箱庭物語

晴羽照尊

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ヤップ編

ありえたはずのあこがれ

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 さて、腹ごなしも済み、本格的なダイビングの準備である。とはいえ、今回はボンベやゴーグル等の、一般的な器具は不要だ。身体保温用のダイビングスーツ、足につけ、力強く泳ぐためのフィンあたりは装着するが、基本的にはそれくらいである。そして呼吸のための装備はでカバーする。

 だが一点、深海の暗黒を照らすだけの『光』だけはまだ必要である。ちょうど直近で『光』を操る『異本』、『白茫はくぼう』を手に入れたところではあるが、残念ながらそれを扱える者はいなかった。他の、『異本』を含めたあらゆる手法を考慮はしたが、結局、照明器具自体を普通に持っていくことに落ち着いた。というより、そうする他なかった。
 とはいえ、あまり大型のものを持っていくには、力も、もない。できる限りの小型で、十分な光量を持つもの。それを選んだ。形としてはヘッドライト。そしてもうひとつ、一般的な懐中電灯サイズのものも持っていく。予備という意味合いもあるが、ヘッドライトだけでは照らせる範囲が限定されるのが問題だからだ。

 ともあれ、実際に潜る男と少女の準備はそれだけだ。他にも互いにちょっとした小物くらいは用意したし、一番重要な、『Stoneストーン 〝BULKバルク〟』を蒐集するための、『箱庭図書館』を男は持つが、できうる限りの軽装。そして繰り返すが、深海への基本的な対処は、で行う。

        *

 ギャルは準備してきた自身の『異本』を天に掲げ、にやりと笑う。それを合図にしてか、その『異本』を中心に、おびただしい量の光が煌めき、周囲を七色に染めた。

 謎のリボンがギャルの周辺をはためく。それは決して高密度ではないのに、どの角度から見ても放送禁止に引っかからないレベルで、ギャルの体を隠した。それでも、弾けるようにほどかれた紐、それにより当然と脱げていく彼女の水着は、リボンの隙間から十二分に、その状況を理解できる。

 あるいは、ギャルの全身を覆う塗装物も、次々剥がれていった。顔面を彩るメイクも、全身をギラギラと煌めかせるピアスも、なぜだか、後天的に焼いた小麦肌すら魔法の力で戻されて、生まれたてのようなたまご肌になっていく。
 金髪巻き毛のツインテールもほどけて、巻く以前の直毛へ。抜いた色も戻り、艶のある黒髪へ回帰する。そうしてすっかりあどけない様相に戻った彼女を、さらにフリフリで、ふわふわな、あまあま衣装がコーティングしていった。

 穢れなきたまご肌。それでも血の通ったその肌よりかはよほど無機質な、純白の衣装がギャルを包んでいく。両の手を包む、フリル付きの白いグローブ。両足には膝まである編上げのロングブーツ。こちらもエナメル質に光沢のある純白色だ。

 そして全身を覆うは、いたるところにフリルがあしらわれた、純白のドレス。地面に引きずるほどのロング丈。しかし、前面は大胆に、太腿まで顕わになるほどカットされ、動きやすさを追求しつつ、色っぽさも演出している。肩をぎりぎり覆う程度のノースリーブ。胸元も大きく開いていて、決して大きくはないが、小さくもない彼女の主張を、見せびらかしていた。胸元、袖口、スカートの端々には、細かに光る七色の宝石が装飾され、周囲の目を引く。あるいは、布地自体にもわずかにところどころ、フリルの影に隠すように七色の染色がなされ、全体としてわずかにグラデーションがかっている。

 仕上げに、彼女は右腕を掲げ、空を掴んだ。そこにふと現れ、その手に収まるは、純白のステッキ。そのステッキの先にも七色の宝石が存在感強く煌めき、その、魔力を秘めたようにゆらゆらと輝く宝石たちは、それぞれ違った様相に光を放っていた。
 そのステッキでもって自身の頭を可愛らしく小突くと、ぽんっ、と、小気味よい音を鳴らして唐突に、七色の花輪が頭部を飾る。そうして形容が整うと、たおやかに腰を曲げて、小首を傾げて、横ピースとウインクを添えて、決めポーズ。

