箱庭物語

晴羽照尊

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フランス編

再会

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 ある、男と少女が、連れ立って歩いていた。

「俺は、この街が嫌いなんだよ。どいつもこいつも、気取りやがって」

 ボルサリーノを目深に落として、吐き捨てるように、男は言った。本気で言ってはいないのだろう。しかして、心にもないことを言っているわけでも、もちろんない。

 少女は、ひとりこっそりと、その言葉が――感情が、どこからくるものなのかを、理解していた。

「べつに気取ってないじゃない。あなたはもう少し、自分に自信を持った方がいいわ」

 達観した少女の言葉に、男は、「なんだそりゃ」と、嘆息した。言葉の意味を理解しきれなかったのだろう。そして少女も、そのつもりで発言していた。

 たしかに、ファッションの最先端を行く街でもある。そこを練り歩く誰もが、ファッションスターのように輝いている。それに引き換え、男の格好はみすぼらしい。また、少女の容姿は端麗だが、白いワンピースを淡白に着こなすのみで、煌びやかさとしては足りないだろう。つまり、劣等感を抱くのも、解らないでもない。

 1971年。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の心理学者、アルバート・メラビアンの実験により導き出された法則によれば、視覚情報が相手に与える印象は、55パーセントほどだという。それはもちろん、他情報――聴覚情報38パーセント、言語情報7パーセントと比べれば、最大の割合を占める。第一印象は見た目が九割、などという言説もあるが、そこまでではないにしても、たしかに見た目は重要だ。
 それでも、人間の本質は、決して、その外観にない。少女もそれなりに、見た目には気を遣うが、それも、清潔にしておく程度。本来の自分に自信――というより、愛着があるというのも大きいが、やはり、外見は人間にとって、さして重要ではないという信念あってのものだ。

 どうせ、。外見、というだけで言うなら、必ず、醜くしわがれ、ひしゃげていく。それに引き換え、心は必ずしも、醜悪となっていくわけではない。そうならないとも限らないが、むしろ徐々に高潔に、清廉に変わってさえいける。なにより、それは肉体の変化と違って、自らの意志で、どちらへも帆先を向けられるのだ。
 心が反映されるものこそ、心を持つ人間の、本当の姿だ。少女は、そう思う。

「……着いたわね。覚悟はいい?」

 目的地に到達して、そのビルディングを見上げ、少女は男に確認した。

「覚悟ってなんだよ?」

 男は、まだ知らない。無形の『異本』に形が与えられていることにも、あるいは、そこに、父親ともいえる老人が、いることも。

        *

「だから、リュウ・ヨウユェの知り合いだよ。なんとかならねえのか?」

 声を荒げて、男は言った。受付のデスクに身を乗り出して、高圧的ですらある。

「いやあ、そう言われましても」

 受付に立った幼い女性は、困ったような笑みを浮かべた。まだ二十歳そこそこに見える幼さだが、毅然としている。困り顔であろうと、男の強引な要求に、一歩も引かない。……その纏っている衣服が、『お仕事中』などとプリントされたTシャツでしかなく、あまりにラフなのは、どうにも気になったが。

「どなたであろうとも、『世界樹』のご見学には、特別な許可状が必要ですので。リュウとお知り合いだというのでしたら、彼なら、許可状を発行できますので、お手数ですが――」

「そっちに話を通してからにしろってか? ここまで来て?」

 苛立ったような口調と態度で、男は言った。さして感情を荒立ててはいない。そして、そう簡単に『世界樹』に入れるとも思っていない。ただ、ごねてみれば少しくらい融通が利かないものかと、試しているだけだった。

「ちょっと、やめときなさいよ。無理なものは無理なの」

 少女は、順当に苛立っていた。男のこういうところが、本当に嫌いだったから。なんというか、せこいというか。彼自身、その行動を卑しいと思っているはずなのに、目的のためなら、手段を選ばない。特に、リスクのない行動なら、嫌われ役を演じることとなっても、なんでもやる。

 余裕が、ないんだな。そう、少女は思った。よく言えば、でき得るすべての手段を、精一杯に模索し、行動している。だがそれは、それだけ心に余裕がないことをも示していた。そうでもしないと、前に進めないと、男は、そう思っているのである。

