箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
279 / 385
台湾編 序章 ルート3

未視との遭遇

しおりを挟む
 そのころ、こちらのルートは、いまだに、フランス、パリにいた。

 ぎゅ――。と、かすかに音を鳴らし、着替えを終える。腕を前に伸ばし、手のひらを正面へ向け、眺める。真っ白な自分の肌と比しても、また、人為的に白い。その色に懐かしさを覚えながら、ぐっ、ぐっ、と、何度か指を開いたり、閉じたりして、慣らす。肌に引っ付く感覚が、少しだけ窮屈だ。

「ノラ。準備できた?」

 ふと、扉が開けられ、独特に耳に響く声が少女を呼んだ。

「なに、覗きに来たの?」

 特段におかしな行動でもないのだろうけれど、少女は、自分の腕を眺めていたことを恥じ、そのわずかな動揺を、不機嫌に変換したような声で、質問に質問を返した。ノックぐらいしなさいよ。という言葉が出かかったけれど、べつにいい、と、飲み込む。夫婦の間のことだ、別段、見られても構わない。
 ……理性ではそう思うけれど、しかしその場を想像して、少女は頬を赤らめた。うん。たぶん、本当に見られたら、自分でも、とっさに怒り出すことを抑えきれない気がした。そばにあるハンガーでも投げ飛ばすだろう。まあ、そんなが起こることなど、まずないのだけれど。

「え、うん。覗きに来たのだけれど――」という紳士のとぼけた言葉も、想定内だ。言葉が微妙に伝わっていないのも。

「それ、懐かしいね」

 少女が目を向けていた方向へ、彼も目を向け、言葉も向けた。少女が幼いころ、常につけていたオペラグローブだ。それは幾度も、汚れや破損により取り換えられているが、毎度同じようなものを好んで着用していた。彼女の両腕に、大きく残った火傷の跡、それを隠すためのもの。紳士はそう理解している。

 しかし、いつからか彼女は、それを身に着けなくなった。理由は単純で、その火傷の跡を晒すことに、抵抗を持たなくなったからだという。むしろ、それすらも自分の、大切な過去個性だと誇るようになったのだ。誰かを守るために傷付いた名誉の負傷を誇るようなものだと、紳士は思った。自身の、失われた右手を――そこにいまでは取り付けられている最先端の義手を見て、思いを重ねた。

「うん。今回は、そんな気分なの」

 含みがある言い方で、少女は言った。またそれは、それ以上の追及を許さない、というような、力強さも内包していた。

「あなたこそどうしたのよ。スーツなんか着て」

 普段はだらしない様相で、ワンサイズは大きめの服を、だぼっと着ていることばかりだった。首元も腋も、腰回りも股下も、布が余分にありすぎるようなデザインのものを好んでいた。だがまあそれも、彼の掴みどころのない性格とはやけにマッチしていたから、少女は嫌いじゃなかったけれど。

 しかし、本日は彼も、なにか思うところがあるのか、正装だ。灰をかぶったような髪色と肌色をした彼らしい、グレーのスーツ姿である。とはいえ、布の多いダブルスーツだ。それも、今時はやりの着丈が短いものではなく、昔ながらの、ヒップまで覆い隠すような長いデザインだ。袖も裾も詰められていないのか、やや長く見える。つまり結局、彼らしいだぼっとした着こなしだった。いや、ことここに至れば、むしろ服装というより、彼自身の雰囲気がそのように見せているのかもしれない。
 それでも彼が、不潔に感じられず、むしろ理知的で聡明な、できる男に見えるのは、そのたたずまいや、独特に人を魅了する声、そして美しく澄んだ青い瞳が、どこか造形物じみた完成度を醸し出しているからなのだろう。

「うん。わたしもこういうのは苦手なのだけれど、窮屈だし。しかし……まあ、今回はそんな気分、というところ、なのかな」

 自ら理解はしていない、というふうに、語尾に従うにつれ戸惑うような、言葉を探すような言い方をして、紳士は言った。
 少女は悟った。彼が、理由を言葉にすることをためらったのだと。けっして、その理由を自らで理解していないわけではない、と。
 まあ、それはいい。どちらでも。どうせ少女のすることは、変わらない。

「きみは、いつも通りだね」

 窮屈だと言いながら、まんざらでもないように己が身だしなみを確認していた紳士が、少女に目を向け、そう言った。唯一、いつも通りではないオペラグローブには、それ以上触れずに。

 銀髪緑眼の、少女。肌は煌めくように白く、しかしそれは、人間としては埒外に美しいから、逆に一般的な視点では、やや病的にも映る。とはいえ、はたしてどんな病気なのか、観測者は首を捻ることとなるだろう。血流が悪く、不健康に青白い。少女の肌は、そんなマイナス面を持ち合わせていない。まるで、光を反射するだけでなく、肌そのものがわずかに発光しているかのように、他の人体と比べると、輝度が高く見えるのだ。後光を背負った、神様のように。

