箱庭物語

晴羽照尊

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ラスベガス編

LUCK LACK

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 小一時間ほど経過したが、ブラックジャックの卓には、男のほかに何者も座っていなかった。そして、唯一座る男も、うなだれていた。

「なぜだ……。なぜ勝てねえ……?」

 ついぼそりと、恨み言が出た。

 決して勝てていないわけではない。むしろ序盤は、連続して勝ちを積み上げていた。だが、それは男としても様子見のつもりであったので、掛け金も少なく、当然リターンも、たかが知れていた。むしろ、その後に調子に乗って、掛け金を上げたのがまずかった。ちょうどそのころから負けが込み、男の持つチップは、残り20枚を切るほどまでに減少していた。

「いやあ、ツイてないですね。お客さん」

 ディーラーが言った。新しいトランプをシャッフルしながら。
 カジノではおなじみのリフルシャッフルにストリップシャッフル。オーバーハンドシャッフルにモンジーンシャッフル。それから手遊びのように、卓上にスプレッドし、ターンオーバー。ここでカードの表側が露出し、暗に客に対するカードチェックを促しているのかもしれない。それからデックをまとめ、頭の上から一メートルほども下へスプリングして落としていく。ディーラーというよりは、マジシャンのような手つきだった。

 いや、それよりも気になるのは、トランプのデックを一組しか使っていないことである。一般的なカジノでのブラックジャックの卓であれば、だいたい使用する組数は四組であることが多い。いや、世界を旅する男も、カジノに関してはさして多く入場したことはないが、聞き及んだ知識によると、四組や六組、八組が一般的なようであった。一組で行われることもあるにはあるが、その場合、プレイヤー側でのカードカウンティング――つまり、使用されたカードを記憶することで、デックに残るカードを推測し、ゲームを有利に進めることが容易になってしまう。男もその程度のことには頭を回し、当初からカウンティングを用いて勝負しているのだが、それでも負けが込んでしまっていた。まあ、男が、完璧なカードカウンティングを行えていなかったというのも、大きな敗因ではあろうが。

 ともあれ、使われるカードのデックが一組であるのは、プレイヤー側への有利性を高めるものだ。そうなると、ディーラーの多彩な技も相まって、イカサマすら疑ってしまう。シャッフルマシンを使わず、アナログでカードを混ぜているのも、その嫌疑を強くした。いくらカジノというのは信用のため、一般的にイメージされるよりよほど、イカサマなど行われないクリーンな社交場だとはいえ。

「どうします? 続けますか?」

 ディーラーが問う。それに男は瞬間悩んだが、「ああ」と、結局は深く懊悩することなく答えた。どちらにしても、ブラックジャック以外のゲームについてはほとんど、対策らしい対策をしていない。いや、ブラックジャックへの対策というのも、ただ深くルールブックを読み込んだ程度でしかないが。ともあれ、他のゲームに切り替える選択肢は、それはそれで、勝率の低いもののように、男には思えたのだ。完全に運勝負でしかないスロットゲームだけはまた別だが、あれはあれで、めっぽう勝率の低いゲームだ。その代わりに、一度一度のプレイングに関しては、ローリスクハイリターンともいえるが。

「不景気だな。じいさん」

 改めてのシャッフルを終えて、これからカードを配ろうというときに、ふと、男の隣の席に、彼が現れた。

「じいさんはやめろって言ってんだろ」

 彼の方を見ずに、男は答えた。不機嫌な声質は、半分本気で、半分冗談だ。そのうえ、本気のうちのさらに半分は、やつあたりである。

「お連れ様ですか?」

 問いでありながら、確信的な言い方で、ディーラーは言う。同伴者のゲーム参加は禁止だが、あえて、カードを配ろうとした手を止める。まるで、新しい参加者の意思表示を待つように。

「見学だよ。いいだろ?」

 男が答える前に、男の子は言った。ゲームに関しては、我関せずといった様子で、ジュースをすすっている。カジノでは多く、無料で飲み物などが提供されている。どうやら男の子は、それをくすねてきたらしかった。

