箱庭物語

晴羽照尊

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モスクワ編

クライオニクスの蓋

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 ノイズのような騒音に目を覚ますと、そこは、狭苦しい機体の中だった。

「ああン……?」

 あくびを盛大に上げながら、狂人は現状を想起する。全身を巡る、鋭い痛み。慣れたものだ。しかし、怪我ではないのだろうじんわりとした痛みが、頭部を掻き回す。
 だから、少し患部を押さえようと腕をよじるが、それ以上には動かない。どうやら縛られている。……と、そこで、モスクワでの一戦に回帰した。その後、意識を失い――十数年ぶりに眠ったのだろうということに。

「起きたか」

 前方の座席から顔を出し、その男は言った。殺意は、消えている。だが敵意は健在だ。当然だけれど。

「どこだァ? ここは」

 問いながら、狂人は視線を走らせる。狭い空間。騒音。……どうやらヘリの中だ。自らがいるのは最後尾。後部座席というよりは、ただの荷室だろう。そのせいか窓もなく、外の様子もほとんど窺い知れない。

「現在地を教えるほど親切じゃねえ。が、まあ、ヘリの中だ。いくらてめえでも動けない程度にきつく縛ってあるが、暴れんなよ」

 狂人の予想通り、ヘリだという。十二分な上空だ。もし暴れて機体ごと墜落となれば、自分もただでは済まない。というより、よほどの幸運でない限り死ぬだろう。そう、狂人は理解する。そしてそもそも、男の言う通り、これはさすがに、力任せにも抜け出せない。それほどに厳重な束縛だった。

「てめえこそを、一番に警戒すべきだったなァ」

 狂人は言う。諦めたのか、起こした上体を改めて床に沈めて、寝転がってから。

「そりゃ買い被りだ。俺はなにもしてねえ」

 男に言わせればそれは本心だったのかもしれないが、その、あまりに自分を卑下した言葉に、狂人は一度、大きく、吐き捨てるような息を吐いた。

「エディンバラで、そういや会ったなァ。施設の下働きかなンかだと思ってたが……てめえが親玉だったとはなァ」

「俺はなんでもねえよ。ただの弱くて頼りない、……父親だ」

 その言葉に反応したのか、少しだけ機体が揺らぐ。どうやら操縦士はあのメイドか。と、狂人は再確認した。あらゆる要素からそうではないかと予想はしていたが、なぜだかそのとき、確信という形で。

「弱えってのァ、必ずしも劣ってるってわけじゃねぇ。目立たず身を隠せるし、敵に侮らせることができる」

「褒めてねえよな、それ」

「ああ、褒めてねぇな。仮に褒めるなら、ここからだ」

 狂人は嘆息する。

「弱えってのァ、扱いが難しいンだよ。人間なんて、放っておいたって成長すンだ。老化もする。体力も落ちる。だが、技術や知識は蓄えられる。普通に生きてりゃ、弱くなるこたあねぇ。……だったらよ、むしろ鍛えて強くなる方が楽なんだなァ。だから、この世に弱えやつの戦術なんて、そう多く確立されてねえんだ」

「……やっぱ褒めてねえよな?」

「そうかァ……?」

 疑問形で、それでもなにかを確信しているような強い声で、狂人は言った。

「てめえは、ちゃんと弱さを使いこなしてる。誰かに頼り、困難から逃げ、足りねえ自分と向き合って……。なンだかな……。俺とは対極な存在だよ、てめえは」

「…………」

 鼻で少し息を吐いて、男は座席に座り直した。やっぱり褒められている気はしねえな。と、そう思って、少し笑う。

        *

 少女――ノラを解放してもらう。そう、男は改めて、狂人に指示した。

「オイオイ、いくら縛ってるっつっても、俺に『凝葬ぎょうそう』を持たせていいのかァ?」

 冗談めかして、嘲笑うように、狂人は返した。

「てめえを生かしてる理由はそれなんだよ。良いも悪いも、現状ではそうするしかねえ」

 男は答える。もちろんその前に、偶然にも『凝葬』を扱える者が身近にいないか試し、手っ取り早く済むなら紳士――ヤフユを迎えに行き、彼の持つ『箱庭百貨店』を用いてみることも考慮したが、どちらも短期間で達成するには望み薄だ。
 狂人を長く拘束し続けることにもリスクがあるし、ならば、できるだけ憔悴している現状で、彼に『凝葬』を無理矢理使わせることを試した方がいい。それをしないままに万一、逃がしてしまっては元も子もないのだ。

