころにはとうに紳士はこの地を離れているが、淑女は自身の言の通り、『仕事』で留まったままである。

 淑女の仕事――仕事と呼べるものではない、ただのボランティアだが、『本の虫シミ』の拠点、そのいくつかに内在する施設、神域。その、清掃。コルカタにあるのは、『女神さまの踊り場』と呼ばれる、白亜の部屋である。

「といっても、なあんもないんですけどね」

 ときおり件の『女神さま』とやらが現れるらしいが、淑女はいまだにお目にかかったことがない。だから、実際のところそんな人物|(?)など存在しないのではないかとも訝しんでいた。

 しかし、彼女の兄とも呼べる紳士が、つい先日出会ったと言っていた。だとしたら、この場所の存在意義もあろうというものだ。

 人間、意味もない仕事に懸命になどなれない。だから、この日の清掃はなんとなく淑女にとって、気分のいいものになっていた。

「うぉーい! ルシアちゅわぁーん!」

 魔女のような竹箒で埃を払っていた淑女に、遠くから声がかかる。見ると、白亜の扉を開け広げ、金髪の悪人顔をした男が、気色悪く満面の笑顔で手を振っていた。

「あっ、リーダー! お疲れさまです!」

 しかし、淑女は文字通り淑やかに、笑顔で手を振り返した。その笑顔とたたずまいから、彼女は掃除ボランティアの男性諸氏に絶大な人気があるのだが、本人は気付いていない。

「お疲れお疲れ! いやあ、一番に来て掃除を始めてる! 相変わらずルシアちゃんは偉いなあ!」

 その、一般的には気色の悪い笑顔や猫なで声にも、嫌悪などまったくなく、柔らかな笑顔を返す。淑女はまさしく天使のような神々しさで、対応した。

        *

 さほどの広さもない。二十畳ほどの簡素な部屋だ。とりたてて家具もないゆえに、掃除もそれほど手間ではない。ゆえにこの日の掃除は二人で行うこととなっていた。

「ひゃっはあ! いくぜ! 必殺! 『真空埃落とし』!!」

 悪人顔は雄叫びをあげ、筋肉質な体を思いのほか身軽に跳ね上げ、竹箒を振り回した。だいぶ頭の悪い、小学生のような技であったが、しかし効果は出たようである。天井付近の埃も見事に落とし、華麗なるポーズを決めた。

「きゃー、リーダーすごいです!」

 控えめな性格である淑女も、こういう場ではノリに乗る。というより、彼女がビクビクと挙動不審になるのは、あまり接点のない相手であったり、あるいは、現在では父代わりとなった紳士に対してくらいだ。

「でへへぇ……そうかな? 格好いい?」

「いえ、格好はよくないです」

 彼女は意外とストレートにものを言う。そんな棘を急所に刺し貫くような言葉に、悪人顔はうなだれた。

「なに遊んでんですか」

 そこへ、運悪く『本部』の人間がやってきた。金髪のおかっぱ頭をさらさらと靡かせた、育ちのよさそうな優男である。

「ゼノ! てめえ、なにしにきやがった!」

 悪人顔の、顔に似つかわしい野蛮な言葉に、優男はひとつ、ため息をつく。

「あのですねえ、あなたの貧弱な脳味噌であれば、足りないボキャブラリーは仕方がないとしても……いちいち突っかかってくるのやめてもらえません?」

 まさしく、悪人顔を近付けてガンを飛ばしてくる彼を躱し、優男は後ろの淑女へ声を上げる。

「清掃のあなた。今日はもういいですから、倉庫の方へ行って、隠れていてください」

 隠れる。という、その不穏な言葉に、淑女は首を傾げた。

「敵襲です」

 だから端的に、優男は付言する。

 ――――――――

 少し舞台を戻して、イギリス、エディンバラ。

「なるほど、ハルカ様が。……ノラ様がそう言うのでしたら、うちの者では手に負えないのでしょうね」

 少女の確信しきった言葉に、メイドは簡単に納得した。しかし、話はまだ半分だ。

「とはいえ、もとよりそちらはオマケのようなもの。そもそも当初より、みなさまに等しく刺客は差し向けております。スマイル様はご存じありませんが、『テスカトリポカの純潔』をお持ちなのは――」

「ふうん?」

 言わんとすることを読み取って、それでも少女は余裕そうに声を上げた。あえてメイドの言葉を遮るように。

「……なにか?」

「気付かないの? いいえ、あなたは気付いているはずよ」

 少女とメイドは見つめ合う。

 メイドは気付いていない。そんなはずはないが、そこから目を逸らしている。そう少女は、見抜いた。

 少女はなにかを確信している。だから、メイドは「このままではいけない」と、余裕のある態度を崩して、構えた。

 ――――――――

 コルカタ。ここは世界屈指のメガシティであり、人口密度は日本の東京と同等か、それ以上である。

 その発達した都市部から南部へ向かうと、コルカタ一有名といって過言ではない宗教施設、カーリー寺院がある。その名の通り、ヒンドゥー教における有名な女神、カーリーを祀る寺院だ。

