箱庭物語

晴羽照尊

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パーマストンノース編

彼我を別つ赤い夜の幕

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「いなっ! ……らい、くん――!!」

 逆光と、若者の影に隠れて、瞬間、判断がつかなかった。

「そうですねぇ! 稲雷いならいくんだ! 稲雷じん! で、どぉいぅ話になりましたか? 『ガウェイン』?」

 近接してみっつの穴を――風穴を空けられ、そこから止めどなく血を流しながら、若者は俯せて倒れた。一個の人体とは思えないほどの軽さで。土煙もそこそこに。

 その影から現れたのは、筋骨隆々で大柄な肉体に、合成写真のような甘いマスクを乗っけたような、アンバランスな男。その高い鼻には小さなパンスネ鼻眼鏡が乗っている。ツンツンとハリネズミのように逆立つ金髪を靡かせ、どこか全身がキラキラと輝く、好青年だ。……かと思えば、その輝きは汗だった。確かに十二月、南半球は夏だけれど、それにしてもよほどの汗だ。代謝の良い体なのだろう。

 そんなゴリマッチョが、逆光のせいか黒く影のかかった三叉戟を振るい、その矛先に付着した、決して少なくない血液を払い落とす。

「どうもこうも! 今後、稲雷くんはWBOに忠誠を誓って! どうにでも有効利用できる状況だったんだよ! 『ランスロット』!」

 それを聞いて、笑顔で汗を輝かせていたゴリマッチョはふいに、不機嫌そうに眉をしかめた。「ああ、そうでしたか」。そう、小さく呟く。足元に転がった若者を、その金髪を見下し、少し踏みしめながら。

「では、これで有効活用はできた、ということですねぇ。WBOにとって一番いいのは、こいつが死ぬことですから」

「…………!!」

 若者に、同情などしない。しかし、ゴリマッチョの態度に苛立ち、ロリババアは瞬間、動こうとした。
 しかし――

「……ボクの筋肉に、なにか御用ですか?」

 言葉通りに、鋼を思わせる隆々な彼の筋肉に、何者かが槍を突き立てている。槍? いや、よく見ればそれは、彼女の体と一体化している。灰色に、あるいは、肌色に、樹木がうねるように鋭く尖るそれは、彼女の右腕が変異したように形成され、ゴリマッチョに襲いかかっている。

「ジンを、よくも……!!」

「残念。ボクの上腕三頭筋は、あなたに用はないようだ」

 ゴリマッチョがそう言うと、件の筋肉が瞬間的に膨張。その勢いだけで、襲いかかった自宅警備員を跳ね除ける。どうやら彼の腕には、皮膚が破れた程度のダメージしかない。
 パンスネを、縮尺のおかしい大柄な指で持ち上げ、ゴリマッチョはつまらなそうに若者を蹴飛ばした。若者の体は抵抗力を失ったように容易に、百八十度転がり、仰向けに止まる。

「それにボクは、金髪が嫌いなんですよ」

 言って、ゴリマッチョは唾を吐いた。

        *

「ぷくくー。ランランも金髪なのにねー。マジ卍www」

 そう言って、そのパリピは、距離感近くロリババアに抱き着いた。

 袖の方が1.5倍ほど、本来の腕より長い、フードつきの服を着ていた。当然と腕はすっぽりと全体が隠れ、フードも目深にかぶるから、その表出する肌色は少ない。真夏だというのに、下半身もすっぽりと覆うバギーパンツ。こちらもやや丈が長すぎて、履いている靴まで覆い隠している。全身として、黒や、紺の、暗い色合いの服装だった。
 フードで顔が隠れており、どうやら黒いマスクまでしているようだ。正面から見ても、ほとんど彼女の肌色は見て取れない。それでも、フードとマスクの隙間から覗く彼女の肌は、なぜだか薄く、青緑のような色合いに見えてしまう。それを隠したいがゆえに全身を覆っているかのように。

