箱庭物語

晴羽照尊

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長崎編

マリアへの贖罪

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 2026年、十二月。日本、長崎。

 全世界を見てもたった二か所、『痛み』のひとつの極致を知る場所、長崎。その名を冠する長崎港からほど近い町に、日本人離れした容姿にスタイル、あるいは服装の女が訪れていた。

 高い身長に、出るとこは出て引っ込むところは引っ込む、抜群のスタイル。真冬だというのに、下着や水着のような露出の多い服装に、真っ赤なロングコートを開けっ広げて纏うだけの、人の目を引く格好だ。あるいは、ボリュームを持って伸びる癖のある真っ赤な髪や、その頭部を覆う男物の軍帽。しかも、鋲やアクセサリーでごてごてと装飾がされている軍帽だ。そんな攻撃的な姿でありながら、まだ子どものような幼い顔つき。どれもこれも、周囲の目を引く女であった。
 そんな女が、海沿いの寂れた町――と呼ぶにもやや離れた、一棟の朽ちかけた家屋の前で立ち尽くしていた。腕を組んで仁王立ち。それでもその瞳は、どこか悲哀を湛えて。

「いたっ……」

 小さく声を上げて、ころころとなにかが転がる。遅れて、女の軍帽が落ちた。それを拾おうと屈んだ頭部から、冷や汗程度の血が一筋、流れ落ちる。
 だから、女は屈んだまま、小石を投げつけてきたであろう相手を、睨んだ。……睨みを利かせても顔は幼く、威圧感はないのだけれど。

「おまえの顔を覚えてるぞ、ばけもの!」

 女には覚えのない少年だった。それでも、その泣きそうな顔。恐怖か、怒りに震える姿。それでも、勇敢に前のめり、睨む眼差し。そんな、いつか見たような少年の姿に、女はたじろぐ。

「また誰か殺しに来たのかよ! 人殺し!」

 言って、少年はまた、小石を拾っては投げつける。暴力に慣れぬ投擲だ。狙いもめちゃくちゃ、威力もない。だが、それゆえにまっすぐ、力強く感じる、その、意思。

「違う……わらわは……」

 女は唯一、発達しなかった幼い顔を歪めて、怯む。幾度も死地を生き延びてきた。数々の悪意に立ち向かってきたし、暴力にも対処してきた。
 だが、善意からの正当な眼差しには、抗う術など、女にはなかった。

「あの女性ひとを……返せよ……!」

 泥だらけの手を地につけ、とうとう嗚咽を漏らした、少年。これではどちらが加害者か解ったものではない。……いや、少なくとも加害の度合いとしては、女の方が上なのだけれど。
 そして、それに向き合うために、女は、ここへ来た。

「妾は……妾は……」

 しかし、言葉が続かない。だから女も俯き、うなだれるしかなかった。

        *

 その場を収めたのが、ひとりの老人――その村の、村長だった。
 ……正確にはその一帯は村でもないし、彼も村長というよりは、ただの老人でしかないのだが、ここは便宜的に村長としておこう。

「申し訳ない。あの子も、まだ吹っ切れておらんようでして」

 深々と首を垂れる。
 場所は、近くにある教会である。とある事情によりこの町の観光名所にもなっている教会だが、この日はもう見学時間を過ぎており、村長と女しかいない。

「いや、妾が悪い。なにを言われなにをされても文句は言えん。……あれがあのときのガキか」

 言って、少しだけ口を噤む。のことを思い出し、反省……というつもりもないが、被害者を相手に言葉が悪かった。

「あの子の母親は、あの子を産んですぐ、亡くなりましてね。阿千あちさんは母親代わりのようで、あるいは、姉のようにも慕っていましたから」

「そうじゃったのか……」

 そんな事情など、女は知らなかった。知る必要がなかった。ただ『異本』を集めるだけに、持ち主の――その周辺の者たちの気持ちなど、理解する必要など。
 だが、いまの女には、それこそが重要で、知る必要のあるものだった。

 教会の、小聖堂である。そこにはその教会が観光地にもなる理由のひとつが安置されている。
『被爆のマリア』。かつてこの地を襲った原爆からも、奇跡的に生き残ったマリア像の頭部部分。大きく傷付いたその姿は、もはや美しさを失っていたが、その代わりに戦争と、原爆の残酷さを伝える、ひとつの象徴となった。
 それが置かれる祭壇に書かれた『平和』の二文字は、言葉以上の重みをもってそこに記されている。

「妾は、なんとも思わんかった」

 その傷付いたマリア像を見て、女は、あの日の彼女と重ねる。ともすれば彼女は、このマリア像よりも傷付き、朽ち果てていた。

「あんな姿になっても、生きる理由。それに感傷もせねば、称賛もない。まったくの無感情。そして、その周囲の者が、どう思い、なにを感じておったのか。妾は知ろうともせんかった」

