箱庭物語

晴羽照尊

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エディンバラ編 本章

心から目をそむけて

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 ガラスの針が、割れ、散乱する。
 男の体に刺さったそれらも、すべて。

 その半分は、敵方が自ら、破壊したようだ。理由は、男を攻撃するため、邪魔になったから。

「聞こえなかった? ハクは『どけ』って言ったのよ」

 残りの半分を破壊した少女が、前方左右から男を襲う二人のメイドへ、視線をそれぞれ一度ずつ向けて、言う。メイドたちは、反応できない。自分たちの頭部に、なにかが触れた。かと思えば、互いにそれぞれ、左右の壁へと吹き飛ばされている。そうして意識を失いかけてようやく、

「まっすぐ進みなさい! ハク!」

 少女の叫びに、男は答えない。ただただまっすぐ、メイドへと詰め寄る。

「寄らないで、ください」

 メイドは潤んだ目で、呼吸もままならないような、引き攣った声で、言って、構える。伸縮性の警棒だ。いつも通りの、彼女の武器。だが、それでももはや、敵としての恐怖などない。むしろこれでは、怖がりの子犬のようだ。ただ周囲のなにもかもに怯える、小さくて弱い、子犬のような。

「メイ。俺は、好きにする。だからおまえも、好きにしろ」

 男は言いながら進む。他にも多数のメイドや執事がいたが、すべて少女が抑えているらしい。周囲でいくつもの音が響くが、男にダメージは及ばなかった。

わたくしは……私は……」

 メイドは男の歩に合わせて後ずさる。怯えたように。触れられたらそれで、もう後戻りができないと、解っているかのように。

 そのとき、ふ、と、空気の抜けるような音がした。

「やれやれ、仕方がない人ですね」

 それは、メイドとよく似た声で、メイドのいる、その、すぐそばから、響いた。

 EBNA。第八世代第四位。ザイリーン・エンヴァ。
 同。   第八世代第五位。ルイエルン・エンヴァ。

 23:57 昏倒により戦線離脱。

        *

 キイイィィ――ンン!!
 と、ふと、甲高い音が響いた。メイドがいる、そのあたりから。金属がぶつかり合って、せめぎ合う、いやな音が。

「な……フレ――」

「なにをされるのです! アルゴ様!」

 メイドがなにかを言いかけた。それを掻き消すような、必要以上の大声で、もう一人のメイドが叫ぶ。彼女はよく見ると、あの日、メイドとともにグレーフライヤーズ・ボビーの銅像の前で対峙した、メイドとよく似た、少し幼いメイドだった。

 その二人がそれぞれ、伸縮性の警棒、あるいは棍を構え、ぶつけ合い、鍔迫り合いのような形で向き合っている。まるで、どちらかがどちらかを攻撃したような図で。

「どうかしましたの? フレスカ?」

 褐色肌のメイドが――彼女は指揮官らしく少女へも、男へも特段に攻撃などせず、悠長に構えていたが――二人のメイドの方を向き、幼い方へ声をかけた。

「アナン様! アルゴ様が急に攻撃を!」

 不意を突かれ、攻撃を防ぐのに精いっぱい。といった面持ちで、彼女は叫ぶ。

「フレスカ……なにを言って――」

 メイドは抗議に声を上げようとした。しかし、力強く押し留められ、うまく声が上がらない。そんな彼女へ顔を近付け、幼い方のメイドが、ぼそり、呟く。

「いいかげん、素直になってください」

 真剣な面差しで。それでも、目を細めて、どこか、羨むように。
 そして、力を込めて押し返す。中距離、幼い方のメイドが扱う棍、その武器に有利な距離を隔てた。

「反逆は大罪です、アルゴ様。どうぞ、そちらへ」

 棍で牽制しつつ、幼い方のメイドは、もう一人のメイドを、奥の部屋に追いやった。そして一瞬、男と目配せる。いや、ただ『見た』というだけかもしれない。彼女の瞳は、無機質なそれだった。それなのに、なぜか男は、その内に感情を見たのである。

