箱庭物語

晴羽照尊

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長崎編

授かったものと奪われたもの

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 真冬の海岸を、ひとり、歩く。数刻前のことを思い起こし、授かった、彼女の形見を見つめる。

 とうに古ぼけて、本来の用途には使えもしないだろう。その、一振り。柄巻も一部が切れ、解けており、鞘の表面に装飾された金属は全体として錆び付き、一部塗装も剥げ、その下の鮫皮や、あるいはほおの木まで覗いていたりもする。やや力を込めて刀身を抜いてみると、やはり錆びだらけだ。折れ・曲がりこそないものの、こんな状態ではもはや、錆を落としたところで使えるとは思えない。

 ……いやしかし、あのとき、彼女は確かにこれを使っていた。彼女との戦闘は、夜半、暗がりの中で行われた。ゆえに、その刀身をしっかと見たわけではないが、よくよく思い返せば、当時から錆び付いていたはず。それでもこの一振りによって、女はいくらか苦戦を強いられたのだ。

 江戸時代中期、三代目箸蔵はしくら霜銘そうめいが作、『花浅葱はなあさぎ』。その名を表すように、錆の隙間から覗く刀身は、わずかに緑がかった青色に、鈍く輝いている。

 彼女は、これを振るった。しかし、そうだ。彼女の斬撃は、決して女を切るために振るわれてなどいなかった。もっとずっと、遠くから。それはまるで、演舞のような。それを女は、自分を傷付けまいと、威嚇のためのみに振るっているのだと思っていたが、もしかしたら、それこそがこの刀での攻撃だったのかもしれない――。

 女は、そう思い、軽く『花浅葱』を持ち上げた。

 そして一気に、振り降ろす。



 …………。



「……解らんな」

 そこになにやら特異な力が宿っているのではないかと思ったのだが、しかし、理解はできず、女は刀身を、鞘へ納めた。

        *

 刀のこと。あるいは、彼女のこと、村長や少年、あの村の人間のこと。いろいろなことをぼんやりと考え、海岸を歩いていたら、ふと、背後、遠くから女は、声をかけられた。

「おおうい……ホムラさぁん!」

 ん? と思い、振り返る。聞き慣れた声のようだが、誰だ? 村長? 少年? 他には、この町に知り合いなどいないはずだが……?

「……なれ――!!」

 遠目でも瞬時に解る。黒い袴に袖口の広い白い上着。平安時代の貴族のようで、あるいはその戦闘方法から、陰陽師のようでもある、独特な服装。深緑色にうねる、ワカメのような髪。そんな青年が、漆塗りの扇を目印に掲げ、振り、なぜだかにこやかに駆けて来る。その笑顔は、駆けることでやや疲れているが、女の記憶からして、過去に見たことのないような爽やかさだった。彼の笑みとは基本的に、ニタニタといやらしく、一物を含んだようであるはずなのに。
 そう、すぐに違和感を覚えるが、それでも、女は突然の敵襲に、臨戦に構えた。使えはしないだろうが、新たな刀、『花浅葱』に手をかけ、逆の手では、コートの内ポケットに入れた藍色の装丁の『異本』、『嵐雲らんうん』に触れる。

「シキ――!!」

『嵐雲』の出力を最大に、そして一気に一撃で、仕留める!

 そう思い。女は力を込め――。

「あああぁ! ちょっと待ってちょっと待って! スト~ップ!」

「はあぁ?」

 語尾を上げ、女は首を傾げる。ようやっと、認識が追い付いてきた。おかしい。あまりにあの青年は、女の知る者と違い過ぎる。
 誰かが作り上げた幻覚? あるいは、青年が持つ『異本』、『太虚転記たいきょてんき』のような、実体を作り出すなんらかの能力により生み出されたなにか……?
 そう、彼の存在を疑い、戦意を衰えさせた女だったが――。

