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台湾編 本章 ルート『嫉妬』
自身への憎悪が、他者への妬みに変わるまで。
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フェリス・オリヴィエの両親は、いつからか生きる気力を失わせていた。
積み上げた事業も、信頼も、最愛の一人娘すら失った。娘に関しては存命だし、すこぶる健康に、生活していた。その娘は遠く故郷を離れた外国で、孤独に苛まれてはいたものの、健常であることには違いない。失ったという表現は大袈裟だが、その大袈裟を、彼女の両親は感じてしまっていたのだ。
その失意のうちに、彼らは自死を選んでしまった。新しい仕事がうまく見付からなかったこともある。近隣住人たちとの友好関係が改善されなかったということもある。可愛い一人娘がいないことへの消沈もあっただろう。だが、それらはどれも、目に見えない物語だ。どれも、誰にも、法的に罪を問えない、模糊とした悪性。
どうすればよかったのだろうか? そう、いまでもときおり、彼女は回顧する。誰を、なにを恨めばよかったのか。社会か、人か、あるいは、自分か。恨んだとして、それからどうすればよかった? ただ泣けばよかった? 悲しめばよかった? 怒り、狂い、殺せばよかったのか。
両親を――彼女に残った最後の繋がり。それを奪った誰かを、力いっぱい、殺せばよかったのか。
あのとき、彼の制止など振り切って。
「その手を振るうのは、やめておけ」
隠し切れない嘲笑が、蔑みの視線が蔓延る葬送の場で、震え、上がった彼女の肩を、彼は力強く、叩いた。彼は、彼女よりももっと、怒りと悲しみを――それをとうに発酵させたような感情を湛えたまま、そこに立っていた。
「その手は、言葉は、感情は。あんなやつらに振るうべきものじゃない。おまえの物語は、まだ、続くのだぞ」
物語など、とうに諦めていた。だから、彼の言葉は、当時の彼女に、反抗心しか生まなかった。それでも――
「おまえの力はまだ、世界に必要だ。……助けてくれ」
そうして、ただ、必要とされたことが嬉しかった。簡単に、感化された。
ぎこちない表情で、慣れない動作で、大きな手を差し伸べてくれた壮年に、だから、彼女は、彼に感謝していた。
――――――――
稲荷日秋雨は、自らに言い聞かす。これは、俺のための物語。けっして、彼女のためなんかじゃない。
『異本』を集めるこの道は、自己研鑽の一環だ。とりたてて『異本』集めに協力的にはやってこなかった。まあ、手に入れる機会があるならついでに、それを蒐集してはきた。それだってけっして、無理をしたわけでもないし、精力的にやってきたことじゃない。
男への義理――短い期間だが、ともに旅をして、彼が求める『異本』蒐集に貢献したいという気持ちも、わずかならある。他の『家族』が協力的であることも、要因ではある。しかし、やはり丁年としては、その目的は、自身の人生としては大きなものではなく、あくまでついでの、つもりだった。
「ありがと、シュウ。さすが。あなたが一番、頼りになるわ」
そう、笑顔で言って、あやすように彼女に、抱き締められたかったからじゃない。人とのコミュニケーションが苦手な、そんなぶっきらぼうな自分を、温かく出迎え、無遠慮に頭を撫でられたかったわけじゃない。
俺はべつに、彼女のことなんか、好きじゃない。
そう、言い聞かせる。
彼は、利口に育った。それは、幼少期から、大人になることを強いられてきた、その結実かもしれない。諦めなければいけないことを、諦められる。だから、目の前の馬鹿みたいに、馬鹿にはなれない。
だから、唇を噛み締めるのだ。……いや違う。これは、折れた腕の痛みだ。言い聞かせる。なにやってんだ。そう、我に返る。俺の頭は、なんでこんなことを、思い出すんだ。
「ノラ。君が調べた情報を、いちおうまとめてみたのだけれど」
「え、なんで?」
「有用かと思ったのだけれど。不要なら捨ててくれ」
「いらないわ。ていうか、それ、わたしがすでにまとめてある」
「そうか。余計なことだったな」
「ちょっと待って。……こことここ、あなたの推論が語られてるけど、こういうの不要だし、そもそも間違ってる。あと数値のデータが一見して解りにくいわ。視覚的にグラフとかおこしたほうがいい。それと全体的に表記揺れが――」
