箱庭物語

晴羽照尊

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長崎編

愛情と痛み

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 まあ、それはともかく。と、村長は仕切り直した。

「うちの家系は代々、村長を引き継いできた、というだけで、だいぶ村人たちからは信頼されてましてね」

 自分で言うのもなんなんですが。と、現『村長』は照れるようにはにかんだ。

「一代飛ばして、久しぶりの男子でしたから。……ああ、あの子を産んですぐ亡くなった母親というのが、私の一人娘で、男子が久しぶりだったんです。……それで、村の人たちからは特に、あの子は可愛がられていましたから。その彼が慕った相手なんです。村の皆も邪険にできなくなっていった。まあ、阿千あちさんのことが風化し始めたという要因もあるのでしょうが」

「そうじゃったのか。……それは、あのガ――お孫さんには、悪いことをしたのう」

 特別に村長に敬意を払っているわけではないが、さすがの女も、本人を目の前にその孫を悪く呼ぶことは躊躇われたようである。

 そして、思い出す。あの日、女が『異本』を彼女から取り上げようと、その彼女と戦っていたとき。かの少年もそこに、いた。いま思い返しても女には、そのときの少年――というより、当時は小学生くらいの年齢であっただろう男児のことは、どうにも面影を思い出せなかったが。
 しかし、ああ、そうだ。確かに彼はあのときも、女へ石を投げつけていた。いまよりもよほど狙いが悪く、よほど威力のない、一石。それでも確かに、その下手な一石は、一度だけ女へ命中していた。今日この日と、同じように。

「……すべて、よかったのだと思います。あの子も、村の人間も、あるいは私も。ずっと踏ん切りがつかないままでしたから。そして誰よりも、阿千さん自身が。……もうとっくに、死ぬ機会を逸してしまっていた。身勝手な考えでしょうが、私はそう思っています」

 その言葉に、女は、地下世界でのことを思い出す。そこで出会った、彼女の夫。ミジャリン・スノウ医師。彼へ、その妻が死んだことを――自分が死を突き付けたことを、告白したとき。その、一言を。

「人間は、いつか必ず死にます。……いや、死ななければならない。そこにひとつの例外もあってはならないのです。だからこそ我々は、限りある時間を大切にできますし、あるいは、永劫の痛みや恐怖に、怯えなくて済む」

 その言葉は、その言い回しは、どちらかというと、後者を伝えるためのものだった。そういうふうに、女には聞こえた。
 それは、女とて同意見だ。あんな、死を逸してしまった姿を、見てしまったら。

        *

 少々話を変えるが、いまから約800年前に神聖ローマ帝国皇帝、フリードリヒ二世が行った実験をご存知だろうか? ……と、問うてみても、内容を聞かねばさすがに、賢明なる読者諸氏にも想起は困難であろう。

『愛情を与えられずに育てられた赤ちゃん』。仮にその実験に名をつけるなら、そのようにでもなるであろう。かの皇帝は愛情と生育との因果関係に疑問を持ったのだ。

 実験はこうである。生まれたばかりの赤ちゃんを50人集め、世話をする。だが、その際に、乳母たちは、赤ちゃんと目を合わさず、笑いかけもせず、話しかけない。肌と肌の触れ合い、スキンシップすら禁止する。ただし、それら『愛情』とも呼べるもの以外で、赤ちゃんの生育に必要なすべての世話は行う。そういった、実験だ。

 さて、その結果がどうであったのか、勘のいい読者の方々にはもう、想像がつくだろう。生きるために必要であろうすべての身体的な世話をされ育ったこの50人の赤子は、なんと、誰ひとりとして一歳の誕生日を迎えることなく、死に至った。

 生きることが――生き残ることが、できなかったのである。

 完全な衣食住の環境の中、ただただ『愛情』をのみ欠くだけで、人間は生きていけない。少なくとも生まれてから一度も『愛情』を知らずに育つことなど、できやしない。この実験はその事実を、突き付けたのである。

