箱庭物語

晴羽照尊

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フランス編

過去について・未来について

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 おおむね溌溂と、実年齢に比して若々しく、眼光を煌めかせていた老人が、ここでふと、歳相応に目を細めた。その身に刻んだ皴で、瞼が落ちるようにして、自然と。

「それにしても、変わらんの。ハク」

 ほっほっほ。と、直近の殺伐とした宣戦布告から一転、まさに『家族』のように――久しぶりに再会した父親のように、優しい声音で老人は言った。
 だから、いとも簡単に、男はほだされる。思わず感情がこみ上げるほどに、感化される。懐かしいその声で、その名を呼ばれたから。

「……変わってねえわけねえだろ。何年経ったと思ってんだ」

 男個人としては、複雑な心境でもあった。というのも、地下世界――いや、別の惑星に行っていたせいで、地球上の経年に体が追い付いていない。実際に経過した月日より、男は六年ほど若さを保ったままなのだ。
 とはいえ、それを差し引いても、数年単位で時を隔てているのはたしかではあったが。

「男子、三日会わざればなんとやらって諺があんだろうが。これでも成長してんだよ。たぶん」

 言ってはみるが、さして自信があるわけでもなかった。しかし、変わっていないなどとも思いたくはなかった。この数年間は、本当に怒涛の日々だったから。特に、少女と出会ってからというもの、本当に。

「はっ。ガキが一丁前に、大人になった気でいやがる。……じゃがまあ、たしかに変わったようじゃ」

 悪態をついてから、いともたやすく、老人は前言を撤回した。

「顔付きが変わった。いろんなことがあったんじゃろう。……じゃが、変わっておらんよ。そのコート。そして、その帽子」

 行儀の悪いことに、相手を指さし、老人は言った。これも年齢によるものか、持ち上げたその指先は、わずかに震えている。それでも視線はまっすぐと、相手を射すくめるように鋭く、しっかと男を見つめていた。

 男は指摘されたままに、羽織ったコートを、そして、かぶったボルサリーノを、順に正した。そして少しだけ、老人の言葉にいぶかしむ。

「どっちもあんた――『先生』からもらった大切なもんだ。そうやすやすと手放すかよ」

 そんなことは、幼いころから変わっていないことだ。いまさら、たかが数年や、十数年で変わるものではない。それくらい、解っているだろうに。そう、男は思った。

「物は重要じゃない。……変わっておらんというのは、その物に込められた、感情じゃよ」

 老人は遠い目をするようにして、言った。
 だから男も、遠い過去を思い出すように、記憶を辿る。

「あの日――『先生』と、ホムラとジンと出会った、あの凍える日に、あんたからもらったコートだ。……そして――」

 言いかけて、男は黙った。思い出せそうで、思い出せない。はて、はたして、そういえば。



 



 それは、コートと同じほどに古い記憶だ。しかし、どうにも、思い出せない。眼前の老人からもらったことだけは、たしかなはずだが。

「いまもあの子とは仲良くやれとるのか? なんという名じゃったか……ふむ……」

 老人はわざとらしく腕を組み、首を捻る。唸り。やがて、答えを思い出したように、顔を上げた。

。……そうじゃ、

 その名に、どくん、と、男の鼓動が跳ねる。

「あのガキが、その帽子がおまえに似合うとか言い出したから、おまえはなかば強引に、それを持ってったんじゃろ。まったく、ガキが色気づきおってからに――」

 途中から、老人の声は、男の耳に届かなくなった。水が詰まったように、音が遠くなる。その代わりに、いつかの、誰かの言葉が、強く頭に響いた。



 ――これからは俺がおまえの『家族』だ。だから――



 無責任で幼く、しかし、力強い言葉。初めて、自分よりも誰かのためにと、胸を張って伝えた誓い。それを、いまさら――本当にいまさら、思い出す。

「遅えよ……」

 自分自身に、毒づく。



 そうか。俺の最初の『家族』は、おまえだったんだな。



 脱いだボルサリーノに、その思いを乗せて、男はうなだれた。

 本当に、まったく……もう遅い。

 ――――――――

 数刻、目を離した隙に、暗雲が蜷局とぐろを巻いていた。おかしい。そう少女は思うが、先に用事を済ませるために、地下鉄メトロへ急ぐ。

 も、おかしい。そう思ったから、確認だ。そしてその件に関して言えば、おかしさの理由も、いちおう想定できなくはなかった。まさかとは思ったけれども。

 唐突な暗雲のせいだろうか? 街を行き交う人々も、やや少ない。嫌な予感がする。そう思った。
 その、矢先だった。

「ノラ」

 ぱちり。と、瞬間だけ、気配を感じた。自らを呼ぶ声も。それだけで、理解する。

「ちっ」

 感じた気配同様に、瞬間だけ、舌打ちする。

「なんだってのよ」

 解らない。だから、少女は踵を返し、誘われた方へと、向かった。

        *

『世界樹』のあるパリ9区から、さらに北上、パリ18区。そこに、パリで最も標高の高い街、モンマルトルの丘がある。その丘の上に建つ、サクレ・クール寺院。それは、建築家アバディによりデザインされた、ロマネスクビザンチン様式の大教会であり、パリの観光名所のひとつでもある。