「……フレスカ。あなた一人でよろしいのですの?」

 指揮官であるらしい、褐色肌のメイドが問う。

「アルゴ様の攻撃パターンは理解しています。私一人で十分でございます。……それに、この場の戦力をこれ以上割くわけにはまいりません」

 幼いメイドは警戒を解かないままに、そう告げた。その間も、棍の先でメイドを牽制し、奥の部屋への扉に追い込みながら。

「ふうん」

 褐色肌のメイドが、含みを持たせて、鼻を鳴らす。

「いいわ。あなたがそう言うのでしたら。お好きになさい」

 その言葉で皮を切ったように、メイドは奥の部屋へ素早く逃げた。そしてそれを追う、幼い方の、よく似たメイド。

 やはりその幼いメイドは、最後に一瞥、男と目配せるように、ちらりと見て、行った。

        *

 三人の執事、二人のメイド。その同時攻撃を受けて、一瞬、動きが止まる。

「なにしてるの!? あなたはまっすぐ進みなさい!」

 さすがに少女も押され気味で、声だけが男に響く。

「くっ……そ……!」

 深紅のタキシードを着た執事のアイスピックを、少女はいなす。

 別方向から襲う、銀縁メガネを知的にかける執事は、すでに極玉きょくぎょくとの同調シンクロを終えているようで、黒の羽毛に包まれ、小さく翼も生えている。彼は、人間を超えた驚異的な速さで、飛翔と呼ぶには低いが、跳躍と呼ぶよりは高くまで跳ね、三次元的な移動法で少女を翻弄した。

 最後の執事は、しゃくれた顎とリーゼントを回しながら、ヌンチャクを二組振り回し、手数で少女を襲う。それは、攻撃を仕掛けるごとに徐々に勢いを増していくようだった。

 また、メイドの一人は、ボーイッシュな黒のショートヘアで、顔付きも幼く、靴まで隠れるような、サイズの合っていないメイド服を着ていた。彼女は瞳の色を隠すように常にしっかりと目を閉じ、笑っている。ゆえに、気色悪い。また、その手に握るは、彼女の小さな背丈以上もありそうな、長大な日本刀。それを重さも感じさせないほどに軽く構え、慎重に少女の隙を見定め、的確に居合抜きを仕掛けていく。

 二人目のメイドは、ぴょんぴょんと跳ねるような髪型をしており、まるで寝起きのようだ。目付きも柔らかく眠そうである。しかし、その繰り出す徒手空拳は、少女に一対一で向かっていき、一撃を入れられるくらいには極められていた。

 それら、一人一人でも容易にはいかない執事とメイドを一挙に相手にして、それでも少女は、その先を見ていた。

 薄ら笑う、褐色肌のメイド。いまだ攻撃手段すら見せない、敵の指揮官。そんな彼女が、奥の部屋への道を閉ざしている。メイドや、それとよく似た幼いメイドが移動した、奥の部屋への。

