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モスクワ編
世界を正す者
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男たちが宿泊するホテルのラウンジにて、仕切り直しだ。
「ほんと、相っ変わらずだな! このハゲ!」
「ハゲじゃないつってんでしょうが! スキンヘーッド!!」
突き合わせた額を、僧侶の方からぶつけ合った。
「痛っ――てええぇぇ!! ふざけんな、石頭!!」
「その通り! 石頭! 決してハゲてない!」
「貴様! ハク様によくも! 育毛剤かけんぞ、このハゲ!」
「使用人のしつけがなってねえですね、コオリモリ。ハゲさんにハゲって言っちゃ、ダメでしょうに」
四者四様にうるさい。それを見咎め、ホテルのスタッフが申し訳なさそうに注意に来た。
「「「「ごめんなさい!!」」」」
全員で謝った。ちなみに、この場にいない幼女は部屋で寝かせてある。
「……で、頼んだもんは持って来てるんだろうな?」
男が再度、仕切り直す。
「持って来てるけどぉ……ハゲって言う人には、あげましぇーん」
両手を後頭部で組みそっぽを向いて、口笛を吹きながら僧侶は言った。態度悪く、足まで組んで。
「おい、メイ。育毛剤かけろ」
「お任せを! ハク様!」
なぜ持っていたかは解らないが、メイドはどこからか育毛剤を取り出し、僧侶に、ためらいなくかけた。
「ぎゃー! やめなさい! 髪が生える! 私の毛根の強さ舐めんなよ! や~め~て~!!」
もう一度、ホテルマンが現れる。
「「「ごめんなさい!!」」」
優男以外の三人で謝った。もう次はないそうだ。
*
ふう。と、息をつき、小さく笑う。男と、僧侶が。
「本当に、懐かしいな。……積もる話もあるが、まあ、……悪いがいまは、そういう気分じゃねえ」
男は笑みを消して、少し俯く。
「ええ、聞き及んでいます。ノラちゃん、でしたか? あなたが子育てなど、歳も取るものです」
男より、十と少し年上の僧侶だ。やや達観して、そのように述べた。
「あいにく、こちらもいまは、戦時中でしてね。戦力をお貸しはできませんが、この『異本』くらいなら……」
僧侶は、ローブの懐から、言葉通りの一冊を取り出し、テーブルに置く。特徴的な黒い装丁。つまるところが『白鬼夜行シリーズ』の、一冊を。
「うちでも扱える者のいない『異本』です。お貸しするのにやぶさかではありません。……しかし、ゆえに案じてもいます。うちで誰も――正確には、教祖を除いて、ですが、それほどに扱える者が少ない『異本』。おそらく、汎用性はD以下。そんな代物を、扱える者が、お仲間にいらっしゃると?」
「ああ」
男は端的に、自信たっぷりに応えた。紳士に継がれた『異本』、『箱庭百貨店』を想起しながら。
そのイメージのまま、渋られる前に『異本』を受け取る。自身の懐から白に金文字の入った装丁の『箱庭図書館』を取り出し、とっとと収めてしまった。
「ネロ・ベオリオント・カッツェンタ、ですか」
いくらか間を空けた後、僧侶がそう、呟いた。
「我々のような日陰者から見れば、彼はまさしく、裏社会のスターだ」
「スター?」
少し剣幕を増して、男は聞き返す。
「その強さ――噂に聞き及ぶ戦闘力の限りでは、ね。あるいは、強者ばかりを打ち倒してきた、その偉業」
「強えやつにありがちの、戦闘狂ってやつだろ? 自分より強い相手を打ち負かすことに執着する、狂った野郎だ」
「ええ、もちろん、そういう側面もあります」
「ほう……」
そうじゃない側面――あるいは正面を示唆した言葉に、男はまだ表情を歪めたまま、一度、背もたれにもたれた。
「彼のターゲットは、身体的、戦闘的に強者、というだけの者ばかりではありません。いや、むしろそんな上辺だけの強者は少数派とも言える。……彼の、本当の敵は、いわゆる権力者ですよ」
「はん。それもありがちな話だろ? 力だけに恵まれた社会的弱者が、下剋上を狙って権力者を目の敵にする。……つまり、ネロ・ベオリオント・カッツェンタは、ただのガキだってことだ。世の理不尽が気に喰わねえんだろ。俺にも覚えがあるよ」