「なるほど」
厳しい言葉を用いても、どこか優しい、彼女の目。それを真摯に受ける夫。ときおり交わされる、微笑。言外の繋がり。
それを眺めるだけの自分。そんな自分を、鏡を見るように俯瞰して、丁年は覗き込んでいる。少女と紳士を見ているとき、彼は、どうしようもなく疎外感を感じてしまう。
尊敬する兄である紳士に、『嫉妬』してしまう。
そんな自分を、嫌悪する。だから感情は、押し殺す。
――――――――
彼と彼女は、解っている。
『嫉妬』とは、『自己嫌悪』だ。
そんなこと、彼も彼女も、知っている。
だけど誰にも、解らない。
――――――――
「おおおおぉぉぉぉ――――!!」
目まぐるしく入れ替わる配置――背後をとっては背後をとられる、ときには側面からの特攻、あえて正面からぶつかったり、頭上から、あるいは足元から忍び寄る。己の内心みたいに、それはもう、ぐちゃぐちゃに、思考の追い付かない、やり取りだった。
「ああああぁぁぁぁ――――!!」
舞台も、切り替わる。黒の世界に引き付けて、白の世界に追っかけて。物質を生み出し、非物質に襲われ、避け、攻め、守り。一撃必殺の力を、それをぶつける瞬間を、狙う。自己嫌悪を――『嫉妬』を、やつあたりのように、発散する。
「馬鹿は! 気楽で! いいッスねっ!」
かちん。と、ロリババアは自身の頭で、金属がぶつかる音を聞いた。
もちろん丁年の言葉は――本心ではあれど――その怒りを誘うためのものだ。
「頭……きたっ!」
彼女にしては冴えた動きで、丁年の背後をとった瞬間に、さらに前方へ移動。結果としてフェイントのような形になり、彼の意表を突くことに成功する。
これは、彼女の馬鹿ゆえの特性だった。彼女ほどの馬鹿なら、怒りを誘えば、まっすぐ特攻してくる。そのように考えた丁年は、少しだけ想像力が足りていなかった。
彼女ほどの馬鹿は、特段の意味もなく、適当に行ったり来たり、理知的な人間には思いもよらない行動を、ときたま、とる。
だがそれでも、怒り心頭に、考えなしなのも本当だ。
「なにもかも、ぶっ飛ばすっ!」
白の世界で、鈍色の巨斧を、掲げる。
一日に三度しか振れないそれを、特段の算段なく、怒りのままに、振り下ろした。
積み上げた事業も、信頼も、最愛の一人娘すら失った。娘に関しては存命だし、すこぶる健康に、生活していた。その娘は遠く故郷を離れた外国で、孤独に苛まれてはいたものの、健常であることには違いない。失ったという表現は大袈裟だが、その大袈裟を、彼女の両親は感じてしまっていたのだ。
その失意のうちに、彼らは自死を選んでしまった。新しい仕事がうまく見付からなかったこともある。近隣住人たちとの友好関係が改善されなかったということもある。可愛い一人娘がいないことへの消沈もあっただろう。だが、それらはどれも、目に見えない物語だ。どれも、誰にも、法的に罪を問えない、模糊とした悪性。
どうすればよかったのだろうか? そう、いまでもときおり、彼女は回顧する。誰を、なにを恨めばよかったのか。社会か、人か、あるいは、自分か。恨んだとして、それからどうすればよかった? ただ泣けばよかった? 悲しめばよかった? 怒り、狂い、殺せばよかったのか。
両親を――彼女に残った最後の繋がり。それを奪った誰かを、力いっぱい、殺せばよかったのか。
あのとき、彼の制止など振り切って。
「その手を振るうのは、やめておけ」
隠し切れない嘲笑が、蔑みの視線が蔓延る葬送の場で、震え、上がった彼女の肩を、彼は力強く、叩いた。彼は、彼女よりももっと、怒りと悲しみを――それをとうに発酵させたような感情を湛えたまま、そこに立っていた。
「その手は、言葉は、感情は。あんなやつらに振るうべきものじゃない。おまえの物語は、まだ、続くのだぞ」
物語など、とうに諦めていた。だから、彼の言葉は、当時の彼女に、反抗心しか生まなかった。それでも――
「おまえの力はまだ、世界に必要だ。……助けてくれ」
そうして、ただ、必要とされたことが嬉しかった。簡単に、感化された。
ぎこちない表情で、慣れない動作で、大きな手を差し伸べてくれた壮年に、だから、彼女は、彼に感謝していた。
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稲荷日秋雨は、自らに言い聞かす。これは、俺のための物語。けっして、彼女のためなんかじゃない。
