箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
235 / 385
コルカタ編 終章

子らへ伸ばす腕

しおりを挟む
 ……………………。

 沈黙が、続いた。そして沈黙が続くごとに、少女のいたたまれなさは増していく。やがて、少女は女傑から、目を逸らした。

「……なぁんや、ノラ。いつもより、えろう可愛いなっとるやん」

 くっくっく。と、空気をつまらせるような音で、女傑は笑った。少女の邪魔が入っても、彼女が前に立ち塞がっても、そんなことなどお構いなしに――むしろ、気迫を募らせて。

「知らなかったの、パラちゃん。わたしはね、それはそれは可愛いの。もうほんと、めっちゃ可愛い……」

 くっ……! と、少女は言葉につまり、膝をついた。どうやら今回ばかりは、その設定に自ら、足を掬われたらしい。

 たしかに、少女は可愛い。しかし、彼女だって完璧ではない。見る者の庇護欲をくすぐるような弱さは失われてしまったし、達観したゆえの超越的な態度は、年齢以上に大人びてしまって、それらが可愛さという点においては、マイナス要素ともとることができてしまう。
 そして、だからこそ、彼女は自らを「可愛い」と呼称して、定義して、ちょうどよかったのだ。鼻につかない程度に、均されていた。もしも本当に完璧で可愛い少女が自らを「可愛い」などと言ってしまおうものなら、それ自体が彼女の『可愛い』を毀損して、ただの性格の悪い少女に格下げされてしまうだろう。

 つまり、少女はほどよく可愛かったのだ。自らを可愛いと言ってしまって差し支えないくらいに、本当にちょうどよく、可愛かったのである。

 それが、今回ばかりは可愛すぎた。普段、シンプルで飾り気のない衣服を纏っているからこそ、素材だけで程度の良い『可愛い』を演出してきたというのに、その衣装を華美に派手に、ポップにキュートに一新してしまえば、もはや非の打ちどころのない『可愛い』に成ってしまう。そしてその自分を、普段と同じように「可愛い」などと言ってしまうと、まさに的を得すぎて、鼻につくのだ。その滑稽さを当然と、賢い少女は理解してしまったから、こうして、くずおれたのである。

「……阿呆あほうやっとらんで、はよ立てや」

 少女の葛藤をすべて理解したうえで、女傑は言った。『本の虫シミ』のメンバー、僧侶や優男、あるいは機械生命体が彼女を警戒し、徐々に囲い、寄ってきても、悠長に。

 ちなみに大男は娘たちを連れ、彼女らを守るために距離を取る。そして悪人顔は状況を把握するのに時間を要して、まだ動けずにいた。

「乗らないわよ。馬鹿じゃないの?」

 少女は言った。言われた通りに立ち上がりながら。立ち上がって、衣装についた砂を払い落し、その弾みで目についてしまったフリフリ衣装に、改めて頬を引き攣らせながら。

「あの子らを――あるいはカイラギさんを? 襲う気なら、わたしのことなんて放っておいて、むしろ隙をついて、そっちを攻撃してたでしょ。それをしなかったってことは、あなたに――」

 その程度の読みで……。と、女傑は思った。少女らしくない。女傑は、やるならやる。少女をおびき寄せるために、一番狙いやすい相手を狙ったけれど、もとより外すつもりでなどやりはしない。し、おびき寄せた程度で、攻撃をやめもしない。本気でなければ、意味がないから。

 その程度やと、死ぬで? と、女傑は思った。まだ、大男や、彼の匿う娘たちへの。少女たちより先に、地上に出ていた。だから、準備は万端だ。そこかしこに電気の球を浮かせている。自身から発する雷撃に指向を持たせるための、『的』を。

流繋りゅうけい 〝あまね〟』。目視できないほどの微弱な電気を、数多のルートから同時に駆けさせ、目的にまで集約させる。とはいえ、いくら集約させるとしても、ひとつひとつが、少女にすら気取らせないようにするため、あまりに微弱に設定してある。ゆえに、その威力は女傑の編み出した技の中でも最弱だ。しかし、それでも人間の一人や二人や三人、絶命させるに不足はない――。

「――?」

 ふっ……と、わずかに風が、女傑の頬を撫でた。

 少女は、わずかも言葉をためらわせず、流暢に語り尽くした。そんなことを言い終わるまでに、とうにの電撃は、
 無理矢理、吹き飛ばされた。そう、理解した。おそらく、誰にも見えていない。彼女が――可愛すぎる彼女が唯一、姿に似合わず剣呑に持っている刀で、語気すら乱さず一刀のもとに、切り伏せたのだ。