いつか、『先生』に拾われ――居候させてもらうようになる以前は、確かに、すべてを恨んでいたような、そんな気がする。いまとなっては遠い記憶だ。あまりはっきりとは思い出せないが。それでも、いまだに、社会的な強者――権力者階級の者たちには、なんとなく悪印象を持っている男だった。
「さて、そんな浅慮な行動とも思えませんが」
「どういうことだ?」
その殺戮への規則性に興味を持ってか、あるいは、暗に自身の思想を揶揄されたせいか、男は前屈みに、僧侶に問うた。
*
「……まあ、決して確証などない――むしろ、なにひとつ証拠も、根拠もない、ひとつのものの見方だと思って聞いてください」
と、僧侶はやけに念を入れた言い回しを枕に置いた。
「たとえば、数年前にようやっと終戦したある紛争ですが。その過激派二大組織の、片側のトップ、それが、2011年に殺害されていますね? 表向きにはこれは、この紛争を収めるための、ある大国によるものとされていますが、これ、当時六歳の、ネロの仕業です。その人物の死によって、なにが起きました? 彼は過激派二大組織の片側のトップでしたが、逆側にとっても崇拝すべき人物でした。もともとは同じ組織からの分裂ですからね、当然といえば当然です。つまりは、同士討ちですよ。それでも、件のトップが生きてさえいれば、彼の鶴の一声で場は丸く収まったかもしれない。しかし、結果は、全滅です」
「……なにが言いたい?」
正直、僧侶がいきなりなにを語っていたのか、男はさほど理解していない。それでも、訳知り顔で適当に頷き、先を促してみる。
「二十年弱も紛争を続けるほどの組織です、まがりなりにも。そのトップが、そう簡単に討てるはずがない。なれば、そこには十二分な労力が払われているはずで、そうまでしてトップだけを――少なくとも、トップやその周辺程度だけしか討たずに、あえてお互いを争わせた。そして結果を――全滅という結果を勝ち取っている。……ハクくん。当時の幼いネロとはいえ、少なくともそんなことをやってのける人物なら――あの強力な『異本』に適応した狂人なら、やろうと思えばそもそも個人で、その結果を生み出せたとは思いませんか? いや、できないかもしれない。それでも、彼の性格なら、できないとしてもやたらに特攻する、くらいのことはしそうなものです」
「…………」
男は腕を組んで、少しだけ唸った。が、言葉は発さない。いやほんとマジで、正直、なにを言っているか、なにを言いたいか、解らなかったからである。
「つまり、ネロは狙って、あえて労力を払ってまで、その二大組織を争わせたってことですよ。解ります? コオリモリ」
ずずず……。と、優男が、いつの間にか注文したらしいなにか――男からの視点では現状、ホットの飲み物としか解せない――をすすった。
「自らすべてを薙ぎ払えた。にもかかわらず、あえて当事者で争わせた、ということですね。その思惑は、つまり――」
男の横で、メイドがお膳立てをする。言葉の先を、主人である男へ譲って。
「……つまり?」
しかし、そのパスをスルーして――というより気付かずに、男はボールを見送った。
「……緻密なコントロールですよ。この事件の要点はふたつ。ひとつ。目的はあくまで、彼らの全滅です。そして、それは見事、達成されている」
僧侶は、特段の呆れもなく、変わらずの面持ちでボールを受け取った。
「そして、ふたつめ。こちらが問題で、彼のもっとも個性的に、残虐な部分となるのですが」
少しだけ言い淀んで、僧侶は、この話の枕詞を改めて、念押しになぞった。すなわち、証拠も根拠もない、ひとつのものの見方、だと。
「その二大組織に、自ずと罪をかぶせ、自ら闘争心を培わせ、互いに憎悪と殺意のもとに、死に至らしめた。ということです。そのどす黒い感情を自覚させ、そのうえで、全滅させた。一種の、同士討ちでね」
ぞくり。とした。あのとき、かの者の殺意に向き合ったものと、その総量は違えど、同質の悪寒を、背中に、感じる。正直、まだ彼らの言葉を完全に理解はしていなくとも。
ピリリリ、ピリリリ……。ふと、男のスマートフォンが鳴った。嫌な予感を、残したままに。
「あ? なに? ……ちょっと待て、どういう意味だ?」
その耳に飛び込んでくる言葉を重ねるごとに、男は、全身が痺れていくような気がした。電話口の相手、今回は安全なところで、情報の整理と伝達を一手に担っている、まだ声変わり前の、男の子の声。その、少しだけ耳に障る、甲高い声で、淡々と、悪く言えば冷たく、語られる真実――現実。