「うるせぇぞ、『モルドレッド』。金髪だからこそ、自分以外の金髪が嫌いなんです。キャラかぶりしやがって」

「かぶってないじゃん。健康的ゴリマッチョと、不健康なガリガリくんでしょw 超ウケるーwww」

 きゃらきゃらと、快活にパリピは笑った。自身も不健康そうだというのに、意外と明るいキャラである。
 ちっ。と、ゴリマッチョは舌打ちした。そのはずみで視線が下へ落ちて、その光景に訝しむ。

「……なぁに笑ってんですかぁ? 稲雷くぅん!」

「あんたが死ぬからだよ」

 その笑い顔を踏みつぶそうとしたところへ、突如、驚くほどの至近距離で、声がした。

「はああぁぁ!? おま……どこから――」

「レベル100。最大尖鋭フルカウント

 彼女の渾身をもって、最大限に致傷力を高めた右腕で――槍で、自宅警備員はゴリマッチョへ、その左胸へ、的確に刺突を繰り出す。
 ボクの大胸筋にも、やや荷が重い。そう、ゴリマッチョは判断。素早く三叉戟を振り回し、ワンテンポ遅れながらも、自宅警備員へ向けて、カウンターを――

「うっ……がああああぁぁぁぁ!!」

 その間に割って入る超重量に、とっさに自宅警備員も、ゴリマッチョも互いに、磁石の同極同士のように瞬間で、離れた。

 そこに割り込んだのは誰あろう、十分に歳を重ねた顔つきに、いまだ子どものような矮躯と茶髪のポニーテールを揺らした、ロリババアである。

        *

「ガウェインんん!? 助太刀なら不要ですけどぉ!? ボクがこんなガキに負けるとでも!?」

 違う、そうじゃない。そう、その斧の軌道から理解していても、ゴリマッチョは確認のために叫ぶしかなかった。

「ちっ……ひとりだけでも厄介そうだってのに……!」

 自宅警備員はやや憔悴した様子で、それでも意気高く、ふたりを見た。

「ランスロット。退いて」

 ロリババアは、彼女にしては珍しく、低く小さな声音で、下からゴリマッチョを見上げ、言った。

「はいぃ!? なぁにをもごもご言ってんですかぁ!?」

「下がれと言ったの。ぶった切るよ」

 そう言うと、ロリババアはその、宝斧ほうふを持ち上げた。持ち上げて、左右、二手に分かれた敵と味方、その、味方であろう方へ掲げる。がくがくと、震える、腕で。

「ぶっっった切るっ! はっはぁ! おもしれえ冗談だ!」

 パンスネを持ち上げるついでに天を見上げ、ひとしきり高笑いをして、ゴリマッチョは瞬間、冷静になる。

「おまえ、もう今日は三回振るってんでしょぅ? 持ち上げるだけでぷるっぷるじゃないですかぁ?」

「うっわ、MJKwww なんかバイブステンアゲじゃんwww ウェイちゃん反逆説が微レ存!? やばたにえん!」

 パリピがちょっとなに言ってるか解らない。

「なに言ってるか解らねぇんですよぉ! モルドレッド!」

 ゴリマッチョにとっても、それは同じだったようだ。

「言ったよね。稲雷くんはWBOに忠誠を誓った。ワタクシが誓わせた。その、交換条件に、その子たちには手を出さない。そう、ワタクシは約束したの」

 ロリババアはそう、ゴリマッチョ、と、パリピにも向けて、言った。

「だから、退いて。ワタクシは、約束を守る」

「あぁ、そうですかぁ! でもね。ボクはそんな約束、知らねぇんですよぉ!」

 そう言って、ゴリマッチョは三叉戟を、味方であるはずのロリババアへ振るおうと――

「『グリモワール・キャ――』」

「おおっとぉ!?」

 その、絶対領域の発動に、ゴリマッチョは退く。倒れた若者や、自宅警備員から、大きく離れた。

「相変わらず、戦闘向きではないですねぇ! タネが知れてればそんなもの、目を瞑ってても躱せますよぉ!」

「そうだね。ワタクシには、その程度が限界」

