箱庭物語

晴羽照尊

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幕間(2027‐2‐2)

Last gene

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 2027年、二月。フランス、パリ。

「ええ、そうしてちょうだい。パラちゃんだってハクと遊びたいでしょ。わたしは少し、カナタのところでゆっくりするから」

 じゃあね。と、やや強引に少女は、通話を切った。ふう。と、大仰に息を吐く。ベッドにて布団に入り、上体を起こした姿勢で、スマートフォンをそのへんに放った。

わたくしも、ハク様と遊びたいのに……」

 そばに控えていたメイドが、愚痴をこぼす。はあ。と、諦めたような嘆息をついた。普段のメイドからしては、わずかに口調が乱れている。

「やめてよね、汚らわしい」

「あら、お子様にはまだ、早うございましたか」

「まず否定してよね」

 全年齢対象作品にあるまじきことを言い始めたので、少女は嫌悪感を出しておいた。

「ノラ様も、ヤフユ様のことを思うと、こう、下腹部がじぃんと、疼いてまいりません?」

「まいらないわ! 変なこと言わないで!」

 少女は、布団を頭からかぶって、閉じこもった。

「……ひとつ、お聞きします」

 なによ。くぐもった声が、布団の中から響く。

「その怪我。どうして治らないんですか?」

 少しの間、少女は反応しなかった。二分か、三分ほど。それだけの長時間を沈黙で乗り切ってから、少女は諦めて、むくりと起き上がる。二十年も前の火傷の跡。それもそうだ。治っていない。
 そして、先日負った、裂傷。雷のごとき神速で抉られたのだろう、あまりに綺麗な、傷。

「治ってるわよ、ゆっくりとね」

 一般的な人間の、自己治癒力の範囲内で。そういう意味で、少女は言った。メイドの表情は動かない。少女の言葉に納得していないのは瞭然だった。

 だから、また、沈黙が支配する。少女はもう一度、諦めて。そして、……やっぱり、諦めた。

「心に負ったものよりは、簡単には治らないの。治せないこともないけど、ちょっと、疲れる」

 まさしく疲れたように、脱力したように、少女はベッドに、倒れ込んだ。諦めたから、布団に引きこもりこそ、しなかったけれど。

「パララ様は、なんと言っておりました?」

 リンゴを剥きながら、メイドは問う。

「『おまえは間違ってる』。みたいなことよ」

 詳細は省いて、少女は端的に、そう言った。すべてを諦めても、を話すわけにはいかない、から。特に、メイドには。

「ふうん」

 メイドは、娘の話を聞き流す母親のような態度で、適当に頷いた。
 リンゴが、いろんな形に切られていく。ウサギ型に、木の葉型に。くし切り、薄切り、輪切り。芯を避けて皮付きのまま縦にザクザク大胆に切るだけのものもあれば、細かにディテールを凝らした、リンゴ一個を蓋つきのカップのように見立てた様相に仕上げたものまで作り上げる。もはや食べさせる気などないような完成度だ。