 その、人通りも雑多な一角にて、は悠然と、少女を待っていた。

「で、なんなのよ。わたし、ちょっと用事があるんだけど」

 。荒い息をゆっくりなだめて、少女は彼女の名を呼んだ。

 180を越えた高身長。赤茶色の、腰ほどまである長い蓬髪ほうはつ。それを勢いよく振り乱して、彼女は、少女を振り向いた。

「……なんや、走ってきたん?」

 サクレ・クール寺院へは、地下鉄メトロ12番線、アベス駅からほど近い。だのに、あえて走ってきたのか? そういう意図の、言葉だった。やや、棘のある、言葉だ。

「走った方が速いでしょ。それとも、急ぎの用事じゃなかった?」

 さきほどの様子から、でき得る限り早く。そう読み取ったから、走ってきたのに。そう、少女は言い含める。

「いや……」

 女傑はそう言って、言葉を切った。それは、それだけでは、肯定とも否定ともとれる言い草だった。

 やっぱり、おかしい。少女はそう、読み解く。

 たしかに女傑は、いつからか、彼女の『雷』たる特性をもって、体も、頭も、人体の限界に到達していた。それはつまり、少女と同等ということ。ゆえに、ある程度に達観するのは、理解できる。
 しかし、いま眼前にいる彼女は、さらに遥かなる高みから、少女を見下ろしていた。そう感じるのは、身長差や、やや彼女の方が坂の上に立っているから、という理由だけではないだろう。

 そんなレベルの話ではない。いまの彼女は、まるで――。

「急いどるんやったな。ほな、さっそく本題に入ろか」

 少女の認識を引き付けるように、女傑は言葉を紡いだ。ぴったりと、少女がそのに到達するのを、遮るかのように。

「ワレぇ、いますぐ、ハクのそばから離れえや」

 急に感情的に、女傑は言った。憤怒している。とさえ、見える。

「どういう意味よ」

 少女は、ためらいがちにも、はっきりと、真意を問い質した。うすうす、理解しかけていた、彼女の真意を。

「ノラぁ……」

 大きく息を吸って、自らを鎮めるように。そう努力してから、女傑は、少女の名を、呼んだ。

「イラつかせんなや……。殺したくなるやろ」

 肺の、すべての息を吐き、うなだれる。そうして、なんとか自身を抑えている。そう、少女からは見えた。

 ぱちり。と、瞬間、彼女の全身から、火花が散る。

「解らんよなあ? 解らんのやろ、ノラ。……ほな、はっきり言うたる」

 思わず上がっていたらしい肩が、すとん、と、落ちる。そうしてから女傑は顔を上げ、少女を、まっすぐと、見据えた。

「うちは、。……こないだ、いっぺん死にかけてん。いや、事実、死んだと言うた方が正しいかもな。……たしかに、舐めとったわ」

 最後の言葉は、己に言い聞かせるように、すぼんだ声量だった。

 少女は、女傑の言葉に、目を細める。苛立ちに近い。その感情を、噛み殺した結果だった。

「そんで、まあ、調。表現が正しいかはともかく――意味は、解るよな?」

 ノラぁ……。と、またもイラつきを露呈するように、少女を呼ぶ。
 だから、ちっ、と、少女も感情を、表に出した。しかし、すぐに気持ちを切り替えて――前向きに思い直して、口元だけで、笑う。

「ってことは、のね?」

 そうだ。そういうことになる。でなければ、こんなことはしないはずだ。そう、少女は理解した。

「いかへんわ。ここでうちが、未来を変えるからな」

 ばち。と、今度はたしかに、稲光が走る。彼女の高身長に則った、大きな手の、その広げた、指先と指先の間に。
 それに呼応してか、彼女の長い髪が、天を突くように立ち上がった。さらに対応して、空が、轟音を低く、唸らせる。

 それは、世界が、怒りに慄いているような、そんな光景だった。

「もう、とうに間に合わへん。けど、まだ救われる余地はある。……もっかい言って、それで最後にするで――」

 はあああぁぁ――。聞こえよがしに荒く深呼吸して、女傑は、紡ぐ。

「いますぐ、ハクのそばから離れえ。二度とあいつの前に、姿を見せんなや」

「お断りよ。馬鹿じゃないの」

 少女は、即答した。



「わたしはわたしのやり方で、ハクを

 交渉は、決裂だ。ゆえに、少女は、構えた。

 女傑は、あえてこんな、人通りのある観光名所を選んだ。理由はいくつかあるだろうが、つまりは、真っ向から本気でやりあう気はない、ということ。そう、少女は理解する。ゆえに、真剣ではありながらもどこか、気が抜けていた。
 たしかに、少女の理解は正しい。正しいことは、正しいに違いはなかった――。



「……いくらノラでもな、いまのうちには、勝てへんで」

 戸惑うように言葉を探して、やがて――。
 女傑も悲しそうに、構えた。
 その指先で作る、幼稚な銃口を、少女へ、向ける。



 少女が仮に、なにかを読み違えたとするなら――。

 それはきっと、『家族』という関係性、そのものについてだろう。


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