 ロリババアはいまだ冷たい声のまま、そう言って、少し首を傾げて、笑った。
 そうして揺れたポニーテールが、地につくほどに身を屈め、若者の耳元へ、口を向ける。

「まだ死んでないよね。稲雷くん」

 それは、問いではない確信を乗せた言葉だった。

「……やれやれ。人遣いが、荒い」

 すべてを悟る口調で、若者はか細い声を捻り出し、震える腕を上げた。
 その腕へ、手へ、ロリババアは自身の、濃緑色の『異本』を向ける。

「これでもまだ、歯向かう気? ワタクシは本気だよ」

 距離を隔て、くしくもふたり並んだ自分以外のWBO『特級執行官』へ向けて、ロリババアは真剣な目を向けた。決意に満ちた、表情で。

 それに対し、ちっ、と、ゴリマッチョは舌打ちをする。

「うち関係ないのにひとくくりにされてやんのwww マジげきおこぷんぷん丸なんですけどお?」

 そう言いつつも、パリピも、袖に隠れた両手を挙げて、不干渉を示した。

「ねえ、稲雷くん。『グリモワール・キャレ』に、空間転移の力はあるかな?」

「さて、ね。ぼく、ごときには解りかねる。……だが、作成した空間内は、使用者の絶対空間、だ。きみがそう思うなら、それは、実現する」

「それは、『可能』と捉えていいんだよね?」

 その言葉への返答は、荒い息と吐き出される血反吐だけだった。それでも、ロリババアには理解ができた。

「WBO本部。台北のビルまで、確実に飛ばす。安心して、ワタクシは、約束を守る」

 それこそが彼の思惑だった。そう、馬鹿なロリババアと言えど気付いていた。けれど、それでも一度約束したことは反故にしたくない。その感情には抗えない。

 それをも計算してのことだった? いったいどこまで? 自分が殺されることも計算に入れていたというのか? だから――、あんな不利益な提案をしたというのか? そう考えを巡らせるけれど、どちらにしたところでやることはもう、変わらない。頭を振って、ロリババアは思考を止めた。

「はっ……敵に、律儀にする必要は、ないのにね」

「敵じゃないよ。あなたはもう、WBOに戻ってきているじゃないの」

 その言葉に、若者は少し、笑った。

「……じゃあ、行くよ。残り少ないあなたの時間を、これ以上奪うわけにはいかないから」

 ロリババアはそう言って、暗黒の立方体を生成した。その一面に、小さく穴が空く。そこから内に入れる、ということなのだろう。
 あるいは『入れ』という、ロリババアから味方への、無言の圧力。

「おけまる~。じゃ、お先にフロリダー」

 長い袖を腕にぐるぐる巻き付けながら、軽い足取りでパリピが、率先してそこへ入った。
 続いて、最後にもう一度、舌打ちを不機嫌に鳴らして、ゴリマッチョも入る。

「待てよ! こんなことしといててめえ! 逃げるってのか!?」

 ゴリマッチョの背中に、自宅警備員が叫ぶ。だから、「はああぁぁ!?」と、怒りをあらわにした表情で、彼は顔だけ振り向いた。

「お父さんに感謝すんですねぇ! 少し寿命が延びたねぇ! ……次に会ったなら、ちゃぁんと相手してやるよぉ! ガキがっ!」

 吐き捨てるように言って、ゴリマッチョも黒い空間に、消えた。

「……ワタクシもあなたは嫌いだったけれど、一度くらい一緒に、仕事がしたかったよ」

 最後に――最期に、ロリババアはそう言った。

「バイバイ、稲雷くん」

 若者を残して、漆黒の空間内に消える。連れ帰るはずの彼を置き去りに。

 理由は、夕日が消えても、世界は赤く滲んでいたから。

 パーマストンノースに、夜が来た。


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