        *

 さて、以上のことを踏まえて、灼葉しゃくようほむらのことを少し、語ろう。

 彼女がいつ生まれたのかについては、記録が残っていない。が、後に医師の診断を受けたところ、彼女は2020年――あるいは、シャンバラで過ごしたことにより六年分の時を越えた、2026年現在において、33歳。義弟である稲雷いならいじんの二歳上であり、氷守こおりもりはくの三歳上となる。
 と、すれば、生まれは1987年。そして、彼女が『パパ』と慕う老人のもとでともに暮らすようになったのは、1992年から。つまり、彼女が五歳――で、あったろう年齢のころから、となる。

 では、の五年間、彼女はどう過ごしてきたのだろう? はたしてどこに住む何者から生まれ、誰にどのように育てられた?

 生まれについては前述の通り、記録には残っていない。そして、育ちについても、。ただ、五歳の、あるとき。ある孤児院にいて、そこで老人に拾われた。それだけが――それ以降が、彼女の歴史なのである。

 アメリカ、メリーランド州、ボルチモア。同州最大にして、どの郡にも属さない独立都市。そこにある、孤児院出身。
 かの孤児院は、政府からの監察を受けていない、よほどアウトローな施設であった。身寄りのない子どもたちを集めては、育て、売り捌く。端的に言って、人身売買組織の隠れ蓑として、その孤児院は存在していた。
 そのうえ、人身売買組織としても管理がずさんで、子どもたちが拾われた地域や年代すらも、まったく記録していなかったのだ。彼女、灼葉焔が老人に迎え入れられるまで、まったく記録に残っていない、というのも、そういうことである。

 彼女は、当時、その孤児院の最年長のだった。まがりなりにも孤児院として表向きに看板を掲げている施設での最年長。で、あるにもかかわらず、彼女は五歳だった。その事実は、決してかの孤児院――その人身売買活動が繁盛していたから、ではなく、その、商品の管理方法があまりに劣悪だった、ということを示していた。

 ここで、前述の人体実験がかかわってくる。そう、この施設ではあまりに人間同士のコミュニケーションやスキンシップが行われていなかったのである。
 子どもたちはひとりずつ、一畳ほどのごく小さな部屋に軟禁され、ほとんど陽の光すら浴びせられずに育てられた。そこから出られるのは、毎日一度の食事のときだけであり、そのときも、私語は厳禁だった。あとは娯楽もなにもない狭い部屋で、ただただ眠り、過ごす日々。愛情どころか人間として最低限の衣食住すらない、あまりに劣悪な環境。これでは一年どころか、ひと月も生きるには困難だったろう。

 彼女の、五歳までの記録は、どこにも残っていない。ゆえに、彼女がこの孤児院にて、いったいどれだけの時間を過ごしたかは解らない。だから一年どころか、ひと月も過ごしてなどいないのかもしれない。だが、それでも、彼女は確かに憔悴し、世界を憎み、すべてを恨む形相で、目だけをずっと、見開いていた。

 繰り返す。彼女の、五歳までのは、どこにも残っていない。

 だが、彼女のには、わずかに残っている。

Foreverずっと

 ようやっと言葉を覚え始めたころ、どれだけのときを孤児院で過ごしたか? という老人の質問に、彼女は端的に、そう言った。

        *

 だから、彼女は誰よりも、強くて優しい。ただ問題は、ほんの少しだけ、他人の感情に疎いだけである。

「まだいたのかよ、おばさん」

 女と村長との会話がひと段落したころ、タイミングを見計らったように件の少年が、そこへやってきた。暴言だけを向けて、存在自体は無視して、女と、彼の祖父をも退けて、ただひとり、墓前に手を合わせた。