「雨降って地固まる! 曇天突き抜け、みんなに、夢と希望をとっどけるよぉ! 魔法少女まっほうしょうじょぉ、マジカル・レインボー!!」

 相変わらずのノリノリな動作で、ギャルはギャルをやめた。

        *

 瞬間の凪。静寂が船上を包んだ。

 そして、爆発する。

「あ――っはっはっはっは!! ふっ……ふひっ! ふはっはっはっはっはっはっは――!!」

 うずくまり、男は甲板を割るほどの勢いで、バンバンと叩いた。そうでもして発散しないと、爆笑で全身が破裂しそうだったから。

「だ、だめだ! いひっ……ひーっひっひっひ……! し、仕方ねえとはいえ、ふひっ! 出発前に笑わせんの、や、やめてくれ!!」

 あまりに変わり果てたギャルを見ると、どうしても男は笑いをこらえきれないようだった。もはや言葉を紡ぐのも限界だ。ただただ気が狂う前に気持ちを落ち着けようと、甲板を叩くだけの機械のように成り果てている。

 だからギャルは冷めた目で、男を見下ろしていた。腕を組み、顎を持ち上げ、見下す。そろそろその頭でも踏み付けてやろうか。などと考え、嘆息した、そのとき。

「ああ~、あいっ! まっほうしょうよ~?」

 きゃっきゃっと、ギャルの変身シーンや、最後の決めポーズをあどけなく真似て、女の子は大興奮だった。実のところ、ワンガヌイの少女らの家には、テレビがない。情報収集のためのパソコンくらいあるが、あまり電化製品を好まず、自然と寄り添うように生活しているのだ。あるのはせいぜい、冷蔵庫くらいか。洗濯すら手洗いだ。

 まあともあれ、そういった理由で女の子も、こういった娯楽映像には縁がなかった。隣町パーマストンノースの託児所でもテレビを見る機会はなかったし。そもそも年齢以上に幼い女の子に関しては、あまり外出をさせていない。つまり映像以外であろうと、外の世界の娯楽に触れる機会はかなり少なかったと言える。

 だから、少女にとってもその反応は意外だった。だが、やはり女の子も普通の女の子で、そういうキラキラしたフリフリの、可愛さ全振りの姿には興味があったようだ。

「ま、ま、ま、――」

 そして、幼女もである。

「マジカル・レインボー!! え、本物!? なわけないんだけど! 本物だぁ!!」

 女の子ほどはっちゃけたりはしないが、興奮を抑えきれないように前屈みに、足踏みも、キラキラ輝かせる瞳も、止めようがないように歓喜した。

「すっごい! すごい! アリスさんって、魔法少女だったんですね!!」

 その幼い女子ふたりの好感触に、ギャルの不機嫌も緩和される。にっへへぇ。と、笑い、改めて自分の意思で、決めポーズをキメた。

「そぉだよぉ! アリスちゃんは実は、魔法少女だったのだぁ!!」

「「うおおおおおぉぉぉぉ!!」」

 女の子と幼女はシンクロして大歓喜する。そしてそれを、腕を組んで、仁王立ちして、冷めた目で見る少女がひとり。

「…………」

 口元はひくつき、冷めた目は半笑いだ。どこか小馬鹿にするような、嘲笑のような。
 そんな少女にはギャルも気付いていたけれど、どうにも悪意は感じられなかったので、気にしないでおく。いまは喜んでくれる子どもたちのためにはっちゃけるのが、自分の役目だと信じて。