「うげー!」

 お粗末な声を上げ、青年は見えない壁にでもぶつかったように、後ろへ倒れた。

「……あ、すまん」

 そういえば忘れていた。女はまだ、『嵐雲』を完璧には扱いきれていない。暴発した風は、いともあっけなく青年を倒した。……物理的に。

        *

 とはいえ、腕力と頑丈な体がウリの青年である。ダメージ自体はほぼなかったようだ。ただ身を起こし、少しだけ顔をさすっている。

「で、なんじゃ、今日は。……こう言っちゃ悪いが、変なものでも食ったのか? 普段とあまりに様子が違うようじゃが」

 こう目下に見ると、明らかに敵意はない。顔を合わせれば殺し合い、奪い合いばかりだった女と青年だが、今回に限っては戦う気はないようだ。と、女は理解した。

「え? あー、えっと。……普段のこいつってどんなんだ?」

 愛想笑いをし、青年はなにごとかをぼそりと呟いた。その言葉は女には、しっかりとは聞こえていない。

「なんじゃと?」

「ああ、いえ、なんでもないなんでもない。ははは」

 立ち上がり、時間を稼ぎつつ、青年はの記憶を辿る。織紙おりがみ四季しき、32歳。この灼葉しゃくようほむらとは義姉弟となるはずだが、どうやら仲違いをしているらしい。
 ……いや、いま人間関係はどうでもいい。まずは、織紙四季らしい言動だ。怪しまれ見抜かれることが一番問題なのである。『憑依』の才能は、本人でないことがバレたら解除される。そうなれば、あの『神』からの依頼は果たされず、どんな目にあわされるか解ったものではない!

「えっとですね、ホムラ、さん」

「……なんじゃ」

 怪しまれてる怪しまれてる! 青年は思い、咳払いをひとつ、挟んだ。

「ぼ……身共みども、は、ちょっと今回、ホムラ……に、頼みが……いやいや、これは契約――そう、一時的な、共闘契約だ」

「断る」

 なんとか青年らしい言葉遣いを模してみたが、すぐに断られた。

「なんでっ!?」

 だから、素が出る。それに対して女は、やはりわずかに訝しみ、目を細めた。

「なにを企んでおる? いや、企んでおるにしても奇妙じゃな。なんじゃ、何者かに弱みでも握られたか?」

 とはいえ、その程度でこんなおかしな言動をする者だとも思いにくいが。と、女は思いながら、敵の真意を探るように視線を向け続けた。
 青年――というより、その内に乗り移った、異世界転生者であるところの少年は、ふと本当のことを言い当てられ、瞬間どきりとする。

「ま、ま、まあ、そんなところ、かな……。いや、まあ、ともかくだ!」

 青年は少し声を強く発し、気合を入れる。もうある程度おかしくとも、ここに来るまでに考えておいたプランで押し切る! そう、青年は覚悟して、提案を始めた。

「ネロ・ベオリオント・カッツェンタ。……知ってますよね、ホムラさん」

「……知っておるもなにも、いつぞやわらわたちに突っかかってきたガキじゃろう? その後、裏の世界で名が知られるようになったことは、知っておる」

 女は努めて冷静に、そう返した。お互いが共有しているはずの情報を、内心を悟られぬように。

 そして、自分だけが知っている情報をも想起する。『世界を正す者』。を、そう呼んだことを。

「なんじゃ、まだ生きておるのか。あれほどに危うい存在も、そうおらん。が、あやつもそろそろ成人したころか? ……なるほど、そんな歳まで成長したというなら、厄介じゃな」

「そう、本来なら、十年前にカタをつけるべき相手だった」

 低く、小さな声で、青年は言う。後悔のような、懺悔のような、忌々しげな口調で。

「……それで?」

 なにかに負い目を感じているような青年へ、女は先を促した。

「ああ、それで。……やつを、今度こそ止める。この世界をぶっ壊させるわけにはいかない。だから、やつの討伐まで、休戦して、力を貸してほしい。……ホムラ姉さん」

 その言葉に、女はピクリと反応した。彼女が姉と慕われることに憧れを抱いている、という情報は、青年の内にある。それを、利用したのだ。

 その提案に、女は静かに、刀を抜き、応える。

「……気持ちが悪い。……切ってよいか?」

「ひいいいぃぃ!!」

 青年は、震え上がった。恥も外聞もなく。

 しかし、女はすぐに、その錆びだらけの刀身を、鞘へ戻す。もとより切れはしないほどに錆び付いている。どちらにしろそもそも、鈍器くらいにしか使いようもないだろうし。

「冗談はさておき」

 一度嘆息して、女は少しだけ、表情を緩めた。

「よかろう。今回だけは汝の口車に、乗ってやる」

 いつか『パパ』と慕う老人が、あの死の数日前に語っていたこと。『世界を正す者』、ネロ・ベオリオント・カッツェンタは、人類へ選択を迫るだろう。そういう、予言のような言葉。その意味は女にとって理解しかねるものだった。しかし、その者に会い、場合によっては破壊活動を辞めさせ、あるいは息の根を止めることは、その意味を理解するのに有益であろう。そう、思って。

        *

「それで、彼奴の居所は掴んでおるのか?」

 女は、久しぶりに並び歩く弟へ問うた。

「現在地、は、解っていないのですけど。しかし、次にネロが向かう場所は解っています」

 青年は、やけに自信たっぷりに、そう答えた。よほど信頼性のある情報なのだろう。

「ロシア連邦の首都、モスクワです」


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