「おばさんじゃない、お姉さんじゃ」

 孫の暴言に苦言を呈そうとする村長より一瞬早く、女は言った。

「なにがお姉さんだ。いったいいくつだよ、おばさん」

 墓前への祈りもそこそこに、少年は立ち上がり、まだ、食い下がる。暴力にこそ訴えはしないものの、敵意はやはり、消えていない様子である。

「可愛くないガキじゃな。……ならばなれは、阿千がいくつだったか、知っておったのか?」

「――――!!」

 闇雲な、暴力だ。あまりにも力量差がありすぎる。それでも、少年は考える前に拳を振り上げていた。
 そしてそれを、今度こそタイミングよく制止する、村長。

「……その様子じゃと、少しは知っておるみたいじゃな。じゃが、知らぬことも多かろう」

「知らないからなんだ! 知ってるからなんだ! あんたそんなに偉いのかよ! 俺よりあの女性ひとのことを知ってて、だからあの女性ひとを殺してもいいってくらいに、あんたは偉いってのか!?」

 村長の制止すら、力任せに振り解かんばかりに、少年は暴れ、吠えた。それを、腰を降ろしたまま、視線を合わせて、ただ黙って女は見、聞く。

「殴りたければ殴れ。好きなだけ。じゃが、話を聞け」

「ああ!?」

「汝は知らねばならぬ。阿千のこと。ミジャリンのこと。わらわと、妾が行ってきたこと、これからすることを」

「…………」

 そう言って、女は語った。語りながら、自らの頭をも整理する。
 これからどうするのか? 彼女は『異本』集めから降りた。そしてまず目的としたのが、これまでかかわった『異本』と、それにまつわる者たちを『知る』ことだった。だが、知ってどうする? 知って、どうなる?

 ……を、見つけようとしているのだ。はたしてこれから、どう『生きる』のか、を。

 愛のない世界を知っている、彼女にしかできない生き方があるはずだ。

 愛のある生活を知ったから、彼女は笑い、怒り、悲しむことを覚えた。

 だからこその生き方を、彼女は求める。いつか『パパ』に言われた通りに、『ちゃんと生きる』。それだけが、これからの彼女の、目的となったのである。

        *

 ズザザザザザァァ――――。と、土埃が舞った。彼女の話が、終わると同時に。

「嘘じゃろ! この流れで殴る!? 普通!」

 たいした痛みもないが、驚愕で、女は実際以上の痛みを感じた。

「好きなだけ殴れつったろ? だからで、……もういいよ」

 そう言って少年は、殴ったままの拳で、額の汗を拭う。本当に渾身の一撃だったのだろう。やや息が上がっている。だが、だからこその清々しさで、少年は、少し、笑った。

 だから女も、少し笑い、少し安堵する。立ち上がり、少年を見下すが、その大きさに、少しだけ息を飲む。たかが少年、されど少年だ。数々の修羅場を越えてきた女の経験上、歯牙にもかける必要のない弱者だが、確かに彼は、『男の子』なのだと理解する。

「……なんだよ。気色悪く笑って」

「気色悪くないわ! 美人なお姉さんの、綺麗な微笑みじゃろうが!」

 変わらずの悪態に、女は叫ぶ。しかし、そこに悪意はもう、なかった。それを把握し、やはり女はまた、笑う。

「まあ、美人は認めるけど」

 少年は小さく、呟いた。

「なんじゃって?」

 女は聞こえなかったかのように、問い質した。

「なんでもねえよ!」

 そういう少年を見つめて、そういう――これらがすべて、愛情なのだと理解する。

 誰かを思い、それゆえに誰かを憎むことも。

 抱え続けることが難しい憎しみを、わずかなきっかけで赦すことも。

 たとえ赦そうが、消えない胸の閊えも。

 それらが混ざり合ってできる、この、いびつな関係も。すべて。

 人間であるから――人間同士であるからこその関係性で、その間にあるすべての感情が、愛情と呼ばれるべきものだと、理解する。人と人が出会い、築くすべての事象が、愛情だと。

 だから、女はまだ、『生きる』旅を続ける。老人の最期の言葉通り、『ちゃんと生きる』ために。『異本』と、それにまつわる人々の『愛情』を、感じるために。

 この、『痛み』の町から、再スタートだ。女は思って、少年の頭を、軽く撫でた。


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