「ヤフユが、帰ってこない……?」
確認というよりは、自分に言い聞かすように、男は、呟いた。
「ほんと、相っ変わらずだな! このハゲ!」
「ハゲじゃないつってんでしょうが! スキンヘーッド!!」
突き合わせた額を、僧侶の方からぶつけ合った。
「痛っ――てええぇぇ!! ふざけんな、石頭!!」
「その通り! 石頭! 決してハゲてない!」
「貴様! ハク様によくも! 育毛剤かけんぞ、このハゲ!」
「使用人のしつけがなってねえですね、コオリモリ。ハゲさんにハゲって言っちゃ、ダメでしょうに」
四者四様にうるさい。それを見咎め、ホテルのスタッフが申し訳なさそうに注意に来た。
「「「「ごめんなさい!!」」」」
全員で謝った。ちなみに、この場にいない幼女は部屋で寝かせてある。
「……で、頼んだもんは持って来てるんだろうな?」
男が再度、仕切り直す。
「持って来てるけどぉ……ハゲって言う人には、あげましぇーん」
両手を後頭部で組みそっぽを向いて、口笛を吹きながら僧侶は言った。態度悪く、足まで組んで。
「おい、メイ。育毛剤かけろ」
「お任せを! ハク様!」
なぜ持っていたかは解らないが、メイドはどこからか育毛剤を取り出し、僧侶に、ためらいなくかけた。
「ぎゃー! やめなさい! 髪が生える! 私の毛根の強さ舐めんなよ! や~め~て~!!」
もう一度、ホテルマンが現れる。
「「「ごめんなさい!!」」」
優男以外の三人で謝った。もう次はないそうだ。
*
ふう。と、息をつき、小さく笑う。男と、僧侶が。
「本当に、懐かしいな。……積もる話もあるが、まあ、……悪いがいまは、そういう気分じゃねえ」
男は笑みを消して、少し俯く。
「ええ、聞き及んでいます。ノラちゃん、でしたか? あなたが子育てなど、歳も取るものです」
男より、十と少し年上の僧侶だ。やや達観して、そのように述べた。
「あいにく、こちらもいまは、戦時中でしてね。戦力をお貸しはできませんが、この『異本』くらいなら……」
僧侶は、ローブの懐から、言葉通りの一冊を取り出し、テーブルに置く。特徴的な黒い装丁。つまるところが『白鬼夜行シリーズ』の、一冊を。
「うちでも扱える者のいない『異本』です。お貸しするのにやぶさかではありません。……しかし、ゆえに案じてもいます。うちで誰も――正確には、教祖を除いて、ですが、それほどに扱える者が少ない『異本』。おそらく、汎用性はD以下。そんな代物を、扱える者が、お仲間にいらっしゃると?」
「ああ」
男は端的に、自信たっぷりに応えた。紳士に継がれた『異本』、『箱庭百貨店』を想起しながら。
そのイメージのまま、渋られる前に『異本』を受け取る。自身の懐から白に金文字の入った装丁の『箱庭図書館』を取り出し、とっとと収めてしまった。
「ネロ・ベオリオント・カッツェンタ、ですか」
いくらか間を空けた後、僧侶がそう、呟いた。
「我々のような日陰者から見れば、彼はまさしく、裏社会のスターだ」
「スター?」
少し剣幕を増して、男は聞き返す。
「その強さ――噂に聞き及ぶ戦闘力の限りでは、ね。あるいは、強者ばかりを打ち倒してきた、その偉業」
「強えやつにありがちの、戦闘狂ってやつだろ? 自分より強い相手を打ち負かすことに執着する、狂った野郎だ」
「ええ、もちろん、そういう側面もあります」
「ほう……」
そうじゃない側面――あるいは正面を示唆した言葉に、男はまだ表情を歪めたまま、一度、背もたれにもたれた。
「彼のターゲットは、身体的、戦闘的に強者、というだけの者ばかりではありません。いや、むしろそんな上辺だけの強者は少数派とも言える。……彼の、本当の敵は、いわゆる権力者ですよ」
「はん。それもありがちな話だろ? 力だけに恵まれた社会的弱者が、下剋上を狙って権力者を目の敵にする。……つまり、ネロ・ベオリオント・カッツェンタは、ただのガキだってことだ。世の理不尽が気に喰わねえんだろ。俺にも覚えがあるよ」
いつか、『先生』に拾われ――居候させてもらうようになる以前は、確かに、すべてを恨んでいたような、そんな気がする。いまとなっては遠い記憶だ。あまりはっきりとは思い出せないが。それでも、いまだに、社会的な強者――権力者階級の者たちには、なんとなく悪印象を持っている男だった。