「では、数日お待ちいただければ。こちらからリュウへ連絡をし、見学許可状を発行してもらいます」

「数日も待てるか。なんとか――」

「ならないわ」

 男の言葉を、少女が止めた。平淡としてるが、強い口調だった。

「諦めなさい。それに今日は、別の用事で来たんでしょ」

 男は舌打ちして、受付を離れる。だが、少女の心は、戦々恐々としていた。

 噂には聞いていたけれど、あの司書長は、マジでヤバい。そう、直感的に、理解したから。

        *

 別の待ち合わせがある。と言って、エントランスで待たせてもらうこととした。その言葉自体には、嘘はない。

 多くは開けたスペースだが、一部、隅の方に仕切りが設けられている席があった。だから、いちおう、そちらの席を選ぶ。淑女とのことは知られているだろうけれど、だからといって開けっ広げにするのもはばかられたし、話の内容も、あまりWBOの者に聞かせたくはない。であれば、そもそも、『世界樹』のビル内で話すのもどうかとは思ったが、淑女がどうしても、ここで話したいと言ってきたのである。
 男はいぶかしんだが、少女は、その慧眼から、彼女の言葉の理由を、もう知っていた。だから少女は了承したし、であれば、男としてもとりあえず、異論はなかった。

「お待たせ。ノラねえ、ハクさん」

 やがて、淑女がやってきた。少し会っていないだけなのに、どこか大人になったような、そんな表情だった。
 そんな様子で、淑女は、仕切りから半身を出した程度で、留まっている。

「どうした? 座れよ」

 男から声をかける。まだ決して打ち解けたとは言い難いが、それでも、EBNAでの一件以来、いくらか言葉は交わしている。男としてはもう、『家族』の一員という意識があった。

 戸惑うように、淑女は軽く、その長い髪を揺らした。少女のよりかは、光度の低い、しかして綺麗な、白髪。そしてその毛先を、カラフルな七色で染めている。気の小さな淑女にしては、大胆なファッションだった。幼いころから似たようなファッションを好んでいたので、なんらかのポリシーがあるのかもしれない。

「あの、ちょっと、会わせたい人がいるんだけど」

 淑女は、ふたりに向けて、言った。だがその視線は、どちらかというと男のほうへ向いていた。
 男は、少女と目くばせする。『なんだろうな?』と、疑問を投げかけるが、『大丈夫よ』と、やけに確信した視線が、返された。

「まあ、いいが――」

 言うと、ふ、と、足元に黒い影が這い寄った。見ると、それはこの、都会の真ん中に屹立する高層ビルディングには不似合いの、黒いジャガーだった。

「うお! おまえまたテスを『動物園』から出してんのか!」

 危ないからやめろ。という言葉を、男は寸前で嚙み殺した。淑女の家族ともいえる存在だ。危険動物には違いないのだろうが、あまり邪険に扱うのも気が引けたのである。

 グルルル――。ジャガーは男を見上げ軽く唸った。他の『家族』たちには、好意的ではないとしても、少なくとも無関心を貫く彼女が、男にはやや敵対的な目を向けてくるのも、大袈裟に男が驚いた原因でもある。

 で、そのジャガーに気を取られるから、本命に気付くのが、遅れてしまった。

「なんじゃ、十年も経っておるのに、なんも成長しとらんのう」

 声を認識する前に、わずかに、影が落ちた。その影にいぶかしんで、顔を上げる。上げながら、言葉の意味を咀嚼する。
 それにより、視覚情報と言語情報が、やけにぴったりと同時に、男の頭の中で理解された。その結果――

「は……?」

 男は呆けた声だけ漏らして、固まってしまう。

「よっ。元気しとったようじゃな」

 軽い調子で、老人は片手を上げた。

「あ、あ、あ――」

 行儀悪く、男は老人を指さした。その指先が、わなわなと震える。
 がたり、と、椅子を押し退け、立ち上がる。震える指先を回収して、その手は拳へと、自然に握られた。

「なにやってんだてめええぇっ――!!」

 意識する前に、男は動いていた。つまり、その拳で、老人を殴り飛ばすという、行動を。

 ……うん。なにやってんだこいつ?
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