「もちろん、抵抗するなら痛めつけ、最悪、殺す覚悟はある。てめえにそんな方法が脅しになるかは解らねえが」

「殺す覚悟ねえ……」

 少なくとも現状まったく脅しになどなっていないような軽さで、どこか鼻で笑うように狂人は言った。

「ないって言いたいのか?」

 男は再度、狂人の方へ顔を出し、低い声で問う。

「いンや……。てめえの殺意は本物だ」

 いや、本物。あのモスクワでの戦闘中は。と、そう狂人は心中で言い直した。
 だが、あのときから、男の殺意は変だった。これまで向けられてきたものとは異質な感覚。そう、狂人は思い起こす。それを深く追求すると、なるほど、と、理解する。

 狂人にとって、殺意とは、その後のいかなる時点でおいても、相手が死亡するまで、その絶命を願うこと。それを自らの手で達成すること。その、覚悟のことだった。それは、目的であって手段ではない。

 だが、男にとっての殺意は、手段であって目的ではないのだ。少女を救う、それが達成されれば不必要となる感情――。そう、彼にとっての殺意とは、意識ではなく感情なのだ。何度でも決意し、永久に持続できるものではない。必ず、時の流れの中でいつか薄れてしまう、その場限りの激情。

 まるで思春期の恋のような、爆発的な感情だ。

「まあ、とにかく根気よくやるさ。……てめえも時間の無駄を憂うなら、とっととノラを解放すんだな」

 男は言うと、また、座席に顔を引っ込めた。
 だから、ぼそりと呟く次の言葉を、つい、聞き逃す。

「ああ、解ったよ」

 くだらないことを考えていたようで、自分で自分がおかしかったから、狂人は、眠るように両目を閉じ、喉の奥で少し、笑った。

 ――――――――

 2027年、一月。
 イタリア、ローマ。

 直接に屋敷の庭へヘリを降ろし、メイドに良く似た伸縮性の棍を構えるメイド、老執事などに迎えられ、ヘリを降りる。そこには、外部サポートとして細かなことをいろいろ処理してくれていた男の子も顔を並べていた。

「よう、クロ。世話をかけたな」

「…………」

 気さくな男の言葉に、男の子は沈黙で応える。狂人を捕らえた時点で、一報は入れてある。あるいは、この地への到着予定時刻なども、逐一。ゆえに特段の過反応を期待したわけではないが、あまりに淡白だ。しかし、まあ、さほど面識の多いわけでもない、親戚のおじさん程度の男へは、こんなもんだろうか? と、男は納得する。