 カーリー寺院に向かう参道には、お供え物などを販売している店が並んでいるのだが、その一角から裏道へ入り、ある建物から地下へ降りると、この『本の虫シミ』のメンバーが隠れ集う、いまだ健在な施設へと辿り着く。

 そんなことを当然のように知っていたその刺客は、初めて訪れるその複雑な経路を、メモなどを見ることもなく、滑らかな足取りで進んだ。進んで、到達した。

「失礼。お初にお目にかかります。EBNA。第八世代第三位、ガウナ・ラーニャスルクです」

 だいぶ若く見える。気障ったらしい深紅のタキシードに身を包んだ、短い赤髪の執事だった。十代にしか見えない幼い顔つきだが、気負った感じはしない。少数とはいえ、戦闘部隊が多く所属しているコルカタの施設へ、それと解って訪れているはずなのに、である。

「唐突に現れて、何用なのだ? わっぱよ」

 腰を降ろしていてもなお山のような巨躯の大男が立ち上がり、低い声を放つ。

「カイラギ・オールドレーンさんですか。あはは、これは人間離れしています。『異本』を持たぬままでも、倒すのは困難でしょうね」

 快活に笑い、刺客は言った。やはり気負った様子など感じさせずに。

「まずはあなたがお相手をしてくれるのでしょうか? 楽しみです」

「随分と安く見積もられたものだ」

 安易な挑発に乗る大男。しかし、優男がそれを制止した。

「カイラギさんはご自身のやるべきことをやってください。……ハゲさんとアリスが出払った手薄なところを狙われているんです。なにかしら策はあるのでしょう」

「あはは、深読みは不要ですよ、ゼノ・クリスラッドさん。わたくしはただ、こちらに探し物をしにきただけです。もちろん、いくらでも争う気はありますが、手を出さない相手をやたらめったら蹂躙する気はありません。つまり、敵意はないのです。わざわざ策なんて弄しませんよ」

 張り付けた笑顔を浮かべ、気障なポーズで言い放つ。

「でも、タギーさんもアリスさんもいないのですか。それは、つまらない」

 少しだけ困ったような苦笑いで、大袈裟に消沈を示す。だから、もとより気の長い方ではない優男は、眉間に皺を寄せた。それでも冷静に、まずは大男と、そばにいた子どもたちを下がらせる。

        *

 六年ぶりに地上――地球に還ってきた優男であったが、戻ってみると『本の虫シミ』の情勢は最悪というほどまでに落ち切っていた。が、しかし、それでもコルカタのチームには新人も加わり、そこそこの活気が残っていた。とはいえ、その間ずっとその場にいなかった優男である。当然、新人からはあまりよくない目で見られていた。しかし、それはすぐ、ハ――スキンヘッドの僧侶や、古参の大男からの口利きもあり、解消された。

 具体的には、彼はすぐ、新人たちと打ち解けた。それだけでなく、いちおうは先輩として信頼され始める。その理由には、彼自身の戦闘能力の高さも含まれていたのだろう。

「あの新人たちも意外と使い物になりそうです。あなたと違って、素直ないい子たちですよ」

 淑女を倉庫へ逃がした後、優男は悪人顔へそう言った。言葉とは裏腹に、どこか不満そうな口調で。

「そんなことより、てめえはさっさと戻らなくていいのか? ルシアちゃんを逃がしても、ここまで攻め入られたら元も子もねえだろうが」

 その言葉に、優男は心底驚いたように、大袈裟に眉を上げた。

「……なんだよ?」

「いえ、『元も子もない』などという慣用句を、あなたが知っているとは……少々面食らったもので」

「俺を馬鹿にし過ぎだろうが!」

「これでも過大に評価していたつもりだったんですけどね」

「馬鹿にし過ぎだな!」

「まあ、それはともかく」

 悪人顔の叫びを無視して、優男は話題を戻す。

「あなたとは比べようもない優秀な新人ばかりです。そう簡単に突破されたりは――」

「ああ、やっと見つけましたよ、ゼノさん」

 タイミングよく、その声は一糸の乱れも持たぬまま、優男へと投げかけられた。

「かの有象無象たちでは私を満足させるに至りませんでした。つきましては、次はあなたにお相手いただきたく」

 無邪気な十代の笑みを浮かべ、その刺客は言った。その両手に、複数のアイスピックを握り締めて。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Re:コード・ブレイカー ~落ちこぼれと嘲られた少年、世界最強の異能で全てをねじ伏せる~

たまごころ
ファンタジー
高校生・篠宮レンは、異能が当然の時代に“無能”として蔑まれていた。 だがある日、封印された最古の力【再構築(Rewrite)】が覚醒。 世界の理(コード)を上書きする力を手に入れた彼は、かつて自分を見下した者たちに逆襲し、隠された古代組織と激突していく。 「最弱」から「神域」へ――現代異能バトル成り上がり譚が幕を開ける。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...