箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
199 / 385
コルカタ編 序章

Returner

しおりを挟む
『カーリー女神寺院』から逆行して、露店が並ぶ道を通る。やがてその隙間から奥に進み、スラムの端を横切って行く。

 スラムを見て、ふと男は思い出した。そういえばポケットの中にあのロールがまだ入っている。あとふたつも。

「おうハゲ。よかったらこれやるよ」

 男は、おもむろにそのうちのひとつを取り出し、僧侶に向けた。
 足を止め僧侶は、フードの奥から鋭い目を向ける。

「……ロールですか。ありがたくいただきます。が、私はロールにはうるさいですよ」

 言って、一口。世界が、変わった。

「うおおぉぉ……! これは、いままで食べたどのロールよりも……! は、ハゲる! 毛根に熱が滾るのを感じるっ! なんといううまさ!!」

「もうハゲてんだろうが」

「ハゲじゃない! スキンヘーッド!!」

 僧侶は男へ――ではなく、そばの外壁に頭部を叩き付ける。すると、その壁に亀裂が入り、ミシシ……、と、いくらかの石片が剥がれて落ちた。

「はあ……、はあ……。なんということだ。こんなうまいロールが、この世界に存在しているとは……。ハクくん、これはいったい、どこで売っているのです?」

「ああ、まあ、明日にでも案内するよ」

 場所はスラムだ、住所を言い伝えるわけにもいかない。現在地や有名な場所からの道順を逐一説明するのも面倒だし。

「とりあえず今日は用件を済ませよう」

「いえ、先に聞かねばどうにも落ち着きません。君が明日も生きている保証など、どこにもないのですから」

「物騒なことを言うんじゃねえ」

 しかし、安直に面倒なことをしてしまった。と、男は思った。僧侶、タギー・バクルドは好奇心を抑えきれない男だ。そう、過去の経験から知っている。というより、そんな性格でなければ、『異本』や、本自体に魅せられ、現在それを崇拝するような組織で幹部などやっていないだろう。強く優しく、正直で実直なはずの彼が、不法な集団で違法な手法まで用いてまで、その好奇心に従い活動を続けているはずがない。

 嘆息、する。しかたがない、遠回りではあるが、そう遠くもないのだ。いったんあの店に戻って、それから『本の虫シミ』の本部へ向かうこととしよう。そう、男は諦めた。

「いいわ、住所を教えとくわね」

 が、横から少女が、ふとメモ帳に住所を書き記し、それを千切ったものを僧侶に渡した。その行動を、不思議そうに男は見る。

「デジタルアドレスっていってね。ハクが――あっちに行った、ちょうどその時期に普及し始めたんだけど、土地などの所有がなくても電子上に住所を入手できる時代になってるのよ。これでネットショッピングとか、スラム街の人々彼らにも簡単に利用できるようになった」

 少女は男の怪訝を読み解き、説明した。そうだ、男としてはそこまでの意識は希薄だが、少女と出会ってから、十年近くも経過している。その世界は、大にも小にも、いろんなところが変わっているのだ。

 本来不思議でしかないその現象も、どうにも男はある意味、当然に起こり得るものと認識している。

 そうだ。自分は、『異本』に出会って、確かに一般的な認識から外れている。だから、男は思う。俺の目は、はたして世界を正しく見られているだろうか。と。

        *

 僧侶は納得して、案内を再開した。なかなかに入り組んだ小道を蛇行して、奥へ。スラムの中でも特に人が寄りつかない奥地。特に荒廃して、いまにも崩れそうな――いや、すでに崩れていると言ってもいい、ある建物に入り、瓦礫の影から、地下へ。

 その先が、現存する最後の、『本の虫シミ』の施設だ。

「こんなところで、ちゃんと住めてんのか?」

 悪く言う気はなかったが、率直に、男は問う。

「空気は悪いですが、掃除は行き届いています。料理の得意な子もいて、家事が趣味な子もいて、割合快適ですよ」

 地下へ降りながら、僧侶はフードを上げて、笑みを見せた。

「何人で住んでんだ?」

「十一人です」

 やや伝わりづらい問い。言葉通りに捉えれば、ここで日常生活する者の数、なのだろうが、ここは組織の拠点でしかない。つまり、住んでいなくても通いで訪れる教団員もいたはずで、ともすればその総数を男は問うてきた、と、捉えることもできたはず。
 そんなに深く考えてなど、そもそもいなかったのかもしれないが、僧侶は、即、端的に返事をした。

「これが組織の生き残り、最後の全員です。いまではその全員が、こうやって肩を寄せ合って、ここに住んでいる」

 笑顔を消して――いや、本来の笑顔から、苦笑いに変えて、僧侶はやや緊張感を増した様相で、言った。

「…………」

 男は、『本の虫シミ』が『本の虫シミ』と呼ばれる組織となる前に、彼らの元を去った。だから、最盛期から比べて、どれくらい人数が減ったのかは解らなかったが、十一人しかいないというのは、だいぶ少なく感じた。
 そもそも男の知っている『本の虫シミ』以前の組織は――組織と呼ぶにもおこがましく、たった五人の集まりでしかなかったのだから。

「生き残り、か」

「ああ、誤解しないでください。……アリスは、『戦争』という語彙で、君には説明したのでしょうが、武力でのぶつかり合いはほんのわずか、数えるほどしか行われていない。もちろんその数回の結果がこの現状を生んでしまったわけですが、それでも、血を流して人員が減ったわけではないのですよ」

 足を止めて、僧侶は語る。

「WBOからの、我々への要求は、ひとつが『異本』の譲渡、そしてふたつめが、組織の解体、解散。ですから、『異本』を持つ者はそれを渡して、そうでない者は、組織を離れればいい。そうして人数が減っただけですから、死者は――」