 その後、その二人を顰めた顔で見ながら、丁年が降りる。それから、麻布をかぶせた狂人を伴って、メイドが。

「アルゴ様、ネロはこちらでお預かりしましょう」

 男たちに続いて、ヘリから降りてきたメイドへ、もう一人のメイドが警戒強く近付き、そう言った。

「いえ、フレスカ。わたくしが責任をもって、ノラ様の元まで」

「いえ、アルゴ様。いくらあなた様といえどお疲れのはず、ここは私が」

「いえいえフレスカ――」

「いえいえアルゴ様――」

 よく解らない取り合いが数刻続いた。結果、互いに左右を厳重にガードし、共に連行することになったのである。……宇宙人を捕まえたかのような構図だった。

「おじいさまは、やっぱり具合が芳しくないのです?」

 スカイブルーの髪を揺らし、ふわりとヘリから舞い降りる。可憐にスカートをはためかせ、まず幼女は、老執事に、ここにいない屋敷の主人を慮る言葉をぶつけた。

「ええ、お迎えに来られぬこと、どうぞご容赦いただきたく」

「なんじゃ、あの者、体を患っておったのか」

「ひぃー、ヘリ、怖かった……」

 聡く聞きつけ、最後に、赤髪の女と、やけに気の小さい青年が降りてきた。その二人を見て、やけに大仰に、男の子はため息を吐く。

「意見があるなら聞こうか? クロ」

 だから男は、先の沈黙と合わせて、どこか不機嫌そうな男の子に改めて、問い質した。

「いいや。もう来てしまったいまさら、言うようなことはないですよ、ハクさん」

 他人には違いないのだけれど、他人行儀に、男の子は言った。

「末弟」

 女が男へ呼びかける。

わらわが家主に挨拶をしておく。なれは先に、ノラの元へ行って、準備をしておけ」

 了解を返して、男は指示通りに。

 こうしていったん、彼らはそれぞれに解散した。

        *

 小一時間後、再度全員が集合した。男、狂人。丁年。メイドが二人。幼女に男の子。女と青年。そして、老執事に、車椅子に乗った老人まで。
 屋敷の地下、氷漬けにされた少女の安置される、その薄暗い一室に。

「じいさん。具合はいいのか?」

 男が老人の姿を見て、そう問うた。この屋敷に少女を安置し、いろいろと世話になってからというもの、男はずっとここに引き籠っていたわけだが、老人に会う機会はほとんどなかった。もちろん男の精神状態が問題でもあったのだが、そこから立ち直り、狂人討伐への準備を進めているときも、健康不良を理由にほぼ、会うことはなかったのだ。
 無理に一度、顔を合わせたとしたら、あのとき――。

「そうだ、じいさん。改めて礼を。あんたの手回し通り、モスクワの街――クレムリンや赤の広場周辺の人払いは、完璧に過ぎるほど行き渡っていたぜ。おかげで、死傷者を出さずに済んだ」

「それはなにより。この老いぼれの身にもお役に立てることができたなら本望です」

 皺を濃くし、疲れたように笑う。声にも覇気がない。まだまったく、体調が改善したとは思えなかった。
 そんな老人でも、生まれ故郷のロシア連邦では、いまだに方々に顔が利く。今回はそれを用いて、激戦必至の狂人との戦いに余計な被害が出ないよう、いろいろと働きかけてもらった、といういきさつがあった。

 余談だが、モスクワの地下鉄は、メトロ‐2という核シェルターに通じているという噂がある。その真偽はともかくとして、モスクワの地下鉄は広大で、かつ、インターネット回線等も整備されており、街中の市民を一時的にであれば、十分に収容することも可能だ。ということで、今回は多くのモスクワ市民をこの地下鉄に避難させていたのである。

「じゃあ、始めるか」

 男は言う。狂人を跪かせ、『凝葬』を準備。女の指示で、青年が狂人を取り押さえる。女とメイド二人は武器を構え彼を囲んだ。丁年はやや遠くから、銃を構える。
 ちなみに幼女は、男の子とともに後方待機だ。モスクワでの一戦では、彼女の働きにより全員が死を免れた。とはいえ、幼女や、彼女を巻き込んだ丁年の独断は、一歩間違えればとてつもない危険な行為だと、二人は男にこっぴどく叱られていた。ここへ来る、ヘリでの長い航空中に。

 ともあれ、これにて準備は万端である。これから狂人へ、男が『凝葬』を触れさせる。決して手渡したりはしない。ただ、肌に触れさせるのみ。もし反逆し反抗するなら、女たちがそれを止める。致傷させても、場合によっては、殺害してでも。

「十のカウントダウンで触れさせる。その後、結果はどうあれ五秒で一度、接触を終了。……ネロ、てめえは五秒でノラを解放しろ。あいつを氷漬けにしたときの時間を思えば、十分な時間のはずだ」

「大仰なこったなァ……」

 げひゃひゃひゃひゃ……。と、彼の殺気を封じるための麻袋の中で、彼は笑った。その軽口には答えず、男はカウントダウンを開始する。



 十。九。八。七。六――。



 女やメイド二人は、徐々に警戒心を増していく。男の後ろで、丁年が大きく、深呼吸した。



 ――五。四。三。二。一。



 誰も、なにも、音を発さない。時が止まったような――氷の檻に囲われたような静寂に、最後の数字が響く。



 零。



 ――――――――


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