「今度はこっちの番ね。メイちゃん。どうして、あんな噓をついたの?」

 薄切りにしたリンゴをひとつまみして、少女は問うた。メイドの返答を待つように、あるいは、これ以上リンゴはいらないと表明するように、ゆっくりとそれを咀嚼する。

「頼まれたからです。に」

 さきほどのメイドの真似をして、その返答に沈黙を返す。まだ、答えは半分だから。

「……それに、私が納得したからです。交換条件としては、『異本』一冊。ハク様の悲願を思えば、悪くない取引かと」

 ハク様がエディンバラで、フルーアと交わしたものと同等です。そう、メイドは付け足した。

「それで、わたしのみならず、ハクまで騙すなんて、あなたらしくない」

「そうでしょうか?」

「そうよ。しかも、わたしよりよほど、ハクにとって重要となり得ることなのに」

「しかし全然、気にした様子もございませんでした」

「そんなの虚勢よ。解ってるくせに」

 メイドは、なんだかリンゴを複数積み上げた、タワーのようなものを作り上げて、その手を、止めた。その影から、顔をひょいと出し、少女と目を合わせる。

「それではまるで、ノラ様はハク様のことを、解っている、とでも言うかのような口ぶりですね」

 棘のある言葉に、一瞬、少女は息を飲む。

「解って、いるわよ」

「いいえ、それは間違いです」

 躊躇うような少女の言葉に、確信したようなメイドの言葉が、続く。

「……わたしの目が、間違ってると?」

 その宝石のような緑眼を、自ら指さし、睨みつけるように少女は、言った。

「間違っているのは、その発想です」

 メイドは、淡々と、たしなめるように、言った。
 フルーツナイフを突き付けて、鋭く、目を尖らせる。

「この世界には瑕疵がある。したがって、最高値を得ることは、誰にもできない。だからあなたは平均して、極大値を得ようとしている」

 メイドの言葉遣いは、やや乱れていた。その振る舞いも、同様に。
 追い詰めるようににじり寄って、少女の首筋を捉えたまま、その体に、馬乗りする。

「それが、一番正しい結末よ」

 少女は、理解した。
 メイドは、、と。

 どこで知った? 女傑だろうか? あるいは、彼女なら、自ら到達したのか。



 少女の見据える、に。



「正しいことが、幸せとは限りません」

「いいえ、幸せよ。人生を通せば、最終的には均されて、最高の幸福になる」

 じっ……と、少女とメイドはナイフを挟んで視線を交え、静止した。この世に絶対の正義がないように、完全な正解もまた、存在しない。互いが互いにすこぶる聡いから、それにもちゃんと、気付いている。
 だからこれが、互いの思想をぶつけあうだけの、不毛な雑談だとも、知っている。

「あなた様の間違いは、幸福に優劣をつけるところです」

 メイドは、ナイフを突き付けたまま、少女の上から退いた。であるのに、押し倒すように顔だけぐっと、吐息がかかるほどにまで、近付ける。

「ハク様の一番大切なものを奪うなら、私はあなたを、許しませんよ」

 心からの激怒と、心からの哀願。そして心からの悲愴。すべてをごちゃまぜにした言葉に、少女の反応は一瞬、遅れる。

 その隙に、寝室の扉はノックされた。

「はい、ただいま」

 メイドはいつも通りを再開する。少女としてもそのつもりだった。
 これ以上、思惑を誰かに知られたら、まずい。そう、少女は思ったから。

「あら。あらあらあら。あらまあ」

 メイドがなにやら、あらあら言っている。ご近所付き合いをする主婦のようだ。

 それから少女を振り向いて、「ノラ様」と、声をかける。妊婦のような慈しみで、自身のお腹をさすりながら、

「下腹部」

 と、いたずら顔で言う。だから少女は、「馬鹿じゃないの!?」と叫んで、布団に閉じこもった。

 メイドは出て行き、かわりに、別の足音が入室する。その足音の主は、「うん?」と、どうやら首を捻っていた。それから、ベッドわきの、さきほどまでメイドが座っていた椅子に、腰を落ち着ける。

「ノラ」

 独特に澄んだ声が、少女の鼓膜を、愛撫のように刺激した。だから思わず、ピクリ、と、体が反応する。

「えっと、具合は――」

 空気で、リンゴで、布団で減衰しても、その振動は、相手の心に共振するように、心地よく響いた。だから、きゅ、と、胸が締め付けられる。届かない心臓に絡みついた糸をほどこうと、胸に手を当てる。薄い胸の中では、心臓が跳ねていた。お腹が少し、痛い。

「だいじょうぶよっ!」

 勢いよく体を起こす。「わぶっ!」。吹き飛んだ布団に巻き込まれた紳士からは、魔法のないうめき声が上がった。

 下腹部が、じぃん、と、する。それを意識して、少女は、眉をしかめた。

「だいじょうぶよ、ヤフユ」

 布団にまみれて、その顔は見えない。だから、ほどよく平常心で、少女はいれた。

「だから、手、握ってて」

 返答を待たずに、布団の中から、その手を探し当てる。

「あの、ノラ」

「寝る」

「ああ、うん。……それで――」

 布団を取り返して、少女はまた、閉じこもってしまった。紳士と繋いだ手の先だけ、外に出して。

「このリンゴは、なに?」

 紳士の声が、響く。困惑からか、過剰ではない心地よさに収まった、声で。

「知らない」

 少女は安寧に包まれて、まどろむ。きっともう、こんな安らぎの時間は、

 ――少女はそれを、ちゃんと解っていた。


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