「…………」

 少女はどこかむずむずしながら、そんな光景を眺めていた。

 あ、ちょっと可愛い。混ざりたいけど、さすがに……。とか、抑えきれない感情を無理矢理、抑えていたのは内緒だ。

        *

 興奮もひと段落して、そろそろ本題に入る。ギャルの目から見ては、少女の形相もやや引き攣り、強張ってきたから。

「じゃあまあ、そろそろ準備しないとねぇ。おふたりさん。心の準備はおっけぃ?」

 もはや甲板に俯せて同化していた男もさすがに起き上がり、息を落ち着ける。ギャルの姿を再確認すると、胸の奥からまだ込み上げるものはあるが、なんとか抑え込んだ。

「ああ、頼んだぞ、アリス」

 吹き出しそうになりながらも、神妙に、男は言う。

「ノラちゃんも、おっけぃ?」

「……ええ」

 少女も、おかしな感じにならないように、極めて冷静に応えた。魔法をかけてもらいやすいようにとの配慮を演出しつつ、少しだけギャルに寄り、その可愛いフリフリ衣装を間近で眺めながら。

「んじゃあ! 注意事項はこないだ言った通りだから、気を付けてねぇ☆ 重要なことだけ確認するけど、……時間はきっかり120分。これが耐久性と酸素の確保をできるぎりぎりね。水圧はほとんど、人体に害をなさないように打ち消すからぁ。ぱっと潜って、ぱっと上がってきてよ」

 本来、深海への挑戦は潜るより浮上に時間がかかる。これは先に話した水圧が原因だ。2014年に樹立されたスクーバダイビング世界記録である332メートルへの挑戦は、潜降が14分で行えたものの、浮上には14時間を要している。深く潜ることで水圧が上昇し、肺にかかる圧力が上昇する。逆に上昇時にはその圧力が低下し、肺が急激に膨らんでしまうことによる。あまりに浮上を急ぐと、急激な肺の膨張により、最悪、肺が破裂してしまうのだ。

 だが今回のダイビングにおいては、魔法により水圧の負荷をほぼ無視できる。ゆえに、急潜降も急浮上も体に害はない。ということである。

「で、まあ、あとはあんまりしゃべんないことだねぇ。理屈としては、ふたりの体を、水の侵入や水圧を打ち消す膜で覆うわけだから、普通に声を出して、しゃべることもできるんだけど、空気を消費しちゃうから最低限にね。あんまりしゃべりすぎると、空気を早く消費して、潜水時間が短くなるから」

 はっきり言って、120分――二時間という時間制限はかなり厳しい。先のスクーバダイビング世界記録を勘案すれば、深度が約3倍、ならば、潜るだけなら単純に3倍の時間、40分そこそこで行えそうだ。しかし、少女はともかく、男は素人である。世界記録保持者と同等にいくはずがない。いくら魔法で多くの障害を無視していると言えども。そう考えると、本当に会話をする空気的余裕はないと言える。そのために彼らは、だいたいの蒐集の流れも、いざというときの行動も、ハンドサインやらも決めてある。とはいえ、未知の深海だ。不確定要素がある以上、多少の会話は避けられないだろうが。

「ああ、了解した」

 ギャルの説明を受けて、男が返答する。少女を見遣ると、彼女も頷いていて、特段の問題なく理解したと表現している。
 そんなふたりを見て、ギャルも頷いて応えた。そして、開始を宣言する。

「こっちからじゃ、ほとんど手助けなんてできないからね。無理ならいったん戻るんだよぉ、ハク。まあ魔力もぎりぎり使うから、戻ったら二十四時間は、あたしは休まなきゃだけど」

 一日二日なら余裕はあるだろうが、一週間もこんなところで立ち止まっている場合じゃない。少女はそう思う。ギャルの魔力がどうとかというのも、本当に二十四時間で完全回復できるのか怪しいものだ。つまり、基本的には一度目で成功させたい。少女はそう、内心で確認する。
 いざというときは『箱庭図書館』を預かり、男だけ引き返させる選択肢もあるかもしれない。そう、思う。

「……んじゃあ、いっくよぉ☆ 沈着の青。『アクア・リボン』。〝逆巻外連さかまきけれん〟!!」

 髪飾りの青いリボンをほどき、新体操のようにくるくる回して、その回転を男と、少女に向ける。青い輝きから放たれる水流が、そっと、男と少女に一枚の膜を纏わせた。

 これで準備は、完了である。そして前人未到の深海へ、男と少女は、向かった。


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