箱庭物語

晴羽照尊

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フランス編

宣戦布告

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 男は、肩で息をした。一拍。少女を見る。二拍。淑女と目が合う。三拍目にして、殴り飛ばした老人を、ようやっと直視できた。

「はあ……はあ……はあ……」

 肩で、息をする。

「な――」

「なにすんじゃてめえっ!」

 ドッ――。と、鈍い痛みを感じる。それからさらに鈍い痛みを、体全身で感じた。どうやら、殴り飛ばされた。そう、男は認識する。

「いきなり殴りかかるやつがあるか! 老人をいたわらんかい! ボケッ!」

 まったく、最近の若いもんは……。などと、くどくどと老人は呟きだした。よくもまあそれだけネタが湧いてくるものかと、作家が感心するほどに次々、悪態をつく。

「ああ、解った。てめえ本物だな? もう間違いねえ。あんたみたいな老人じじいが他にいるか。なあ、『先生』っ!」

 男はわなわなと立ち上がる。彼は言葉通り、どうやらようやくと、現実を理解し始めたらしい。

「え、なに?」

 老人は耳をかっぽじり、聞こえなかったふりをした。おーよしよし。と、ジャガーテスのもとに腰をかがめ、彼女を可愛がっている。

「このっ――!」

 男は再度、拳を掲げるが、そのまま固まり、やがて毒気が抜けてうなだれた。
 順序は逆になってしまったが、思い出したこともあったのだ。どうせ一度だけと決めていた、殴るのは。

「ジンからのだ。だから殴った」

 そういうことに、しておく。

 その遺言を、男はモスクワで聞いていた。メイドと幼女が狂人に襲われていたころ、丁年とふたりきりになったときに、彼から。
 男の兄ともいうべき、稲雷いならいじんの、最期の言葉――遺言、その一部を。

 ――ぼくたちの父親あのくそ野郎を、ぶん殴っておいてくれ――

 だから、これは、その行使だ。そう、言い訳する。

「いったいなにしてたんだよ……『先生』」

 そのまま男は、両膝をつく。ジャガーを愛でる老人と、同じ高さまでかがんで、謝罪のように、首を垂れた。

        *

「てめえが死んでるうちに、いろんなことがあったんだよ」

 男はおもむろに話し始めた。そこに、さきほどのような怒りはない。それは、まるで子どもが親に、罪を告白するときのように手探りな言葉だった。

 姉弟たちとは、すっかり別れ、別々に歩み始めた。男は、一年ほどをただぶらぶらと、目的もなく世界をさまよっていた。『異本』を集めようという漠然とした目的は持っていたが、どう蒐集しようか、まだ迷っているような段階だった。

 やがて、インドの方で僧侶と出会った。からの腐れ縁でもあったギャルとも同時期に再会し、彼らともやはり一年ばかり、行動をともにした。

 彼らと別れ、本格的に『異本』蒐集に繰り出したころ、ノルウェーで少女と出会った。いまでも傍らにいる彼女と出会い、徐々に新しい人間関係に――家族関係にも慣れてきた。

 それから、たくさんの家族に恵まれた。長く会っていなかった姉や兄とも再会した。当初は真剣になり切れていなかった『異本』集めも、ここ最近は自分なりの目的意識を持って進めている。そして、それももう、佳境だと。

 そんな、長い長い物語を、老人は黙って聞いていた。相槌すらもおぼろげだ。それでも、まっすぐと男を見据え、ただ黙って、ちゃんと聞いていた。

「ジンが死んだ。ホムラも」

 あえて言い淀んでいた言葉を、男は最後に付け足した。己が姉弟の結末を。そうして言葉にしてみるに、ここにきてようやく、そのふたりの『死』が、男の中で現実的になった気が、した。いまさらになって、目が潤んでくる。