「どけ。俺はもう、容赦しねえ」

 男は、だから言う。少女は言った。「まっすぐ進みなさい」。それを愚直に聞き入れて、それを愚直に達成しようと。

「あら。それはそれは、気が抜けませんね」

 褐色肌のメイドは、どこかあざ笑うかのように、男へ視線を落とした。

 ――――――――

 施設の最奥。薄暗く、数々のモニターや、いくらかの機器が、耳に聞こえる・聞こえないを問わず電子音を、低温火傷のようにじんわりと響かせる部屋。

 しっかとした教育を行われているEBNAの執事バトラーメイドナニーだからこそ顔には出さないが、その部屋はある一人の人間を発生源とする異臭が充満していた。

「いひひひ。来たか、……まあ、座りなさい」

 その異臭の発生源である醜男ぶおとこは、気色悪い笑い声を発して後、他の者にするよりもやや柔らかい猫なで声で、を出迎えた。

「はい。スマイル様」

 まばたきほどの間だけ空けて、彼女は応える。もちろん、初めて入るその部屋に――その臭いに、眉ひとつも動かさず。

 まあ、彼女はそれでなくとも、もとより鉄面皮な女の子だったが。

 彼女は瞬間の思案の末、その醜男が寝転がるベッドの向かいにあるソファに腰を降ろす。正面から醜男の、上半身裸で露出した、肥え太り締まりのない体を一瞥。相手に不快感を与えないように、口元だけほころばせた。

「ふん……」

 彼女が腰を落ち着けるのをゆっくりと見届けてから、醜男は小さく息を吐いた。だから、彼女は立ち上がる。

 なにかを間違えた。そう、感じた。しかし、その場にあるは多くない。ここより、別となると――。

 瞬時に考え、彼女は醜男へ近付く。目前まで達し、その隣。ベッドの上に、腰を降ろした。

「いひっ……」

 過呼吸のように、醜男は一笑した。その声質から、彼女は正解したと理解する。そこに喜びはなかった。だが、不快感もない。

「なあ、ラグナ。どうだった、氷守こおりもりはくは?」

 幼メイドに問いかける。その肩に、太く毛深い腕を回し、その美しいスカイブルーの髪を撫でながら。

「はい。……スマイル様がお気にかけるほど、戦闘力はないものと思われました」

 横目でちらりと、幼メイドは醜男を見た。失礼のないように気を付けながら。

「そうではない」

 と、言うが早いか、幼メイドの鼻は、むせるような臭気の中に押し込まれていた。反射的に離れようとする意識を無理矢理押し留め、されるがままに抱き留められる。裸で毛深い、醜男の胸だ。後頭部が、しっかと抑え込まれている。身じろぎすら、相手を不快にさせるかもしれない。
 親も同然の、この施設の長だ。反抗することなど許されない。

「こぉんなふうに、抱かれていたか? なにを言われた? いいや、知っている、言わなくていい」

 徐々に醜男の顔が降りてくる。じょりじょりと、その度に幼メイドの頬を、鼻先を、胸毛が擦れた。そして最終的には、二人の顔が並ぶ。互いに逆の方を向き、耳と耳をぶつけるような。そうしてようやっと、幼メイドはきつい臭気から、少しだけ解放された。

「『おまえはこの世界に住む、ひとりの人間だ』とか、なんとか。それを聞いてどう思った?」

「私は――」

「虫唾が走っただろう?」

 虫唾が、走った。その、ねっとりとした声に。だが、それを強制的に抑え込む。おそらく、バレていない。

「人間、だと? おまえたちは道具だ。我々の生活を豊かにするために生み出された、替えの利く、とことんまで使い尽くされるための、ただただ有効に活用され、使い終われば廃棄されるだけの、ただの道具だ。……そうだろう?」

「はい。その通りでございます、スマイル様」

 即答する。本心だ。それを、悲しいとか、辛いとか、不幸だとか、そんなことを、幼メイドは思わなかった。だが、それが普通ではない世界をも、彼女は知ってしまっていた。

「よろしい。……では、始めようか」

 醜男は頭をひと撫でし、体を離した。そしてそのまま、幼メイドをベッドへ横たわらせる。

「はい。スマイル様」

 幼メイドはまだ十四歳だ。だが、これからなにが行われるのかを理解していた。

 それでもなにも感じない。いつからだろう? なにが起きても、なにがあっても、なにも感じなくなったのは? そう、思い起こす。

 昔は、ちゃんとあったはずだ。それでも、よい思い出などない。だからか、うまく思い出せない。

「……どうぞお気の向くまま、私をお使いください」

 幼メイドは少しだけ長く、瞼を閉じた。うん。やっぱり、思い出せないや。と、心の中だけで、笑う。


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