箱庭物語

晴羽照尊

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フランス編

物語を噛ませる

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 淑女が持つ『異本』は、基本的にはテス――そう名付けられた黒いジャガー、彼女一匹である。それは、『異本』としては、『テスカトリポカの純潔』という名で呼ばれる――実態としてはジャガーそのものというよりも、彼女の中に潜在する、遺伝子。一部の人間が名付けるところの、『極玉きょくぎょく』を指して、『異本』とされている。
 他に、『箱庭動物園』という『異本』まがいの物も所持してはいるが、それは厳密には『異本』に数えられない。『異本』とされるための条件のひとつ、『異本鑑定士』に『異本』として認定される、という行程を満たしていない、からである。

 ゆえに、ここで司書長が言うところの、淑女の持つ『異本』としては、まず間違いなく『テスカトリポカの純潔』を指しているのだろう。そしてそうなってくると、淑女としては警戒する部分もあった。なぜなら、かの『異本』、それを内在するジャガー、テスは、彼女の友人でもあるのだから。

(ああ、むさくるしい部屋ですみません! いや、いつもは綺麗にしているのですが! 最近は作業に追われ、なかなか掃除が行き届かず! あ、どうぞ! 座布団です!)

 無言ながらにわたふたと、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた学者が、最終的に座布団を差し出してきた。それを敷き、その上に、淑女は腰を下ろす。絨毯が敷かれているとはいえ、床に腰を落ち着けるのは――少女の家ではよく行われていたが、フランスでは珍しい光景である。とはいえ、淑女としてはさして違和感もない。

 期せずして、淑女が派遣されたのは、これまで謎に包まれていた、『世界樹』26階のあの部屋だった。中に入ってみるに、特段に特別な点はない。ほかの部屋と間取りも変わらないし、特異なものを広げている風もなかった。いや、ともすれば、淑女が来るまえに、片付けただけなのかもしれないが。

「あの……それで、あーしは なにをすれば?」

 学者へ問う。少なくとも、彼とともに、もうひとりはいるのだろうと踏んでいたのだが、現在、その部屋には彼しかいなかった。隣にもう一部屋ある様子だし、他の者はそちらへ移っているのかもしれない。それも、ともすれば、守秘義務の一環で。

「はうあっ! 小動物のように縮こまる彼女! かわいい!」

 なんか学者が叫んだ。

『グルルルルルルル――』

 どうせ必要になるだろうと、『動物園』から先んじて出しておいたジャガーが喉を鳴らす。学者に不穏な気配を感じたようである。

「ひいっ! こ、これが『テスカトリポカの純潔』……。話には聞いていたが、本当にジャガーだ。……いやしかし、恐怖しているなどと悟られれば男が廃る。ここは、毅然とした態度で――」

 なにごとかをごちゃごちゃ呟いてから、(お手!)、学者は腰をかがめ、ジャガーに手を差し出した。ジャガーはなんの躊躇もなく、その手に噛み付く。

「ぐわああああぁぁ!! 手が! 死ぬっ!」

「ちょっとなにやってるの、テス! 放しなさい!」

 淑女がなだめると、なんとかジャガーは牙を引いた。しかし学者の手首からは血が噴き出している。

「大丈夫ですかっ! えっと……えっと……ばんそうこう!」

 淑女はあたふたして周囲を探索した。だが、それらしきものは見当たらない。

『おーっす。……なに騒いでんだ?』

 そこへ、一枚の絵――落書きが現れた。虎のような模様の入った二足歩行で、背中に、天使のような羽が生えているような絵だ。それは、自律行動の力を持つ、『虎天使R』という『異本』であった。なぜだか最近はWBOの活動を手伝っているらしく、淑女も彼(?)の姿を、ときおり見かけていた。

「トラちゃん! いいところに! とりあえずこれで止血を!」

『ぎゃー! やめねえかアホンダラァ! 俺で止血すんじゃねえ!』

 叫べど、気が動転している淑女は、聞く耳を持たない。じわりじわりと『虎天使』は、学者から噴き出す血液に近付けられていく。

『ぎゃー! ぎゃー! 俺の人生がこんなことで終わる! こんなきったねえ血で!』

 じたばたと、暴れるのも疲れた。死(?)を目前にして、ただ泣き顔を浮かべ、『虎天使』は覚悟する。ああ、最期に――。と、走馬灯のように、なにかを思い出しながら――。

「なに騒いどんじゃ。元気じゃのう」

 溌溂としながらも、老いた声が、凛と響いた。
 隣の部屋への扉が、わずかに開き、そこから手が――老人のごとき、しわがれた手が、伸びる。

「その学者阿呆は放っておけ。若いもんは、少しくらい血を流さねば、おとなしくもせん。……まずは『虎天使』。おまえじゃ」

 小さく手招きをして、その手は、こちらへ来るようにと促した。

 有無をも言わせぬ。というほど強引ではない。逆に、なにもかもを安堵させるような、優しく、それでいて力強い声に、誰もが納得し、従った。
 だから淑女は、掴んでいた『虎天使R』を、手がこまねく方へ向ける。『虎天使』も、素直にそれに従った。