「もちろんですよ」

 ディーラーは笑顔を向け、それからようやっと、カードを配った。もちろん、参加者は男ひとりだ。

        *

 数回のゲームを終えて、男の手持ちは一進一退、ほとんどチップの数は増減していなかった。

「じいさん。ちょっと」

 次のゲームに入る前に、男の子が男の袖を引いた。「なんだ?」と疑問を投げながら、男は誘われるままに卓を離れる。「悪いな。ちょっと作戦タイムだ」。男の子が代わりに、ディーラーに告げ、チップとして一ドル札を渡した。ディーラーはうやうやしく受け取り、優しく微笑む。

「で、どうした? ……やっぱりイカサマか?」

 男は心底で、わずかに渦巻いていた疑問を口にする。

「いや、おれが見た限り、そんな素振りはないな。……やっぱり?」

 男の子が首をかしげる。

「なんでもない。忘れろ」

 男は手と首を振って、己が愚かさを恥じた。どうやら、イカサマはないらしい。であるなら、ただ自分の運が悪かっただけだ。あるいは、ただ単に、立ち回りが。

「じいさんが負けてるのは、ただ漫然とプレイしているからだ。戦略を用いた方がいい」

「だからじいさんはやめろって」

「じゃあ、ハクさん。ブラックジャックには一般に、勝率を上げる動きが存在する。ディーラーの表向きの一枚アップカードと自分の手札によって、カードを引くヒットカードを引かないスタンド、どちらを選ぶ方がいいか。二倍掛けダブルダウン二手分けスプリット。このカジノにはないけど、降参サレンダーの選択。それと、現状、デックは一組だから、カードカウンティングをすれば、だいぶ勝率は上がると思うけど」

「いや、まあ。……いちおうやってんだ、それは」

「……そう」

 男の子は、表情こそ変えなかったが、小さく嘆息した。わずかの、間。

「あー」

 その間を埋めるように、淡白な擬音を伸ばして、

「このカジノなら、クラップスの方が勝てそうだけど」

 男の子は控えめに、クラップスの台そちらの方を見遣り、進言する。

「……なんだそりゃ?」

「……いや、いい」

 まだ控えめだが、さきほどよりはわずかに大きく、男の子は嘆息する。諦めた、ようだ。

「なんならおれが、カードカウンティングしようか?」

「いや、マナー違反だろ、そりゃ」

「……そうだな」

 目を閉じ、軽く首を振って、男の子は言った。どうやら作戦タイムは終わったらしいと判断し、男は、ゲームに戻る。

「ところで、他はどんな調子だ?」

 男は、確認した。

「知らねえ。パララさんはルーレットの台にいた。ラグナさんの方は、ハクさんが詳しいだろ。……あと、ホムラさんは順調にじわじわ、スロットマシンでチップを減らしてたな」

「おまえ、ホムラのこと知ってたのか?」

「そりゃ知ってるよ。ローマで会ってる」

 そういうことじゃない。と、男は思った。男の疑問は、女が生きていたこと。そして、このカジノに来ていたことを、男の子が『知っていたのか?』と、いうことだった。
 そりゃあ、狂人の一件で彼女と合流し、そのまま行動を共にし、モスクワからローマに帰ったとき、男の子と女は顔を合わせている。多く言葉を交わしてはいないだろうが、男の子が少女の息子であることや、逆に、女が男の姉であることは互いに確認していたはずだし、顔見知りであることには驚かない。

「ああ、ホムラさんが死んだとかどうとかの件か。あれはノラを――ノラやハクさんたちを騙すための嘘だから、おれにはその、真意が見抜けたんだよ。だから、生きていたことくらいおれにとっては、とっくに知ってたことになるな」

 男の本当の疑問に気付いて、それに対して男の子は返答した。

「嘘? 嘘って、なんの話だ?」

 メイドが虚言を用いて、その勘違いを誘発させたことについて、男はまだ知らない。だから、当然の疑問を覚える。

「込み入ってるから、あとで話すよ」

 男の子は言って、ブラックジャックの卓を指し示した。とにかく、このイベントを終わらせてからにしろ、ということらしい。
 仕方なく、男は改めて、席に着いた。

「お戻りですね。作戦は、お決まりですか?」

 ディーラーが、微笑みを浮かべる。

「ああ、ばっちりだ」

 男は、にやりと笑う。本人にとっては、ポーカーフェイスのつもりだった。


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