「でも、いまは知ろうと――知りたいと思っている、のですね?」

 その言葉に、女は頷く。

「正確には、知らねばならぬ、という使命感じゃ。まだ、妾は悪いとも思えておらねば、謝る気もないからの」

 ただ、思う気はあるし、思えるなら謝罪するだろう。謝罪をしてももう、なにもならないとしても。

 女は自分のしてきたことに疑問を持ち始めた。誰かの人生に干渉してきたこと。多くの思いを踏みにじってきたこと。だから『異本』集めを辞めた。
 そして誰かの思いを受け止める旅に、出たのである。

        *

 そして、舞台は移し、近所にある、墓地。ミジャリン・スノウ医師の妻である阿千。彼女が埋葬された、墓地である。

「墓まで建っておるとはの。……親族なんぞ、とうにおらんかったのじゃろ?」

 手を合わせ、女は問う。

「ええ。親族どころか、その子孫も、少なくとも私どもは認知しておりませんでした。墓は私どもが勝手に建てたものです。……簡単なものですが」

 申し訳なさそうに、村長は言った。言うほど『簡単なもの』には見えなかったが、それについては言及することもないだろう。日本人らしい、謙虚な物言いでしかない。

「阿千さんは、聞くところによると、約百年前にこの地に――あの家に住みついたそうです。私のじいさんの若かりしころだったかと。当時はここも村と呼ばれ、その村長になったじいさんの、最初の仕事だったとのことです。彼女の移住の、受け入れがね」

 現『村長』は語り始めた。

「おそらく当時にはもう、とうに朽ち果て、人間のような姿を保ってなどいなかったのでしょう。全身を隠すような姿で現れ、異臭もすごかったとか。なにか訳ありなのだとじいさんはすぐ気付いたそうですが、それでも受け入れ、衣食住が落ち着くまで、いくらか世話をしていたと聞いています」

「厚待遇じゃな。金でも持っておったのか?」

「さあ……それなりには持っていたと思いますが。……これは私の勝手な憶測ですがね、じいさんは、阿千さんに好意があったのではないかと思っています」

 その言葉に、女は少し、驚いた。

「あの、阿千をか? ……こう言っちゃ悪いが、少なくとも姿はとうに妖怪じみておったじゃろう?」

「素敵な人でしたからね。彼女はかたくなに肌を見せませんでしたから――まあ、当然といえば当然ですが。じいさんも姿は見ていなかったとは思いますが、それゆえに空想することもできたでしょう」

 いや、あるいは、姿を見たうえで――。そう村長は言いかけて、やめた。

「ともかく、村長がそのように待遇したのですから、村の者もそうそう邪険にはできない。それでも、必要以上に人と関わらない彼女に、好印象を持っていたとは思えませんがね。……しかし、十年、二十年と年月が過ぎ、やがて、村の者も気付き始めたのです。彼女が、人間ではないことに」

 村長はそこでようやく、女に倣い、手を合わせた。深々と首を垂れ、まるで、懺悔のように。

        *

「私の父の代には、もう迫害は始まっていました。世代も移り変わり、じいさんの威光も陰り始めていましたから、じいさんにはその迫害は止められず。父も、なんとかしようと苦心してはいましたが、『村長』を受け継いだ父の――その言葉をもってしても、住民は聞き入れません。多くの店が彼女を出入り禁止にし、その他、公共の場所も、多くは彼女を受け入れませんでした。……幸か不幸か、彼女は食べなくても死ぬことのない――死ぬことのできない体でしたから、それで死ぬことはなかったですが、きっと、心は擦り減っていったと思います」

「約百年前……。阿千は四百年以上は昔の生まれじゃろうから、ここに来る以前も、同じような目にあっておったのじゃろうな。あるいは、ここへ来た理由も……」

「そうなのだと思います。だから慣れたものだ、とは言いませんが、いつしか彼女への迫害には、我々の方が慣れてしまった」

「はっ、罪の意識は結構じゃが、なれ、それは汝の父の代での話じゃろ? 汝が気を落とすこともなかろう」

 女がフォローを入れると、村長は苦笑いを返した。

「そんなことはありませんよ。私が村長――もはやそんな役職などなくなってはいますが、そのように呼ばれるようになってからも、彼女への迫害は続いていた。私にはなんの力もなかった。それでも、彼女がそのように迫害されることにも目を瞑っていたのは、間違いなく、私の罪です」

「じゃが、妾が来たころには、阿千への迫害とやらもなくなっていたように思うぞ? それは、汝がなにかしたからじゃないのか?」

 女は言う。そして想起する。あのとき、ここの住人は、決して積極的ではなくとも彼女を庇った。そして積極的に庇ったものも、ひとり。

「それは、本当につい最近になってからのことです。つまり、あの子が――うちの孫が、彼女を慕うようになってから」

 その言葉を聞き、頭の中で処理して、女はゆっくりと驚愕した。

「……ん? あのガキが……?」

 また口汚い言い方をして、女は少しだけ言い淀む。

「ええ、うちの孫です」

 だから村長が、その先を引き継いだ。


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