 一度、淑女は座布団に腰掛け、それから思い出したように立ち上がる。

「あ、と。……ここには、救急箱とかないですよね? あーし、走って取ってきますから!」

 さすがに、いまだ勢いよく血液を噴き出している学者の手は、なんとかしなければいけないだろう。そう思い至り、駆け出す。その後を追って、ジャガーも駆けた。

 その道中、思い出す。

 あの声は――たぶん――。

        *

 急ぎ、駆けて、行って、戻った。心を、落ち着ける。あまり、時間の猶予もない。その中でも、でき得る限りの、深呼吸を。走って上がった息も、高揚する心も、落ち着ける。

「も、戻りました……」

 そっと、部屋に入る。中には、誰もいない。

「……『パーシヴァル』さん? 手当て、しなきゃ、なんだけど」

 隣の部屋の者も気にかかるが、まずは彼の手当てである。また、隣の部屋の者に相対するにも、まだ、心の準備が足りない。その時間稼ぎにも、学者の手当てをしておきたかった。

「どうじゃ……メイリオ」

「どうじゃとか言われても解んねーし。いや、しかし、解った感じを出しておかないと怒られる」

 ……どうやら、隣の部屋から声が聞こえる。その後、ぼかっと、鈍い音がした。そして、人が倒れる音。
 ともあれ、おそらく学者も隣にいるのだろう。勝手に入るのは悪いだろうから、淑女はとにかく、ノックを試みる。

「あの! ……『パーシヴァル』さん! 救急箱持ってきました!」

 淑女が声をかけると、さらにどたばたと、隣の部屋は鳴動した。……ややあって、学者のみ、戻ってくる。

(ふっ……わざわざすみません。僕の天使ちゃん)

 扉の桟に体を預け、変な格好をしている。上にあげた腕からは、やはり血が噴き出していて、彼はそれを頭からかぶった。

「あ、そのまま、腕上げたままでお願いします。心臓より高くね。でも、立ったままじゃ届かないので、座ってください」

 正直、応急手当ての知識は少なかったが、さきほど、隣の部屋の者が大丈夫だと言っていたせいか、淑女の中では適当な手当てで問題ないという認識であった。ので、適当な消毒と、ガーゼでの止血をし、包帯を巻いて固定した。とりあえず、形にはなっただろう。隙間から血が漏れ出るようなこともなかったし。

「隣では……なにをやっているんですか?」

 淑女は、ダメもとで問うてみた。

(それは君にも教えられない。極秘事項だからね。しかし、これまでにない画期的な、『異本』に関する研究と実践、とだけ言っておきましょう!)

 やはり、返答はなかった。きっと、本当に重要な、極秘事項なのだろう。ともすればそれゆえに、口が堅い彼が選ばれたのかもしれない。そう、淑女は思った。

「トラちゃん――『虎天使R』は、どうしたの? ……どう、なったんでしょう? あーしがいないうちに終わったんですか? それとも、まだ、隣でなにか?」

 さして、仲がいいわけでもない相手に対して口数が多い淑女ではない。しかし、期待と不安が入り混じって、なんでも詮索していないと落ち着かなかった。ともすれば、自分の友人が、このあとどうされるかにも関わってくるかもしれないのだから。

(まだ作業中です。ですが、もう終わるでしょう)

 沈黙したまま、学者はしたり顔を向けた。不敵な、笑みだ。それだけでは、どちらかというと、不安になってしまう淑女だった。

「きっと、びっくりするだろうなあ」

 だが、小さく彼は、そう呟いた。その響きには、比較的、ポジティブな感情が込められているように感じられ、少しだけ、淑女は安堵する。

「おいこら! 手当て終わったんなら戻ってこんかい! 確認してみろ!」

 隣の部屋から怒号が響く。びくりと体を震わせ、学者は行ってしまった。

「……だいじょうぶだからね、テス」

 友人の毛並みを撫でる。そう、確証もなく語り掛ける言葉は、まるで、出会ったときに言ったものと同じ、必死さと、強さが含まれていた。


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