「「うん?」」

 と、老人と、なぜだか少女が、同じように唸った。

 少女はふと、誰かを探すように周囲を見渡して、淑女を捉えて静止する。「ねえ、メイちゃん来てるわよね?」。男と老人の話の邪魔をしないようにとの配慮か、彼女のもとへ寄って、小声で確認する。淑女は、「……来てるけど」、と、いぶかしんで簡略な返答をした。

「そうか、死んじまったか、あいつら」

 それとほぼ並行して、老人は男へ、ようやく言葉を投げた。悲しむというよりは、懐かしむような口調だった。

 その隙に、男は少女を手招きする。少女は淑女となにかを話していたが、慌てたように男のもとへと寄ってきた。

「それでこいつが、俺の娘だ」

 彼女の、その美しい銀髪の頭に触れ、紹介する。

「えっと……こんにちは。おじいさん」

 戸惑いながら、挨拶をする。そんな少女を、老人は、見定めるような笑みで、見つめた。

「ほっほ。よろしくな。お嬢さん」

        *

 ごめん、ちょっと出てくる。
 不意に少女はそう言って、どこかへ行ってしまった。ひとりで。

「……なんだあいつ?」

 もう少しちゃんと、老人に紹介したかった。そう男は、小さく憤慨する。しかし、もしかしたら少女なりに、男と老人の再会を邪魔しないように配慮したのかもしれないと思い直し、留飲を下げた。

 少女を見送るために向けた視線と、偶然、淑女の視線が重なった。だから、先の疑問の言葉を向けられたと勘違いして、おどおどと淑女が首を振る。あーしに言われても。という意思表示だった。

「そういやルシア、おまえの言ってたじいさんってのも、やっぱりこいつだったのか?」

 態度悪く、『こいつ』を指さし、男は問うた。「こら、人を指さすんじゃねえ」。そう老人が言うが、無視する。

「あ、うん」

 それについては、淑女は首肯した。

「つうことはあれだ、てめえは2017年には、蘇ってたってことになるな?」

 淑女が、老人に救われた当時は、その年のはずだった。そういう話も、男は淑女や、少女から聞いていた。そのことを責めるように、老人へ問う。

「つまり、だいぶ前から生き返ってはいたわけだ。……なんで連絡をよこさねえ?」

「つうか儂、おまえらの連絡先なんか知らんし」

 そもそもスマホ持っとらん。と、あっけらかんに言った。そう言われてしまえば、もはや文句など言う気にもなれなかった。どうせ言っても無駄だし。そう、男は諦める。

「そもそも生き返るとかなんだよ。ファンタジーかよ。それも『異本』の力か? ちょっとおまえ、詳しく話せ」

 男は老人に詰め寄った。

「まあ、そんなことはええじゃろ」

 老人は『かったるい』と言いたげに、苦い顔を振った。
 まったくもってよくない。そう男は思うが、続く言葉に、少なくともその話は、後回しになってしまう。

「それよりも、おまえが気にすべきは『異本』蒐集のことじゃろ? べつに儂はそんなもんどうでもいいが」

 若者から以前に聞いてはいたが、改めて老人自身からそう、『異本』蒐集などどうでもいいと言われると、複雑な気持ちになる男だった。ではいったい、当時、自分はどうして、『異本』を集めたかったのだろう? そう、いつかの自分に首をかしげる。ともすれば、老人が亡くなったことによるショックで、頭が回らなくなっていたのかもしれない、とすら。

 まあそれこそ、いまとなってはどうでもいいことだ。

「まだすべてが完成したわけじゃねえが、これまで蒐集不可能じゃった『無形異本』を物理的に蒐集できるようにしといたから」

 老人は少し、少年のようにいたずらな目を煌めかせ、もったいぶるように言う。

「リュウからの伝言じゃ。『欲しければ取りに来い。おまえに相まみえるときを、私は待っている』。じゃと」

 そこに男は、しっかとした敵意を感じた。その言葉に、男の方こそ、、する。

 WBO最高責任者、リュウ・ヨウユェ。と。眼前の、老人に対しても。


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