箱庭物語

晴羽照尊

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コルカタ編 序章

girl

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 2021年、十二月。台湾、十分シーフェン
 首都、台北から車で一時間ほど。台湾にある観光地のひとつにしてラッキースポットとも言われる土地。台北市内や他に近くある観光地、九份ジョーフェンほど栄えてはいないが、それゆえに異国情緒を満喫するに適した街とも言える。

 どこかレトロで懐かしい街並み。街中を電車が走るという奇妙な街作り。『訪れるだけで幸福になれる』、や、『神の住処にもっとも近い』とも呼ばれるラッキースポット。観光地でありながら人々の生活臭もするほどの、どこか、故郷のような、親近感の湧く街である。

 そしてこの街で空を見上げれば、いつでも見ることができる『天燈テンダン』。毎年旧正月(一月十五日)に、一年の願いを込めて空へ飛ばす、直径1.5メートルほどの気球状のランタンだ。現在では観光客向けということも含めて、年中購入でき、簡単に飛ばすことができる。

「ほう、器用なものだ、メロディア」

 購入した天燈を黙々と組み上げる娘子に、大男は声をかけた。

「こんなの、子どもでも作れる。レーンが……いや、なんでもない」

 それほどに簡素な造りに、まだ熱中するように、娘子は言葉を切った。力を入れ過ぎ。壊れるに決まってる。そんな当然すぎる言葉を、あえて黙した。大男にはそんなこと、言っても仕方がないこと、だから。

「……よし、できた」

 ふんす。と、鼻息を吐く。こじんまりとした体を反り、ない胸を張って、両腰に手を当てる。基本が無表情の娘子であるが、どこかそわそわした様子に、実のところ彼女の感情は、旧知の者たちには筒抜けだったりする。

「おお、さすがだメロディア! 他のものよりもまた一段、素晴らしい出来ではないか!」

 とはいえ、かなり単純で、人間の機微には鈍感な大男だ、旧知でありながら、彼だけは娘子のそういう態度から感情を読み取っていない。しかし、彼は今回、最適な言葉を選び取っていた。

「うん。当然。わちきにかかれば、すべてが完璧」

 いま一度、大きく鼻から息を吐く。その反動で天を見上げ、浮かぶいくつかの天燈を見た。
 そこに込められた思いに、瞬間、心が奪われる。聞こえづらい耳で、街中の声を聞く。

「…………」

 惚けた。娘子はにっこりと笑って、その控えめな賑々しさに、酔いしれる。
 これが、『存在』だ。それは、決して物質的なものだけではない。彼女には、それ以上の、世界の真実が、ちゃんと

「……願いは、どうしたのだ?」

 天燈には、飛ばす者の願いを書いて飛ばすのだ。それゆえに、やはり天を駆るあのひとつひとつには、たくさんの思いがつまっている。
 大男の、感覚的によいタイミングを狙い澄ました一声に、娘子も現実に引き戻される。とても、いい気持ちで。

「もちろん、あの子たちのこと。無病息災。平穏無事に、福徳円満を願って」

 彼女だけの、異様に静まった世界で、強く願いを込めて。
 娘子は天燈を、空へ、掲げた。

        *

「…………騒がんときい」

 ふと、窮屈に空間を侵食する悪寒が、娘子と大男、その周囲を覆った。

「…………!!」

 それとは別に、物質的に首元を突く、ややひんやりとした、感触。

 気付かなかった! その事実に、大男はともかくとして、娘子は動揺した。なぜなら、彼女は世界に蔓延る『存在』を感じ取ることができる。敵意、悪意。そんなものが向けられれば、もっと早くから気付けていたはずなのだ。
 ここで『存在』を感じられる、などというと胡散臭さも拭えないので、あるいはこう、考えてもいい。彼女は耳が不自由であるゆえに、その分、他の感覚が鋭敏になっている。聞こえないはずの音も――その振動を、たとえば皮膚感覚で受容し、普通の人間以上に空間感知には長けている、と。

 ともあれ、そんな彼女にも、その者は唐突に現れた、ように感じられたのだ。まるで、『存在』の隙間に姿を隠したまま近付き、いまようやっと、背後に現出したかのように。

「…………こぉんなWBOうちのお膝元まで来とったとはなあ。しかも、カイラギ・オールドレーンに、エルファ・メロディア。あんさんらほどの強者が、武装も万端に、なんの用や?」

 どうやら、知れている。大男の持つ『白鬼夜行びゃっきやこう 黒手之書くろてのしょ』と、娘子の扱うもの。その、二冊の『異本』の、存在までも。
 娘子の感知に引っかからない、それでいて、それだけの『異本』への『親和性』を持つ、WBOの者。……そう多くはない。