「さて、そんな浅慮な行動とも思えませんが」
「どういうことだ?」
その殺戮への規則性に興味を持ってか、あるいは、暗に自身の思想を揶揄されたせいか、男は前屈みに、僧侶に問うた。
*
「……まあ、決して確証などない――むしろ、なにひとつ証拠も、根拠もない、ひとつのものの見方だと思って聞いてください」
と、僧侶はやけに念を入れた言い回しを枕に置いた。
「たとえば、数年前にようやっと終戦したある紛争ですが。その過激派二大組織の、片側のトップ、それが、2011年に殺害されていますね? 表向きにはこれは、この紛争を収めるための、ある大国によるものとされていますが、これ、当時六歳の、ネロの仕業です。その人物の死によって、なにが起きました? 彼は過激派二大組織の片側のトップでしたが、逆側にとっても崇拝すべき人物でした。もともとは同じ組織からの分裂ですからね、当然といえば当然です。つまりは、同士討ちですよ。それでも、件のトップが生きてさえいれば、彼の鶴の一声で場は丸く収まったかもしれない。しかし、結果は、全滅です」
「……なにが言いたい?」
正直、僧侶がいきなりなにを語っていたのか、男はさほど理解していない。それでも、訳知り顔で適当に頷き、先を促してみる。
「二十年弱も紛争を続けるほどの組織です、まがりなりにも。そのトップが、そう簡単に討てるはずがない。なれば、そこには十二分な労力が払われているはずで、そうまでしてトップだけを――少なくとも、トップやその周辺程度だけしか討たずに、あえてお互いを争わせた。そして結果を――全滅という結果を勝ち取っている。……ハクくん。当時の幼いネロとはいえ、少なくともそんなことをやってのける人物なら――あの強力な『異本』に適応した狂人なら、やろうと思えばそもそも個人で、その結果を生み出せたとは思いませんか? いや、できないかもしれない。それでも、彼の性格なら、できないとしてもやたらに特攻する、くらいのことはしそうなものです」
「…………」
男は腕を組んで、少しだけ唸った。が、言葉は発さない。いやほんとマジで、正直、なにを言っているか、なにを言いたいか、解らなかったからである。
「つまり、ネロは狙って、あえて労力を払ってまで、その二大組織を争わせたってことですよ。解ります? コオリモリ」
ずずず……。と、優男が、いつの間にか注文したらしいなにか――男からの視点では現状、ホットの飲み物としか解せない――をすすった。
「自らすべてを薙ぎ払えた。にもかかわらず、あえて当事者で争わせた、ということですね。その思惑は、つまり――」
男の横で、メイドがお膳立てをする。言葉の先を、主人である男へ譲って。
「……つまり?」
しかし、そのパスをスルーして――というより気付かずに、男はボールを見送った。
「……緻密なコントロールですよ。この事件の要点はふたつ。ひとつ。目的はあくまで、彼らの全滅です。そして、それは見事、達成されている」
僧侶は、特段の呆れもなく、変わらずの面持ちでボールを受け取った。
「そして、ふたつめ。こちらが問題で、彼のもっとも個性的に、残虐な部分となるのですが」
少しだけ言い淀んで、僧侶は、この話の枕詞を改めて、念押しになぞった。すなわち、証拠も根拠もない、ひとつのものの見方、だと。
「その二大組織に、自ずと罪をかぶせ、自ら闘争心を培わせ、互いに憎悪と殺意のもとに、死に至らしめた。ということです。そのどす黒い感情を自覚させ、そのうえで、全滅させた。一種の、同士討ちでね」
ぞくり。とした。あのとき、かの者の殺意に向き合ったものと、その総量は違えど、同質の悪寒を、背中に、感じる。正直、まだ彼らの言葉を完全に理解はしていなくとも。
ピリリリ、ピリリリ……。ふと、男のスマートフォンが鳴った。嫌な予感を、残したままに。
「あ? なに? ……ちょっと待て、どういう意味だ?」
その耳に飛び込んでくる言葉を重ねるごとに、男は、全身が痺れていくような気がした。電話口の相手、今回は安全なところで、情報の整理と伝達を一手に担っている、まだ声変わり前の、男の子の声。その、少しだけ耳に障る、甲高い声で、淡々と、悪く言えば冷たく、語られる真実――現実。
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