 おそろしく速い一刀、うちやなかったら見逃しとるで。そう、女傑は思った。そして、あえてそれだけの速度で刀を振るった理由は――言うまでもない、あくまでここを、穏便に済ますためだ。

「冗談だものね? さっきの攻撃も、当たらないようにしてたものね? ……そうよね、パラちゃん?」

 優しい声で、少女は続けた。まっすぐ女傑を睨み上げて。

 面倒やな。と、女傑は判断した。だから、あえてみよがしに突き付けていた、指先の銃口を、そっと降ろす。べつにまだ、なんとでもなる。しかし、いま、この場では、やめとこか。面倒やし。と、女傑は諦めたのだ。

「……まあ、それでええわ」

 力強い少女の視線に、同質のそれをぶつけて、互いの心を読み合える者同士で、言葉を交わさず、約束する。

 、と。

        *

 女傑は、そのまま去った。

「おい、パララ」

 男が声をかけるも、

「仕事あんねん。始末書や、こんなんやったら。……近いうち顔出すさかい」

 顔を合わせずに行ってしまった。



「おまえら、どうすんだ?」

 ようやっと、ギャルの喪失から立ち直りかけた男である。だが、また、いま、少女と女傑のやりとりで、どっと疲れたところだ。地べたに腰を預けたまま、『本の虫シミ』のメンバーに問う。

 女神さまの退場は、少女と別れたのちに、全員に伝えてある。一人残した少女のもとへ戻るため、男が東奔西走、あの場のメンバーを纏めていたときだ。また、最後の拠点だったこの場も潰れている。まだ彼らは健在だ。『異本』だって奪われてはいない。しかし、このありさまで、この後、どうするのか? それを男は、問う。

「私の意見は言わないでおきましょう。どちらにしても、私は『本の虫シミ』を抜けさせていただくつもりですし。少しひとりで、旅でもしたい」

 優男は言った。そして、組織の意向も聞かぬまま、その手にある『異本』、『白鬼夜行びゃっきやこう 大蝦蟇之書』を、男のそばに置く。約束通り。

「それも回収です」

 そのまま悪人顔の元へも行き、彼の持つ『不知火』も回収する。悪人顔は、やけに素直にそれを、渡した。

「やけに素直ですね」

 優男は言う。

「そんなもんなくても、俺は俺だからな」

 あっけらかんと、悪人顔は言った。優男が到達するのに、多分の時間を要したその答えを、いとも簡単に紡いで。
 その悪人顔は、状況を理解しきっていないのか、特段になにも、未来への展望を語らなかった。不思議な男である。不思議な馬鹿である。

「……潮時、ですかね」

 僧侶が言う。真っ黒なローブの、フードを目深にかぶり、表情を隠した。

「年甲斐もなく、未練たらしく居場所にしがみついていたのかもしれない。それがこの結果だというなら、もう、『本の虫シミ』など、…………解散した方がいい」

 最後の一言には、長い間を要した。年甲斐がなくとも、未練たらたらでも、みっともなくしがみついていた居場所だとしても、結局、彼はその場所が好きだったのだ。その気持ちだけは、どうしても拭えない。そういうこと、だった。

「教祖も、女神さまもいないいま、僭越ながら私が宣言させていただきます。今日、このときをもって、『本の虫シミ』は――」

「待てっ!!」

 空間を震わせるほどの一声が、僧侶の言葉を遮った。声の主は、大男、カイラギ・オールドレーンである。

それがしは認めんぞっ! メロディアの仇を取るまでは、某はひとりでも戦い続ける! こんな……こんな結末でっ! メロディアの――この子たちの母親の魂は、どう救われるというのだっ!!」

 大男は、渾身の声を上げた。コルカタの街、全域にまで響いたかもしれない。それだけの、怒声。だが、その両腕に囲うふたりの娘には、陶器に触れるように優しい力加減だった。不器用な彼が、あまりにも器用に。――いつしか、ようやっと慣れた、親のごとき優しさで。

 そんな彼の、あまりに極端な力加減に震える、その肩に、触れる手が、ひとつ――。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

Re:コード・ブレイカー ~落ちこぼれと嘲られた少年、世界最強の異能で全てをねじ伏せる~

たまごころ
ファンタジー
高校生・篠宮レンは、異能が当然の時代に“無能”として蔑まれていた。 だがある日、封印された最古の力【再構築(Rewrite)】が覚醒。 世界の理(コード)を上書きする力を手に入れた彼は、かつて自分を見下した者たちに逆襲し、隠された古代組織と激突していく。 「最弱」から「神域」へ――現代異能バトル成り上がり譚が幕を開ける。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...