「フルーア・メーウィン?」

「あらあ、わっちみたいな者を知っとるなあ、…………光栄なことやわあ」

 こんな街中じゃやりにくいやろ? と、彼女は銃口でつついて、ふたりに、先へ進むことを促した。

        *

『十分瀑布』。台湾のナイアガラとも呼ばれる、落差20メートル、幅約40メートルもの、滝。それを内包する『十分瀑布公園』、そこに赴いた。
 もとより山間の街、十分だ。公園内もまさに『山間』といった様相。自然豊かに高低差もある、天然のバトルフィールド、の、ようでもある。

「ここなら人目もあらへん。…………今日はもう閉園しとうからなあ」

 十分瀑布公園の開放時間は九時から十七時半までだ。意外と短い。この日はもう日も暮れ、十九時を回っていた。

「わっちは根本的に戦闘狂やあ。やけんど、組織の意向やし、一回だけ聞かせてもらう。…………『異本』を渡して、『本の虫シミ』を抜けい。そしたら、無傷で帰したるさかい」

「一方的。ちょっとむかつく」

「ごめんなあ、お嬢ちゃん。…………でんも、それは、あんたらが持っとってええもん違うんや」

「お嬢ちゃん?」

 娘子はその言葉に反応した。『girl』と発音されたその言葉は、決して『daughter』を意味する表現で用いられたわけではなかったが、彼女はその語彙を好まない。
 自分は、誰かの娘などではない。特に、『いい身分で』、『いい家系に』生まれたね、などという、発言者にとっては謙譲の意味合いも含めて語られる、若干の悪意をも孕んだ言い回しを、本当に好まない。

 は、親ではない。自分はの、娘などでは、ない! そう、常々彼女は、思っていたから。

「…………?」

「おい、メロディア!」

 大男は、見た目に反して至極平和的な男だ。少なくとも、この段階では、そうだった。だから、娘子の暴走を予見して、声を上げる。まだ、話し合いの余地はあるはずなのだから。

「『EFエフ』、起動ブート。外敵除去システム作動」

 華奢な腕で首元の銃口を払い除け――ようとしたが、それ以前に距離は隔てられていた。そうして見るに、相手は、真冬だというのに寒そうなショートパンツ。全体的にシックな黒に、白いフリルをあしらった、メイドのような――メイドらしからぬメイドのような、そばかすと、大きな丸メガネを携えた、女。彼女は二つの三つ編みに束ねた栗色の髪を揺らし、涼しい顔で成り行きを見守る。

 確かに、事前情報通りの、WBO最高責任者リュウ・ヨウユェの秘書にしてメイド、そして、かの機関最強レベルの戦闘員。フルーア・メーウィン。その者のようである。

 しかし、相手はもう、どうでもいい。娘子は払い除けるために振るった腕の、その指先を掲げ、指揮を執った。

『了解. 外敵除去システム ヲ 作動シマス』

「はあん…………?」

 これが、エルファ・メロディアの扱う、戦闘力を無限に生み出す『異本』。CPU。つまり、コンピューターの脳髄とも言える最重要な部品ハード。『Euphoricユーフォリック Fieldフィールド ILL12010501』。そう名付けられた、総合性能Bの『異本』――演算装置。
 その演算装置を軸にして、彼女の天性の器用さにより生み出されたいくつもの戦闘機械を、特別に組み上げられたプログラム(外注)によって作動させる。これが娘子の戦闘法。彼女本人の戦闘力は皆無に等しいが、この『EFシステム』により、彼女は『本の虫シミ』の中でも屈指の戦闘力を誇っている。

 そう把握しても、そばかすメイドはゆったりと、緩慢に、両手に持つ白いプラスチック製の拳銃を構えたまま、待つ。
 これは、余裕でもある。その上、万全に戦いたいという好奇心でもあった。しかし、そんな言い訳を無視しても、隣の大男、カイラギ・オールドレーンに対しても気が抜けない――そうそう簡単に仕掛けられない、という要因も、強かった。

 その隙に、彼女の――使役する存在の、準備も整っていく。

『敵性戦力 ヲ 解析 ―――― 完了. 『EF2169』 ヲ 最適化. マルチバトルモード ヘ 移行. 排除 ヲ 開始シマス』

 娘子の卓越した指先により生み出された戦闘機械ハードウェア。ギチギチと異音を奏でて変形するそれを、悠長に

「なんや、…………けったいやわあ」

 そばかすメイドは、歯をむき出して――やけに楽しそうに、笑った。


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