 僧侶は言い淀んで少し、目を瞑った。

「……そうですね。……この争いを原因として命を落としたのは――たったひとりだ」

 きつく瞼を結んだまま、僧侶は言った。唇を噛み、また、先へ進む。地下への階段を、降る。

        *

 こちらでお待ちください。と、ひとつの部屋に案内された。大きな長テーブルに、対面するように数脚ずつの椅子。

 そして、そこに座る、いくつかの影。



「いやぁっほう、何日かぶり、ハク☆」

 すでにできあがっている――様子なのは、多少の演技が含まれていようが、酒を飲んではいた。そのウイスキーが入ったグラスを持ち上げ、ギャルは言った。

 小麦色に焼いた肌。全身、いたるところに煌めくピアス。金髪を巻いて、ツインテールにもまとめた、いい歳したおばさんである。

本の虫シミ』が『本の虫シミ』と呼ばれる以前の、ただの本好きの集団であった時代からいる、最古参、そのひとり。現在『本の虫シミ』の中では幹部と呼ばれる地位。

本の虫シミ』の階級はシンプルだ。現在はWBOに囚われたままの『教祖』がトップであり、その下に数人の『主教』、各主教が治める施設ごとに、『幹部』が数人いて、それより下は単純な『構成員』だ。とはいえ、『教祖』と『主教』は実質的には同等の権力があるとされ、『教祖』は対外的な顔役であるに過ぎない。……というのが、この組織をときの教祖、ブヴォーム・ラージャンの言い分である。まあ、どちらにしたところで、現在彼は、WBOに囚われてしまって、なにも、手も口も出せない状態であるが。
 ちなみに『女神さま』というのは役職ではない。この組織を宗教団体としてまとめるために、教祖が連れてきた信仰対象である。その出自は、教祖ですら知らない。そんな教祖に連れられ、祀り上げられることを容認している、彼女の内心も。

 ともあれ、そのうちの、『幹部』である、このギャルは。コルカタの施設。この地を治める『主教』、タギー・バクルドは、世界にいくつかある――あった、『本の虫シミ』の施設の中でも屈指の戦闘集団を束ねる者。ゆえに『幹部』も『構成員』も戦闘における実力者揃い。その中でも特段に、多様なで多彩に戦える実力者。

 ギャル、アリス・L・シャルウィッチだ。



「どうも、コオリモリさん」

 静かに視線を向けて、優男は言う。腕を組み、下から睨みつけるように。

 毛先が切り揃えられた金髪のおかっぱ頭だ。いつ見ても、微塵も長さが変わらず、まるでヅラのような髪型である。そんな彼は軍服のような――むしろそれそのものなのかもしれない――ブラックの詰襟を崩さずに着こなし、座っている。椅子を大きく引いて、その長い脚を組んでいることが、テーブルを挟んで対面していても見て取れるほどだった。

 生き残った『幹部』の中では唯一の、『本の虫シミ』が『本の虫シミ』となった後からの加入組。年功序列は関係ないのだろうが、その若さで、新参で『幹部』になっていることからも、彼の戦闘力は計り知れよう。……そもそも、実際に彼と衝突している男にとっては、まさに体感して、知っている事実だ。

 優男、ゼノ・クリスラッド。である。



「本当に久方ぶりだ、氷守」

 最後に、二人分以上の幅を取って座り込む、大男。

 筋骨隆々な肉体は、もはや衣類で覆うことが不可能と言わんばかりに膨張している。超サイズのジーンズを履き、上半身は裸の上から、肩幅的に絶対に袖を通せないだろう、デニムのジャケットを羽織っていた。ギョロリ、と、目玉は飛び出し、零れ落ちそうなほどに大きく剥かれている。ぼさぼさの赤褐色の髪は、隣の優男と対照的に、まったく手入れなどされていないだろう無造作で、同じ色の無精髭も口周りに見て取れた。しかし、全体的に不潔感はない。毛髪、髭の手入れはされていなくとも、全身はよく磨かれ、服にも汚れはなさそうだ。意外と綺麗好きなのかもしれない。

 彼は、ある意味、特殊な人種だ。というのも、その肉体を構成するが、一般的な人間のそれより、よほど頑強なのだ。ゆえに、これだけの肉体を持つ。肉体的な強靭さなら、世界最強の一族。『本の虫シミ』の中でも、最強の戦闘要員である。

 この大男の名は、カイラギ・オールドレーン。



 三者三様、男へ向ける感情はあれど、とにかくは人間らしく、言葉から放った。それでも、その威圧感にたじろぎ、男は瞬間、止まる。

「あー――」

 後頭部を掻き、時間を稼ぐ。そこから出てきた言葉は、

「座っていいか?」

 だった。しかし、誰かが答える前に、施設に帰宅してからいったん席を外していた僧侶が戻ってきて、こう言ったのだ。

「ハクくん、ノラちゃん」

 名を呼んで、少しだけ躊躇う。

「『女神さま』が、お会いになりたいと」

 男が――誰かが、なにかを言う前に、黙って――。



 黙ったまま、少女が、歩みを進めた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

マンションのオーナーは十六歳の不思議な青年 〜マンションの特別室は何故か女性で埋まってしまう〜

美鈴
ファンタジー
ホットランキング上位ありがとうございます😊  ストーカーの被害に遭うアイドル歌羽根天音。彼女は警察に真っ先に相談する事にしたのだが…結果を言えば解決には至っていない。途方にくれる天音。久しぶりに会った親友の美樹子に「──なんかあった?」と、聞かれてその件を伝える事に…。すると彼女から「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と、そんな言葉とともに彼女は誰かに電話を掛け始め… ※カクヨム様にも投稿しています ※イラストはAIイラストを使用しています

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...