『異本』を集めるこの道は、自己研鑽の一環だ。とりたてて『異本』集めに協力的にはやってこなかった。まあ、手に入れる機会があるならついでに、それを蒐集してはきた。それだってけっして、無理をしたわけでもないし、精力的にやってきたことじゃない。
男への義理――短い期間だが、ともに旅をして、彼が求める『異本』蒐集に貢献したいという気持ちも、わずかならある。他の『家族』が協力的であることも、要因ではある。しかし、やはり丁年としては、その目的は、自身の人生としては大きなものではなく、あくまでついでの、つもりだった。
「ありがと、シュウ。さすが。あなたが一番、頼りになるわ」
そう、笑顔で言って、あやすように彼女に、抱き締められたかったからじゃない。人とのコミュニケーションが苦手な、そんなぶっきらぼうな自分を、温かく出迎え、無遠慮に頭を撫でられたかったわけじゃない。
俺はべつに、彼女のことなんか、好きじゃない。
そう、言い聞かせる。
彼は、利口に育った。それは、幼少期から、大人になることを強いられてきた、その結実かもしれない。諦めなければいけないことを、諦められる。だから、目の前の馬鹿みたいに、馬鹿にはなれない。
だから、唇を噛み締めるのだ。……いや違う。これは、折れた腕の痛みだ。言い聞かせる。なにやってんだ。そう、我に返る。俺の頭は、なんでこんなことを、思い出すんだ。
「ノラ。君が調べた情報を、いちおうまとめてみたのだけれど」
「え、なんで?」
「有用かと思ったのだけれど。不要なら捨ててくれ」
「いらないわ。ていうか、それ、わたしがすでにまとめてある」
「そうか。余計なことだったな」
「ちょっと待って。……こことここ、あなたの推論が語られてるけど、こういうの不要だし、そもそも間違ってる。あと数値のデータが一見して解りにくいわ。視覚的にグラフとかおこしたほうがいい。それと全体的に表記揺れが――」
「なるほど」
厳しい言葉を用いても、どこか優しい、彼女の目。それを真摯に受ける夫。ときおり交わされる、微笑。言外の繋がり。
それを眺めるだけの自分。そんな自分を、鏡を見るように俯瞰して、丁年は覗き込んでいる。少女と紳士を見ているとき、彼は、どうしようもなく疎外感を感じてしまう。
尊敬する兄である紳士に、『嫉妬』してしまう。
そんな自分を、嫌悪する。だから感情は、押し殺す。
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彼と彼女は、解っている。
『嫉妬』とは、『自己嫌悪』だ。
そんなこと、彼も彼女も、知っている。
だけど誰にも、解らない。
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「おおおおぉぉぉぉ――――!!」
目まぐるしく入れ替わる配置――背後をとっては背後をとられる、ときには側面からの特攻、あえて正面からぶつかったり、頭上から、あるいは足元から忍び寄る。己の内心みたいに、それはもう、ぐちゃぐちゃに、思考の追い付かない、やり取りだった。
「ああああぁぁぁぁ――――!!」
舞台も、切り替わる。黒の世界に引き付けて、白の世界に追っかけて。物質を生み出し、非物質に襲われ、避け、攻め、守り。一撃必殺の力を、それをぶつける瞬間を、狙う。自己嫌悪を――『嫉妬』を、やつあたりのように、発散する。
「馬鹿は! 気楽で! いいッスねっ!」
かちん。と、ロリババアは自身の頭で、金属がぶつかる音を聞いた。
もちろん丁年の言葉は――本心ではあれど――その怒りを誘うためのものだ。
「頭……きたっ!」
彼女にしては冴えた動きで、丁年の背後をとった瞬間に、さらに前方へ移動。結果としてフェイントのような形になり、彼の意表を突くことに成功する。
これは、彼女の馬鹿ゆえの特性だった。彼女ほどの馬鹿なら、怒りを誘えば、まっすぐ特攻してくる。そのように考えた丁年は、少しだけ想像力が足りていなかった。
彼女ほどの馬鹿は、特段の意味もなく、適当に行ったり来たり、理知的な人間には思いもよらない行動を、ときたま、とる。
だがそれでも、怒り心頭に、考えなしなのも本当だ。
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