 そんな少女が、肩まで覗かせるノースリーブの白いワンピースを簡潔に纏い、その美しさを雑多に控えさせている。それでようやく、彼女の姿は直視できる。それを計算したような――つまり意識的に、彼女は自分を貶めて、見られる格好を選んでいるようにさえ見えた。
 そして、前述のオペラグローブで、手先から肘までをも隠す。足こそ裸足だが、その開けっ広げさが、着飾らない純朴さを付加し、適度に少女を引き立てた。

 その足を動かし、持ち上げ、向きを変え、着地させる。連動して、逆の足も動かし、歩行する。そこまでを見届けて、ようやっと、それが彼女にとっての『歩行』だと理解する。それは我々とまったく同じ動きなのに、なぜだか彼女のそれは、違って見えた。乱雑に適当に無意識でやっているだけなのに、まるで洗練されつくした舞踊のように、常軌を逸している。

「いつも通り……どうなの?」

 気付けば、紳士の目の前には、少女がいた。後ろに手を回し、下から覗き込むように、わずかに上体を屈める。上目遣いで、その宝石のような緑眼で、相手を射すくめるのだ。

 紳士は、だから、見惚れる。見惚れて、言葉を迷子にさせる。

「いつも通りだよ。白い」

 迷子の迷子の言葉を探して、結局見つからないままに、紳士はそう言った。

「可愛いでしょ?」

 特段に不機嫌はなく、少女はそれだけをただ、いたずら顔で言う。近付いた距離を、唐突に離れるから、首元を飾っている翡翠の首飾りが、揺れた。オペラグローブをはめる都合上か、左手薬指を彩っていたプラチナのリングも、そこにまとめて通されている。紳士とお揃いの、一応は結婚指輪だった。

 くるりと回転して、少女は長い銀髪を、見せびらかすように靡かせた。その髪は、一本一本が意思を持つように、乱暴に扱っても最後には、美しさに回帰するように綺麗にまとまる。

「ああ、可愛い」

 紳士は素直にそう言って、笑った。
 だから少女も、照れて笑って、そして――準備を、完了する。最後の旅路に、向かう準備を。

        *

 それを見越したように、玄関の扉がノックされた。インターフォンも備わっているのだが、それが押される様子はない。しかし、ノックの音は問題なく、少女の耳には届いている。

「クロかしら?」

 息子の名を口にしてみる。時間的にはもう来るはずだ。しかし、なんだか、そんな気がしない。

 というより、ある程度であれば、未来さえ予知できるほどの洞察力を持つ少女だ、本来なら、そこにいるはずの人物を特定できていてしかるべきだった。だが、このとき少女は、来客を特定できないことはおろか、特定できないという非常事態にすら気を回せずに、首を捻りながらも気楽に、来客に応対した。

 いや、応対できてはいない。玄関の扉を開けてはみたものの、そこには、誰もいなかったのだから。

「……気のせい、な、わけないんだけど」

 無人を確認し、そこからさらに、一歩を、外へ踏み出す。念のため、周囲を見渡すためだった。そのときになって遅ればせに、紳士も玄関の方へ歩いてきた。彼にはノックの音を聞き取れなかったが、それは少女の耳が良すぎただけで、紳士に落ち度はない。

「どうした、ノラ? クロが帰って来た?」

 当初ノックの音を聞いた少女と同じ疑問を口にして、紳士はいぶかしむ。

「解んない」

 一歩、二歩と外へ出ながら、少女は言った。そう言ってみて、ようやく少女は、自身の疑問に、疑問を覚える。解らない。そんなことが、あるというの? いや、たしかになくはない。少なくとも、コルカタの『本の虫シミ』の施設には、ふたり、その足跡も、内心も、存在ですらも理解できない者がいた。それに、少女は、他にも日常生活の中で何度か、本当に少ない頻度ではあったが、そういう思いを感じてきた。その原因を、これまで理解できないまま。

 ふにっ、と、足裏に感触を覚える。まるで意図せず素足で、嫌いな害虫を踏んでしまったような、あまりに背筋がぞっとする、不快な感触だった。

「ふに?」

 反射的に少女は、足元を見る。

「もあああぁぁ――――」

 まったくもって気が付かなかった。し、そのうえ、見えてからも、。だが、なんらかのなにかがそこにいて、それを踏んだような気が、した。

「きゃああああぁぁぁぁ!!」

 それがなにかをちゃんと理解しないまま、少女は、ただ足裏の――あるいは下半身の不快感に慄きながら、無差別に叫んで、思い切り後ずさった。そばにまで来ていた紳士に体を預け、体を震わせる。

 こうして、、かの貴人が、少女の認識に、捉えられた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...